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第三十四章 美麗なる妖狐は壮大な夢を見た
大炎上
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ヴェーン邸の2ブロック前に降り、カヤからも降りる。何日も飲み食いしておらず腹が減っていた。
「……一人で店入るの嫌だな」
『私共が居ります、御安心ください!』
孤独感は無いが安心感も無い。注文を押し付けても良かったり絡んでくるかもしれない淫魔を追い払ってくれるのなら安心出来るのだが。
食べ歩きをしている者も多い、どこかそういう店を探したいが──ふと視線を下ろせばカヤは消えていた。使用していないと勝手に消えてしまう……カヤは時々生き物らしさを感じさせない。
『……しかし此処はえらく爛れておりますね、主君には相応しくないかと』
「ま、ね」
『ですが主君はもう大人の男! そういった欲を発散したいのであればこの小烏お止めは致しません!』
「大声で言わないでよっ!」
そうか、刀に取り憑いていた妖怪なら別世界は僕の影の中で経験していたはずだ。『黒』の力と共に手に入れた者なのだ、皆のように夢だとは認識していない。
『…………しかし主君は些か清き者の雰囲気が濃すぎますね』
「悪かったねどうせ僕は気持ち悪くて女の子が嫌いなタイプの男だよ!」
丁寧な言葉遣いでの猥談は普通に話されるよりも腹が立つ。
頭を指で撫でると小烏は話すのをやめ、グァァァ……と低く鳴いて甘えた。落ち着いて辺りを見回しながら歩くとクレープ屋を見つける。丁度空いていたのでチョコマックスとやらを購入。
「食べる?」
『いえ、遠慮致します』
「そう? カヤは? カヤ、食べるなら出ておいで」
『主君、犬にチョコは毒です』
「……犬、だけどさぁ……」
完全に犬扱いするのもどうかと思う。アルもチョコは好きではなさそうだけれど食べるし、酒も飲む。
「……小烏ってカラス?」
『ええ! この美しき黒、嘴、見ての通り何処に出しても恥ずかしくない立派なカラスでございます!』
「小さくてカラスっぽくないよね」
『産まれたてでございますゆえ。小烏の小は小さいという意味ではありませんので、決して名前に引っ張られた訳ではございませんよ』
身体は小さいが自信はかなりのものだ。
零れるクリームやチョコソースに苦戦しながら、肩の上で跳ね回る小烏に笑いを誘われながら、ヴェーン邸を目指す。少し遠くに降りすぎた、僕の足では時間がかかる。
「…………アルからしたら僕は急に部屋から消えたんだよね。何時間経ったのかな……」
ふと悠長にしている場合ではなかったのだと気が付く。いや、むしろ今までどうしてこんなにも呑気でいられたのか疑問だ。アルに心配をかけて、玉藻は逃して、『黒』は僕のために力を使って消えてしまって──!
「……指輪」
クレープを持つ右手を見れば薬指に指輪が嵌っていた。左手を見ればこちらも薬指に指輪がある。片方は、おそらく右手の方は『黒』の物なのだろう。
『……主君』
普段より僅かに低い声で囁かれ、慰めようとしてくれているのだろうと次の言葉を待った。
『……別の妻との物を見せるのはよろしくないかと、外しておくべきだと進言します』
「僕が重婚してるみたいな言い方やめてくれる!?」
『どちらが正室で?』
「やめろって言ってるだろどっちも本命だよ!」
『…………男らしくて良いと思います』
思ってもいないことを言っているとここまで分かりやすい者も珍しい。僕は自分がクズだとも浮気者だとも自覚している。言い訳するつもりもない。
「……僕、『黒』のこと好きだったんだね」
指輪を見ていると自然と彼女の寂しそうな笑顔が思い出されて涙が溢れてくる。
「…………愛してたよ、『黒』」
そっと指輪に唇を寄せた。
きっともう『黒』のことは誰も覚えていない。自由意志は、タブリスは、と聞けば僕を指差すだろう。同化したと考える? 違う、力を奪っただけで『黒』そのものは消えてしまった。彼女の人格も記憶も残らなかった。この指輪と僕の記憶だけが彼女の存在を証明する。
魔物使いを愛し、奔放に生きて退屈に心を壊された、美しく繊細な僕の天使。
「……さよなら、『黒』」
伝えたいことはたくさんあったけれど、もうどこにも届かない。それなら心の内に秘めておこう。
せっかく『黒』が浄化してくれた清らかな心身を少しでも長持ちさせるためには、『黒』のことで自分を責めないことが肝心だ。まぁ、何もかも僕が悪いのは間違いのないことだけれど、目を逸らしてはいけないことでもあるのだけれど、ここで泣き崩れていたらは『黒』の気持ちを裏切ることになるから、僕は激情を殺して軽薄に振る舞う。
「えっと……ここ、どこ?」
考え事をしながら歩いていたせいかヴェーン邸がどこにあるのか分からなくなった。クレープも食べ終わったしもう一度カヤを呼ぼうか。
『そこを右に曲がってしばらく真っ直ぐ行った先です』
「……そっか。道合ってたんだ」
その程度の距離なら歩いてみようか。たまには運動も悪くない……けど面倒臭いし疲れるからしばらくはやらない。
「………………小烏、あれ何」
店が減り住宅が増える郊外のそのまた外れ、塀と木で隠されたヴェーン邸。その豪邸がある方角、この位置からなら確実に屋根が見える場所に、赤い炎と煙が見える。
『火事ですかね?』
「……違う、よね」
気が付けば走り出していた。
「だって、いっぱい結界が……」
結界を張った兄は姿を消した。術者が離れて消えるような結界ではないが、術者が結界を望まなければ消えてしまう。離別した兄が僕と僕の仲間達を守ろうと思っているはずがない。
「酒呑とか、ベルゼブブとか……」
街は嵐から復興していた、風俗店も飲食店も営業を再開している。人間達は珍しく外を歩き回っており、健康そうな顔をしていたから、呪いの管理も必要だろう。
「……アルっ、フェルっ……」
家に居たかもしれないのはアルとフェルとグロルとヴェーン。アルは僕を探しているかもしれない、ヴェーンは外出していたかもしれない、でもフェルとグロルは確実に家に居たはずだ。
「ぁ、あっ……何で、何でこんなっ……」
ごうごうと燃え盛るヴェーン邸の門の前には人集りが出来ていた。
「…………小烏、飛んで周囲に怪しい奴が居ないか調べて」
冷静にならなければ。こんな時こそ冷静に。でなければ魔物使いは……魔性の王は務まらない。
『……主君、それが……私、羽が……特に風切羽が切れておりまして』
小烏は僕の肩から手の甲の上に跳び移り、その黒い翼を広げる。乱雑に鋏を通されたように不格好に切れていた。
『飛べないこともないのですが、あまり満足には』
「……分かった。じゃあ影で待ってて」
そっと屈んで小烏を影の中に入れ、存在を薄めて周囲の者の視界から消える。翼を生やし、地面を蹴った。
『…………怪しい奴とか分かんないよね』
干渉を切ってしまえば炎に包まれていようと何の問題もない。僕は燃え盛るヴェーン邸の屋根をすり抜け、中に入った。
壁も、床も、天井も、一面が炎に包まれている。
『……このくらいならフェルでも脱出できるよね。問題はグロルちゃんも連れてってくれたかなんだけど……』
他の魔物達のように魔力を察知したり匂いや音などを鋭敏に感じ取れたらこうして走り回る理由もないのに。
僕は今何にも干渉されていないはずなのに、視覚情報だけで熱さと息苦しさを感じた。
グロルの部屋に入り、無人を確認する。フェルの部屋、自室、キッチンを見て、無人を確認する。逃げたのならいいのだが……
『連絡……肝心な時にっ!』
通信用の蝿が入ったぬいぐるみはいつの間にか紛失していた。
『…………兄さんっ』
形見の石もない。保管しているなんて言っていたが、この火事でどうにかなりはしないだろうか。この程度の温度で燃え尽きるとは思えないが、焦げはするだろう。
『……っ、そうだ、カヤっ! アルのところまで連れて行って!』
寒気はなくカヤは僕の隣に並び、首を傾げる。
『分かラ、なィ』
『はぁ!? んっだよそれっ……アルっ、アル……』
アルは火に包まれたってどうにもならない。危険なのはグロルだ、アザゼルに交代していればまだ逃げることくらいは出来るだろうけど、幼いあの子がパニックになってどこかクローゼットにでも隠れていたらと思うと心臓を握られるような気分になる。
『どこなんだよっ! アル!』
それでも僕の口から出ていくのはアルの名前だけ。自分の身勝手さには吐き気すら覚える。
叫び散らして精神的に疲れて、壁紙が焼け落ちた壁に背を預ける。そうしていると目の前で炎が竜巻に巻き込まれるようにして凝縮し、背の高い男の形に整っていった。
「……一人で店入るの嫌だな」
『私共が居ります、御安心ください!』
孤独感は無いが安心感も無い。注文を押し付けても良かったり絡んでくるかもしれない淫魔を追い払ってくれるのなら安心出来るのだが。
食べ歩きをしている者も多い、どこかそういう店を探したいが──ふと視線を下ろせばカヤは消えていた。使用していないと勝手に消えてしまう……カヤは時々生き物らしさを感じさせない。
『……しかし此処はえらく爛れておりますね、主君には相応しくないかと』
「ま、ね」
『ですが主君はもう大人の男! そういった欲を発散したいのであればこの小烏お止めは致しません!』
「大声で言わないでよっ!」
そうか、刀に取り憑いていた妖怪なら別世界は僕の影の中で経験していたはずだ。『黒』の力と共に手に入れた者なのだ、皆のように夢だとは認識していない。
『…………しかし主君は些か清き者の雰囲気が濃すぎますね』
「悪かったねどうせ僕は気持ち悪くて女の子が嫌いなタイプの男だよ!」
丁寧な言葉遣いでの猥談は普通に話されるよりも腹が立つ。
頭を指で撫でると小烏は話すのをやめ、グァァァ……と低く鳴いて甘えた。落ち着いて辺りを見回しながら歩くとクレープ屋を見つける。丁度空いていたのでチョコマックスとやらを購入。
「食べる?」
『いえ、遠慮致します』
「そう? カヤは? カヤ、食べるなら出ておいで」
『主君、犬にチョコは毒です』
「……犬、だけどさぁ……」
完全に犬扱いするのもどうかと思う。アルもチョコは好きではなさそうだけれど食べるし、酒も飲む。
「……小烏ってカラス?」
『ええ! この美しき黒、嘴、見ての通り何処に出しても恥ずかしくない立派なカラスでございます!』
「小さくてカラスっぽくないよね」
『産まれたてでございますゆえ。小烏の小は小さいという意味ではありませんので、決して名前に引っ張られた訳ではございませんよ』
身体は小さいが自信はかなりのものだ。
零れるクリームやチョコソースに苦戦しながら、肩の上で跳ね回る小烏に笑いを誘われながら、ヴェーン邸を目指す。少し遠くに降りすぎた、僕の足では時間がかかる。
「…………アルからしたら僕は急に部屋から消えたんだよね。何時間経ったのかな……」
ふと悠長にしている場合ではなかったのだと気が付く。いや、むしろ今までどうしてこんなにも呑気でいられたのか疑問だ。アルに心配をかけて、玉藻は逃して、『黒』は僕のために力を使って消えてしまって──!
「……指輪」
クレープを持つ右手を見れば薬指に指輪が嵌っていた。左手を見ればこちらも薬指に指輪がある。片方は、おそらく右手の方は『黒』の物なのだろう。
『……主君』
普段より僅かに低い声で囁かれ、慰めようとしてくれているのだろうと次の言葉を待った。
『……別の妻との物を見せるのはよろしくないかと、外しておくべきだと進言します』
「僕が重婚してるみたいな言い方やめてくれる!?」
『どちらが正室で?』
「やめろって言ってるだろどっちも本命だよ!」
『…………男らしくて良いと思います』
思ってもいないことを言っているとここまで分かりやすい者も珍しい。僕は自分がクズだとも浮気者だとも自覚している。言い訳するつもりもない。
「……僕、『黒』のこと好きだったんだね」
指輪を見ていると自然と彼女の寂しそうな笑顔が思い出されて涙が溢れてくる。
「…………愛してたよ、『黒』」
そっと指輪に唇を寄せた。
きっともう『黒』のことは誰も覚えていない。自由意志は、タブリスは、と聞けば僕を指差すだろう。同化したと考える? 違う、力を奪っただけで『黒』そのものは消えてしまった。彼女の人格も記憶も残らなかった。この指輪と僕の記憶だけが彼女の存在を証明する。
魔物使いを愛し、奔放に生きて退屈に心を壊された、美しく繊細な僕の天使。
「……さよなら、『黒』」
伝えたいことはたくさんあったけれど、もうどこにも届かない。それなら心の内に秘めておこう。
せっかく『黒』が浄化してくれた清らかな心身を少しでも長持ちさせるためには、『黒』のことで自分を責めないことが肝心だ。まぁ、何もかも僕が悪いのは間違いのないことだけれど、目を逸らしてはいけないことでもあるのだけれど、ここで泣き崩れていたらは『黒』の気持ちを裏切ることになるから、僕は激情を殺して軽薄に振る舞う。
「えっと……ここ、どこ?」
考え事をしながら歩いていたせいかヴェーン邸がどこにあるのか分からなくなった。クレープも食べ終わったしもう一度カヤを呼ぼうか。
『そこを右に曲がってしばらく真っ直ぐ行った先です』
「……そっか。道合ってたんだ」
その程度の距離なら歩いてみようか。たまには運動も悪くない……けど面倒臭いし疲れるからしばらくはやらない。
「………………小烏、あれ何」
店が減り住宅が増える郊外のそのまた外れ、塀と木で隠されたヴェーン邸。その豪邸がある方角、この位置からなら確実に屋根が見える場所に、赤い炎と煙が見える。
『火事ですかね?』
「……違う、よね」
気が付けば走り出していた。
「だって、いっぱい結界が……」
結界を張った兄は姿を消した。術者が離れて消えるような結界ではないが、術者が結界を望まなければ消えてしまう。離別した兄が僕と僕の仲間達を守ろうと思っているはずがない。
「酒呑とか、ベルゼブブとか……」
街は嵐から復興していた、風俗店も飲食店も営業を再開している。人間達は珍しく外を歩き回っており、健康そうな顔をしていたから、呪いの管理も必要だろう。
「……アルっ、フェルっ……」
家に居たかもしれないのはアルとフェルとグロルとヴェーン。アルは僕を探しているかもしれない、ヴェーンは外出していたかもしれない、でもフェルとグロルは確実に家に居たはずだ。
「ぁ、あっ……何で、何でこんなっ……」
ごうごうと燃え盛るヴェーン邸の門の前には人集りが出来ていた。
「…………小烏、飛んで周囲に怪しい奴が居ないか調べて」
冷静にならなければ。こんな時こそ冷静に。でなければ魔物使いは……魔性の王は務まらない。
『……主君、それが……私、羽が……特に風切羽が切れておりまして』
小烏は僕の肩から手の甲の上に跳び移り、その黒い翼を広げる。乱雑に鋏を通されたように不格好に切れていた。
『飛べないこともないのですが、あまり満足には』
「……分かった。じゃあ影で待ってて」
そっと屈んで小烏を影の中に入れ、存在を薄めて周囲の者の視界から消える。翼を生やし、地面を蹴った。
『…………怪しい奴とか分かんないよね』
干渉を切ってしまえば炎に包まれていようと何の問題もない。僕は燃え盛るヴェーン邸の屋根をすり抜け、中に入った。
壁も、床も、天井も、一面が炎に包まれている。
『……このくらいならフェルでも脱出できるよね。問題はグロルちゃんも連れてってくれたかなんだけど……』
他の魔物達のように魔力を察知したり匂いや音などを鋭敏に感じ取れたらこうして走り回る理由もないのに。
僕は今何にも干渉されていないはずなのに、視覚情報だけで熱さと息苦しさを感じた。
グロルの部屋に入り、無人を確認する。フェルの部屋、自室、キッチンを見て、無人を確認する。逃げたのならいいのだが……
『連絡……肝心な時にっ!』
通信用の蝿が入ったぬいぐるみはいつの間にか紛失していた。
『…………兄さんっ』
形見の石もない。保管しているなんて言っていたが、この火事でどうにかなりはしないだろうか。この程度の温度で燃え尽きるとは思えないが、焦げはするだろう。
『……っ、そうだ、カヤっ! アルのところまで連れて行って!』
寒気はなくカヤは僕の隣に並び、首を傾げる。
『分かラ、なィ』
『はぁ!? んっだよそれっ……アルっ、アル……』
アルは火に包まれたってどうにもならない。危険なのはグロルだ、アザゼルに交代していればまだ逃げることくらいは出来るだろうけど、幼いあの子がパニックになってどこかクローゼットにでも隠れていたらと思うと心臓を握られるような気分になる。
『どこなんだよっ! アル!』
それでも僕の口から出ていくのはアルの名前だけ。自分の身勝手さには吐き気すら覚える。
叫び散らして精神的に疲れて、壁紙が焼け落ちた壁に背を預ける。そうしていると目の前で炎が竜巻に巻き込まれるようにして凝縮し、背の高い男の形に整っていった。
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