魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十六章 怠惰の悪魔と鬼喰らいの神虫

中に居たのは

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セネカはいつもの頼りなさをどこかへやって、アルを待たせていた部屋まで走り抜けた。部屋には仲間全員が集っており、僕を見ると怒号を飛ばす者も居た。

『ヘル……どうしよう、治癒魔法が効かないんだよ』

アルは翼で自分の身体を包み、ぐったりと横たわっていた。

『…………アル! アル、アルっ、どうしたの、何があったの!? 今朝は、何とも……』

目を離すべきではなかった。体調が悪いと言っていたのだから、完全に回復するまで隣に居るべきだった。

『……下等生物、状況を伝える。落ち着け』

『落ち着けるわけないだろっ!?』

そう叫んだ直後、ガラスか何かが割れる音が部屋に響き、背後から脳天に与えられた鈍痛に膝をついた。

『…………頭領、も一発行くか』

酒呑が酒瓶で殴ったらしい。破片が足元に散乱している。

『……自分が落ち着かんとどうにもならん。元はと言えば頭領がふらふらしとったから狼の異常に気付くんが遅れた。後から現れて被害者ヅラして喚くたぁ何事や』

『…………殴らなくてもいいだろ』

そう言いながら立ち上がって向かい合うと、今度は顎に拳が入った。

『嫁がしんどい言うて寝込んどる時に他の女としけこんどったような奴殴らんで何すんねん! あぁ!? 蹴るんか!? 沈めるんか!?』

『………………ごめん』

反論すればするだけ時間を食うし、きっと無駄だ。

『ごめんで済んだら私刑は要らんのじゃ。挽回せぇ、出来へんかったらドタマカチ割ったるわ』

二度も頭を揺さぶられて意識が朦朧としてきていて、自力では痛覚消失すら危うかったのでライアーに打ち身を治してもらった。クリューソスの前に屈み、状況を聞く。

『…………お前もアルギュロスも起きてこないのを不審に思い、正午頃に部屋に入った。その時に居たのは俺とそこの酒飲みだ』

正午頃と言うと……僕が窯を眺めていた頃か。

『その時はアルギュロスは怠そうにしていただけで、起き上がったり持ってきた肉と酒を楽しむことは出来た。食べ終わってもずっと怠そうにしているアルギュロスを不審がって、鬼がカルコスと土人形を呼んだ』

『……土人形はボクのことだよ。約立たずのお兄ちゃんだ』

ライアーは軽薄に呟きながらも部屋の隅で蹲る程度の落ち込みを見せている。

『土人形が治癒を施す、変化無し。カルコスが治癒を施す、マシになったと言った。土人形が治癒を施す、変化無し。カルコスが治癒を施す、座り込んで翼に包まった。土人形、変化無し。カルコス、悪化していると残して以後は唸り声のみ。これ以上の手出しは危険と判断し、治療は中断した』

『…………治したれ言うたんは俺や、後で好きなだけ殴り』

『……我が治癒の術を掛ける度、痛いと唸って……すまない、すまない……』

脇腹に鼻先を擦り付けてくるカルコスの鬣を撫でながら、クリューソスの報告を頭の中で噛み砕いていく。
ライアーの治癒では何の変化もなく、カルコスの治癒では一度目に好転し二度目と三度目に悪化した。まずは彼らの治癒の違いについて考えよう。

『兄さんとカルコスの治癒には違いがあるはずなんだ。兄さんは魔法だよね? 魔法は一部位の時間を戻して傷や病を無かったことにする……だから、そもそも傷や病がなければ無意味なんだ』

『……うん、手応えなかったよ』

声に出せば整理しやすいし、皆にも共有できる。当人からのより詳しい情報も手に入る。

『昨日も病気とかじゃないって兄さんは言ってた。アルも疲れただけだって。手応えすらなかった……つまり兄さんの魔法は対象がなくて不発だった』

『はーい約立たずでーす』

部屋の隅からの暗い声を無視して整理を続ける。

『じゃあ、カルコスの治癒ってどんなものなの?』

『我のは不調の改善だ、まずその者の通常状態を調べ、活性化に魔力での置換など……我に可能な最善の方法で治療する力だ。だから癌などにも効果がある。我に治せない病気は…………先天性の遺伝子疾患あたりだな、症状を和らげる程度なら出来るかもしれないが』

『合成魔獣なら遺伝子異常は大量に抱えてそうだけど』

にゅっと首を伸ばしたライアーが酒呑の右肩に顎を乗せ、鬱陶しいと払われた。

『不調を改善して悪化する病気でも怪我でもないもの……何か思いつく? 症状は……』

カルコスを押しのけ、アルの頭を持ち上げて目を合わせる。

『…………アルギュロスの痛覚を麻痺。話せる? アル』

呼吸は荒いままだが、僅かに瞳が明瞭になる。

『腹が……苦しい。中で、何かが…………動いている。内側から、蹴って、噛んで、暴れている』

アルは唸るようにそう言った。痛覚を麻痺させてもなお苦しそうなのは内臓を圧迫され、呼吸などが整わないからだろうか。
以前に植物の国を訪れた時も似たようなことがあった。あの時アルの体内にいたのは兄の分裂体だったが、今回はおそらく別だ。兄がアルに手を出す理由もなければ、接触出来た時期からが長過ぎる、前回は一晩だったはずだ。

『中に何かが居る……だと? おいアルギュロス、何か喰ったか』

『鹿……と、酒』

『……虫の卵でもあったか? 死にかけていたそれがカルコスの治癒を受けたことで体内でも生存可能な状態に……うぅん、ありえなくはないか』

クリューソスは落ち着かない様子でアルの近くを歩き回り、時折に額や頬を舐めている。彼のこんな姿は珍しい。

『腹切るんが一番手っ取り早いんとちゃいます?』

『……茨木』

『酒呑様、他にええ手ありますのん?』

『…………せやけど』

『……アル、翼どけて』

鬼達の会話を聞き、前回を思い出し、アルの痛覚を麻痺させているうちに腹を切って異物を取り出してしまおうと決めた。アルも察したようでごろんと横になり、翼を広げた。膨らんだ腹にそっと手を当てると何かが暴れているのが分かった。

『…………よし、切ろう。アル、いいね?』

『……ああ』

『……小烏、来い』

影に手を翳せば刀が吸い付き、鍔に止まっていた黒い小鳥が僕の手に移る。

『主君、何を切るので?』

『……アルのお腹。中に何か居るんだ』

『え……お、お待ちください主君!』

小烏は僕の手の上から飛び降り、アルの腹の上に登る。

『小烏、どいて』

僕は小烏が仲間を切るのに躊躇っているだけだと判断し、刀を構える。

『少々、少々お待ちを……』

小烏はアルの腹に側頭部を引っ付け、僕に待つよう言って翼を広げた。

『…………小烏、どけ』

銀毛の上に広がる風切羽を切り裂かれた黒い翼。小さなそれの上に切っ先を揺らす。

『今しばらく……!』

『……………………どけって、言ってるだろ!』

刀を振り上げると僕の隣に居たカルコスが小烏を咥えてどかした。

『ぁ……駄目です! 主君! 中に居るのは──!』

小烏の絶叫の直後、目の前が赤く染まる。刀を影の中に投げ捨て、裂けた毛皮の隙間に指を挿し込む。しっかりと切れていなかった部分、再生を始めている部分をみちみちと音を立てて裂いていく。

『……っ、ぅ……アル……大丈夫、大丈夫……』

アルは今痛みを感じていない、その証拠に全く声を上げない。感じているとしたら違和感だとか不快感だとか言うものだ。

『…………ぅん、きゅぅ……』

甲高い鳴き声が聞こえて、アルの奥に手を突っ込む。熱く柔らかくぬるぬるとぬめった感触に吐き気と興奮を煽られながら、蠢くモノを捕まえ、引き摺り出した。

『ぁぅー……ん、くぅ……』

僕が異物を取り出したのを確認し、ライアーが治癒魔法をかける。それを確認して痛覚麻痺を解くとアルはいつも通りに起き上がった。

『……ヘル? それが中に居たモノか? 何なんだそれは』

僕の手の中のモノをアルが覗き込もうとする。僕はアルの視線からそれを隠し、部屋の隅に走る。

『……頭領? 何やったん』

すぐに追ってきた酒呑に恐る恐る腕の中のモノを見せる。
血を拭えば硬く弾力のある殻が見え、破れかけのそれを更に開くと赤紫の身体が見え、ピクピクと動く足が伺えた。

『…………何、だと思う? これ……さ、まさか、さぁ……』

それは小さな口で甲高い鳴き声を上げ続けている。
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