魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十七章 水底より甦りし邪神

特製酒

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切り殺された者達、喰い殺された者達、そして血の匂いに満ちた屋敷に僕は帰ってきた。生き物の気配がない屋敷にはずるずると何かを引き摺る音が響いていて、その方を見れば刀を引き摺る薄橙の猫が居た。

『……猫さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど』

猫はじっと僕を見上げる。

『僕が飲まされたお酒ってどこで手に入るのかな』

咥えていた刀をゆっくりと畳に置くと、猫は行儀良く座り、変わらない鋭い瞳を僕に向ける。

『……小烏はどうした』

『え、あぁ……ちょっと欠けて、痛がってたから休ませてる』

『………………欠けた、だと』

『うん、ちょっと刃こぼれ? って言うの? しちゃって……研げばいいの? 修理してくれるところとかあるのかな』

猫は大きな前足に爪を伸ばし、肉食獣らしい牙を僕に見せつける。怒っている……のか?

『よくも、まぁ、堂々と……欠けては、研いでは、私に似ない。ふざけるなよ人間……いや、そうか、その匂い、鬼か! 鬼だな、貴様は鬼だ。私を呼べ、私の名を呼べ! その腕切り落としてくれるっ……!』

『な、名前? 友切……? だっけ?』

『違う! それではない、あぁ、もう……多い!』

『……小烏が痛がっててさ、治してあげたいんだけど、どうすればいいか分からないし……君、知り合いみたいだし、それで怒ってるなら僕の腕くらい好きに切ってくれていいよ、その代わり、治し方とか教えて欲しいんだ。他にも助けなきゃいけない人がいて、そのために酒が欲しいんだけど』

猫は爪と牙を納め、刀を頭で押し、僕の爪先にぶつけた。

『運べ、着いてこい』

『運べって……この刀? 分かった、けど……』

血塗れの部屋を出て、比較的綺麗な廊下を渡る。

『私達付喪神は普通、物のまま動く。私や小烏のように別の生き物の姿をとるのはそういった名前があるからだ。名がなければ刀のままでしか動かない』

どこかに案内される途中、猫が何かを語り始めた。

『刀に限らず、道具に名を付ける奇特な人間は多い。その名に動物の名を付ければ神霊はそれに似て、想い人の名でも付ければそれに似る』

名前の重要さは僕もよく知っている。名を奪われれば存在すら揺らぐ、名を奪えば元の存在が揺らぐ、肉体のない上位存在などなら名の影響は更に強いのだろう。

『私の名は多い。だから、少々不安定でな。私の助力を得たいなら獅子ノ子と呼べ、縁起と切れ味が欲しいなら髭切、魔除けなら鬼切、悪縁を呼び味方を切りたいのなら友切だ』

『……僕も鬼って判定するんだよね? 今、鬼が襲ってきたとしたら、その場合は』

『貴様を先に切る』

呼び名は猫でいいや。別に彼に……彼? 彼女? 戦ってもらう気はない、知恵を借りたいだけなのだから。

『そこに樽がある、それが神便鬼毒酒だ』

『しん……? 毒なんだよね』

『鬼にはな。人間ならどうにもならない』

樽の蓋は開けられていて、少し減っている。ちょうどいい、念の為に毒を足しておこう。

『おい、勝手に抜くな』

鞘から美しい鋼が伸びていく。抜けきらないうちに、僕はそっと呟いた。

『……鬼切』

途端、刀はひとりでに動き、僕の左腕を切り飛ばした。

『獅子ノ子!』

僕の血に濡れた刀は空中で静止し、一瞬後に僕の右手の中に戻ってきた。左腕の断面を酒に浸けて、透明に広がる赤に口の端を釣り上げる。

『…………大して聞いていなさそうだったのに、私を扱えているじゃないか。腹立たしい』

予め痛覚は消しておいたので問題無く再生させ、零さないように気を付けながら酒樽を担ぐ。

『待て、小烏を出せ』

右手にクラール左手に酒樽で手が塞がっている。とりあえず呼び出すよう意識すると、影からゆっくりと刀と小烏が染み出した。

『しっ、獅子ノ子様! ご、ごごっ、ごきげんようお変わりなく健やかに……?』

『…………欠けたそうだな。あぁ、似ていないな。腹立たしい。お前は私の写だろう。なら似るんだ、似ておけ、ほら、私を写せ』

『そ、そう申されましても……おや? 何だか痛みが消えたような……』

『人間、小烏を戻してさっさと出て行け』

『ぁ、うん、何かしたの?』

まだ何か言いたそうな小烏を影に押し戻し、通常の薄さに戻った自分の影を二、三度踏む。

『……別に。戻しただけだ。もう欠けさせるなよ』

猫はそう言い残すと刀を咥えて引き摺りながら屋敷を出て行ってしまった。樽を下ろし、小烏は影の中に残して刀だけを引き出し、刃をよく見てみたが、先程朽ち縄に振り下ろした時に出来た刃こぼれは見つからなかった。


酒を抱えて再び社に戻ってきた。鳥居を抜け、朽ち縄に縛られたヒナの前に酒を置く。

『……持ってきたぞ』

注連縄の囲いの向こう、蛇石を睨む。

「私の坊や、大丈夫……?」

『……はい、医者に預けてきました。大丈夫そうって言ってましたよ』

「…………そう、良かった……」

ヒナの安堵した表情に安心を誘われるが、胸を撫で下ろす暇もなく僕の目の前に蛇の頭が現れる。ゆらゆら、ゆらゆらと、全部で八匹揺れている。

『酒だ』『よし』『極上の酒!』『お前は許そう』 『酒! 酒! 酒!』『祟りは収めよう』『収めよう』『だが……』

『早くヒナさんを離せよ』

『剣がまだだ』『天叢雲』『我が尾』『雲を呼び』『雨を呼ぶ』『天叢雲が戻れば』『再び』『我が天下』

目を見て話す……というのはこの蛇に限っては不可能だな、目の前の頭が話したかと思えば真後ろの頭がそれを繋ぐ、聞き取り辛いのでやめて欲しい。

『誰そ彼』『黄昏』『逢魔が時』『大禍時』『常世が近付き』『現世が近付き』『境界が揺らぐ』『我等の時』

その時に──と八つの蛇の首が大合唱。どうやら日が落ちる寸前まではヒナを解放する気はないらしい。

『…………ヒナさん、大丈夫ですか。水とか要りますか』

「……いえ、私は……ぁ、後ろっ!」

咄嗟にクラールを抱き締めつつ、振り返る──途中、側頭部に何か硬い物がめり込み、そのまま横に倒れた。頭蓋骨が割れた、脳が抉れた、痛いのか痛くないのかも分からないが、痙攣はしている。揺らぐ視界に農具を持った大勢の人が見えた、血が滴る鍬……アレで殴られたのだろう。

『支配者を名乗る裏切り者を追いかけてみれば、土着信仰の終わりを見る……ふふ、嘗てこの島を覆った最強の邪神も、封印されればこの通り……いやぁやっぱり封印ってのは嫌なものだよねぇ~』

びちゃっ、びちゃっ、とぬめった音を立て、聞き覚えのある間延びした声が僕を苛立たせる。

『こんにちはぁー……伊吹大明神、ふふ…………僕は……えぇと、クトゥルフ。そう、クトゥルフでいいよ。未だに薄れない君の信仰をもらいに来た。さぁ……その神力、喰わせろォッ!』

蛇の首が地面に吸い込まれるように消え、一瞬遅れて触腕が叩き付けられる。

『逃げた……ま、その石喰えばいいだけか。さ~て、君が本当に父様のお気に入りの人間なら新支配者として迎えてあげるけど~…………そうでないなら、そうだねぇ、苗床にでもする~?』

農具を持った虚ろな目の町民達の後ろ、オォォと歓声を上げる半魚人……深きものども。

『卵を呑ませて、孵った幼魚の家兼餌……僕を信仰しない邪教徒への対応にしては破格だろう?』

起き上がろうとすれば腹に四本爪のピッチフォークが刺さり、鎌が手足の健を切る。

『…………自由、意思の……』

出血で意識が朦朧とする。透過すればその時点で気絶するだろうし、再生は刺さったままでは無駄だ、痛覚を消して好機を待つべきだろうか。

『おとーた……おとーたん、おとーたぁん!』

『……っ! 加護を与える!』

掴み上げられたクラールは町民の手をすり抜け、ふわりふわりと地面に落ちた。混乱した様子で足が地面から離れたり沈んだりを繰り返す……クラールへの透過は上手くいったようだ、けれど、意識が遠のく。僕も透過して、再生して、クラールを抱き上げて撫でてやらないと。名前を呼んで、傍に居ると教えてやらないと、クラールが泣いてしまう。

『……ク、ラー……ル』

『おとーしゃん! おとーたぁ……おとーたん!』

『僕は、ここ、に……大丈夫、だから……泣かないで。ちゃんと、い、る……か…………』

鎌が喉に振り下ろされて、鍬がまた頭に落ちてきて、それから先はもう認識出来なくなった。けれど、クラールが僕を呼ぶ声と自分の身体が壊れていく音はずっと聞こえていた。
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