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第三十九章 君臨する支配者は決定事項に咽ぶ

待望

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酒色の国は今日も平和だ。
僕が王になってからは良い事しか起こっていない、奢ってもいいだろうか? そんな独り言を頭の中で呟いて鏡の前で笑うくらい、このところの僕は僕とは思えないほど機嫌が良かった。


神降の国に仲介してもらい、国連非加盟国との貿易が軌道に乗り始めた。調教したということになっている海洋魔獣に貿易船を護衛させるという案が評価され、貿易の条件はかなり良い。それどころか関所などに魔獣を配備したいという声が上がり、調教した上級魔獣を買いたいとの注文が殺到。僕は国王としてより魔獣調教師としての働きを求められるようになった。

『えっと、希少鉱石の国……大型イヌ科二体ネコ科二体、中型鳥類番が三、小型一群れ……全員居るー?』

大半の人間は魔物使いなんて言葉も知らない。取引先は調教にはとんでもない手間暇と技術が注がれていると思い、長い納期と大量の報酬をくれる。
ただ目を合わせて人間を守るよう、人間の言うことを聞くように言うだけだと知ったら報酬は下がるだろうか? それとも魔物使いの力を恐れて上がるだろうか。

『みんな居るね、いい子いい子。ひと月に一回位は見に行くから、ちゃんとお仕事するんだよ』

僕の話を一言一句漏らさずに聞くその辺で捕まえた魔獣達。食人嗜好でないものを選んだので、食事に困ることもないはずだ。
意思に反する暗示は長持ちしないけれど、僕に懐かせて僕を主人と思わせたなら話は別。その場合の僕の命令は暗示ではなく敬愛すべき主人の指示だ。となるとやはり取引先が思っているほどではないにせよ労力はかかっていることになるのか。まぁ僕にとって魔獣との触れ合いは休憩時間に等しいので不満はない。

可愛い魔獣達を船に乗せ、それを見送ったら自室に戻る──前に念入りなシャワー、これを欠かせばアルに三日は口を聞いてもらえない。

『アールー、ただーいま。元気ー?』

『ヘル、おかえり…………ぅっ!』

『待ってバケツ持ってくるから待ってもうちょっと耐えて!』

扉が開く音を聞いてかそれ以前の足音を聞いてか耳をピンと立たせて待っていたアルは、嬉しそうな声で僕を出迎えた。けれどすぐに吐き気に襲われて頭を下げた。

『…………落ち着いた?』

『うぅ……済まない、手間をかける……』

クラールの時よりも悪阻が重い。二回目からは軽い人が多いとこの間読んだ本には載っていたけれど、残念ながらアルには当てはまらなかった。

『新しいバケツここに置いておくね。ちょっと捨ててくるから待ってて』

ベッドの脇に置いたバケツはアルが吐いたものですぐにいっぱいになる。食べた物を全て吐き出すと胃液まで出すようになってしまうので、もう全部出たから安心だ……なんて時は訪れない。

『鶏、牛、豚、羊、鹿、馬……一通り買ってきたけど、どれか食べられる?』

『…………気持ち悪い』

それどころか肉を口に入れることすら出来ない。賢者の石を核とするアルは食事を取らなくても平気だが、石からのエネルギーは胎児まで回ってくれるのだろうか。

『野菜とかは……ぁ、卵は? 果物も持って来たよ』

『…………ヘル』

『何? 何か食べたいもの思い付いた?』

『……済まないな。こんな姿をしておいて、身篭っただけでここまで弱るとは……』

『だけって……一大事だろ。ほらキャベツどう?』

『む…………さっぱりとして、悪くない』

野菜を齧るアルというのは中々に新鮮な光景だが、とりあえず食べられそうなものが見つかってよかった。と言ってもこれだけでは心許ない、安心することなく探し続けなければ。

『……なぁ、ヘル』

『なぁに?』

『…………貴方は、本当に……私で良かったのか?』

出来るだけ傍に居られるようにしているけれど、それでも寂しいのかアルは最近こんなことばかりを尋ねてくる。

『腹の子もクラールと同じだ、きっと人の形はしていない。中途半端に混ざった妙な形のものになるかも知れん。自分の血を引く子がそんな異形で本当に良いのか?』

『もちろん』

長々と理由は言わず、膝に乗った頭を撫でながら真っ直ぐに目を見つめる。

『……ふふ、本当に……貴方は……』

そうすればアルは勝手に僕の感情を読み取って、機嫌を良くしてうつらうつらと船を漕ぐ。完全に眠ったことが確認出来たら中に獄炎石を仕込んだ僕の足とほぼ同じ厚みのクッションと交代。ダイニングに預けたクラールの元へ。

『最近食べる量増えててさ、でもあんまり大きくなってる気はしなくて……毎日見てるからかなぁ。茨木さんはこの間「大きくなった」って言ってたし』

クラールを抱き上げて膝に乗せても重さの違いは分からない。しかし膝の上に立ったなら前足が腹のどの位置に来るかで成長度合いがなんとなく分かる。

『ほら、前お腹掴めたのに今は指届かないよ』

『へぇ……僕掴んでないから分かんないよ』

フェルは鍋から目を離すことなく僕と会話している。ふと下を見ればフェルの足元で跳ねていた黒いボールがズボンの裾から中に入り、同化した。アレでクラールに一人遊びをさせていたのだろう。

『クラール、何して遊ぶ?』

『ひっぱぃー』

『引っ張り合いっこ? いいよ、もうちょっとこっちおいで』

料理の邪魔をしてはいけないと台所から離れ、ロープのオモチャを影から引きずり出す。僕は指二本、クラールは口、反対方向に引っ張り合う。
勝ち続けては不機嫌になるけれど、負け続けても遊びとしては楽しくない。常に接戦で、三分の一程度は僕が勝つ。そのくらいが丁度いい。

『お兄ちゃん、お姉ちゃん何か食べた?』

『キャベツ食べたよ』

『えぇー……キャベツー? 狼なのに。お肉はやっぱりダメ?』

狼としては肉を喰った方がいいと思うのだが、アルは肉を口に入れただけで吐いてしまう。

『後ででいいから魚と卵試してきて、それがいけたらキャベツと一緒にスープでも作るから。他にも大丈夫なもの分かったら全部教えてね』

『分かった、ありがとうフェル』

そう言いながら疲れてきた指を開くと、クラールがこてんと転がる。

『か、ちゃー!』

『お父さん負けちゃったー。いやー、クラール強いねー』

『も、ぁ……い!』

『もう一回? いいよ、今度はお父さん負けないぞー?』

『つぃー、も、かちゅー!』

クラールが勝ったら褒めて撫で回す。負けても撫で回す。親からの愛情をしっかりと認識出来るように、何の疑いもなく甘えられるように、危険や恐怖なんて頭の片隅にも無いように──

『溺愛だね。スープ出来たよ』

『ありがと』

マグカップに入れられたのはオニオンスープだ、受け取ってクラールと遊びながら飲む。

『クラールちゃんのお粥はもうちょっと冷ます?』

『んー……ん、そうだね』

突き出されたスプーンを唇に触れさせ、その上の粥に舌の先端が当たるよう口に含んで、しばらく口内に残るような熱を感じる。時間を置いて何度か確かめ、人肌に近くなったらクラールに与える。相変わらず食べるのに集中すると足がピンと伸びて浮いてしまう、何とも可愛らしい。

『ごちそうさま? よしよし、いっぱい食べたね』

『口汚いなぁ……』

濡らしたタオルで口元を拭い、仕上げに軽く角を磨く。

『じゃあ部屋戻るよ。ありがとうねフェル』

吐いているか寝ているかのアルにクラールを任せるのも酷だろうと、仕事の間はフェルに預けるようにしている。今日の分はもう仕事は終わったので、明日の朝までは愛しい妻子と共に居られる。

『ただいまー……クラール、お母さん寝てるから静かにね』

アルの顔の横に下ろすとクラールは鼻を鳴らして擦り寄り、口元を舐め始めた。

『…………お母さん好き?』

僅かに上下する後ろ頭を撫でながら問えば僕の手も舐められる。

『しゅ、きー。おとーたぁ、も、すきー』

幸せそうな表情でそんなことを言われては、僕の声は奪われてしまう。醜い嗚咽が漏れるだけで礼も返事も何も出来ない。
何の躊躇いも忖度もなく母が好きだと、父も好きだと言える。そんな幸せな環境を僕が作ることが出来た、僕には無かった幸せを与えることが出来た、その感動はクラールに言われた言葉による感動の次に大きい。
もうすぐ生まれる子も同じことを言えるように、頭より上にある手に怯えることのないように、僕には決して似ないように──幸福に育てなければ。
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