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第四十一章 叩き折った旗を挙式の礎に
未解決事件
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僕の服は汚れていない、鋏も持っていない。ミーアを殺したのは……アレは、現実だったのか? クラールは無傷で帰ってきた、アルがただ見失っただけで、森林の中に居たのかもしれない。
『娘さん帰ってきた? 良かったなぁ、どこおったん?』
アルは翼と自らの腹の隙間に鼻先を突っ込む。匂いを嗅いでいるようだ。
『分からん……しかし血の匂いがするな』
『血? え、怪我しとるん?』
『いや、クラールの血ではない。人間……いや、獣っぽさもある。女か? この匂いは……』
獣っぽさのある人間の女の血の匂い……ミーアだ、ミーアの血だ。現実逃避は許されなかった、僕は確かに自らの意思で娘の前で人を殺したのだ。
…………だから、何だ?
「人間で獣っぽさあるって、獣人ってことかなぁ?」
『まさか犯人……いや、血ぃの匂いしてるんやったらもう一人の被害者……?』
『クラール、何があったのか話してくれないか? 無理か……? ん? クラール、スカーフはどこにやった』
罪悪感を覚えないことに対して自身への不信感を膨らませていると、アルに咥えられていたクラールが椅子に座ったままの僕の膝に落とされた。
『わぅっ……? おかーたっ、おかーたぁんっ!』
『落ち着け、ヘルだ、お父さんだよ。ヘル、撫でてやってくれ、それに見てくれ、スカーフが無いんだ。貴方には分からないかもしれないが血の匂いもする』
そっとクラールの首元を撫で、顎の下を擽る。耳を軽く指で挟んで頬を撫でたら、胴を両の手のひらでゆっくりと包む。
『……おとーたん? おとーたぁ……こぁ、かっちゃぁ』
鋏で一人の少女を滅多刺しにした手で娘を抱く。そこには違和感も罪悪感も存在しない。ただ、ただ、娘が愛おしい。
『怖かった……? やはり何かあったのか? ヘル、どう思う? ヘル……? どうして何も言わないんだ、貴方も様子がおかしいぞ』
両手で包むようにしてクラールを抱き上げ、腹のふわふわとした毛に頬を擦り寄せる。
『きゃふっ、きゃうぅ……おとーたん、おとーたん……わぅ!』
前髪を食まれるのも気にせずに、むしろ楽しんで、高い体温と鼓動と呼吸を堪能する。
『…………生きてる』
『わぅ……? おとーたん、おとーたん』
『……なぁに』
『おとーたんに、ねぇ、はなー、あげゆ、かや、あちゅめて、ちゃぁー』
僕に花をあげるから集めていた……? どういう意味だろう。拙い言葉を解読しようとクラールの瞳を見つめていると、膝にアルの両前足が乗った。
『ヘル……森林公園に花が咲いていてな、クラールはその花を貴方に渡したいと言って集めていたんだ。それで……私も花を探して、クラールから目を離してしまって……』
少し身体を反らしてクラールをもたれさせ、右手だけで支える。アルの大きな頭を左手で抱き寄せて、胸に擦り付けられる額の感触を楽しんだ。
『はなー、ねぇ、もっちぇ、ないの。あちゅめたけろ、ないのぉ』
ミーアの家にも花は落ちていなかった、と思う。なら森林公園に置きっぱなしなのか。
『ごめんなさい……ごめんなさい、ヘル、許して……私がちゃんと見ていなければいけなかったのに』
前足で僕の腹を引っ掻き、服を破りながら謝るアルの頭を撫でる。かける言葉は見つからない。口を開けばアルを責めてしまうかもしれなくて、そのつもりはなくてもアルはそう受けとってしまうかもしれなくて、怖い。
無闇矢鱈に「大丈夫」「気にするな」だけ言ったらどうなる? アルは信用を失ったと考えてしまわないか? かといって「そうだ」「お前が見ていなかったから」なんて言いたくないし、考えてもいない。
「……ねぇ、零、今日はまだ娘さんちゃんと見てないなぁ。見せてよ」
『え……? ぁ、はい』
どん底に向かう思考が止まる。クラールを机に乗せて零に見せる。
「わ、可愛い……お母さんそっくりだねぇ」
『わぅぅ……ちゅめちゃぁ!』
クラールは冷たいと吠えて零の手から抜け出し、テーブルの上を歩んでツヅラの髪の匂いを嗅いだ。
『おしゃかな?』
首を傾げ、頬を舐め、前足で鼻を叩く。
『わっ、ちょ、やめて、クラールちゃん? やめてっ、ほんまあかんて、あーっ! 痛い痛い! 鼻噛まんといて!』
慌ててクラールを抱き上げて止める。ツヅラの鼻には歯型があった。
『零ぃ……片手でええから再生させてーな』
「動けるようになったらどうなるか分からないからねぇ」
ツヅラに謝罪し、クラールを軽く叱る。ツヅラは魚ではないと、急に人の顔に噛み付いてはいけないと教える。分かったと笑顔になるクラールに僕も笑顔になった。
「……ん? お客さんかなぁ」
扉が激しく叩かれても零は変わらぬ穏やかさで扉を開けた。外に居たのは獣人だ、黒く丸い耳……熊か何かだろう。
「あぁ、こんにちはぁ、どうしたのぉ?」
「神父様っ……神父様、大変だ、事件だ!」
「事件? ボヤでも出た?」
「違う! もっと大事件! 人が刺されたんだよ! 女の子だ、ほら、えっと……キプロリーテ? さんとこの一人娘!」
ミーアのことか。僕はずっとここに居たし、鋏も持っていない。クラールのスカーフがミーアの家にあるだろうというのは不安要素だが、僕が殺したとはバレないだろう。
「さっき病院に運び込まれて……微妙なとこだって」
まだ死んではいないのか。証言されると厄介だな、僕は今一国の王で、彼女は正義の国に庇護される獣人。もし僕がやったとバレたら大問題だ、戦争になりかねない、病院に忍び込んでトドメを刺してしまおうか?
「そっ、それで、特区から出た奴は居ないらしいから……まだ、犯人はこの特区内にいるんじゃって、皆怖がってて……神父様なら犯人見つけらるんじゃないか……って」
「……神父は探偵じゃないよぉ、国の対応待った方がいいんじゃないかなぁ」
「いつになるか分かんねぇよ! 何とかしてくれよ神父様、今日寝れねぇよ!」
「分かったよ……とりあえず、んー、現場? 案内してくれるかなぁ」
零は準備をすると言って扉を閉め、ため息をついた。
「なんかごめんねぇ、魔物使い君。聞いてたよね? そういう訳だからぁ、零は行くよぉ。りょーちゃん、お留守番お願いねぇ」
ゆるゆると手を振る零に手を振り返し、扉を閉めたら首を抱えてお茶を飲ませる。零はこんなふうに一日中ツヅラの世話を焼いているのだろうか。
『おおきに、魔物使い君』
『いえ……』
無邪気な笑顔に絆される。彼自身は悪い人ではない、それだけに辛い。彼が人間か、もしくはただの魔物だったなら普通に仲良く出来ただろう。
『……魔物使い君。零が居らん間に話ときたいことあんねんけど、ええかな』
『構いませんよ』
『…………娘さんには聞かせん方がええ思うねん。正義の国の歴史についてや。魔物使い君が国王なって、国連非加盟国と仲良うしとったら絶対突っかかってくるから、知っとかなあかんやろ思てな』
クラールには聞かせない方がいい歴史、か。凄惨なものなのだろうか、まぁ、戦争を繰り返している国だ、予想はつく。
『なら、私はそこの隅でクラールと遊んでおこう』
『あ、お願い。じゃあツヅラさん、ちょっとこっち寄りましょうか』
扉と反対側の壁際にアルがクラールを運び、僕は扉側の席に移って向かいにツヅラの首を置く。
『ほな、えぇと……まずは、獣人の真実行こか。刺された言うとったやろ、直に天使ら来よんで。その前に聞いといて欲しいんや』
『真実……? はい、分かりました……』
そうか、たった一人でも殺されたら天使が来るのか。なんて面倒な種族だ。神降の国に迷惑をかけてしまったな。
僕はやはりミーアに対して罪悪感を抱くことは出来ず、そのことを諦めてお茶を啜った。
『娘さん帰ってきた? 良かったなぁ、どこおったん?』
アルは翼と自らの腹の隙間に鼻先を突っ込む。匂いを嗅いでいるようだ。
『分からん……しかし血の匂いがするな』
『血? え、怪我しとるん?』
『いや、クラールの血ではない。人間……いや、獣っぽさもある。女か? この匂いは……』
獣っぽさのある人間の女の血の匂い……ミーアだ、ミーアの血だ。現実逃避は許されなかった、僕は確かに自らの意思で娘の前で人を殺したのだ。
…………だから、何だ?
「人間で獣っぽさあるって、獣人ってことかなぁ?」
『まさか犯人……いや、血ぃの匂いしてるんやったらもう一人の被害者……?』
『クラール、何があったのか話してくれないか? 無理か……? ん? クラール、スカーフはどこにやった』
罪悪感を覚えないことに対して自身への不信感を膨らませていると、アルに咥えられていたクラールが椅子に座ったままの僕の膝に落とされた。
『わぅっ……? おかーたっ、おかーたぁんっ!』
『落ち着け、ヘルだ、お父さんだよ。ヘル、撫でてやってくれ、それに見てくれ、スカーフが無いんだ。貴方には分からないかもしれないが血の匂いもする』
そっとクラールの首元を撫で、顎の下を擽る。耳を軽く指で挟んで頬を撫でたら、胴を両の手のひらでゆっくりと包む。
『……おとーたん? おとーたぁ……こぁ、かっちゃぁ』
鋏で一人の少女を滅多刺しにした手で娘を抱く。そこには違和感も罪悪感も存在しない。ただ、ただ、娘が愛おしい。
『怖かった……? やはり何かあったのか? ヘル、どう思う? ヘル……? どうして何も言わないんだ、貴方も様子がおかしいぞ』
両手で包むようにしてクラールを抱き上げ、腹のふわふわとした毛に頬を擦り寄せる。
『きゃふっ、きゃうぅ……おとーたん、おとーたん……わぅ!』
前髪を食まれるのも気にせずに、むしろ楽しんで、高い体温と鼓動と呼吸を堪能する。
『…………生きてる』
『わぅ……? おとーたん、おとーたん』
『……なぁに』
『おとーたんに、ねぇ、はなー、あげゆ、かや、あちゅめて、ちゃぁー』
僕に花をあげるから集めていた……? どういう意味だろう。拙い言葉を解読しようとクラールの瞳を見つめていると、膝にアルの両前足が乗った。
『ヘル……森林公園に花が咲いていてな、クラールはその花を貴方に渡したいと言って集めていたんだ。それで……私も花を探して、クラールから目を離してしまって……』
少し身体を反らしてクラールをもたれさせ、右手だけで支える。アルの大きな頭を左手で抱き寄せて、胸に擦り付けられる額の感触を楽しんだ。
『はなー、ねぇ、もっちぇ、ないの。あちゅめたけろ、ないのぉ』
ミーアの家にも花は落ちていなかった、と思う。なら森林公園に置きっぱなしなのか。
『ごめんなさい……ごめんなさい、ヘル、許して……私がちゃんと見ていなければいけなかったのに』
前足で僕の腹を引っ掻き、服を破りながら謝るアルの頭を撫でる。かける言葉は見つからない。口を開けばアルを責めてしまうかもしれなくて、そのつもりはなくてもアルはそう受けとってしまうかもしれなくて、怖い。
無闇矢鱈に「大丈夫」「気にするな」だけ言ったらどうなる? アルは信用を失ったと考えてしまわないか? かといって「そうだ」「お前が見ていなかったから」なんて言いたくないし、考えてもいない。
「……ねぇ、零、今日はまだ娘さんちゃんと見てないなぁ。見せてよ」
『え……? ぁ、はい』
どん底に向かう思考が止まる。クラールを机に乗せて零に見せる。
「わ、可愛い……お母さんそっくりだねぇ」
『わぅぅ……ちゅめちゃぁ!』
クラールは冷たいと吠えて零の手から抜け出し、テーブルの上を歩んでツヅラの髪の匂いを嗅いだ。
『おしゃかな?』
首を傾げ、頬を舐め、前足で鼻を叩く。
『わっ、ちょ、やめて、クラールちゃん? やめてっ、ほんまあかんて、あーっ! 痛い痛い! 鼻噛まんといて!』
慌ててクラールを抱き上げて止める。ツヅラの鼻には歯型があった。
『零ぃ……片手でええから再生させてーな』
「動けるようになったらどうなるか分からないからねぇ」
ツヅラに謝罪し、クラールを軽く叱る。ツヅラは魚ではないと、急に人の顔に噛み付いてはいけないと教える。分かったと笑顔になるクラールに僕も笑顔になった。
「……ん? お客さんかなぁ」
扉が激しく叩かれても零は変わらぬ穏やかさで扉を開けた。外に居たのは獣人だ、黒く丸い耳……熊か何かだろう。
「あぁ、こんにちはぁ、どうしたのぉ?」
「神父様っ……神父様、大変だ、事件だ!」
「事件? ボヤでも出た?」
「違う! もっと大事件! 人が刺されたんだよ! 女の子だ、ほら、えっと……キプロリーテ? さんとこの一人娘!」
ミーアのことか。僕はずっとここに居たし、鋏も持っていない。クラールのスカーフがミーアの家にあるだろうというのは不安要素だが、僕が殺したとはバレないだろう。
「さっき病院に運び込まれて……微妙なとこだって」
まだ死んではいないのか。証言されると厄介だな、僕は今一国の王で、彼女は正義の国に庇護される獣人。もし僕がやったとバレたら大問題だ、戦争になりかねない、病院に忍び込んでトドメを刺してしまおうか?
「そっ、それで、特区から出た奴は居ないらしいから……まだ、犯人はこの特区内にいるんじゃって、皆怖がってて……神父様なら犯人見つけらるんじゃないか……って」
「……神父は探偵じゃないよぉ、国の対応待った方がいいんじゃないかなぁ」
「いつになるか分かんねぇよ! 何とかしてくれよ神父様、今日寝れねぇよ!」
「分かったよ……とりあえず、んー、現場? 案内してくれるかなぁ」
零は準備をすると言って扉を閉め、ため息をついた。
「なんかごめんねぇ、魔物使い君。聞いてたよね? そういう訳だからぁ、零は行くよぉ。りょーちゃん、お留守番お願いねぇ」
ゆるゆると手を振る零に手を振り返し、扉を閉めたら首を抱えてお茶を飲ませる。零はこんなふうに一日中ツヅラの世話を焼いているのだろうか。
『おおきに、魔物使い君』
『いえ……』
無邪気な笑顔に絆される。彼自身は悪い人ではない、それだけに辛い。彼が人間か、もしくはただの魔物だったなら普通に仲良く出来ただろう。
『……魔物使い君。零が居らん間に話ときたいことあんねんけど、ええかな』
『構いませんよ』
『…………娘さんには聞かせん方がええ思うねん。正義の国の歴史についてや。魔物使い君が国王なって、国連非加盟国と仲良うしとったら絶対突っかかってくるから、知っとかなあかんやろ思てな』
クラールには聞かせない方がいい歴史、か。凄惨なものなのだろうか、まぁ、戦争を繰り返している国だ、予想はつく。
『なら、私はそこの隅でクラールと遊んでおこう』
『あ、お願い。じゃあツヅラさん、ちょっとこっち寄りましょうか』
扉と反対側の壁際にアルがクラールを運び、僕は扉側の席に移って向かいにツヅラの首を置く。
『ほな、えぇと……まずは、獣人の真実行こか。刺された言うとったやろ、直に天使ら来よんで。その前に聞いといて欲しいんや』
『真実……? はい、分かりました……』
そうか、たった一人でも殺されたら天使が来るのか。なんて面倒な種族だ。神降の国に迷惑をかけてしまったな。
僕はやはりミーアに対して罪悪感を抱くことは出来ず、そのことを諦めてお茶を啜った。
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