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第四十一章 叩き折った旗を挙式の礎に

中断

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天使の力を示す翼と光輪を消し、鬼の力を示す角と爪も消す。篦鹿の女神に術を教わった副産物である頭部に生える手を鹿の角に変えて床に落とし、ロキの胸倉から手を離した。

『…………とりあえずこれはありがとう』

上等らしい牛肉の塊を受け取り、包み紙を戻して机に置く。チャッチャッ……と可愛らしい足音を立ててやってきたアルに視線を移す。

『ヘル、どうした? 何があった』

『やっほ、狼。素敵なドレスだな』

『ロキか、久しぶりだな。ありがとう。ヘルに何かしたのか?』

白いワンピースを着たままのアルは椅子に座った僕の膝に前足を置いて、僕の頬に頬を擦り寄せる。

『俺悪くねぇよ』

『あ、アルギュロス! 元気だった?』

『マルコシアス様! お久しぶりです』

久々に会う者が多いと話が分散してしまうな。
僕の様子に変わりはないと判断したアルは僕の胸元に前足を上げ、僕にもたれてマルコシアスと会話を弾ませる。無意識だろう僕を信頼し切った仕草に愛おしさが膨らむ。

『ロキ、最近は何してた?』

『あぁ、この間崖消した島の崖戻して、そっから……えっと、ずっと南に行ったらだだっ広い空白地帯があったから遊んで……』

植物の国の崖は戻ったのか、よかった。また騒ぎになっていたりしたのだろうか。厄介な悪戯はしていなさそうだし、ロキによる心配事は無い──

『……なんかクソデカ分厚い結界埋まってたからちょっと穴空けた』

──やっぱりあるかもしれない。

『な、何? その結界……』

『さぁ? すっげぇ美人が中にいたけど……好みじゃねぇから放ってきた』

地中にある巨大な結界の中に美人が居た? 意味が分からない。

『……美人ってどんな?』

『パツキンロング。目ぇ赤くて、話した感じ偉そう。床に黒い羽根めっちゃ落ちてて、槍めっちゃ刺さっててグロかった』

金髪に赤眼、黒い羽根に無数の槍……まさか、いや、そんな馬鹿な。
最悪の想像をしてアルを強く抱き締めると、マルコシアスとの談笑をやめて無言で僕の頬を舐めた。

『おいお前! それはどこの話だ!』

離れた席に居たクリューソスにも聞こえていたようで、アルとは違い足音を立てることなくロキに詰め寄った。

『お? 虎? お前も偉そうだなー』

『どこの結界を弄った!』

『だからー、崖消した島から南にずっと行ってー』

僕は苛立つクリューソスに崖を消した島は植物の国のことだと補足した。アルに舐められて濡れた頬を拭い、フェルを呼んで世界地図を借りた。フェルの体内から取り出された地図を広げ、植物の国を探す。

『ヘル、南に行って端に着いたら反対側、北側の端に行くからな』

地図の読み方くらい教えられなくても分かっている。

『南行ってー……大陸あんじゃん。そこの、魔力潤沢なのに何もない変なとこ。その地面の下』

『…………それはルシフェルの牢獄だ! お前まさかアレを外に出したのか!』

『放ってきたって言ってんじゃん』

『結界に穴を空けたとも言っていただろう! なら、いつ出てくるか……!』

世界地図が手から滑り落ちる。アルが僕の腕の中を離れ、床に落ちた地図を拾おうと頭を下げる。僕は慌ててアルの身体を抱き上げ、銀の毛皮に顔を埋めた。

『ヘル? どうした?』

弱くもがく翼を手探りで押さえつけて足に絡む蛇を脛で挟んでやる。顔を見ようと言うのか僕の胸を押す前足を無視して、軋むことのない逞しい身体を力強く抱き締める。

『…………大丈夫だよ、ヘル、大丈夫』

アルは僕が過呼吸になっているのに素早く気付き、前足で肩を叩いた。頬を側頭部に擦り付けて呼吸の度に鳴る唸りに似た音を聞かせる。

『何騒いでるんですか?』

二つの足音が近付く。軽いものと重いものだ。

『ベルゼブブ様! と……ぇ、サタン様……? なんで』

『おや、えぇと、マルコシアス。お久しぶりです。状況説明を』

『は、はい……ロキという男が──』

マルコシアスはロキが僕と起こした騒ぎについて詳しく説明した。途中でベルゼブブの欠伸が聞こえたが、ルシフェルの封印が解けたかもしれないというところに差し掛かると店内は静まり返った。ルシフェルについて詳しくない者も、知らない者も、異様さを感じ取って黙ったのだ。

『……ルシフェルを解放したんですか』

『してねぇって、結界に穴空けただけ』

ルシフェルという名を聞く度に赤い光景がフラッシュバックする。真っ二つになったアルの光のない目や、死んだ身体を抱き寄せた時の重み、体温が消えていく感覚さえもが思い出されていく。今腕の中に居るアルが惨たらしく殺された肉塊に思えてくる。

『先輩、いつか話したこと覚えてますか? ルシフェルは天界を落とすのに使えるって話です』

『……牢獄の国の教会での話ですか?』

『ええ、先輩二号が出てきてややこしかった時……あの時話しましたよね? ルシフェルが出てきたとして、天界が三度封印するでしょうか、今度こそ退治を狙ってきそうじゃないですか? 出来るかどうかの議論はしません。もし退治されたとしたら私達は天界にアクセスする術の心当たりすら失くします』

『では、天界が封印が解けたことに気付く前にルシフェルを仲間に引き入れ、脱獄させた後、結界の穴すら気付かれないように隠蔽工作をする……と?』

『出来たら嬉しいですね』

ベルゼブブはサタンを見上げ、サタンはベルゼブブを見下ろし、悪魔らしい笑みを交わし合う。

『余も是非そうしてもらいたい。ルシフェルは前から狙っていた』

王と最高司令官が同意見では、他の悪魔達も賛同するしかない。しかし、僕は首を縦に振れない。

『……ルシフェルはアルを殺した』

ルシフェルをどう仲間に引き入れるかの相談を始めていた悪魔達の視線が一気に僕を射抜く。

『に、二回もっ……アルを、ぐちゃぐちゃに……したっ』

惨殺されたアルの姿と僕を心配そうに見つめる純白のワンピースを着たアルの姿が瞬きの度に交互に見える。

『あんな奴っ……仲間になんてできない』

何年も虐待されても、初対面で喰うと宣言されても、目を抉られても足を刺されても、その相手と仲良く笑えている。
それは対象が僕だから。もしアルに何かしたなら同じだけの……いや、少し酷い傷を負ってもらわなければならない。茨木のように。

『我儘言わないでください魔物使い様』

『……ワガママ? これが?』

『我儘以外の何ものでもないでしょう』

『…………ベルゼブブは大好きな人を惨たらしく殺されて、殺したそいつと笑えるの?』

赤い複眼が更に丸くせり出し、無数に僕を映す。少女らしい小さな唇の口角が上がり、ふっ……と息を漏らした。

『私の大好きな人は殺されたりなんてしませんから』

居ないと答えると思っていた。意外だ。

『……帝王様はもしもの話もできないほど馬鹿なの?』

『最悪の想定は必要ですが、その想定は絶対に起こりえないので無意味なんですよ』

ベルゼブブと話すのは無意味だ、狙いを変えよう。

『サタン、もしリリスを真っ二つに引き裂かれて殺さ──』

『ありとあらゆる苦痛を余の終焉まで与え続けよう』

最後まで言わせてもくれない。やはりサタンなら説得できる。

『じゃあワガママじゃないって分かってくれるよね? 仲間になんかなれないよ』

『……誰が笑い合えと言った?』

サタンは僕の前に屈むと極上の嗜虐的な笑みを浮かべて瞳孔を膨らませた。

『奴も神に恨みがあり、天界を目指している。なら、封印をいつでも解ける状態にしておいてそれを隠蔽し、こちらの準備が整い次第ルシフェルを放ってやればいい』

ただ利用するだけだと? それなら一向に構わないが、ルシフェルが一直線に天界に向かうとは思えない。彼女が恨んでいるのは人間で、神には認められたがっているのだから。

『封印をいつでも解ける状態……つまり奴の檻への出入りも自由。身動きの取れない奴を嬲り、解放後の行動を操るなど容易い。嘘でも言い続ければ聞く者の真実になる』

僕にはサタンと違って拷問趣味はない。積極的にルシフェルを嬲りたいとも思っていない。僕はただアルが味わった苦痛を返したいだけ、足をちぎって歯を砕いて、真っ二つにして心臓を握り潰したいだけだ。

『…………どうしたい? 魔物使い』

『……最低二十回は殺したい』

『………………いい子だ』

サタンに頭を撫でられると奇妙な安らぎを感じる。
これが父親に与えられるべきだった憧れだとか安心だとかいう感情なのだろうか。
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