魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第四十二章 悪趣味に遅れた顕在計画

お前をいたぶる理由

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暗闇の中、天使が扱う純白の槍が輝いている。その清浄な光によって浮かび上がるのはゾッとするほどに美しい女の姿。


万死に値する堕天使。
僕に喪失を教えた堕天使。
僕の妻に詫びて惨めに死ぬべき堕天使。


座った状態で両方の太腿と脛と足首に計六本の槍を刺され、頭上で重ねた手のひらを槍に貫かれ、喑赤色の十二枚の翼一枚一枚を二本ずつ槍を使って壁に縫い止められ、その豊満な胸やくびれた腹、人の欲を煽る形をした腰周りを隠すように無数の槍を刺された、針鼠のようなルシフェル。憎み続けた仇。

『…………こんにちは、ルシフェル』

唯一槍が刺さっていない顔は血まみれではあったが僕に背骨を氷に入れ替えられたような悪寒を与える程度の美しさは保っていた。
僕は彼女の顎を掴み、槍に貫かれた首の傷を拡げるように無茶に持ち上げた。ルシフェルはミカエルと同じ赤色の瞳に僕を映し、口の端を歪めた。

『……こんにちは』

その態度に、返事に、言い尽くせない程の無数の黒い感情が溢れ出す。今の僕の脳を絵に起こすとすれば、赤と黒と茶色の絵の具を片手に掴んでその手を紙に叩きつけ、手をめちゃくちゃに紙に擦り付けたならそれらしくなるだろう。

『そうか、君ならここに入ってこれるんだね。自由意志を司るモノ……タブリス、私は君が憎くて仕方ないよ。どうして君だけ自由意志が許されているのか、納得がいかない』

『…………奇遇だね、僕もお前が憎くて仕方ないよ。どうしてお前にアルを引き裂かれなくちゃいけなかったのか、今でも分からない』

『……アル? 誰だ……?』

『お前が滅ぼしたいのは人間だろ!? あの時本当に八つ当たりしたかったのは僕だろ!? アルは魔物だ、狼だ! 僕みたいに醜い人間じゃなく、この世の何よりも綺麗な獣だ! どうしてお前に引き裂かれなくちゃいけなかったんだよ、どうしてお前なんかに殺されなくちゃいけなかったんだよっ、どうしてアルの墓なんか作らなくちゃいけなかったんだよ! どうして、どうしてどうしてどうしてっ、記憶を失っても僕を愛してくれたアルまで殺されなくちゃいけなかったんだよ!』

ルシフェルの頬に爪を食い込ませて血を滴らせ、彼女の頭を背後の壁に叩きつける。

『僕の幸せを返せよ! 僕の安心を返せよ! お前のせいでっ……! 気持ちよさそうに眠ってるアルまで死体に見えるんだよ! 血がっ、内臓がっ……お前の羽根が見えるんだよ! お前の笑い声が聞こえるんだよ!』

始めはがん、がん、と壁と頭蓋骨がぶつかる音が響いていた。次第にその音にぐちゃ、めしゃっ、と水音が混ざるようになった。汚い灰色だった壁に鮮やかな赤が混ざり、床に白い破片が落ち、壁に薄桃色の肉片がこびりつく。

『……………………魔物、使い?』

ルシフェルの頭を壁に叩きつけるのに疲れて彼女の顎を掴んだまま休んでいると、脳漿まで撒き散らした重傷のはずの彼女がポツリと呟いた。

『……あぁ、そうだよ! 思い出したか!』

『思い、出した……魔物使い、君は……私の神様によく似た、美しい人』

『………………は?』

『人間……じゃ、ない? タブリス……? 違う、ザフィエル……あれ? 魔物使い……?』

ルシフェルの顎から手を離す。握って、開いて、手首を振るって軽いストレッチは終わり。今度は親指と小指を眼窩に突っ込んで頭の骨をしっかりと掴んで、握り潰す心意気で力を込めたまま壁に叩きつける。

『お前が思い出すべきなのは! そんな昔の記憶なんかじゃない! お前が気付くべきなのは! 僕が取り込んだ天使の気配なんかじゃない!』

悲鳴でも、ましてや喘ぎや呻きですらない、人型の声帯から発せられているとは思えない音が美しい形の唇の隙間から漏れている。

『お前が思い出すべきなのは! 前に封印が解けてすぐ何をしたかだ! お前が気付くべきなのは! お前が殺した獣の尊さだ! お前の罪の重さだ!』

『け……も、の?』

『そうだよ、獣だ! 黒い翼の、銀の毛皮の、黒蛇の尾の、この世で最も美しい狼だ! 天界と魔界と人界全て合わせても最も純粋で、最も尊くて、最も苦痛から遠くあるべき獣だ!』

『狼……あぁ』

ルシフェルの頭はもう後ろ半分が潰れていた。しかし、彼女の美しい口元は醜く歪んだ。

『あの仲良しな狼と人間か! そうか、そうか……人外に成り果てたんだね魔物使い! おめでとう……あっははは! あぁ、そうか……そうなんだね、なんて罪深い。今世の魔物使いはズーフィリアのド変態か! あっははははっ!』

壁が凹むほど強くルシフェルの頭を掴んで叩きつけ、彼女の眼窩から指を抜く。その穴にはもう赤い虹彩の目玉はなく、僕の指には潰れた目玉が張り付いていた。

『気っっ持ち悪いなぁ! 人間のための生きた食い物を横取りするような、あの最悪のサタンと同じ憤怒を表す狼なんかが好きなんてさぁ!』

『…………』

『この世で最も醜い、三界全てを合わせても最も下劣な、弄り殺され滅ぶべき獣を一匹引き裂いたから、何? 生き返った悪辣な狼をもう一度殺したから、何? 何か言いなよ魔物使い……私の何が悪いのか! 私が納得できるよう説明してみろよ!』

『……………………僕を』

『君を?』

『…………不快に、させた』

ルシフェルの腹に刺さっている槍を一本引き抜き、おそらく避けていたのだろう心臓がある位置を貫く。途端にルシフェルは余裕の態度を崩して痛みに絶叫した。

『何……? あぁ、そっか……そこに魂があるんだ? で、この槍は持ち手の意志次第で魂に届く……でも魂を消すのは天使的には避けたいから、完全に壊すのは無理……ふぅん』

取り込んだザフィエルが天使の知識を僕に与えてくれる。脳内で話しかけてくるなんて大層な話ではない、頭の引き出しに勝手に物を増やされた感覚だ。

『話、ズレたね。えっと……君の何が悪いのか君が分かるように説明……うん、言った通り。君は僕を不快にさせた。とても、とても……不幸に、不愉快にさせた……』

刺して、回して、抉って、抜いて、刺して、抜いて、刺して──激痛に叫ぶ声を凪模様の心で聞き流す。

『道徳も倫理も体裁も要らない、究極言えばこれなんだよ。不快だったんだ。魔性の……いや、この世の支配者である僕が不愉快な思いをした、いやしてる、君のせいで。君がアルを殺したから、僕はずっっとそれを引き摺ってる!』

ルシフェルの身体をいくら壊してもスッキリしない。
ルシフェルの絶叫をいくら聞いてもアルの死体は頭から消えない。
ルシフェルをいくら痛めつけても僕もアルも嬉しくならない。

『可愛い可愛い僕だけのアル……そう囁くだけでもじもじして、普段より優しく撫でてるのにぴくぴく身体跳ねさせて……突いてあげたら可愛く鳴くんだ』

生きているアルの姿を思い描くのは楽しく嬉しい。
死なない堕天使に殺すための行為を繰り返すのは楽しくも嬉しくも何ともない。

『僕は気持ち悪いよ? めちゃくちゃ気持ち悪い。知ってる。でもアルは違う。これは個人の感想だとか価値観だとかそういうのじゃない。支配者である僕が決めたこの世の理だ。舌出して眠りこけてよだれ垂らしてたって何よりも美しいし、何回僕に抱かれて子供産んでも誰よりも純潔、魔界人界天界全てが燃え尽きたって僕の隣で幸せに満ちているべきなんだ』

何度も心臓越しに魂を貫いた槍を引き抜き、ルシフェルの顔に靴底を当てて、ゆっくりと壁に押し付けて頭を更に潰しながら魔物使いの力を解放する。

『そうだろ? ルシフェル』

結い上げが解けて毛先が地面に落ち、伸び続ける髪はしゅるしゅると音を立てて円を描くように重なっていく。パンっと音を立てて破裂した眼球が即座に癒えて、脳を醜悪な小人に抉られるような痛みを味わいながら、歯車の幻覚に向かって笑顔で手を振る。

『君は僕の駒で、僕は君の支配者。狼はこの世で最も美しく素晴らしい獣で、アルはその頂点。君は僕の言うことをなんでも聞かなきゃいけなくて、二度とアル……僕の家族を傷付けられない。僕を不愉快にさせる真似は出来ない。いいね?』

足を下ろし、五個目の目玉でルシフェルを捉える。彼女はすっかり歪になった頭を縦に振った。

『…………はぁっ、疲れた……頭痛い』

『おつかれー、頭おかしいなお前』

『ロキぃ……居たのってくらい静かだったね……』

『参加しなくても面白そうな時は観客に徹するぜ、俺様は。エンターテインメントをよーく理解してるからな、俺様は』

僕の奇行をエンターテインメント扱いしないでもらいたい。

『……あぁ、そうだ。ロキ、ルシフェル移せる? 出来れば檻ごと、家とかは流石に嫌だけど駒に勝手に天使が関わるのは嫌だから、目の届く範囲には置いておきたい』

『おけ、帰る感じ?』

『うん、僕とルシフェル帰したら兄さんも連れて帰ってきて』

『神使い荒ぁーい。俺様神様ロキ様だぞ?』

持っていた槍を再びルシフェルの心臓の位置に突き刺し、十数秒の絶叫とその後の呻き声を聞き流す。そしてロキを真っ直ぐに見つめ、微笑む。

『やだな、僕は支配者だよ?』

ロキはゲラゲラと大声で笑いながら壁に手を当て、指を鳴らす。檻が数センチ浮いて落ちたような感覚があって天井を透過して首から上を檻の外に出すと、ネオン輝く街並みに出迎えられた。
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