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第四十二章 悪趣味に遅れた顕在計画
狡智への陰謀
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ミカは当然ロキさえも自身の腕を掴んだ手に掴まれるまで気付かなかった。
『ヘイムダル……!? なんで!』
ロキやトールがこちら側に来る時に使うアスガルドとの門。まさかこの目で見られるとは──いや、人間の身体で知覚できるようなものではないから、空間に突然穴が空いたようにしか見えなかったけれど、それでも好奇心を湧かせてミカへの怒りを冷静なものに変えるのにはちょうどいい貴重な体験だった。
『ロキ……君はとうとうやってはいけないことをしでかしたね』
確かにルシフェルの封印の結界に穴を開けたのはやってはいけないことだっただろう。しかし、ヘイムダルと呼ばれていたか? 異界に住む彼に関わりがあるのか?
『バルドルを殺したのは君だろう? 蘇りを妨害したのも……その上他の神々まで侮辱してこんなところまで逃げるなんて……』
『はぁ……? バルちゃんがどうしたって? 俺ずっとこっちに居たぞ』
『君には失望したよ。悪戯程度じゃ済まされない』
もし本当にそのバルドルという神を殺したのなら悪戯で済む話ではないけれど、ロキが人界に居たのは本当だと思う。ずっと見ていた訳ではないけれど界を跨ぐ移動には一定周期で界同士が近付く時でなければならないらしいし、ロキに会った時期から考えても──一人殺して数日滞在と見ても──その一定周期が二度も来たとは思えない、トールとどれだけ会っていないか考えれば分かる。
『……ねぇ、つれてかえるなら、はやく、つれてかえって』
ミカは後ろ手に拘束されたロキに見下すような目を向けつつも、彼らにはあまり強く言えないようで不機嫌だけを外に出していた。
『あぁ……こちらの神の使いか。すまないね、すぐ戻るよ。ロキが何度もすまなかった、でも、もう終わりだよ。彼は世界が終わるまで牢獄の中さ』
『はっ……!? な、なんで!? ちょっと待てってヘイムダル! 今回は俺マジで知らないって!』
植物の国の崖を消したりルシフェルの封印の結界に穴を開けたりと致死性の悪戯もあるけれど、ロキが直接誰かを手にかけるとは思えない。
『待ってください! ロキは本当にしばらくこっちに居ました。きっとロキは関係ありません!』
『……バルドルはヤドリギで胸を一突きされて殺された。この前、ロキは彼の兄弟を騙してヤドリギを投げさせた、その時は怪我で済んだが今度は自ら手を下し確実に殺したんだ』
前科があるのか。まさか、本当にロキが……?
『お、おいタブリス! お前まさか俺がやったかもとか思い始めてないだろうな!』
勘がいいな。
『ロキが二度も同じ手を使うと思いますか? やったにしても面白がって別の方法で考えますよ!』
前科がある以上、この方向で戦うしか──
『……あのね、君はロキを信頼してるのかもしれないけれど、ロキはバルドルを殺したのは自分だと喧伝したんだよ。そして集まった神々を罵倒して、ちょうど近付いたこちらの世界に飛び込んだ。僕は君を捕える準備を整えてすぐに追ったよ、逃げずに留まっていたのは愚かだったね』
『え……? い、いやいや! ロキは少なくとも三時間くらい前から僕の仲間達と宴会に出ていました! やっぱり間違いです、変身とかそういうのですよ!』
変身といえばロキだけれど、別の神でもそれが出来る者はいるだろう。
『時間の流れに差異がある上に、僕は準備に時間をかけた。三時間や一週間では語れないと思いなさい』
『頑張れタブリス! 俺の無実を…………ん? おい、ヘイムダル……これ』
殺人罪、いや、殺神罪? 罪に問われようともどこか他人事のように振る舞っていたロキだが、自分の腕に巻かれた縄らしき物を見て顔色を変えた。
『……あぁ、君がこの間産んだ子供の腸だよ』
『は……?』
『え……?』
僕とミカは揃って一歩下がり、自分を抱き締めるように翼を曲げて背筋から広がる悪寒に耐えた。
『これくらいしか君に破壊できなさそうなものはなくてね。引き裂いて取り出させてもらったよ』
『…………ナリ?』
『……と、言ったかな?』
ミカが大人しくなったことで雨を扱いやすくなった。僕は右手に雨水を集めて液体のまま鞭へと変えた。雨水の鞭はヘイムダルの首に巻き付き、ギリギリと締め上げる。
『なんでその子を殺したんだよ!』
『……っ、何、君……』
『答えろ!』
『だから、拘束具としてちょうど良かったんだよ。別にいいだろう? ロキはよく他者を踏み躙って遊んでいた。これはその初めの報いだ』
『親が何してようが、子供には、関係っ……ないんだよ!』
鞭を思い切り引っ張るとヘイムダルを数メートル引き摺ることが出来た。ダメだ、やはり本物の神性に対抗できるような力はない。僕は決定打に欠けている。
『……ロキ! 今のうちに逃げて!』
僕が言う必要もなくロキは逃げていた。ロキに視線を移した僕の顔はヘイムダルに掴まれ、頭から地面に叩きつけられた。
『こちらの神の使い、この不届き者を押さえておけ。場を借りて申し訳ないとは思っているが、こちらの邪魔をするなら容赦はしない』
『……わかってる。はやくおっかけなよ』
痛覚を消していたとしても半分以上潰れた脳が再生するまでろくに動けない。脳は再生に時間がかかるし、痛みがなくとも他の感覚がおかしくなっていて酷く不快だ。
『魔物使い、だいじょうぶ?』
ミカはそんな僕の頭を抱えて自分の膝に乗せ、脳の神経が壊れているからか半分ほど見えなくなっている僕の瞳を覗き込んだ。
『……かわいいっていってくれて、うれしかった。だから、さっき、ばとうされて……おこるのよりも、かなしくて……でも、そんなことしてられなかったから……ねぇ、魔物使い、ぼく……かわいい? かわいいっていってよ……』
子供特有のぷにぷにした小さな手が頬を撫でる。
『きみと、たたかいたくなかった、きみがいやがるなら、ころしたくなかった。でも……』
『命令だから?』
まだ完全に修復できてはいないけれど、言葉を紡ぐのには問題ない程度まで回復した。頷いたミカの頬を撫で、涙を拭う程度に手を動かせるようにもなった。
『でもっ……でも、まえみたいに、ぜんぶめいれいじゃない。魔物使いが……あのおおかみとけっこんしたって、こどももできたって、きいて、なんか……むねのあたりじりじりして、それごまかしたくて』
胸がジリジリ……? 嫉妬か? そうでなくともそういうことにしておこう、もう一度ミカを口説いてやろう。
『……そっか、それは嫉妬だよ』
『え……? ち、ちがう! ぼくに、天使に、そんな人間みたいなの、ない!』
『天使なら可愛いって言われて喜ぶのも変だろ? 人に見せる見た目は君自身の美しさじゃない、肉体は天使固有の物じゃない。なのにどうして喜んだの? 僕が好きだからだろ?』
上体を起こして力なく抱き寄せ、驚愕に震える瞳に間違った心を教えていく。
『君は僕を好きになってしまったから、人間みたいな感情が芽生えたんだ。そんな天使は他にも居るだろ? 大天使だからって例外にはならないよ。君は僕に恋して、いずれ……』
『おちる、って、いいたいの? そんなのありえない。ぼくはぜったいおちない! きみをつれていけば、それでおわりなんだから!』
他者も自己をも滅ぼす感情は人間の欠陥とも言える。発展する必要がない天使達には感情も意志も要らない。けれど人に関わっていればそのうち芽生えて、堕ちていく。僕はそれを後押しするだけ。
『……可愛いミカ、よく聞いて。感情が芽生えた以上、僕を殺しても僕を消しても君はいずれ堕ちる』
ザフィが勝手に僕に備えさせてくれた知識を使い、ミカの不安を煽る。
『だからね、ミカ。その美しい翼を黒く染めるくらいなら、僕とひとつになろう』
『え……?』
『大丈夫……痛くも苦しくもないから』
脳は完全に再生した。もう身体を自由に動かせる。
『……ま、魔物使い? ぼくを……ぼくも、とりこむき? ザフィみたいに……』
『ミカ、可愛いミカ、僕も君が好きだよ。でもこれは叶わない恋だろう? だからね……』
右手だけを透過させ、ゆっくりとミカの胸の中に沈めていく。ミカは僕の手を震える瞳で見つめつつも逃げる様子はない。
『今、ここで、ひとつになってしまえばもう誰にも引き離せないよ』
『…………魔物使い』
ミカは透過していない右肘から上を掴んでミカの魂を探していた右手を体外に追い出す。そして僕の手が入り込んでいた胸元を摩る。
『ミカ、僕とひとつになればもう辛いことなんてないんだよ?』
勧誘が足りなかったかと焦る僕の目の前に、ミカは手のひらに包まれる大きさの赤い真球を浮かべた。
『……ミカ?』
泣きながら微笑んで、頷いて、そんなミカを見た僕は彼の意志を察し、尊重し、ミカの魂と思われる赤い真球に手を伸ばした。
『ヘイムダル……!? なんで!』
ロキやトールがこちら側に来る時に使うアスガルドとの門。まさかこの目で見られるとは──いや、人間の身体で知覚できるようなものではないから、空間に突然穴が空いたようにしか見えなかったけれど、それでも好奇心を湧かせてミカへの怒りを冷静なものに変えるのにはちょうどいい貴重な体験だった。
『ロキ……君はとうとうやってはいけないことをしでかしたね』
確かにルシフェルの封印の結界に穴を開けたのはやってはいけないことだっただろう。しかし、ヘイムダルと呼ばれていたか? 異界に住む彼に関わりがあるのか?
『バルドルを殺したのは君だろう? 蘇りを妨害したのも……その上他の神々まで侮辱してこんなところまで逃げるなんて……』
『はぁ……? バルちゃんがどうしたって? 俺ずっとこっちに居たぞ』
『君には失望したよ。悪戯程度じゃ済まされない』
もし本当にそのバルドルという神を殺したのなら悪戯で済む話ではないけれど、ロキが人界に居たのは本当だと思う。ずっと見ていた訳ではないけれど界を跨ぐ移動には一定周期で界同士が近付く時でなければならないらしいし、ロキに会った時期から考えても──一人殺して数日滞在と見ても──その一定周期が二度も来たとは思えない、トールとどれだけ会っていないか考えれば分かる。
『……ねぇ、つれてかえるなら、はやく、つれてかえって』
ミカは後ろ手に拘束されたロキに見下すような目を向けつつも、彼らにはあまり強く言えないようで不機嫌だけを外に出していた。
『あぁ……こちらの神の使いか。すまないね、すぐ戻るよ。ロキが何度もすまなかった、でも、もう終わりだよ。彼は世界が終わるまで牢獄の中さ』
『はっ……!? な、なんで!? ちょっと待てってヘイムダル! 今回は俺マジで知らないって!』
植物の国の崖を消したりルシフェルの封印の結界に穴を開けたりと致死性の悪戯もあるけれど、ロキが直接誰かを手にかけるとは思えない。
『待ってください! ロキは本当にしばらくこっちに居ました。きっとロキは関係ありません!』
『……バルドルはヤドリギで胸を一突きされて殺された。この前、ロキは彼の兄弟を騙してヤドリギを投げさせた、その時は怪我で済んだが今度は自ら手を下し確実に殺したんだ』
前科があるのか。まさか、本当にロキが……?
『お、おいタブリス! お前まさか俺がやったかもとか思い始めてないだろうな!』
勘がいいな。
『ロキが二度も同じ手を使うと思いますか? やったにしても面白がって別の方法で考えますよ!』
前科がある以上、この方向で戦うしか──
『……あのね、君はロキを信頼してるのかもしれないけれど、ロキはバルドルを殺したのは自分だと喧伝したんだよ。そして集まった神々を罵倒して、ちょうど近付いたこちらの世界に飛び込んだ。僕は君を捕える準備を整えてすぐに追ったよ、逃げずに留まっていたのは愚かだったね』
『え……? い、いやいや! ロキは少なくとも三時間くらい前から僕の仲間達と宴会に出ていました! やっぱり間違いです、変身とかそういうのですよ!』
変身といえばロキだけれど、別の神でもそれが出来る者はいるだろう。
『時間の流れに差異がある上に、僕は準備に時間をかけた。三時間や一週間では語れないと思いなさい』
『頑張れタブリス! 俺の無実を…………ん? おい、ヘイムダル……これ』
殺人罪、いや、殺神罪? 罪に問われようともどこか他人事のように振る舞っていたロキだが、自分の腕に巻かれた縄らしき物を見て顔色を変えた。
『……あぁ、君がこの間産んだ子供の腸だよ』
『は……?』
『え……?』
僕とミカは揃って一歩下がり、自分を抱き締めるように翼を曲げて背筋から広がる悪寒に耐えた。
『これくらいしか君に破壊できなさそうなものはなくてね。引き裂いて取り出させてもらったよ』
『…………ナリ?』
『……と、言ったかな?』
ミカが大人しくなったことで雨を扱いやすくなった。僕は右手に雨水を集めて液体のまま鞭へと変えた。雨水の鞭はヘイムダルの首に巻き付き、ギリギリと締め上げる。
『なんでその子を殺したんだよ!』
『……っ、何、君……』
『答えろ!』
『だから、拘束具としてちょうど良かったんだよ。別にいいだろう? ロキはよく他者を踏み躙って遊んでいた。これはその初めの報いだ』
『親が何してようが、子供には、関係っ……ないんだよ!』
鞭を思い切り引っ張るとヘイムダルを数メートル引き摺ることが出来た。ダメだ、やはり本物の神性に対抗できるような力はない。僕は決定打に欠けている。
『……ロキ! 今のうちに逃げて!』
僕が言う必要もなくロキは逃げていた。ロキに視線を移した僕の顔はヘイムダルに掴まれ、頭から地面に叩きつけられた。
『こちらの神の使い、この不届き者を押さえておけ。場を借りて申し訳ないとは思っているが、こちらの邪魔をするなら容赦はしない』
『……わかってる。はやくおっかけなよ』
痛覚を消していたとしても半分以上潰れた脳が再生するまでろくに動けない。脳は再生に時間がかかるし、痛みがなくとも他の感覚がおかしくなっていて酷く不快だ。
『魔物使い、だいじょうぶ?』
ミカはそんな僕の頭を抱えて自分の膝に乗せ、脳の神経が壊れているからか半分ほど見えなくなっている僕の瞳を覗き込んだ。
『……かわいいっていってくれて、うれしかった。だから、さっき、ばとうされて……おこるのよりも、かなしくて……でも、そんなことしてられなかったから……ねぇ、魔物使い、ぼく……かわいい? かわいいっていってよ……』
子供特有のぷにぷにした小さな手が頬を撫でる。
『きみと、たたかいたくなかった、きみがいやがるなら、ころしたくなかった。でも……』
『命令だから?』
まだ完全に修復できてはいないけれど、言葉を紡ぐのには問題ない程度まで回復した。頷いたミカの頬を撫で、涙を拭う程度に手を動かせるようにもなった。
『でもっ……でも、まえみたいに、ぜんぶめいれいじゃない。魔物使いが……あのおおかみとけっこんしたって、こどももできたって、きいて、なんか……むねのあたりじりじりして、それごまかしたくて』
胸がジリジリ……? 嫉妬か? そうでなくともそういうことにしておこう、もう一度ミカを口説いてやろう。
『……そっか、それは嫉妬だよ』
『え……? ち、ちがう! ぼくに、天使に、そんな人間みたいなの、ない!』
『天使なら可愛いって言われて喜ぶのも変だろ? 人に見せる見た目は君自身の美しさじゃない、肉体は天使固有の物じゃない。なのにどうして喜んだの? 僕が好きだからだろ?』
上体を起こして力なく抱き寄せ、驚愕に震える瞳に間違った心を教えていく。
『君は僕を好きになってしまったから、人間みたいな感情が芽生えたんだ。そんな天使は他にも居るだろ? 大天使だからって例外にはならないよ。君は僕に恋して、いずれ……』
『おちる、って、いいたいの? そんなのありえない。ぼくはぜったいおちない! きみをつれていけば、それでおわりなんだから!』
他者も自己をも滅ぼす感情は人間の欠陥とも言える。発展する必要がない天使達には感情も意志も要らない。けれど人に関わっていればそのうち芽生えて、堕ちていく。僕はそれを後押しするだけ。
『……可愛いミカ、よく聞いて。感情が芽生えた以上、僕を殺しても僕を消しても君はいずれ堕ちる』
ザフィが勝手に僕に備えさせてくれた知識を使い、ミカの不安を煽る。
『だからね、ミカ。その美しい翼を黒く染めるくらいなら、僕とひとつになろう』
『え……?』
『大丈夫……痛くも苦しくもないから』
脳は完全に再生した。もう身体を自由に動かせる。
『……ま、魔物使い? ぼくを……ぼくも、とりこむき? ザフィみたいに……』
『ミカ、可愛いミカ、僕も君が好きだよ。でもこれは叶わない恋だろう? だからね……』
右手だけを透過させ、ゆっくりとミカの胸の中に沈めていく。ミカは僕の手を震える瞳で見つめつつも逃げる様子はない。
『今、ここで、ひとつになってしまえばもう誰にも引き離せないよ』
『…………魔物使い』
ミカは透過していない右肘から上を掴んでミカの魂を探していた右手を体外に追い出す。そして僕の手が入り込んでいた胸元を摩る。
『ミカ、僕とひとつになればもう辛いことなんてないんだよ?』
勧誘が足りなかったかと焦る僕の目の前に、ミカは手のひらに包まれる大きさの赤い真球を浮かべた。
『……ミカ?』
泣きながら微笑んで、頷いて、そんなミカを見た僕は彼の意志を察し、尊重し、ミカの魂と思われる赤い真球に手を伸ばした。
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