魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第四十四章 海面より浮上する理想郷

忙殺

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ひとしきりシェリーと戯れた僕はカヤに乗ってヴェーン邸に戻った。何度もシェリーに海水をかけられて磯臭くなった服を脱ぎ、身体を洗い、さっぱりとした気持ちで自室に戻った。

『……おかえり』

扉を開けてすぐアルに擦り寄られ、笑みが零れる。腰に巻かれる黒蛇の尾や肩を抱く黒翼からアルの気持ちが伝わる。

『何処に行っていたんだ?』

『色んなとこ。正義の国との戦争関連で色々やらなきゃでさぁー? 避難所……あぁそうだ避難所作るの兄さんに頼まなきゃ』

『……私も行く。クラール、おいで』

不機嫌そうに鼻筋に皺を寄せ、黒蛇に咥えさせたクラールを背に乗せ、開けっ放しの扉に向かう僕の隣に並ぶ。
おもちゃにしているロープを齧っているクラールの頭を撫で、アルの背を撫で、リビングに到着。

『兄さーん、居るー?』

ベルゼブブと話し込んでいたライアーに避難所の建設について話し、一任し、面倒臭いの言葉と了承を得る。

『よし、じゃ、部屋に戻ろう』

わざわざ着いてくる必要はなかったろう、そう言えばきっとアルは更に不機嫌になる。
リビングの扉を閉じ、部屋に向かう途中、玄関が勢いよく開いた。誰が帰ってきたのかと振り返れば美しいグラデーションの青い髪が陽光に照らされて輝いていた。

「魔物使い君! 来て!」

『先輩……!? ぁ、いや、ヘルメスさん! どうしたんですか』

ヘルメスは黄金の靴を履いたまま僕の元まで走ってきた。フローリングに傷がつきそうだ。

「あのっ……ほら、人魚、神父の生首さん! 居なくなったんだよ!」

『へ……? ツヅラさんですか? そんな、自分で動けないのに……』

「なのに居なくなったんだよ! 来て! 君ならなんとかできるよね?」

僕自身にそんな対応力はない、買い被りだ。

『……兄君を好きな方連れて行け、ヘルに失せ物探しは出来ん』

僕の手を掴んで強引に連れていこうとするヘルメスに対抗し、アルが僕の腰に尾を巻いた。

『結婚式を挙げたばかりだと言うのに……』

「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ狼さん!」

アルが僕を行かせたくないのは得意不得意の問題ではなく、ただ単に寂しいから。この非常時にそんな理由での言動は非難されても仕方ないとは思うけれど、可愛い。

『……なら私も行く。狼だからな、失せ物探しは得意だ』

『え……ダ、ダメだよ! 危ないよ!』

『危ないなら尚更だ! 貴方一人で行かせてたまるか、私も行く!』

『アル、お願い……分かって。少しの怪我もさせたくないんだ』

目線を合わせても黒い瞳は真っ直ぐに僕を射抜いてきて譲らない。目を合わせていては僕が折れてしまいそうだ。

『…………邪魔なんだよ。アルが居ちゃ僕は集中できない。できることもできなくなる。それにクラールはどうするのさ、連れていくの? 連れていくのはありえないよね。フェルに預けるの? フェルだって忙しいしクラールはいつ死ぬか分からないしどっちかが着いててあげなきゃいけないんだよ』

『ヘル……私は、貴方が心配で』

『心配なら来ないで! 来られたら僕はヘマするんだよ! 僕に怪我させたくないなら来ないで!』

『………………ごめん、なさい……我儘を……』

アルの翼と尾が僕から離れ、ピンと立っていた三角の耳が倒れる。小さくなったように見えるアルは項垂れていて、僕が思い描くアルの姿からは遠くかけ離れていた。

『困らせるつもりでは無かったんだ……ただ、寂しくて。クラールもお父さんお父さんと鳴くから……ごめんなさい、ごめんなさいヘル……ごめんなさい』

「え……えっと、なんかごめん……」

騒ぎを聞きつけてライアーとベルゼブブが寄ってくる。仲裁、いや、野次馬だな。

「魔物使い君、君さ……」

『……なんですか?』

ヘルメスは言うのに躊躇っている様子だ。俯き、拳を握り、顔を上げ、僕の目を睨みつけて言った。

「……狼さんに暴力とか振るってないよね」

『………………は?』

「勘違いならいいんだ、でも、その……狼さんの反応が、そんなふうに見えて」

何、それ。反応って何。そんなふうって何。僕がアルを傷付けるなんて……
アルの方を見てみれば壁にもたれかかって身体を丸め、翼でクラールと自身を包み、微かに震えていた。ヘルメスの言葉に否定もせずに、僕に怯えていた。

『…………アル?』

ビクッと身体を跳ねさせ、恐る恐る僕の顔を見上げる。
アルの仕草全てが虐待されていた頃の僕と同じで、ヘルメスの言葉に納得してしまった。

『……な、なんで? なんで、そんな……僕何かした?』

アルを傷付けてしまったことがないとは言わない。しかしこんなに怯えられるような恒常的な暴力はしていない、するはずがない。

『…………ごめんなさい、手間を掛けて。緊急なのだろう? 早く行った方がいいんじゃないか?』

さっきまで引き止めていたくせに、どうして追い出そうとするの?

『ね、緊急って何?』

「ぁー、ちょっと行方不明者が……」

『ならボクも行くよ、そういうのは得意だ。ベルゼブブさん、後お願いね』

『……なんで私が地味な仕事ばっかり』

アルを怯えさせてしまった理由が分からなくて、挽回したいのに何も思い付かない。見つめて、手を伸ばして、その手を引っ込めて、目を逸らす。そんなことを繰り返しているとライアーに腕を掴まれ、光の洪水に流された。


空間転移でやって来たのは神降の国獣人特区の入口付近、零とツヅラが住んでいる家。

「うわっ……悪化してる」

木造の小さな家には季節外れの霜が下りて、扉の隙間は凍りついて開かなくなっていた。ヘルメスが神具の力を借りた蹴りを入れると扉は外れ、机の足に両手首を縛られていた零が頭を上げた。

「こんな吹雪起こすくせに外うろつこうとしてたから縛ったんだ。ごめんねー神父さん、今ほどくから状況説明できる?」

加護の力を弱める悪疫の医師の服装をしているというのに室内には吹雪に近い現象が起こっていた。

「……帰ってきたらりょーちゃんが居なかったんだ、ここに置いたのに、居なかったんだよ」

手首の縄を解かれた零は僕の胸倉を掴んで揺らす。

「君のお兄さんがやったんだよねぇ! りょーちゃん凍らせたよね、凍ってるなら再生しないから動けないはずなんだよぉ! 君のお兄さん手抜きしたんじゃないの、君のお兄さんがりょーちゃんに何かしたんじゃないの!?」

並べ立てられた兄への疑いの言葉はとても零の口から出たものとは思えない。敬愛する零の豹変に涙目になっているとライアーが僕から零を引き剥がした。

『……調べるからちょっと待って。ここに置いたんだよね? あの虐待魔は正直言って怪しいけど、責めるべきはヘルじゃないし、証拠掴んでからにしてよね。さて……』

浅黒い肌の手が広がり、魔法陣が現れる。クッションの上に置かれたツヅラの姿が投影される。

『キミ達が出た直後……氷は溶けてないね』

「りょーちゃんっ……わぶっ!」

ツヅラに向かって飛び込んだ零は机で頭を激しく打ち付けた。

『……僕の魔法で投影してる映像だからね?』

半透明なのだからよく見れば幻だと分かるのだが、今の零にそんな余裕はないのだろう。僕のアルへの思いほどではないにしても、零のツヅラへの執着はなかなかのものだ。

『ふわぁ……ねむ、ねよ……』

大きな欠伸をしたツヅラは目を閉じて眠り始めた。

『今のところ異常は……っ!?』

眠っているツヅラの頭をライアーと同じ浅黒い手が掴んだ。投影の範囲を広げれば机の横に立っているのが神父服を着たライアーだと分かった。

「……っ、お前かぁあっ!」

『ちっ、違う! 似てるけど……こいつっ……!』

ライアーに掴みかかった零はヘルメスに取り押さえられ、ライアーは自分と同じ姿をした投影されたモノを睨む。

『ニャルラトホテプ……またこいつ絡みか』

深いため息に同調していると投影されたナイがこちらを向いた。その腕の中には眠りこけるツヅラが居た。

『やっほー! 見ぃてるぅー? 竜一君いただいちゃいまーす、うぇーい!』

整い過ぎた顔を愉悦に歪め、腹立たしいウインクを決める。

『生意気な魔法は解いて、再生スタート! さてさてクトゥルフの顕現になっちゃおうねぇ竜一君!』

首の断面を凍らせていた魔法はいとも容易く解かれ、血が溢れ、肉が蠢いて再生が始まった。

『……さて、これは探知魔法とかを使われないと意味がないし、これ見てるのがボクの不良品なのかヘクセンナハトなのかは知らないけど、一応ヤっちゃお』

そうだ、ツヅラが眠っているのに話していたのは異常だった。ナイは過去を調べられると分かっていて一人で大声でベラベラと喋っていたのだ。
行動が読まれていた悔しさを噛み締めつつもツヅラの居場所を探るため投影をやめる訳にもいかない。空間転移の魔法陣が構築されるまでは見なければとライアーと視線を交わし、再度ナイを睨むと、ナイはこちらに手を伸ばしてきた。

『……っ!?』

半透明の手がライアーの頭をがっしりと掴んだ。じたばたと暴れるライアーはパニックに陥っており、魔法を解くことを思い付きもしなかった。僕もすり抜けるナイの身体を押さえようとしてしまう始末だ。

『必殺……SAN値直葬っ! なんてね……ふふっ』

『ぃ、やっ……ぁあぁああっ!?』

『あははははっ! 仮にもボクのくせに弱い脆い情けなーい!』

ナイの姿が消えた、ライアーが魔法を保てなくなったのだ。ライアーはその黒い巻き髪を毟るように頭を抱え、文字化不可能の声を上げていた。
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