魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第四十四章 海面より浮上する理想郷

新しい身体を使うから要らない

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眉間に刺した剣に魔力を送り込み、柄まで刺さったそれを爆発させる。しかし巨体の皮や肉を抉ったに過ぎず、骨すら見えない──タコだから骨はないのか? いや、本物のタコでもないし……

『ター君おつかれ、後は任せて』

二本目の剣を作ろうと集中していると肩に黒い触手が乗る。

『僕は風属性だからね、少しでも傷が付いたなら、少しでも血管が見えたなら、そこに風を送り込める』

僕が負わせた傷から異常な量の血が噴き出し、腹の底を揺さぶるような低い声が悲鳴に変わる。

『……ねぇ、火種になりそうなもの持ってる?』

『え? えっと……』

『マッチとかライターとか、なんでもいいんだけど』

『……カヤ!』

ワンと返事が聞こえ、手の中にマッチが現れる。

『家で使ってるマッチ、えっと……全部いる?』

『一本でいいからつけて投げて』

一本取り出し、マッチ箱の側面で擦り、火をつける。こんな小さな火で何が出来るのかは疑問だったが、クトゥルフの方へ思いっきり投げれば風に乗って彼の眼前まで届く。マッチの火が大きくなったかと思ったその直後、大爆発が起こった。

『ひゅ~、やったね~』

口笛を言葉として言い、触手を僕の腕に巻き付けて喜ぶハスターとは対照的に、僕は何が起こったか理解出来ずに呆然としていた。

『は、はす、たぁ……? 何したの?』

『ガス爆発って知ってる~?』

『なんとなくは……』

『僕は風属性だからね~、気体を操れるんだよ~、だから空気中から特に燃えやすいのをクトゥルフの周りに集めて集めて~、集めて集めて~、マッチぽーい』

『なるほど……? ところでハスター……燃え移ってるけど……』

僕は暴風の影響を受けないよう透過していたから爆発の影響も受けなかった。しかしハスターは自らの攻撃である爆発で黄衣をボロボロにして仮面にヒビを入れていたし、ちょっと燃えていた。

『え……? わーっ!? ター君何とかして!』

『あ、あぁうん、雨を……』

燃えやすい気体を集めて爆発させるなんて芸当ができるなら真空にして火を消せばいいのに。そう思いつつも頼られたことに口を緩ませ、雨をハスターの元に集めた。

『…………き、消えた? 消えた~?』

『消えた消えた、大丈夫大丈夫』

強いし、温厚だし、僕を対等に見てくれるし、やはり彼は最高の友人だ。改めて友情を覚え、握手でも交わそうかと手を伸ばしたその瞬間。大きな拳がハスターを殴り飛ばした。

『眠気覚ましにはぴったりだったよ……この成り損ない』

その水掻きのある手は鉤爪を僕へと振りかざすが、すり抜けた。

『お前は、無理か……』

見れば全身を満遍なく焦がしたクトゥルフが立ち上がっていた。
黒雲を呼び、雨を集め、剣を作る──クトゥルフの両手が僕を包むように広がる。

『…………新支配者』

大丈夫、すり抜ける、大丈夫……そう心の中で呟きながらクトゥルフの首を刎ねられる大きさの剣にするため、焦げた瞳から与えられる圧力に耐えた。

『可哀想に』

『……は?』

『酷い目に遭って来たんだね、辛かったね、その上あんな成り損ないの邪神に唆されて……可愛そうに。でも大丈夫、許してあげる、愛してあげる、おやすみなさい、僕を信じて敬って、僕の手の中でおやすみなさい』

『…………馬鹿にするなよ、今更そんなのっ……!』

完成した雨水の剣を振り上げ、柄から剣先までを凍らせる。

『効くとっ……』

月光が剣に集まり、目を開けていられないくらいに輝いたら振り下ろす。

『思うなぁああっ!』

イミタシオンに行った時に狂わされた恨みを、植物の国で悪夢に落とされた恨みを、妖鬼の国で身体をぐちゃぐちゃに遊ばれた恨みを、晴らす。
彼の首は想像以上に呆気なく飛び、彼の首も身体も都市さえも海中に没した。

『…………え? ぁ……たお、した……?』

こんなものなのか? そう尋ねる相手は居ない。

『……ハスター、ハスター? ねぇハスター……』

友人も見当たらない。
確かに強く殴られていたけれど、布を殴ってそんなに効くものなのか? ハスターも強い邪神だし、きっと大した損傷はないはずだ、すぐに戻ってくる。
そう考えて静かになった海面を眺めつつハスターを待っていると、周囲を暗黒に変えていた分厚い雲が去って、星空が見えた。
その星空には魔法陣なんてない、魔法陣に見えるような星の位置でもない。

『ヘル!』

『え……あれ、兄さん? どうして……』

空を見上げているといつの間にかライアーが隣に居た。

『迎えに来たんだよ、大丈夫?』

『僕は平気だけど……』

『無理矢理揃えられた星辰はボクと虐待魔で何とか戻した。向こうも制限があったみたいだね、妨害し続けたら保っていられなくなったのか魔法陣は消えたよ』

『……えっと?』

『クトゥルフが復活する心配は今後数十年ないってことさ! 帰ろうヘル!』

心配はない? 本当に? 苛烈な戦いだったと思う、強かったと思う、でも、本当にこれで終わりなのか?
生来の不安症が勝利を喜ばせてくれない。クトゥルフの完全討伐を語る言葉に疑念が膨らむ。しかしライアーの言葉に不審な点はない。ナイが星辰を揃えようというのも、それをライアーが妨害しようと陰ながら努力していたのも知っている。

『ま、待って……ハスターが殴られてどこかに……』

『あんなのどうでもいいだろ、生きてれば勝手に戻るよ』

空間転移の魔法陣がライアーの手に浮かんで、僕は思わず彼の頬を平手で打った。

『バカ言わないでよ! ハスターは友達なんだ、探すの手伝って!』

『…………分かったよ』

黒い手に浮かぶ魔法陣は空間転移のものから探知用のものへと変わり、再び空間転移のものへと変わり、輝きの消滅と引き換えに黄色い布を呼んだ。

『……これ? 古びた生地にしか見えないけど』

白い仮面はどこにもないが、この黄衣は間違いなくハスターだ。損傷しているということだろう、療養させるために自宅に持って帰ろう。

『うん、ありがとう兄さん。ごめんね叩いて……』

『…………いいよ、ボクが悪かった。帰ろう?』

『……うん!』

先程までの不安が友人を見つけたことで和らいで、奇妙な不完全燃焼感がライアーとの仲直りで消えてしまった。
僕は今度は微笑んでライアーの手を取り、黄色い布をもう片方の腕にかけて家に戻った。


ヴェーン邸に帰った僕を一番に迎えたのは兄だった。心配していた信じていたと泣き喚いて僕を抱き締め、なかなか離さなかった。まだ仕事がある時間だろうに全員が家に集まっていて、こんなにも心配されていたのかと胸が温かくなるのを感じた。

『…………ヘル』

誰が僕を讃える声よりも聞きたかった愛しい妻の声が僕の名前を紡いだ。

『……おかえりなさい』

『アル……! ただいま!』

床に膝を打ち付けるように屈んで逞しい身体を抱き締める。銀の毛皮の中に隠れていた白い仔狼が僕達の間に潜り込み、可愛らしい声を上げる。

『クラール、起きてたの? ただいま、お父さんだよ』

『おとーたぁ! たぁいま』

『違う、返事はおかえりだ、おかえり……言ってご覧』

『おかえりおとーたん!』

『……うん! ただいま、クラール』

顎の下を優しく撫でてやれば気持ち良さそうに目を閉じて、僕の腕の中で眠る体勢を整える。

『貴方を待つと無理に起きていたんだ』

『……そっか』

『そのまま抱いてやっていてくれ』

顔を撫でていた指を咥えられてしまったが、こちらの方が寝やすいなら仕方ない。チクチクと皮膚に与えられる牙の痛みも喜びだ、僕の腕の中で安らげるなら好きなだけ眠るといい。

『ヘル……寂しかった』

二の腕に頭を擦り寄せられても、肩に顎を置かれても、クラールを抱いている僕はアルを撫でられない。

『……そのままでいいよ、聞いていて』

困っているのを察したのか、少し笑いながらそう言った。

『出発前は我儘を言って貴方を困らせてしまった。反省したんだ、ヘル……貴方の負担に成りたくない、それを考えるあまり更に貴方を苦しめた』

『アル……僕はそんな』

『聞いていて、ヘル。ヘル……愛している、愛しているよ、でも、貴方が怖い』

僕を見上げる瞳はどこまでも真っ直ぐに黒く、僕だけを映していた。

『怖いんだ、ヘル……貴方が怖くて堪らない。こうしていても、何をしていても、本能が逃げろと叫ぶんだ』

出発前、着いていくと聞かないアルに酷いことを言った時、アルは虐待を受けていた頃の僕のような怯え方をしていた。僕はアルにそんなに怯えられるような接し方はしていないのに。

『……貴方がとても強いから。貴方には勝てないと分かるから。貴方の不機嫌を感じると、身体が、震えて』

『アル、僕は君に酷いことなんてしない』

『分かっている! 分かっているんだ……頭では。でも私は所詮獣だから……言葉では、理性では、本能を抑えられない』

僕はアルを守るために強くなりたかったのに、強くならざるを得なかったのに、その強さがアルを怯えさせるなんて、そんなの……どうすればいいのか分からない。

『……だからな、ヘル、私に本能で分からせて。私が貴方の女だと私の身体の奥に、心の底に、深く深く刻みつけて』

『…………えっと、どうすればいいの?』

『抱いて』

『え……ぁ、わ、分かった……』

甘噛みされている手はそのままにクラールを膝の上に移し、自由になった片手でアルを抱き締める。

『……ヘル、これじゃなくて』

『分かってるから……! アル、そういうことは部屋で言ってよ、ここリビングなんだからさ……』

『…………済まない、はしたない真似を。どうしても早く伝えなければならなくて』

小声での注意はきっとみんなに聞こえているだろうし、アルの言葉の真意も分かっているだろうし、今晩の寝室の様子は誰もが察するだろうし──あぁ、賑やかで寂しくないから好きだったこの家が疎ましくなる時が来るなんて。
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