召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【1st】 Dream of seeing @ center of restart

パール姫の冒険

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(1)
 パールフェリカの部屋を後にして、広い廊下を歩きながらネフィリムが至極真面目な顔をした。
「どうにも、召喚が完全に切れているのかもしれないな。あれでは初召喚前とそう変わらない。“召喚の絆”というものが、働いているのかどうか──結局、召喚しなおしてそれ以上に相性の良い召喚対象に空きが無く、ミラノさえ拒否しなければ、もう一度呼べるのは、呼べるだろうが」
「ミラノは“霊”だか、“獣”だか曖昧でよくわかりませんからね。異界から呼ぶのか、この地上から呼ぶのか、とにかく数撃って試すしかない気がします」
「──それは、そうだがな。パールの体力も無限じゃない。……一度繋がった絆だ、いずれは必ず呼べるはずだ──が、パールは何もかもが初めてで不安だろう。周りに出来る事と言えば、古い知を集める位だな。図書院の連中を急かすか、クーニッドに乗り込んで長老に話を聞くか──。……ところで。召喚士としての力は私達の中でパールが、一番強いと思うんだが、シュナはどう思う?」
 クーニッドは召喚士達の聖地とされる集落だ。召喚についてわからない事があれば最後はここに行け、と常々言われている。
「現時点の話ですか?」
「──さすがに」
 ネフィリムは笑った。その反応にシュナヴィッツは一度頷く。
「…………現時点で既に、僕が16,7だった頃の力はありそうですね。もし、パールの召喚獣がティアマトだったなら、今のパールでも最大サイズのティアマトを召喚出来そうです。召喚するだけ、でしょうが」
「ああ、私のフェニックスも、昨日私がした位の事はやってのけられるだけの力を、13のパールは持っているだろう。そうなると“ミラノ”は──」
「考えるだけで恐ろしいですね。召喚するだけで召喚士がバタリ──あんなぬいぐるみに放り込んでられるというのも意味がわからない……」
 シュナヴィッツが左右に緩く首を振った──信じられないといった態だ。
「一体、どれほどの“存在”なんだろうね。召喚獣マニアの私としては血が騒いで仕方ないんだがなぁ」
「……………」
 シュナヴィッツの顔が少しかげったのをネフィリムは見逃していない。顔をシュナヴィッツと反対側に向け素直な子だなぁと微笑んだが、すぐに真剣な顔に戻した。妹も可愛いが、弟も大事な兄弟だ。
「シュナ──私は召喚士として、召喚対象として、言っているからな?」
 足を止め、念を押すようにシュナヴィッツの顔に人差し指を見せてネフィリムは言った。シュナヴィッツも足を止め、兄と指先を見比べた。どういう意味かわかっていない辺りに、ネフィリムは笑いそうだったが、堪えた。
「……え?……どういう?……え……あ…………はい」
「よし」
 わからないままに返事をするシュナヴィッツを見て、ネフィリムは頷いて手を下ろし、再び歩き出したのだった。
 

 近衛兵に先導され、ネフィリムとシュナヴィッツは謁見の間、玉座のラナマルカ王の前で両膝を付いた。
 王に疲れた様子は無く、昨日の件の事務処理も全て滞りなく進んでいるのだろう。その為に、ネフィリムも明け方まで手伝っていたが。
 ネフィリムは仮眠をとった後、毒を受けたものの無事であると聞かれたシュナヴィッツを見舞いに部屋を訪ねたが居らず、パールフェリカの部屋で彼を発見したという経緯だ。
「二人とも、昨日はご苦労だった。シュナ、傷の具合はどうだ?」
「問題ありません、少し熱っぽい程度です」
「そうか、何よりだ……」
 ワイバーンの猛毒を受けた話は聞いているのだろう、王はほうと息を吐き出し、玉座に深くもたれた。
「ミラノには、感謝してもしきれないな」
 戦闘をより早く終わらせるのにその力を惜しみなく振るったミラノ。短期決戦で終わせ、シュナヴィッツを、真っ先に会い向かわせたミラノ。そのシュナヴィッツの小さな傷をあっさりと見つけ、早々に手当てをさせたミラノ。
 ワイバーンの毒は、早期発見、早期治療、これ以外に死を免れる方法はなく、ほとんどの場合、気付かずに戦闘中にその毒で命を落とす。この毒は致死率が高いのだ。
「……ミラノ、不思議な召喚獣ですね。いえ、召喚獣と呼んでいいのでしょうか」
 ネフィリムがしみじみと言った。
「丸太や鋼の板を次々と、詠唱も無く、召喚してみせましたよ? さて、どこから突っ込んでやりましょうかね」
「昨日も申していたな。それは本当なのか?」
「召喚獣に関して、私はとても真摯かつ純粋ですよ? 父上」
「ああ、それはわかっている」
 ネフィリムが丁寧に念を押すので、王は笑った。もしネフィリムに趣味、嗜みがあるとするならば間違いなく“召喚獣と召喚霊、それら召喚術”だ。それは城の誰もが知っている事なのだ。
「──まず、召喚出来るのは獣か霊のはず。前例にはそれしかありません。なのに、丸太。なのに鋼。城に転がってた“モノ”です。それを、呼び寄せ、しかも飛翔系のように、いえ羽ばたきもしないのだからあれはまた違う気もしますが、“モノ”を宙に浮かせる。全て、術の詠唱も何も無しで。──そして“黒の魔法陣”です」
「黒……灰色とかではなかったのか?」
「いいえ、全くの黒です。向こうが透け見えたり、光を放つという事は一切ありません。むしろ、光も色も全てを飲み込んでしまいそうな程、黒。……全ての色を混ぜた黒。──力に満ち、濃すぎて透けない魔法陣。何もかもを飲み込んだ後のような“黒の魔法陣”」
「魔法陣とは個々人、色があって、力によって光っている……つまり、あちらが透けて見えるのだが」
「……父上、来賓の方々には安全の為という名目で早々に帰って頂きましょう。我々もパールの召喚獣であるミラノについて詳細を把握できていません、外に漏れるにはまだ早い」
「そうだな、そのように指示しよう」
 そこへ3者の近く5歩の距離に近衛兵が駆け寄り膝を付いた。王はちらりとそちらへ目をやると、下を向いたまま近衛兵が声を張る。
「アンジェリカ・プロフェイブ王女殿下がお越しです」
「はて。予定にはなかったがな。通せ」
 何も言わず、ネフィリムとシュナヴィッツは階段を上がり、玉座のやや後ろ、左右に立った。
 近衛兵に先導されてやってきたのは、赤い髪を縦に巻いて、頭上には金のティアラを乗せた美しい女性。
 顔の中心ではスッキリした鼻が主張している。少し垂れ目のエメラルドグリーンの瞳は、長い睫毛に彩られ強い力を放っていた。頬紅を少し過剰に塗ってあるが、女性的な色気が漂う。淡いピンクと水色のドレスは、ウエストから大きく広がり、全体がレース地を幾重にも重ねた仕立てだ。耳にも胸元にも豪奢な飾りが下げられている。ガミカ国から見ると、贅沢極まりない姿だが、彼女の故国プロフェイブでは華美すぎず無礼に当たらない程度のおしゃれである。21歳の王女を、子供っぽくも、大人っぽすぎずにも演出し、つまり、よく似合っていた。
「失礼致します。プロフェイブ国のアンジェリカでございます。
 昨日は突然の災厄、お見舞い申し上げますわ、ラナマルカ王」
 名乗ってきているが、ラナマルカ王やネフィリムらはとてもよく見知った顔である。10年以上前から彼女はこの国に頻繁に来ているのだ。
「アンジェリカ姫、昨夜はよく眠れましたかな? 一国の姫たる貴女がお越しの日に、申し訳なく思っています」
「お気になさらないで。皆無事ですし、カミガ召喚古王国の健在ぶりを我々は身をもって知る事が出来ました。父上には今後も力強く手を取り合うのが良いでしょうとお伝え致します」
「……ありがとうございます」
「それに……」
 アンジェリカはネフィリムをちらりと見、ネフィリムはにこっと微笑み返した。アンジェリカの眼差しは熱い。
「ネフィリム様のとても素敵なお姿……ご雄姿も拝見出来ました。アンジェリカはその事ばかり、昨夜は考えておりましたのよ?」
「姫のお心を一時でもいただけた事、光栄に存じます」
 ネフィリムは微笑んでそう言った。さらりと亜麻色の髪が揺れ、その美貌を彩った。昨夜の疲れ、ほぼ徹夜であった片鱗は微塵も見せない。
「まぁ……」
 その微笑にアンジェリカはぱぁっと顔を赤らめた。
「ネフィリム、発つまで時間があろう、アンジェリカ姫を案内して差し上げなさい」
 案内も何も無い程、彼女はガミカによく来ているのだが、ラナマルカ王もネフィリムもそんな様子をおくびにも出さなかった。
「はい、父上。失礼致します」
 そういってネフィリムは王に一礼し、階段を降りてアンジェリカ姫へにこやかに手を差し伸べた。アンジェリカは満足そうにその手を取り、微笑んで去っていった。アンジェリカはひたすらじいっとネフィリムを見つめるばかりで、周りが見えていない。舞い上がってしまったのか、ラナマルカ王への退席の挨拶無しである。ネフィリムはそれを取り立ててフォローもしなかった。


 二人が去った後、ラナマルカ王が一度小さく溜息を吐き出す。
「あれも、折角の縁なのだからアンジェリカ姫を毛嫌いせず、さっさと婚儀を挙げてくれればいいのだが、のらりくらりとかわして……さすがにプロフェイブの王もいぶかしがろうに」
 あの対応、あの笑顔を見せ付けておきながら、ネフィリムはアンジェリカを好いていない。その理由を本人ははっきり言わない。シュナヴィッツなら見てわかるのだが、ネフィリムでは何を考えているのかさっぱりわからない。
 結局、この父も大概甘い。王子二人が妹に甘いのもこの父の影響だろう。肝心なところで本人を尊重し、その意思に任せるところがある。
「そうですね、兄上がさっさと結婚して早く世継が出来たなら、僕も担ぎ上げの対象から少しは外され自由にも出来るのですが」
 一瞬驚いた表情を見せたラナマルカ王は玉座の肘置きにもたれて、やや後ろに居るシュナヴィッツを見た。
「まだ近付く輩は居るか?」
「15の頃までは気分も頭も悪い貴族連中が、そこからは見え見えな姫達から猛アタックでしたね。18の時にティアマト召喚も安定して、北の要所サルア・ウェティスを兄上に譲って頂いてからは、かなり自由にさせてもらってはいますが。忘れた頃に時々、程度ですね」
 ふと、王が黙った。
「父上?」
「──好いた姫の一人でも出来たか?」
「え!? なぜそのような話になるのです?」
 長々としゃべっていたシュナヴィッツをよそに、王が考えていたのは“自由にできる”という言葉だった。
 自由にしたい、とやっと思うようになったのだ。つまり、好きな女が出来たと言ったようなものだ。今まで、そんな発言を欠片もして来なかったのだ、シュナヴィッツは。自分は第二位王位継承者として、弟として、王を兄を支える王家に忠実な僕である、それをひたすら大げさな程主張し、その為だけに強くなろうとしてきた健気な少年……男だったのだ。女性に心からにこりと微笑みかけるなど、妹にしかしなかった堅物でもあった。それがこの挙動不審っぷり、わかりやすい。
「そうか──いるのか……」
「え!? 居ませんけど!?」
 焦っている時点で不審だと言うのに、それも飛んでいるらしい。王はふふっと微笑んだ。ちょっと人の悪い笑みにも見える。ネフィリムは基本母親譲りの性格をしているが、容姿とこういう茶目っ気、仕事への考え方は父親似だ。先天的な性格と容姿、後天的に似た価値観、と言える。
「怪我の事もある、下がって良い。サルア・ウェティスへは今日の昼にネフィリムが行ってくれるそうだ。安心して休むといい」
「いえ、父上、何か誤解が……!」
「早く休めって──」
 ラナマルカ王は、しっしと追い払うのだった。何だか納得いかないと悔しがって背を向けて下がるシュナヴィッツを、王はいひひと笑いながら見ていた。
 色恋を避けていたシュナヴィッツが初めて、その心を動かしつつある、それが微笑ましく、嬉しく思う。それはラナマルカ王もネフィリムも同じ気持ちで、笑うのだった。



(2)
 謁見の間を退ったシュナヴィッツは兄の言っていた“何もかもが初めてでは不安だろう”という言葉を思い出して、パールフェリカの部屋へ向かった。
 ワイバーンから受けた傷。どのタイミングだったか記憶していないが、ワイバーンと空で大きくすれ違った瞬間があった事を思い出す。背負っていた盾にワイバーンの尾が当たった。6つの留め具がバチバチンと一斉に全て弾け、盾が落下し、引っ張られないように踏ん張った。可能性があるなら、その時だろう。体にも尾が当たっていたのだ、盾の方に気が行ってしまって気付かなかったのだ。麻酔が効くまでに一瞬でも間があるのだろうから、チクリとはしたはずなのだが、気付かなかった。傷口は大きくは無いのだが、人の指で言って第一関節分位の深さで尾が差し込まれていたらしく、今それなりの痛みがある。気にしないでいようと思えば思っていられるのでシュナヴィッツは部屋を出てきているのだ。
 パールフェリカの部屋に通されて、トエド医師と正面から遭遇した。パールフェリカの診察に来ていたのだろう。ぐぐっとトエド医師の眉が釣り上がり、顔色が変わった。彼は一歩どすんと前へ出て、慌てて回れ右しようとしたシュナヴィッツを見上げる。
「シュナヴィッツ様! 安静になさっていて下さいと、あれほど申し上げたではありませんか!?」
 相当怒っている。こめかみに血管まで浮いている。トエド医師は王室医師団の長で、王家の健康管理を一手に任されているという自負から大変仕事熱心だ。身長はパールフェリカより少し大きい位の、小柄な初老の男だが“王家の皆様に健康とは何なのか手本をお見せする”と日頃から言っていて、大変顔つやの良い、元気なおっさんだ。
「い、いや。父上に……」
「そんなことは後でも良いんです!」
 ネフィリムが第一にしなければならないとシュナヴィッツに何度も釘刺す事を、トエド医師は“そんなこと”で片付けた。
「ワイバーンの毒は、刺された者の9割以上が亡くなるほど恐ろしいものなのですよ? あなたは、命拾いをしたのです。ミラノ様がいらっしゃらなかったら、確実! 絶対! 間違いなく! 昨日中に亡くなってしまっていたんですよ!? 今頃葬儀のど真ん中で殿下は棺おけの中にいらっしゃったんですよ!? ご理解ください! お願いしますから!!」
 やたらと熱く語る。お願いというよりも命令のような口調と視線だ。怪我をするといつもこれなので、慣れてはいるつもりだったが、今日は一際激しい。
「ああ、わかった、よく理解した、胸に刻んだ」
 シュナヴィッツは素直にこくこくと頷いた。適当に言ったらさらに熱血に火が付くのでシュナヴィッツも半ばやけくそで頷いている。
「──それで、パールの具合は」
 シュナヴィッツは話を逸らす。
「え? パール様ですか? パール様はお元気でいらっしゃいますよ。どうやらパール様の召喚獣というのは、一時的に力を引き抜くような所があるようですが、パール様は大変お若いですし、回復もとてもお早いようです。もう安静の必要はありません」
 トエド医師の目が細められ、少し遠くなった。“パール様はちゃんと安静になさっていたので、殿下と違ってね”そんな言葉が見えた気がした。シュナヴィッツは苦笑いをしただけで何も言い返さなかった。
 トエド医師は、何度もシュナヴィッツに“さっさと部屋に帰って大人しくしていろ”という内容の事を丁寧な言葉に変えながら数回言って、パールフェリカの部屋を退室していった。
 ふうと一息つくと、ソファに腰を下ろして“うさぎのぬいぐるみ”を抱いて、ニコニコしているパールフェリカと目があった。
「にいさまもトエドには形無しね。きっと王国最強なのはあの人よ」
 と言った。あながち間違いじゃないだろうと思ってシュナヴィッツはふっと微笑った。
「そうだな。勝てそうにない」
 シュナヴィッツは奥側のソファに腰掛けるパールフェリカの正面のソファに座った。また、ここに居座るつもりである。パールフェリカの部屋に居ると、わずらわしいご機嫌伺いの貴族連中も、第二位王太子妃狙いの貴族の姫達も来ないので楽なのだ。もちろん、基本的に能天気なパールフェリカと居て話していると、とても和むというのが最大の理由ではあるのだが。その能天気が不安に駆られそうというのなら、助けてやりたい。
「──それでね、にいさま」
 首を少し傾げ、パールフェリカは困ったような表情を見せた。
「なんだ」
「私、今日、クーニッドに行こうと思うの」
「今日はやめておけ」
 シュナヴィッツは一息も開けずに言った。
「えー!」
 両方の眉を寄せてパールフェリカは肩を後ろへ引いた。
 クーニッドとは、クーニッドの森の事で、召喚士が召喚について行き詰ったら行く所である。
「行くなとは言っていない、今日はやめておけ」
「だってぇ~……」
 頬をぷうと膨らませ、口を尖らた。“うさぎのぬいぐるみ”の左耳を弄っている。まだ少しネジネジした痕が残っているようだ。
「今日はまだ、僕は安静にしていないといけないらしいからな」
「──え……え? もしかして、にいさまも一緒に行ってくれるの?」
「ああ。サルア・ウェティスの事も心配だったが、兄上が行ってくれるらしくて逆に暇になった。兄上が行ってくれたなら、昨日の残り300のワイバーンが居たってどうって事は無いだろう。あの荒野でフェニックスに勝る害獣なんていない。500や1000居ようが一括りだろうしな。……復旧に関しては僕が居ようが兄上が居ようがそう違いは無いし──」
 言っている最中で、パールフェリカが肩の辺りに突撃してきた。そのまま抱きついてくる。
 白いおでこをシュナヴィッツの肩にぐりぐりと押し当てて、ぱっと顔を上げた。おでこが少し赤くなっている。見上げる深い蒼色の瞳がキラキラと輝く。
「にいさま! ありがとう!! 本当はね、エステルもリディも反対するからこっそり城を抜け出そうと思ってたの!」
「………………………………」
 一人で行くつもりだったらしい。パールフェリカは危険に対する認識が薄いのでわからなくもないが、それを大きな声で言う辺り、本当に能天気だ。ここで先に宣言していたら、抜け出せるわけがない事に頭は回らなかったのだろうか。リディクディは居ないようだが、室内扉の横にはエステリオが控えており、眉の辺りがひくついている。
「にいさまが一緒ならきっと誰も反対なんてしないわ!」
 イェスッ! と右手でぐうを作ってウエストの辺りでぎゅっと引き絞ってガッツポーズ。左手は“うさぎのぬいぐるみ”の左耳を掴んでいて、その体はテーブルの上でねじれて転がっている。
「明日だぞ。勝手な行動は逆に迷惑をかける」
「うん、そうだね。よく考えたらそうだった──」
 そう言ってパールフェリカは右手で後ろ頭をかいた。少しは反省しているようだ。だがすぐにその右手をおろしてしゅんとした。
「でも……どうしてもミラノをよびたくて──」
 唐突に出てきた名前に一瞬驚いて──何故ドキリとしてしまったのかわからないまま──シュナヴィッツはパールフェリカを見た。
「私、ミラノとはほとんど会えてないから……話出来てないから……」
「召喚獣と話が出来た召喚士なんていないぞ。話せる霊でもすぐ還るのだから」
「そうだけど…………にいさま達、結構話したのでしょう? ミラノと。召喚主は私なのに! 私、物凄く! く、や、し、い……!!」
 一文字ずつ力を込めて言っている。涙滲ませんばかりの勢いだ。
 ミラノが居なくて寂しいとパールフェリカは言う。初召喚でやってくる召喚獣は、この世にたった一人で生を受けて生きる人間に、そっと“あなただけに”と火を与えられるようなもので、一度でも触れたなら、その温もりは忘れられない──決して裏切らず離れず寄り添う、それが確約された──永遠の友人。
「パールが思っている程、ミラノは皆と接していないぞ? 忙しかったしな」
「あ~……う~ん……そっかー……」
 シュナヴィッツの言う事はわかるのか、パールフェリカは自分の中で感情を整理している。口にも表情にもそれを出す辺りが、笑いを誘って和ませてくれる。
「僕は父上の所に寄ってこれを話してくる。パールは、クーニッドで召喚の儀式をする事になるかもしれないのだから、ちゃんと休んでるんだぞ?」
 召喚術で召喚する事と召喚の儀式は少し異なる。力の足りない召喚士が格上の召喚獣に挑む際に、様々な力を自然の中から借り受けつつ行うのが召喚の儀式。こちらの方が体力の消耗が激しいのでシュナヴィッツは釘を刺したのだ。
「了解しました! にいさま!」
 そう言って、家臣のする右手を胸元に当てる敬礼をする。力が抜ける、そう苦笑してシュナヴィッツは立ち上がり、パールフェリカの頭を撫でて部屋を出て行った。思っていたより不安がっている様子も無く元気そうだったので安心した。


 翌、早朝。
 ティアマトには二人乗りの鞍が付けられ、前に“うさぎのぬいぐるみ”を抱えたパールフェリカ、後ろにシュナヴィッツが座っていた。ティアマトの後方左右にはエステリオの赤《レッド》ヒポグリフ、リディクディの聖《セント》ペガサスが従っている。
 快晴の空を割るように、三騎は山々を越える。


(3)

 ──最初にクーニッドに大岩が落とされた。
    “はじめの人”降り立ち、そこに“アルティノルド”を召喚した──

「それって創世神話……アルティノルド叙事詩?」
 パールフェリカの問いにシュナヴィッツが頷いた。
 クーニッドの森は、深い。
 王都から北東へ2時間程飛んで来た辺りで、山々の木々の色が変わる。明るい緑の多かった木々が、より深く濃い緑、時に黒くすら見える木々に変わる。
 そこまで辿り着くと、召喚獣達は一斉に驚き慌てふためいたように逃げ出す、まともに制御が出来なくなる。ティアマトでさえ、例外ではない──クーニッドの森は、召喚が当たり前のこの世界で唯一、召喚の一切が行えない土地なのだ。故に、神“アルティノルド”の座す地とされている。
 アルティノルド叙事詩では“はじめの人”を神とするか、クーニッドの大岩を落としたとされる“アルティノルド”を神とするかで議論され意見が分かれている。実際に世界を創造したのは“アルティノルド”の方であると明記されている為だ。こうなってくると卵が先か鶏が先かの次元にはなる。これは一般的に“卵が先”であるとある程度の結論は出ているが、この世界の神に関してはまだ出ていない。“はじめの人”とは言葉としても格好が付かず、最初のこの一文にしか現れない為、アルティノルドがこの世界唯一絶対の神であり、この大地自体であると言われている。
 世界そのものが神であると。それがこの世界での基本的な宗教観だ。
 その神の突端となるのが、“はじめの人”が降り立って“アルティノルド”を召喚したというクーニッドに落とされた大岩だ。
 クーニッドはただ地名を指す。結論、この大岩が地上、人々の前に現れている、神の一部である。
 騎乗する召喚獣が使い物にならなくなり、シュナヴィッツらは地上へ降り、山道を自分たちの足で歩いて進む。
 行脚してくる者が多いので、山道はある程度整備され、平な道にはなっている。幅も広く10人程度が横に広がっても問題はない。左右には当然、色の濃い葉を付けた木々を抱える森が広がる。
 整備されていると言っても深い山なので、時々ヘビが顔を出す。するとパールフェリカが「ギャー」と騒ぎ、野うさぎがでてきては「きゃー! 可愛い!」と駆け寄り石に蹴躓き、よろけて転びそうになる。それをシュナヴィッツは注意する事無く、いちいち手助けをしてやっている。エステリオなら小言をいくつも飛ばしていそうな状況の連続にもシュナヴィッツは丁寧にパールフェリカにそっと手を伸ばしてフォローをする。その度にパールフェリカも「にいさま! ありがとう!」と満面の笑顔。リディクディはその兄妹愛に和んでいるが、エステリオは“甘やかしすぎている”と眉間に皺を寄せていた。
 肩から足首近くまで、全身を包み込んでいる柔らかい生地のシンプルな外套を払って、シュナヴィッツは亜麻色の髪をかきあげた。早朝飛行という事での外套だったがこれだけ歩くとやや暑い。
「兄上の方が詳しそうだが。召喚と言葉が付けば食いついているからな。──“ならば! 世界は獣か霊か、それが私の命題だ”──なんて嬉しいのか困ってるのか、普段より妙に太い声で朗々と話してたな。ひっくるめてとても楽しんでるんだろうが」
「ネフィにいさまって、カッコイイのに時々どうでもいい事考えてそうだよね。侍女たちがいつもうっとり眺めてるけど、基本的にネフィにいさまってちょっと変よね? この間もマンドレイクを何株も両手に持って帰ってきてたわ、すっごく臭かった! あの見た目であの臭いは反則だわって思って私逃げ出しちゃったもの! それに人と似た根っこだから気味が悪いでしょう? なのに侍女たちはうっとりだもの、とっても変だったわ。あれ? これってネフィにいさまが変なの? 侍女たちが変なの? う~ん? ──あ。獣も霊も無いのに──神様は神様じゃないのかなー。ネフィにいさまは召喚獣とか霊にすぐ結びつけるクセがあるのかな? 直結?」
 退屈しのぎにこの兄妹は、上の兄を話題にしている。
 ミラノがパールフェリカの今の言葉を聞いていたなら、無言で目を逸らした事だろう。ワールドギャップとでも言えばいいのだろうか。インターネットゲームのスラングで直結とは、乙女が口にして良い単語とは言えないせいだ。下半身直結厨の略であり、性的な結合に思考がすぐ直結する輩を指す。
「ちょっと変かどうかは、僕には言えないが……召喚獣マニアなのは間違いないな…………マンドレイクは植物だろう? なんでそんなもの持って帰ってるんだ? マンドレイク……何に使うつもりなんだ、兄上。──獣か霊かなんて。世界はどう考えたって、地面は地面だし、空は空なのだと思うが」
「知らない~。そういえばネフィにいさまの変な話でね、この間リャナンシーっていうのを召喚出来る人を召して──」
 リャナンシーは召喚霊の名前であるが、パールフェリカはよく知らず口にしている。リャナンシーは美しい女の姿をした霊で、召喚主は必ず男。素晴らしい音楽の能力を一時的に与えてくれるが、その代償は、これも乙女が口にして良いものではない。いわゆる精気を持っていくので、リャナンシーという召喚霊の詳細を聞かれたら困ると思い、シュナヴィッツは聞かないフリを決め込みつつ、別の話題を探した。
 3ヶ月ぶりの再会が一昨日で、ゆっくり話すまともな機会が無かった、それで今なのだ。二人は実によくしゃべった。シュナヴィッツも別に無口な男ではないので、それなりに会話を楽しんでいる。若干噛みあってはいないが、ネフィリムがいないと天然気質の入った二人は止まらないし、それでも通じてしまうのだ。
 二人のするネフィリム話を聞きながら、エステリオとリディクディはひたすら聞こえないフリをしていた。高貴なお方にお仕えしているという自負がどこかに飛んでしまいそうな気が、したからだ。


 30分程、緩い起伏の山道を抜けると、クーニッドの村に着く。世界レベルでの神話息づく村だが、あまりに山深い為牧歌的な雰囲気が漂っている。人口も500人程度、外から訪れている旅人も日に50人未満である。召喚術を使えない不便さが、人をあまり寄せ付けないのだ。
 広い山道の先に、階段が現れはじめ、左右の木々は枝が整えられたものになる。30段ほどの石積みの階段を上りきると、大人2,3人が両手を伸ばし繋いでやっと届くような太い丸太をそのまま使った門が、どんと立っている。切り出したままの形なので、人工物の少ない景色で実に調和している。
 王都と異なり、家は地面に直接建っていて、豚やら牛、鶏などの家畜がそのまま村の中をうろうろしている。それを子供が追いかけているのだ。パールフェリカはにこーっと笑って、白色の外套の中で“うさぎのぬいぐるみ”を抱いたまま両肩を上げつつ、鼻で息を吸い込み周りを見回している。好奇心一杯といった仕草だ。
 ばっとシュナヴィッツを振り返って、笑顔のままその口を大きく広げようとした。が、ぽんと頭に手を置かれた。
「後にしなさい」
 森の中を歩いて来た時とは打って変わって、シュナヴィッツは“王子”の顔になっている。表情を消して凛々しく辺りを見、静かな声でそう言った。
「……はい」
 この辺の切り替えをパールフェリカはまだ出来ないので、しゅんとして返事をしたのだった。


 村の中を歩く。精緻で品のある刺繍の施された外套を身に纏う、どう見たってノーブルな美貌の男女と、いかにも護衛騎士といった風体の厳しく武装した者がその前と後を歩き、警戒し進んでいる。村人らの目を引かないはずはない。
 が、ここはそこら辺の普通の村ではなく、創世神話の地。村人らは、またどこぞの貴族様か王族のお偉い様がいらっしゃったのだと、そそくさと膝をつく、子供らもだ。騒ぎになるような事は全く無かった。
 しばらく進むと、白い石を積み上げて作られた神殿が見えた。
 あれがクーニッドの大岩を包むように後から作られた神殿。特に名前は無いが、外から来る者はそのままクーニッド神殿と呼ぶ。
 神殿は4階建ての建物程の高さがある、がこれは1階しかない。幾重にも壁で仕切られ、建物の中央に“クーニッドの大岩”があるだけの神殿で、ここを管理する為の人員は神殿横の小さな木造の建物に居る。
 神殿の入り口に白い法衣──真っ白のだぼっとしたズボンに、これまただぼっとした上着、その上に膝丈まである貫頭衣を着ている。この貫頭衣には青いラインが縦に大きくいくつか入っていて、位を表している。これが真っ青の貫頭衣を着ている者が一番偉い。
 エステリオは、左半身に5本の青い線をした衛兵らしき男に話しかけ、神殿の長、つまりこの村の長を呼ぶよう伝えた。衛兵は木造の建物へ慌てて走って行った。
 シュナヴィッツとパールフェリカは少し離れ、リディクディが傍に居た。
 やがて、その木造の建物から、真っ青に染められた貫頭衣を着た老人が姿を現した。茶色く変色してるようにも見える顔は皺くちゃだったが、はっきりと笑顔である事が分かる。好々爺のようだ。それでも腰が曲がっているという事も無く、しっかりした足取りでシュナヴィッツの前までやってきて、両膝を付いた。他の衛兵らも同様に膝を付く。
「ようこそおいでくださいました。シュナヴィッツ殿下、パールフェリカ殿下」
 一礼して老人は顔をあげた。
「いきなりですまない。マルーディッチェ」
「いいえ、そろそろ王家の皆様から何かしらあるのではと思っておりましたので」
 老人は笑顔のままそう言った。
「……どういう意味だ?」
 パールフェリカの召喚の事などは、いくらなんでもまだここまで伝わって来ていないはずだ。
「おや、別件ですかな? 私はてっきり──。いいえ、中でお話致しましょう。神力宿る、大岩へ──」
 そう言って、シュナヴィッツがマルーディッチェと呼んだ老人は立ち上がった。


 神殿内部は、王城と同じくうっすらと光る石が用いられており、暗いという事は無かった。ただ、装飾もなく、ただ石が積み上げらているばかりの、やや無骨な造りにすら見えた。
 何枚もの扉をくぐった後、4、50名が入ってもゆとりのある部屋へ辿りつく。天井はもちろん4階建て分ある。
 最後の扉が後ろで閉められた。室内には、シュナヴィッツ、パールフェリカ、エステリオ、リディクディ、そしてマルーディッチェ老の5人だけとなった。
 部屋の中央には、半透明に輝く大きな石が地面に突き刺さっていた。クリスタル、というものだ。
「これが伝承にある……大岩?」
 パールフェリカが思わず呟いた。想像していたものと違ったのだ。普通の灰色から茶色っぽい岩を考えていたのに、宝石と見まごう、巨大な水晶がこの部屋の4割を占める大きさで、壁からの明りを受けて、その内にゆらりゆらりとほのかな光を宿しているように見えた。
 マルーディッチェ老はパールフェリカに笑顔で頷いた。
「そうでございますよ」
 そして、シュナヴィッツを見た。
「一昨日これが何度か光りまして。外へその光が染み出る程に」
 シュナヴィッツは眉間をひくりとさせた。
「光った?」
「ええ、今日にも王都へご報告に参じるつもりでしたが」
「光るものなのか?」
 信じられないといったふうに問うが、マルーディッチェ老は笑顔を貼り付けたまま、「いいえ」と大きく首を左右に振る。
「さらに昨夜も一度、大きく光りました。少し違う光り方をして気になってはいるのですが」
「どうちがう?」
「一度光ったのち、光の塊が飛び出し、北へ飛んでいきました」
「北へ?」
「サルア・ウェティス《聖なる墓所》へ」
「………………」
 シュナヴィッツは目を閉じ、黙した後、厳しい表情をマルーディッチェ老に向けた。
「この大岩は、神の一部と言われている。
 ならば、神が何かしたというのか」
「そうなります……そのうえで、気になる点が」
「なんだ」
「昨夜、光が飛び出したのですが」
「それが?」
「その光は、魔法陣でした──」
 シュナヴィッツはいよいよ眉間の皺を深くした。エステリオやリディクディが息を飲んでいる。パールフェリカは事情が飲み込めず、兄や護衛二人の顔を見て不安そうにしていた。この土地で、人が魔法陣を展開する事は出来ない。もし魔法陣が展開されたならばそれは──。
「…………………………」
「神が“使い”を召喚された可能性が──」
 これは、深刻な問題だ、マルーディッチェ老のこの顔は笑顔ではない、そういう顔なのだろう。茶色に近い顔が、やや青ざめた。
 アルティノルド叙事詩にある。
 ──神が“使い”を地上に召喚する時、天罰が下される──


 シュナヴィッツは外套を翻して足早に神殿を出た。
「にいさま!」
 パールフェリカが追いかけ、エステリオ、リディクディも従った。
「にいさま、どうしたの!? どういう意味??」
 外に出たところでシュナヴィッツが足を止めた。背を見せたまま告げる。
「リディクディ、お前の神速のペガサスで一刻も早く神の“使い”の件を父上に伝えよ。エステリオ、お前はパールを連れて城へ帰れ」
「え、ちょ、ちょっと待って、にいさま。まだミラノの召喚が──」
「残念だが、それは少し先延ばしだ」
「シュナヴィッツ様は?」
 リディクディが訊ねるとシュナヴィッツは振り返る。既に、森の中で話した“兄”の顔でも、村へ来たばかりの“王子の顔”でも無かった。力ある牙持つ召喚士の、戦う顔だ。
「僕は、先に北へ、サルア・ウェティス《聖なる墓所》に向かう」
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