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準備編(8~12歳)【1】
常闇の傀儡師➂ 『物語』の外側で
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サマンサは塊ごと宝杖を投げ捨てると大きく飛び退いて隣の屋根に着地した。
「いらないよ、そんなおっかないの──でも」
先程までサマンサの立っていた屋根の端で仁王立ちの赤鬼。
彼女は左手に塊……ヌイグルミ付きの宝杖を受け取ってしまった。
赤鬼はちらりと宝杖を一瞬見やり──グリーンの瞳をまん丸にして驚愕の表情を露にした。
途端、ヌイグルミ全体がカッとオレンジの光を宿すや派手に爆発したのだ。
黒装束の男一人の半身を抉りとった熊のヌイグルミの自爆。
規模は大きくはないがヌイグルミには鉄つぶてが埋め込んであり殺傷能力は抜群だ。
だが爆発後、もうもうと膨れ上がった煙の中からは多少煤けただけの赤鬼が姿を現す。
口元の布は左半分が焦げて消失し、その頬がほのかに赤く腫れている程度。自慢気に揺れていた赤髪も一割近くがちりちりに焦げた。
ギロリと睨めあげてくる、殺意しかない翡翠色の瞳。
「は? ……──ど、どんな障壁ならその至近距離で防げるんだっ!?」
次に慌てるのはサマンサ。腰の革袋に手を突っ込んで火薬玉をいくつも取り出しつつ赤鬼の足元から足にかけて投げつけた。
これは爆ぜると軽い音と光を発した後、一気に視界を覆う灰色の煙をばらまいた。
屋根から屋根へ飛び移り、人の多い通りへと降りてしまう。
すでに二人が屋根の上で騒音に光、煙を撒いていたことで人だかりが出来ていた。
木を隠すなら森の中、人を隠すなら群衆の中──これを利用した。体を縮めて人と人の間をくぐり抜ける。
そっと出た人気のない暗い路地で、しかしながら、三日月刀を縦回しでくるくると弄んでいた赤鬼と遭遇した。
先回りされたと思考する前に目の前に迫る赤鬼。破れたマスクの奥、無感情に引き結ばれた唇が見えた。
消さずにいた魔術の黒い短剣をクロスさせて受けつつ、退き身体を沈めながら流す。
見るからに重そうな一撃、まともに受け止めるなという本能に従った。
円弧を描く流れで振り下ろされる三日月刀は湾曲した剣先がぐんと伸びて見える。
いつでも頭部に突き刺さってきそうで大きめにかわしてしまい、余計な動きで無駄に体力を消耗する。
三日月刀は片刃が多いのに赤鬼のそれは両刃。刺突のみならず斬撃にも使える形で、それ故に型は複雑化して、また動きの予測もつきずらい。
激しい切り合いが何合も続き、サマンサの汗が飛ぶのに対して赤鬼の静かな呼気は一層追い詰めてくる。
これ以上は無理だと判断して逃げに切り替えた瞬間、赤鬼の長くしなる蹴りが飛んできた。三日月刀に注視しすぎており、かわせずふっとばされるサマンサ。
壁に叩きつけられる形になったが追撃される前に路地を駆け抜ける。
「──っ痛う……」
左足の脛あたりが妙に膨らんで腫れ上がっている。
──お、折られた……!!
追跡に気付いているサマンサ、追いつかれる前に王都を東西に分ける幅広の大きな川へドボンと飛び込んだ。もちろん魔術の使用は忘れない。
運が良かったのか悪かったのか、土色の激しい流れに飲まれる。顔周りには空気の層を作り、濡れずに息は出来るが、あちこち川底でぶつかるのは避けられない。
赤鬼は川岸で流れに飲み込まれた少女をしばらく眺め、見失うと下流へ目をやる。数歩後退したのち、立ち去った。
──今日はずぶ濡れだぁ……散々すぎる。
川の下流、王都の最南部は貧民街だ。よじ登るべき護岸の石積みもなくただただ地上へ這い出る。
「──ぐぇ! ゲハ!」
泥水だけでなく早朝に食べた汁物の海草も出た。
最後は魔術の空気も無くなり溺れる寸前だったのだ。
──はぁ……足かよクソぅ……折ったら復帰までが長ぇから回復術士に……高くつくなぁもぅ……また未熟未熟ってオヤジに……ぁぁあああぁぁぁぁぅぅぅ……!
頭を抱えながら立ち上がるサマンサ。黒い衣服のあちこちは破けているし剥き出しになった皮膚は擦り傷だらけだ。
しぶしぶ顔を上げてさっと周囲を一瞥する。
場所はどんよりと薄暗い貧民街。
難民や移民、前科者に崩れ冒険者など、行く宛を失った者達のたどり着く場所だ。
仕事もなく日中夜中問わず街中に生ゴミを漁りに行き、昏い目でカビたパンを日々の糧としているような人々の住む場所。
布と棒で組み立てたテント、廃材を縄で縛って建てた掘っ立て小屋、半分崩れた家などが点々とある。
人の姿は見当たらず、息を殺した気配と視線のみが感じられる。人との接触も避けたがる人種しかいない。
サマンサは高い魔力の持ち主ではあるが温存を選び、全身を魔術では乾かさず少し歩いた先のとあるボロ屋を見た。
赤鬼がいる。抜き身の三日月刀を手に持ったまま。
──なんで……。
やむなく川べりへ戻り、今度は惜しまず魔力を使って全身に空気の層をまとって飛びこむ。
川の流れに逆らい、上流を目指した。
受け継いた王都マップは頭に入っている。常人なら知らない川沿いのみならず、王都中央、王城内の秘密の通路さえも知っている。
狭くなっていく川──というよりも、地中に埋められたパイプや溝を遡ると鉄格子が行く手を阻む。水の中で鉄の棒を1本、グイグイと、あっさりと引き抜く。格子を抜けると鉄の棒は戻し、さらに流れに逆らって進む。
やがて広い庭に出た。
王城内の奥の奥、王室居住区域のさらに奥まった王族のごくごくプライベートな庭だった。
ザバッと草に覆われた岸へあがる。明るい陽光の注ぐ、広々とした静かな、さほど手入れもされていない自然に近い庭だ。
──へへへ、さすがに王城内の活動拠点はバレてないだろ……さすがに……うん。
とはいえ、王城内の奥で魔術を使うのはリスクが高い。ずぶ濡れのまま丈の伸びた草をかき分け目的地へ。
かつて、この国の先王は常闇の傀儡師の傍流から金で情報を買っていた。十年ほど前のことだ。
今は王位を譲って王室領を気ままに旅している先王。
在位中、趣味と称して庭弄りするためにと居住区域の庭の外れに建てた用具室がある。丸太組みの素朴な建物。特徴はわざと広めに作られた天井裏……そこが密会現場だ。
サマンサはくたくたにくたびれた身体をひきづり、天井裏に潜む。
腰の革袋の中の火薬玉は全滅だが、父に手紙を書き、傀儡に持たせて開放するサマンサ。
「や……ほんとありえんし。ねむい……無理……」
そして力尽き、ただ床板に倒れ込み眠った。
──あれ? 足が痛くない。
場所は天井裏ではなく用具室内、部屋の片隅だった。服も髪も乾いているし、毛布を被っていた。ただ、仮面が外されており素顔を晒している……。
「目覚めたかい?」
傍らからかけられた声。
見れば十に満たないだろう銀髪の少年。一瞬、グリーンの瞳にビクリとするも敵意は感じなかった。
「…………ぇ…………王子……?」
直接見たことはなかったが、手持ちの情報の断片を繋げばこんな場所で会える少年など一人しかいないとわかる。
にこっと微笑むこの国の第一王位継承者たるエドワード王子。
「さて、手当てをしてやった俺は君の恩人だね、サム」
「…………は? なんで名前???」
むしろそれは愛称で、さらに言うならばサマンサの父親がよく使うものだ。初対面の王子が知るはずもないし、立太子の儀を迎えていないのなら『影』の存在すら知らされていないはず。
困惑するサマンサをよそにエドワードは良くわからないことを言い始める。
「俺と君が出会うのは本来もっと未来のはずだったんだけど、現状、俺には力も手駒も自由も足りない。契約の話をしようか。常闇の傀儡師の次期主柱」
「……」
サマンサは一切の表情と言葉を消す。
「祖父が十年ほど前、連合国軍に対抗する為に『ここ』を使ったことを俺は知っていてね」
「……」
サマンサの無反応にエドワード王子は苦笑して「まぁ、君に聞いた話だけど」と言った。
「はぁ!? 初対面なのに!??」
王子はくくくと笑う。
「そう、初対面だ。はじめましてサム。『今回の俺』の目的は君達と同じだ。そう構えないで」
サマンサもついに呆れる。わざとらしく首を傾げる。
「意味がさっぱり」
斬り傷擦り傷のみならず骨折とズタボロだった。が、毒を受けた左腕の傷も完全に塞がり、全身どこにも痛みはない。
細かい傷跡も見当たらず治癒術を用いられたことがわかり、恩の分は会話をしようとサマンサは口を開いたのだが──。
「まだ主柱は生きているだろう?」
「…………ぇ」
主柱──常闇の傀儡師の長である父は死んだことになっており、それを知っているのは父の側近と母、それに跡継ぎの自分だけだ。
なぜエドワード王子が知っているのか。
「簡単な取引だ。その病を根治する薬はとても高価だが、治るまで俺が提供する。代わりにサムの忠誠を売ってくれないか」
「………………おかしい。たかだか幻蝶ごときにオヤジの状態が漏れるはずない」
「──ああ、うちの諜報部は知らないね。俺の独自情報だよ。サム、俺は未来を変えたい。手始めは君の敬愛するというオヤジ殿の戦線復帰だ」
エドワード王子の思惑がわからない。初対面かつ前情報など外見と優秀という話しか持っておらず、計りようがない。なのに王子はこちらの事情に随分詳しいようだ。
「……ひとつ聞きたい。アルバーン公爵令嬢はどうなった?」
「…………二度目の暗殺未遂後、行方不明だったがその夜には発見された。それから五日経っている」
「五日!?」
「君は腕の治療痕の炎症と左足の骨折でひどい発熱状態、それなりに危険だった。俺が使える程度の治癒魔術ではどうにもならなかったぐらいには。だから父に交渉して幻蝶から一人だけ俺につかせ、治療させた。君は『影』を生きる者、表沙汰には出来ず時間を使うことになった」
「…………」
考えていた以上に手間をかけさせたらしい。彼の言う父とはこの国の国王なのだ。サマンサは目線を逸らす。
「あたしたちはもう誰にも仕えない」
「仕えろとは言っていない。契約で一定期間の忠誠を買いたいと言っている。きちんと交換条件がある」
「…………あたしには決められない」
「常闇の傀儡師と契約したいと言っているわけではないよ、サム。君と俺の個人的な契約で、君はおそらく、今後も行動方針を変えなくていい。ただ関わりを、必要があれば助力したい」
「……言ってる意味がわからないが?」
常闇の傀儡師は『影』として密やかに、だが確かに名を馳せる一派だ。接触出来た王侯貴族はこうして配下にしようと交渉してくることは少なくない。
だが、従えというわけでもないこの王子の意図に理解が追いつかない。
「俺もアルバーン公爵と公爵令嬢パトリシアを護りたい。その一旦を担わせろと言っている。利点はいくつもあるはずだが、例えばサムのみ、王城内だろうと騎士団も幻蝶も見逃すようになる。俺がその指示を出す」
「…………王子に何の利益がある? 令嬢とは──」
「アルバーン公爵令嬢パトリシアと俺の婚約が内定した。秋には国内外に向けて発表する。──婚約者を護る為だ、俺の利益だろう?」
エドワード王子の声には冷ややかさすら含まれている。
同性のサマンサすらうっとりと見とれそうになるあの妖精姫との婚約なのに、エドワード王子は嬉しくないのか。
自嘲が透けて見える。八歳の子供のする表情ではないようにサマンサには思えた。
「いらないよ、そんなおっかないの──でも」
先程までサマンサの立っていた屋根の端で仁王立ちの赤鬼。
彼女は左手に塊……ヌイグルミ付きの宝杖を受け取ってしまった。
赤鬼はちらりと宝杖を一瞬見やり──グリーンの瞳をまん丸にして驚愕の表情を露にした。
途端、ヌイグルミ全体がカッとオレンジの光を宿すや派手に爆発したのだ。
黒装束の男一人の半身を抉りとった熊のヌイグルミの自爆。
規模は大きくはないがヌイグルミには鉄つぶてが埋め込んであり殺傷能力は抜群だ。
だが爆発後、もうもうと膨れ上がった煙の中からは多少煤けただけの赤鬼が姿を現す。
口元の布は左半分が焦げて消失し、その頬がほのかに赤く腫れている程度。自慢気に揺れていた赤髪も一割近くがちりちりに焦げた。
ギロリと睨めあげてくる、殺意しかない翡翠色の瞳。
「は? ……──ど、どんな障壁ならその至近距離で防げるんだっ!?」
次に慌てるのはサマンサ。腰の革袋に手を突っ込んで火薬玉をいくつも取り出しつつ赤鬼の足元から足にかけて投げつけた。
これは爆ぜると軽い音と光を発した後、一気に視界を覆う灰色の煙をばらまいた。
屋根から屋根へ飛び移り、人の多い通りへと降りてしまう。
すでに二人が屋根の上で騒音に光、煙を撒いていたことで人だかりが出来ていた。
木を隠すなら森の中、人を隠すなら群衆の中──これを利用した。体を縮めて人と人の間をくぐり抜ける。
そっと出た人気のない暗い路地で、しかしながら、三日月刀を縦回しでくるくると弄んでいた赤鬼と遭遇した。
先回りされたと思考する前に目の前に迫る赤鬼。破れたマスクの奥、無感情に引き結ばれた唇が見えた。
消さずにいた魔術の黒い短剣をクロスさせて受けつつ、退き身体を沈めながら流す。
見るからに重そうな一撃、まともに受け止めるなという本能に従った。
円弧を描く流れで振り下ろされる三日月刀は湾曲した剣先がぐんと伸びて見える。
いつでも頭部に突き刺さってきそうで大きめにかわしてしまい、余計な動きで無駄に体力を消耗する。
三日月刀は片刃が多いのに赤鬼のそれは両刃。刺突のみならず斬撃にも使える形で、それ故に型は複雑化して、また動きの予測もつきずらい。
激しい切り合いが何合も続き、サマンサの汗が飛ぶのに対して赤鬼の静かな呼気は一層追い詰めてくる。
これ以上は無理だと判断して逃げに切り替えた瞬間、赤鬼の長くしなる蹴りが飛んできた。三日月刀に注視しすぎており、かわせずふっとばされるサマンサ。
壁に叩きつけられる形になったが追撃される前に路地を駆け抜ける。
「──っ痛う……」
左足の脛あたりが妙に膨らんで腫れ上がっている。
──お、折られた……!!
追跡に気付いているサマンサ、追いつかれる前に王都を東西に分ける幅広の大きな川へドボンと飛び込んだ。もちろん魔術の使用は忘れない。
運が良かったのか悪かったのか、土色の激しい流れに飲まれる。顔周りには空気の層を作り、濡れずに息は出来るが、あちこち川底でぶつかるのは避けられない。
赤鬼は川岸で流れに飲み込まれた少女をしばらく眺め、見失うと下流へ目をやる。数歩後退したのち、立ち去った。
──今日はずぶ濡れだぁ……散々すぎる。
川の下流、王都の最南部は貧民街だ。よじ登るべき護岸の石積みもなくただただ地上へ這い出る。
「──ぐぇ! ゲハ!」
泥水だけでなく早朝に食べた汁物の海草も出た。
最後は魔術の空気も無くなり溺れる寸前だったのだ。
──はぁ……足かよクソぅ……折ったら復帰までが長ぇから回復術士に……高くつくなぁもぅ……また未熟未熟ってオヤジに……ぁぁあああぁぁぁぁぅぅぅ……!
頭を抱えながら立ち上がるサマンサ。黒い衣服のあちこちは破けているし剥き出しになった皮膚は擦り傷だらけだ。
しぶしぶ顔を上げてさっと周囲を一瞥する。
場所はどんよりと薄暗い貧民街。
難民や移民、前科者に崩れ冒険者など、行く宛を失った者達のたどり着く場所だ。
仕事もなく日中夜中問わず街中に生ゴミを漁りに行き、昏い目でカビたパンを日々の糧としているような人々の住む場所。
布と棒で組み立てたテント、廃材を縄で縛って建てた掘っ立て小屋、半分崩れた家などが点々とある。
人の姿は見当たらず、息を殺した気配と視線のみが感じられる。人との接触も避けたがる人種しかいない。
サマンサは高い魔力の持ち主ではあるが温存を選び、全身を魔術では乾かさず少し歩いた先のとあるボロ屋を見た。
赤鬼がいる。抜き身の三日月刀を手に持ったまま。
──なんで……。
やむなく川べりへ戻り、今度は惜しまず魔力を使って全身に空気の層をまとって飛びこむ。
川の流れに逆らい、上流を目指した。
受け継いた王都マップは頭に入っている。常人なら知らない川沿いのみならず、王都中央、王城内の秘密の通路さえも知っている。
狭くなっていく川──というよりも、地中に埋められたパイプや溝を遡ると鉄格子が行く手を阻む。水の中で鉄の棒を1本、グイグイと、あっさりと引き抜く。格子を抜けると鉄の棒は戻し、さらに流れに逆らって進む。
やがて広い庭に出た。
王城内の奥の奥、王室居住区域のさらに奥まった王族のごくごくプライベートな庭だった。
ザバッと草に覆われた岸へあがる。明るい陽光の注ぐ、広々とした静かな、さほど手入れもされていない自然に近い庭だ。
──へへへ、さすがに王城内の活動拠点はバレてないだろ……さすがに……うん。
とはいえ、王城内の奥で魔術を使うのはリスクが高い。ずぶ濡れのまま丈の伸びた草をかき分け目的地へ。
かつて、この国の先王は常闇の傀儡師の傍流から金で情報を買っていた。十年ほど前のことだ。
今は王位を譲って王室領を気ままに旅している先王。
在位中、趣味と称して庭弄りするためにと居住区域の庭の外れに建てた用具室がある。丸太組みの素朴な建物。特徴はわざと広めに作られた天井裏……そこが密会現場だ。
サマンサはくたくたにくたびれた身体をひきづり、天井裏に潜む。
腰の革袋の中の火薬玉は全滅だが、父に手紙を書き、傀儡に持たせて開放するサマンサ。
「や……ほんとありえんし。ねむい……無理……」
そして力尽き、ただ床板に倒れ込み眠った。
──あれ? 足が痛くない。
場所は天井裏ではなく用具室内、部屋の片隅だった。服も髪も乾いているし、毛布を被っていた。ただ、仮面が外されており素顔を晒している……。
「目覚めたかい?」
傍らからかけられた声。
見れば十に満たないだろう銀髪の少年。一瞬、グリーンの瞳にビクリとするも敵意は感じなかった。
「…………ぇ…………王子……?」
直接見たことはなかったが、手持ちの情報の断片を繋げばこんな場所で会える少年など一人しかいないとわかる。
にこっと微笑むこの国の第一王位継承者たるエドワード王子。
「さて、手当てをしてやった俺は君の恩人だね、サム」
「…………は? なんで名前???」
むしろそれは愛称で、さらに言うならばサマンサの父親がよく使うものだ。初対面の王子が知るはずもないし、立太子の儀を迎えていないのなら『影』の存在すら知らされていないはず。
困惑するサマンサをよそにエドワードは良くわからないことを言い始める。
「俺と君が出会うのは本来もっと未来のはずだったんだけど、現状、俺には力も手駒も自由も足りない。契約の話をしようか。常闇の傀儡師の次期主柱」
「……」
サマンサは一切の表情と言葉を消す。
「祖父が十年ほど前、連合国軍に対抗する為に『ここ』を使ったことを俺は知っていてね」
「……」
サマンサの無反応にエドワード王子は苦笑して「まぁ、君に聞いた話だけど」と言った。
「はぁ!? 初対面なのに!??」
王子はくくくと笑う。
「そう、初対面だ。はじめましてサム。『今回の俺』の目的は君達と同じだ。そう構えないで」
サマンサもついに呆れる。わざとらしく首を傾げる。
「意味がさっぱり」
斬り傷擦り傷のみならず骨折とズタボロだった。が、毒を受けた左腕の傷も完全に塞がり、全身どこにも痛みはない。
細かい傷跡も見当たらず治癒術を用いられたことがわかり、恩の分は会話をしようとサマンサは口を開いたのだが──。
「まだ主柱は生きているだろう?」
「…………ぇ」
主柱──常闇の傀儡師の長である父は死んだことになっており、それを知っているのは父の側近と母、それに跡継ぎの自分だけだ。
なぜエドワード王子が知っているのか。
「簡単な取引だ。その病を根治する薬はとても高価だが、治るまで俺が提供する。代わりにサムの忠誠を売ってくれないか」
「………………おかしい。たかだか幻蝶ごときにオヤジの状態が漏れるはずない」
「──ああ、うちの諜報部は知らないね。俺の独自情報だよ。サム、俺は未来を変えたい。手始めは君の敬愛するというオヤジ殿の戦線復帰だ」
エドワード王子の思惑がわからない。初対面かつ前情報など外見と優秀という話しか持っておらず、計りようがない。なのに王子はこちらの事情に随分詳しいようだ。
「……ひとつ聞きたい。アルバーン公爵令嬢はどうなった?」
「…………二度目の暗殺未遂後、行方不明だったがその夜には発見された。それから五日経っている」
「五日!?」
「君は腕の治療痕の炎症と左足の骨折でひどい発熱状態、それなりに危険だった。俺が使える程度の治癒魔術ではどうにもならなかったぐらいには。だから父に交渉して幻蝶から一人だけ俺につかせ、治療させた。君は『影』を生きる者、表沙汰には出来ず時間を使うことになった」
「…………」
考えていた以上に手間をかけさせたらしい。彼の言う父とはこの国の国王なのだ。サマンサは目線を逸らす。
「あたしたちはもう誰にも仕えない」
「仕えろとは言っていない。契約で一定期間の忠誠を買いたいと言っている。きちんと交換条件がある」
「…………あたしには決められない」
「常闇の傀儡師と契約したいと言っているわけではないよ、サム。君と俺の個人的な契約で、君はおそらく、今後も行動方針を変えなくていい。ただ関わりを、必要があれば助力したい」
「……言ってる意味がわからないが?」
常闇の傀儡師は『影』として密やかに、だが確かに名を馳せる一派だ。接触出来た王侯貴族はこうして配下にしようと交渉してくることは少なくない。
だが、従えというわけでもないこの王子の意図に理解が追いつかない。
「俺もアルバーン公爵と公爵令嬢パトリシアを護りたい。その一旦を担わせろと言っている。利点はいくつもあるはずだが、例えばサムのみ、王城内だろうと騎士団も幻蝶も見逃すようになる。俺がその指示を出す」
「…………王子に何の利益がある? 令嬢とは──」
「アルバーン公爵令嬢パトリシアと俺の婚約が内定した。秋には国内外に向けて発表する。──婚約者を護る為だ、俺の利益だろう?」
エドワード王子の声には冷ややかさすら含まれている。
同性のサマンサすらうっとりと見とれそうになるあの妖精姫との婚約なのに、エドワード王子は嬉しくないのか。
自嘲が透けて見える。八歳の子供のする表情ではないようにサマンサには思えた。
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