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第3話『ある男の違和感』
(004) - (2)
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(2)
新しい季節、訪れたばかりの春も、大小様々何だかんだとありながら、驚くほど早く駆け去っていく。
『魔術師第九級資格合格証書授与式』が行われて既に二ヶ月が過ぎようとしていた。
新人達はそれぞれに希望した魔術師に師事したり、あるいは逆に指名されて弟子となり、『魔術師見習い』という肩書きを得る。そこから皆、見習いを脱する第五級を目指して、多くの事を師に学ぶ。
代々高い地位を得る家柄で、魔術師としても誰の口出しも許さないの実力の持ち主として自力で確固たる立場を得ていたカイ・シアーズの元にも、「弟子にして下さい」と何人も新しい魔術師見習いが集まって来て、その親も土下座をした。毎年の事とはいえ、慣れない。
それらを丁重に断ると、魔術師見習いの弟子もなく、カイ・シアーズは一人、仕事に追われながら研究の日々を重ねるのだった。
昼前にもなると汗が滲む程度には気温が上がるようになっていた。
その日、カイ・シアーズは執務室のある第三別館の三階のバルコニーに立っていた。
気候は汗を誘うが、風そのものはひんやりとして心地よかった。彼の最も好む季節だ。
弟子が一人もいない、という事ではない。過去に三人弟子をとった事がある。
皆、見習い期間の終了を意味する第5級への進級を済ませ、魔術師見習いの弟子が、いなくなっていたのだ。孫弟子ができてもおかしくない、そんな魔術師でもあるのだ。
カイ・シアーズは弟子にする子供を選ぶし、弟子もまた彼を望んだ。カイ・シアーズの真面目な性格から、丁寧な指導と誠実な取り組みが弟子達の早期「見習い脱却」に繋がっていった。五十歳になっても見習いを終えられない魔術師もいる。それと比すれば、カイ・シアーズや、彼の弟子達は皆、優秀だった。
「先生!?」
上方、地上三階の空中から声がかかって、カイ・シアーズは目線を上げる。
陽が眩しい。その逆光の中、カイ・シアーズの最後の弟子が空舞う魔術で宙空に浮いていた。弟子達の中で、この少年が最も年若い。彼はすとんとバルコニーへ、カイ・シアーズの隣に舞い降りてきた。
カイ・シアーズは元々風の魔術を得意していた。彼の弟子もまたそのコツを的確につかんで、師と同じものを得意とした。
降りてきたのは、光に透けると青みがかる黒髪の少年だった。少年は真っ白の半そでシャツを肩まで捲り上げている。額に汗の珠が浮いている。眉間には不安そうに皺が刻まれていた。
「ナルディ……。どうしたんですか? 随分と……急いていますね? 何かあったので──」
「ギルバート様がっ!」
十六歳の少年、ナルディは慌てた様子でカイ・シアーズの言葉を遮り、彼のローブの裾を両手で掴んだ。
「ギルが……どうしたんですか?」
今まであまり目にした事の無い、弟子の切羽つまった様子に、カイ・シアーズはいぶかってその目を覗き込んだ。
「…………」
ナルディは躊躇いがち目線を床に落とした。師カイ・シアーズが、他の同僚達とは分けてギルバートには親しみを持ち、心を許した友として語らっている様子を、弟子のナルディは何度も見た事があったから。
「──ナルディ?」
名を呼ばれて、ナルディはかろうじて面を上げ、カイ・シアーズの喉辺りを伏目がちに見た。目を見ることは出来ず、そのまま言葉を絞った。
「ギルバート様が、今朝早く……黒馬車に連れていかれました。それって……投獄……されるんですよね?」
ナルディの耳に、師の息を飲む気配が感じられた。たまらなくなってナルディは師の顔を見上げる。
「僕、日が昇る頃から用事があって魔術師地区上空を何度も飛んでいたんです。ギルバート様のお屋敷の上も通りかかって……ふと見下ろしたら黒塗りの馬車がお屋敷の前に……。様子が変なのでしばらく見ていたんです。妙な感じがして……僕、少し待ったんです」
ナルディはそこで一度口を閉ざし、師の青い目をじっと見た。
カイ・シアーズはいつも以上に真剣な眼差しで小さく頷き、先を促した。
そんな師から、ナルディは目を逸らし、床を見た。
「──騎士達に囲まれてギルバート様が出てきました……両腕、両足、首にも巻かれて……!」
ナルディは眉間にぐっと皺を寄せ、頭を左右に振った。
「──『黒の封環』を!」
対魔術師の切り札『黒の封環』──魔術師が最も恐れる魔道具。
素材は銀だが、全体が黒く見える程に小さな魔術の文字がびっしりと掘り込まれている。そのルーン文字が導くものこそ『黒の封環』の名が示す通りの、魔術師の魔力を封じる魔術。
「……『黒の封環』の使用が許可されるのは、オルファース監査機関としての王直属サールクェルト騎士団です……もちろん『黒の封環』の使用には都度、王が命を下す……。『黒の封環』は魔力を封じる道具……魔術師を捕らえる道具、ですよ……?」
半ば上の空でカイ・シアーズは呟いている。
「王都警備隊の出番も無く、彼らが動く……。そうですね、即投獄を意味しますね。ナルディ、貴方は私の教えた事をちゃんと覚えてくれていたんですね」
「……先生?」
カイ・シアーズの瞳にザワリと不穏な影が滲み、春麗らかな気候と相反する、冷たく冴えた光が中心に宿る。
「それで? ナルディ。騎士達は魔術に疎い。貴方は、魔術を封じられていたわけではないのですから、ギルに何か言葉を飛ばしたのではありませんか?」
ナルディは考えていたよりも師が落ち着いている事にほっとして、その青い瞳を見上げた。
「はい。何かあったのですか? と」
魔術には、見知った者同士であったり、前もって約束事を決めていた者同士であるなら、心の声を、言葉を、視界にある範囲であれば片方の魔力のみで飛ばす事ができる。交信できるものがある。これは、魔術師見習い修了の第五級への進級試験にもある技能のひとつだ。
「それで? ギルは何と?」
ナルディは「ギルバート様はこうおっしゃいました」と前置きして、師に告げる。
「アルフィードに全て預けてある。俺が資料を集め、まとめるのに手伝ってもらっていた男だ、信頼できる」
「資料? ……あの伝承の資料の事ですか……。だが、ギルは調べるだけ無駄だと……」
「それから……──。心配するな。いわれなく逮捕されるのは、オルファースに居れば予想できていた」
「……まさか……“無駄”……」
「曲がりなりにも第一級の魔術師だから、無体な事はされない。いずれ出れる。その時にゆっくり酒でも飲もう……と、それだけ伝えてくれと、言われました」
カイ・シアーズは一つ深い息を吐き出して、右手を額に当てた。絶望の吐息だ──酒でも飲もう、だなんて。
「──何を、掴んだのですか……ギル……」
「先生、僕はギルバート様が悪い事をしたとは思えません。ギルバート様が捕まるなんて、変だと思います」
真摯な声音でナルディは、考えが外に漏れていた師に訴えた。
カイ・シアーズは愚か者ではない。また、頭も悪くはない。
額に当てていた手を下ろし、二度瞬きをした後には、日頃の表情を取り戻していた。
「ナルディ、知らせてくれた事、本当に感謝しますよ。けれど、今日見た事、聞いた事、知った事。およそギルに、ギルバート・グレイニーに関わる全てを、忘れなさい」
「先生っ!? でもっ……!」
「貴方は今日も仕事があるでしょう? さぁ、行きなさい。私の弟子が遅刻なんて事、許しませんよ」
「先生……」
青いローブのカイ・シアーズは、その物腰の穏やかさでよく知られる第1級の魔術師だった。しかし、普段と変わらない態度を取り戻していたにも関わらず、ナルディには師の目の端が釣りあがっているように、思われた。
二歩、三歩とナルディは下がり、指先に魔力を集めるとその光で文字を描き、魔術を発動させる。その足元に、フワリと風が割り込んで体が宙に浮いた。
ナルディは顔をこちらに向けない師をしばらく見ていたが、オルファース本部のドームへと、そっと風に乗って飛び去った。
気配が消えたのに気付き、カイ・シアーズは弟子の後ろ姿を見送った。しかし、思考は遥か別の場所にあるままだった。
以前から、とある伝承の調査をギルバートに依頼していた。
ギルバートはその伝承について、少し知っている風だった。調査結果は思ったよりもずっと早くに返ってきた。
調査がギルバートの手によるものと証明されるメモ書きが残され、“無駄”という記述があった。そのメモをカイ・シアーズは資料とともに持っている。
“無駄”という言葉をカイ・シアーズが嫌っているのは、十年を超える付き合いのギルバートはよく知っていたはずだ。
何気無く受け取るのではなく、きちんと考えればよかったのかもしれない。
ギルバートはそこそこに納得できる程度の資料をカイ・シアーズに与え、その件から手を引けと暗示したのではないか。カイ・シアーズを近づけまいとしたのではないか。
国によって捕らえられてしまったギルバート。それが、あの伝承を追った末というのなら、ギルバートがカイ・シアーズにその手が伸びないようにという配慮をしたというのなら。
「どうなんですか、ギル」
カイ・シアーズは答え手の無い問いを、青く澄んだ空を見て呟いた。
「私が考えようとしている事は、間違っていますか? そもそも、なぜ──」
思考がそこに及んで始めて、ピンときた事があった。
明らかな違和感が……。
瞬間、吐き気が自身を襲うのを感じて、咄嗟に手を口元にあてた。
「なぜ……?」
ナルディの伝言は『アルフィードに預けた』というもの。アルフィードという名をカイ・シアーズは知っている。親しくはないが、世界に十九名しかいない第一級魔術師の名。
貴方の『信頼できる』という者に会えと?
──私は、託されたわけか?
そっと白く塗られたバルコニーの手すりに右手を乗せた。
……なぜ……『ゆっくり酒でも飲もう』と……。
全身の力が抜けてしまう気がした。
彼の遺したキーワードの暗示するものが、怖かった。否応なく不安を煽る──ギルバートはもう、諦めている?
その不安は逮捕の日から三日後、現実のものになった。
──ギルバートは処刑された、らしい。
オルファースという組織は頂点に総監、その下に十人の副総監がいて、その十一人で動かされていた。
貴族で実力もあったカイ・シアーズは当然の如く副総監の一員。ギルバートは、庶民の出でありながらその地位まで登りつめていた。
十一人のオルファース幹部の中でただ一人、貴族ではない存在──。
副総監の十席の内、空位となったそこにはスティンバーグ家の末息子が就く事になった。総監の血縁者であり、天才との呼び声高いラヴィル・ネオ・スティンバーグという少年が。
自分がのんびりと構えていた間に、ギルバートは何か掴んだのか。掴んでいないにしても、上の者達に疎まれるきっかけになったのかもしれない。
いや、そうに違いない。
カイ・シアーズは疑惑を確信として考える。ギルバートは何をしていたのだろうか? 何が上の者達を怒らせたのであろうか?
……処刑された者に葬儀は行われない。さらに、それが上級魔術師である場合、どこで、どのように処刑されたのかも伝えられない。
理由は多くあるが、特に上級魔術師の遺体には、死した後に発動するような魔術が付与されている事があって、危険だとか──。
捕らえられたギルバートを助けようと思いながら細々と情報を集めていたが、決定的な動きをしなかった間に、彼とはもう二度と、会えなくなってしまった。話をする事が出来なくなってしまった。大罪で処刑されるにしても、裁判があるなら二、三ヶ月は大丈夫、そう思っていた。抱えていた仕事が忙しかった、などという言い訳は、通じない。甘かった。
カイ・シアーズはしみじみと噛み締める思いがある。
オルファース、いや、ヒルド国に……何かあると。
災厄の象徴たる“紫紺の瞳”の少女が王都に現れた事、その伝承を調べていたギルバートの身にふりかかった何か。
汚く古臭い、隠蔽体質。貴族主体の支配体制に、有無はない……。
醜い何かが隠されている……。それを肌で感じる。
ここに、推測はいらない、直感でいい。
その直感が示す……。自分も含まれる、支配者への嫌悪を鮮明にさせる。
ギルバートの死が、価値観を超えて意識させる。
だがそれは、明確な言葉では言えない。
怒りや悲しみが邪魔をする。
今、言えるのは、ギルバートを救えなかった後悔の言葉。
やるせない、無力な自分への責めの言葉。
なぜ、助けられなかったのか。どうして、自分の行動は後手なのだろうか。もっと、もっと自分が……。
そうして決意することがある。
「伝承に何かあるのだろう。アルフィードという男が何か知っているというのなら会いに行こう。自ら、動かなくてはならなかったのだ」
そうして、またギルバートと似た様な運命を辿る事になっても良いではないか。自虐的になるでもなく、春の木漏れ日にひっそりと誓う。
「ギルを容易く殺めたオルファースを、ヒルド国を、暴いてやろうじゃないか」
晴れやかな気持ちで、ようやっと目覚めた気がする。
「フフフ、まぁ、こういう生き方も、きっと悪くはないと思いますよ」
カイ・シアーズの行動はここから始まる。遅すぎるという事を痛い程自覚していたが、手遅れでは、無いはずだ。
新しい季節、訪れたばかりの春も、大小様々何だかんだとありながら、驚くほど早く駆け去っていく。
『魔術師第九級資格合格証書授与式』が行われて既に二ヶ月が過ぎようとしていた。
新人達はそれぞれに希望した魔術師に師事したり、あるいは逆に指名されて弟子となり、『魔術師見習い』という肩書きを得る。そこから皆、見習いを脱する第五級を目指して、多くの事を師に学ぶ。
代々高い地位を得る家柄で、魔術師としても誰の口出しも許さないの実力の持ち主として自力で確固たる立場を得ていたカイ・シアーズの元にも、「弟子にして下さい」と何人も新しい魔術師見習いが集まって来て、その親も土下座をした。毎年の事とはいえ、慣れない。
それらを丁重に断ると、魔術師見習いの弟子もなく、カイ・シアーズは一人、仕事に追われながら研究の日々を重ねるのだった。
昼前にもなると汗が滲む程度には気温が上がるようになっていた。
その日、カイ・シアーズは執務室のある第三別館の三階のバルコニーに立っていた。
気候は汗を誘うが、風そのものはひんやりとして心地よかった。彼の最も好む季節だ。
弟子が一人もいない、という事ではない。過去に三人弟子をとった事がある。
皆、見習い期間の終了を意味する第5級への進級を済ませ、魔術師見習いの弟子が、いなくなっていたのだ。孫弟子ができてもおかしくない、そんな魔術師でもあるのだ。
カイ・シアーズは弟子にする子供を選ぶし、弟子もまた彼を望んだ。カイ・シアーズの真面目な性格から、丁寧な指導と誠実な取り組みが弟子達の早期「見習い脱却」に繋がっていった。五十歳になっても見習いを終えられない魔術師もいる。それと比すれば、カイ・シアーズや、彼の弟子達は皆、優秀だった。
「先生!?」
上方、地上三階の空中から声がかかって、カイ・シアーズは目線を上げる。
陽が眩しい。その逆光の中、カイ・シアーズの最後の弟子が空舞う魔術で宙空に浮いていた。弟子達の中で、この少年が最も年若い。彼はすとんとバルコニーへ、カイ・シアーズの隣に舞い降りてきた。
カイ・シアーズは元々風の魔術を得意していた。彼の弟子もまたそのコツを的確につかんで、師と同じものを得意とした。
降りてきたのは、光に透けると青みがかる黒髪の少年だった。少年は真っ白の半そでシャツを肩まで捲り上げている。額に汗の珠が浮いている。眉間には不安そうに皺が刻まれていた。
「ナルディ……。どうしたんですか? 随分と……急いていますね? 何かあったので──」
「ギルバート様がっ!」
十六歳の少年、ナルディは慌てた様子でカイ・シアーズの言葉を遮り、彼のローブの裾を両手で掴んだ。
「ギルが……どうしたんですか?」
今まであまり目にした事の無い、弟子の切羽つまった様子に、カイ・シアーズはいぶかってその目を覗き込んだ。
「…………」
ナルディは躊躇いがち目線を床に落とした。師カイ・シアーズが、他の同僚達とは分けてギルバートには親しみを持ち、心を許した友として語らっている様子を、弟子のナルディは何度も見た事があったから。
「──ナルディ?」
名を呼ばれて、ナルディはかろうじて面を上げ、カイ・シアーズの喉辺りを伏目がちに見た。目を見ることは出来ず、そのまま言葉を絞った。
「ギルバート様が、今朝早く……黒馬車に連れていかれました。それって……投獄……されるんですよね?」
ナルディの耳に、師の息を飲む気配が感じられた。たまらなくなってナルディは師の顔を見上げる。
「僕、日が昇る頃から用事があって魔術師地区上空を何度も飛んでいたんです。ギルバート様のお屋敷の上も通りかかって……ふと見下ろしたら黒塗りの馬車がお屋敷の前に……。様子が変なのでしばらく見ていたんです。妙な感じがして……僕、少し待ったんです」
ナルディはそこで一度口を閉ざし、師の青い目をじっと見た。
カイ・シアーズはいつも以上に真剣な眼差しで小さく頷き、先を促した。
そんな師から、ナルディは目を逸らし、床を見た。
「──騎士達に囲まれてギルバート様が出てきました……両腕、両足、首にも巻かれて……!」
ナルディは眉間にぐっと皺を寄せ、頭を左右に振った。
「──『黒の封環』を!」
対魔術師の切り札『黒の封環』──魔術師が最も恐れる魔道具。
素材は銀だが、全体が黒く見える程に小さな魔術の文字がびっしりと掘り込まれている。そのルーン文字が導くものこそ『黒の封環』の名が示す通りの、魔術師の魔力を封じる魔術。
「……『黒の封環』の使用が許可されるのは、オルファース監査機関としての王直属サールクェルト騎士団です……もちろん『黒の封環』の使用には都度、王が命を下す……。『黒の封環』は魔力を封じる道具……魔術師を捕らえる道具、ですよ……?」
半ば上の空でカイ・シアーズは呟いている。
「王都警備隊の出番も無く、彼らが動く……。そうですね、即投獄を意味しますね。ナルディ、貴方は私の教えた事をちゃんと覚えてくれていたんですね」
「……先生?」
カイ・シアーズの瞳にザワリと不穏な影が滲み、春麗らかな気候と相反する、冷たく冴えた光が中心に宿る。
「それで? ナルディ。騎士達は魔術に疎い。貴方は、魔術を封じられていたわけではないのですから、ギルに何か言葉を飛ばしたのではありませんか?」
ナルディは考えていたよりも師が落ち着いている事にほっとして、その青い瞳を見上げた。
「はい。何かあったのですか? と」
魔術には、見知った者同士であったり、前もって約束事を決めていた者同士であるなら、心の声を、言葉を、視界にある範囲であれば片方の魔力のみで飛ばす事ができる。交信できるものがある。これは、魔術師見習い修了の第五級への進級試験にもある技能のひとつだ。
「それで? ギルは何と?」
ナルディは「ギルバート様はこうおっしゃいました」と前置きして、師に告げる。
「アルフィードに全て預けてある。俺が資料を集め、まとめるのに手伝ってもらっていた男だ、信頼できる」
「資料? ……あの伝承の資料の事ですか……。だが、ギルは調べるだけ無駄だと……」
「それから……──。心配するな。いわれなく逮捕されるのは、オルファースに居れば予想できていた」
「……まさか……“無駄”……」
「曲がりなりにも第一級の魔術師だから、無体な事はされない。いずれ出れる。その時にゆっくり酒でも飲もう……と、それだけ伝えてくれと、言われました」
カイ・シアーズは一つ深い息を吐き出して、右手を額に当てた。絶望の吐息だ──酒でも飲もう、だなんて。
「──何を、掴んだのですか……ギル……」
「先生、僕はギルバート様が悪い事をしたとは思えません。ギルバート様が捕まるなんて、変だと思います」
真摯な声音でナルディは、考えが外に漏れていた師に訴えた。
カイ・シアーズは愚か者ではない。また、頭も悪くはない。
額に当てていた手を下ろし、二度瞬きをした後には、日頃の表情を取り戻していた。
「ナルディ、知らせてくれた事、本当に感謝しますよ。けれど、今日見た事、聞いた事、知った事。およそギルに、ギルバート・グレイニーに関わる全てを、忘れなさい」
「先生っ!? でもっ……!」
「貴方は今日も仕事があるでしょう? さぁ、行きなさい。私の弟子が遅刻なんて事、許しませんよ」
「先生……」
青いローブのカイ・シアーズは、その物腰の穏やかさでよく知られる第1級の魔術師だった。しかし、普段と変わらない態度を取り戻していたにも関わらず、ナルディには師の目の端が釣りあがっているように、思われた。
二歩、三歩とナルディは下がり、指先に魔力を集めるとその光で文字を描き、魔術を発動させる。その足元に、フワリと風が割り込んで体が宙に浮いた。
ナルディは顔をこちらに向けない師をしばらく見ていたが、オルファース本部のドームへと、そっと風に乗って飛び去った。
気配が消えたのに気付き、カイ・シアーズは弟子の後ろ姿を見送った。しかし、思考は遥か別の場所にあるままだった。
以前から、とある伝承の調査をギルバートに依頼していた。
ギルバートはその伝承について、少し知っている風だった。調査結果は思ったよりもずっと早くに返ってきた。
調査がギルバートの手によるものと証明されるメモ書きが残され、“無駄”という記述があった。そのメモをカイ・シアーズは資料とともに持っている。
“無駄”という言葉をカイ・シアーズが嫌っているのは、十年を超える付き合いのギルバートはよく知っていたはずだ。
何気無く受け取るのではなく、きちんと考えればよかったのかもしれない。
ギルバートはそこそこに納得できる程度の資料をカイ・シアーズに与え、その件から手を引けと暗示したのではないか。カイ・シアーズを近づけまいとしたのではないか。
国によって捕らえられてしまったギルバート。それが、あの伝承を追った末というのなら、ギルバートがカイ・シアーズにその手が伸びないようにという配慮をしたというのなら。
「どうなんですか、ギル」
カイ・シアーズは答え手の無い問いを、青く澄んだ空を見て呟いた。
「私が考えようとしている事は、間違っていますか? そもそも、なぜ──」
思考がそこに及んで始めて、ピンときた事があった。
明らかな違和感が……。
瞬間、吐き気が自身を襲うのを感じて、咄嗟に手を口元にあてた。
「なぜ……?」
ナルディの伝言は『アルフィードに預けた』というもの。アルフィードという名をカイ・シアーズは知っている。親しくはないが、世界に十九名しかいない第一級魔術師の名。
貴方の『信頼できる』という者に会えと?
──私は、託されたわけか?
そっと白く塗られたバルコニーの手すりに右手を乗せた。
……なぜ……『ゆっくり酒でも飲もう』と……。
全身の力が抜けてしまう気がした。
彼の遺したキーワードの暗示するものが、怖かった。否応なく不安を煽る──ギルバートはもう、諦めている?
その不安は逮捕の日から三日後、現実のものになった。
──ギルバートは処刑された、らしい。
オルファースという組織は頂点に総監、その下に十人の副総監がいて、その十一人で動かされていた。
貴族で実力もあったカイ・シアーズは当然の如く副総監の一員。ギルバートは、庶民の出でありながらその地位まで登りつめていた。
十一人のオルファース幹部の中でただ一人、貴族ではない存在──。
副総監の十席の内、空位となったそこにはスティンバーグ家の末息子が就く事になった。総監の血縁者であり、天才との呼び声高いラヴィル・ネオ・スティンバーグという少年が。
自分がのんびりと構えていた間に、ギルバートは何か掴んだのか。掴んでいないにしても、上の者達に疎まれるきっかけになったのかもしれない。
いや、そうに違いない。
カイ・シアーズは疑惑を確信として考える。ギルバートは何をしていたのだろうか? 何が上の者達を怒らせたのであろうか?
……処刑された者に葬儀は行われない。さらに、それが上級魔術師である場合、どこで、どのように処刑されたのかも伝えられない。
理由は多くあるが、特に上級魔術師の遺体には、死した後に発動するような魔術が付与されている事があって、危険だとか──。
捕らえられたギルバートを助けようと思いながら細々と情報を集めていたが、決定的な動きをしなかった間に、彼とはもう二度と、会えなくなってしまった。話をする事が出来なくなってしまった。大罪で処刑されるにしても、裁判があるなら二、三ヶ月は大丈夫、そう思っていた。抱えていた仕事が忙しかった、などという言い訳は、通じない。甘かった。
カイ・シアーズはしみじみと噛み締める思いがある。
オルファース、いや、ヒルド国に……何かあると。
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汚く古臭い、隠蔽体質。貴族主体の支配体制に、有無はない……。
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ここに、推測はいらない、直感でいい。
その直感が示す……。自分も含まれる、支配者への嫌悪を鮮明にさせる。
ギルバートの死が、価値観を超えて意識させる。
だがそれは、明確な言葉では言えない。
怒りや悲しみが邪魔をする。
今、言えるのは、ギルバートを救えなかった後悔の言葉。
やるせない、無力な自分への責めの言葉。
なぜ、助けられなかったのか。どうして、自分の行動は後手なのだろうか。もっと、もっと自分が……。
そうして決意することがある。
「伝承に何かあるのだろう。アルフィードという男が何か知っているというのなら会いに行こう。自ら、動かなくてはならなかったのだ」
そうして、またギルバートと似た様な運命を辿る事になっても良いではないか。自虐的になるでもなく、春の木漏れ日にひっそりと誓う。
「ギルを容易く殺めたオルファースを、ヒルド国を、暴いてやろうじゃないか」
晴れやかな気持ちで、ようやっと目覚めた気がする。
「フフフ、まぁ、こういう生き方も、きっと悪くはないと思いますよ」
カイ・シアーズの行動はここから始まる。遅すぎるという事を痛い程自覚していたが、手遅れでは、無いはずだ。
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連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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