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第6話『王女のお仕事』

(037)【1】まどろみの心地よさ (2)

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(2)
 ユリシスが、元気よくとは言い難いながら、オルファース魔術機関を訪れていたのは、大火から完全復旧した十四日後。予備校の授業日があったからだ。
 昼を一緒に過ごして、それぞれが行くべき場所へ散った後──。
 ユリシス、イワン、ヒルカがあくびを噛み殺しながら授業を受け、ネオ、シャリーが研究会に出ていた時間……。
 ──その男はとても、とてもイライラしていた。
 普段から愛想の悪い顔は、いつにも増して険しい。
 眉間にも縦皺がくっきりと浮いている。眦の朱色の刺青もいつもよりつり上がって見える程だ。
 テーブルに置いた指で、カチカチカチカチカチカチカチカチ、リズムもなく打っている。
 時刻は午後三時、丁度その定食屋がガラガラに空いてくる時間帯。約束の時間は二時だったはずである。なのに、待ち人は一時間経っても現われない。
 角テーブルと丸テーブルがごちゃまぜの百席近くある定食屋で、アルフィードはギルバートと待ち合わせていた。
 下町の、沢山ある定食屋の一軒で、アルフィードは果実茶一杯で粘り続けていた。アルフィードは約束の時間五分前に来ていた。まさかこれ程待たされるとは思ってもいなかったのだ。腹も立つので、その後、追加注文する事も無く待ち続けている。店の人間が嫌がろうが気にするコトでもない。問題は、ギルバートがなかなか来ない事なのだから。
 入り口から覗く外の景色は、春の穏やかな日差し。風も柔らかい。暑すぎず、寒くも無く、湿気も落ち着いていて、非常に過ごしやすい季節。なのに、アルフィードのイライラはとどまる事を知らない。それから五分もした頃に、ギルバートは颯爽と現れたのだ。
 赤いクセのある髪をした三十七歳の男。第一級魔術師にしてオルファース魔術機関の幹部である。その顔には、人懐っこい笑顔がいつもある。その笑顔のまま、アルフィードの居るテーブルにやって来ると、簡単に詫びて、おごるから何か頼めと言う。
 師匠のギルバーが何か言う度、アルフィードは「遅い!」やら「約束の時間は守れ!」と、怒りを滲ませ言葉を叩きつけていた。
 会話になりもしない、アルフィードの様子に辟易して言ったギルバートの言葉といえば「腹が減ってるからカリカリするんだ、何か食え、な?」……アルフィードは、怒りを通り越して今度は口をきく気も失ったという……。

 食事を一通り終えて、食後の紅茶を飲み始めた頃、ギルバートになだめすかされ、アルフィードの機嫌もなおったらしい。
 聞けば、ここ数日、元々機嫌は悪かったとか。表情は険しいままだが、口をきく気にはなったようだ。
「ギル、俺、そんな悪いコトしてるか?」
「してんだろ~? イロイロ。口じゃ言えない事とか」
「そうじゃなくてよー、人として……」
 言いかけて、アルフィードはもごもごと口を閉ざした。
「はぃ~~!? お前の口から『人として』~?」
 思わず身を乗り出すギルバートに、アルフィードは舌打ちしてつまらなそうに答える。
「……法律なんてクソ喰らえって意味だよ」
「で、結局何が言いたいんだ?」
 珍しく「悪いコトしてるか?」としおらしく聞いてくる弟子は、何か思う所があるらしい。
 オルファースで待ち合わせなかった事、人目の多い昼飯の時間を避けた定食屋、その定食屋の隅の席──。
「十四日前の火事……あの後俺、自宅まで帰る気がなくてな、オルファースでくたばってただろ」
「そうらしいな。俺はウチに帰ったが。しかしお前、五日で動き回れるって、一体どういう体力してんだよ。俺だって七日かかったってぇのに」
 呆れながらも褒めるギルバートの顔は、笑みに緩んでいる。ギルバートへ「ん?」と応え、アルフィードもニンマリと笑う。
「自分の限界値を知ってりゃ、加減位はできるモンなんだよ」
 自信に満ちたアルフィードに、ギルバートは「知っててもそう簡単に出来るモンじゃねーだろーがよ」と、口にはしないで笑顔を見せた。自分の弟子とは思えない程に優秀だと、どちらも照れて気まずい空気が流れる事がわかっているから、これも口になど出来ないが、心底思った。
「火事から五日目、自宅に帰って……──全く、やってらんねーよ」
 言いかけて吐き捨てるアルフィードに、ギルバートもピンとくる。
「ああ……、そういや聞いたよ。その話は。焼かれてたんだろ? お前ん家。周りの家には全く被害がねぇし、その辺の住民に聞いたら一瞬で燃え尽きたっていうから──」
「魔術。魔術でやられたんだよ。しかも、一瞬だぜ? そんなちっせえ家じゃなかったにしもて、一瞬。五級以上は確実だ。で、焼かれたのは、その森の火事の真っ最中だった、てよ」
「真っ最中? その時、都に居た五級以上の連中は、総動員で消火に走ってたハズだぞ」
「意識がある魔術師なら、一人を除いて、な」
 眉をしかめるギルバートに、アルフィードははっきりと言う。
「──森を焼いた張本人さ」
 森の大火事から五日後、アルフィードはグラグラする頭を抱え、自宅へ戻った。そんなに家を空けておくわけにはいかない。次の仕事があるからだ。嫌味と皮肉が皮を被って生きているようなアルフィードだが、その矛先にもっとも晒されているのは自分自身である。己を己の法で律する。己の望まぬ生き方なら、鼻で笑う。
 例え違法の仕事でも、請けたからにはこなす。期日は守る。約束は全て、実行する。彼のポリシーである。
 気合で起き上がった日だが、仕事の打ち合わせがあった。場所はアルフィードの自宅の一つ。下町の裏路地の奥に、掘っ立て小屋がある。この町では珍しい、木造である。部屋は全部で五つ、一人暮らしには広いが、アルフィードは読みきった本や資料を、この家に捨て置くように、一応保管していた。いかにも、燃えやすい家。
 オルファースにあるアルフィードの部屋から自宅に辿りついた時、目にしたものは──立ち尽くす依頼人と、家があった土地。
 ごっそり、そこにあったはずの家がなくなり、地面が黒く焦げていたのだ。
 依頼人に声をかける事も出来ずにいたアルフィードに、お隣のオバちゃんが色々と教えてくれたのだ。大火事の時に燃えた事。アルフィードの家だけが、一瞬で燃え尽きた事。
 アルフィードは裏で、悪さをする。そういう、国の法律などどうでも良いと言い切ってしまえる魔術師である。そんな彼の家は、これだけではない。いつ国を追われても大丈夫なように──そんなヘマをしない自信はたっぷりとあるが──、隠れ家をいくつか持っている。だが、表向き、アルフィードの家はここになっている。本拠地を奪われるというのは、相当な痛手だ。
 ──アルフィードはその日から、依頼人達に違約金を払う事になってしまったが、全ての仕事をキャンセルした。大半の仕事は、古代ルーン魔術の使い手を捜すと決意した時に解約を済ませていたが、「どうしても」というものや、法外に「お得」な仕事は残しておいたのだ。しかし、それらも全て切った。
 家が大事なのではない。そこに置いていた本や資料が大事なのでもない。
 逃げられて、焼かれて……!
 ──ゴスンっと、低い音をさせ、木製のテーブルを穴を開けかねない力でアルフィードは叩いた。
「あの阿呆姉弟は、絶対に、俺が息の根止める」
 ギルバートの目をじっと見て、アルフィードは宣言した。
 穏やかでない一言が、のどかな定食屋でささやかれた。ギルバートは冷や汗を垂らしながら、強引に笑みを作ると、肩をすくめた。
「それはわかったから、あんま睨むなよ。お前、人相悪いんだから」
「姫さんをさらいたいって言い出したのは許してやろう、そういう事、言ってる輩は多いんだ」
 ギルバートの言い分を聞く気はないらしい。
「報酬だってヤツ等はきちんと払った。結局、姫さんを逃がしちまって腹を立てたのもわかるし、苛立ちまぎれに俺につっかかってきた事も大目に見てやろう。蟻に噛まれた位のモンさ。森を焼いたのだって、別に俺には大して損にはなってねーし、古代ルーン魔術も見れた、手がかりだって見た、許してやろーじゃねーか。なぁ?」
 なぁって言われても……と、先ほどの「睨むな」という言葉も無視されてしまったギルバートは、曖昧にコクンとうなずくだけである。もはや勢いに任せ、アルフィードが落ち着くのを待つしかない。ただし、ギルバートは無能ではないから、頭の中にリストするものがある。
 ──アルフィードは古代ルーン魔術の使い手の、手がかりを見た?
「だが、家を焼きやがったのは許せん。俺を、コケにしやがって……!」
 どうにも、負けが込んでいるアルフィードの苛立ちは、頂点に近いらしい。その事を言えばきっと「負けぇ? 確かに俺は古代ルーンの使い手には負けた、それは認めるが、あの馬鹿姉弟に負けた覚えはコレっぽちもねぇぞ! ふざけんな!?」と、唾を吐きかけられそうで、ギルバートはただただ、うんうんと肯く事にしたのだった。
 言葉の途切れたタイミングに、ギルバートは「あー……」と割り込む。
「ともかくな? オルファースの調査でわかった事は、森が魔術の火で焼かれたって事と、ネオの証言で、お前と言い争ってた奴らがその魔術を使ったって事なんだ」
「ネオ?」
「ほれ、火事発生直後、お前が一緒に居たガキだよ」
「あ~、アイツ。アイツ、ネオ? ネオってあれだよな、こないだ言ってた総監の孫」
「ああ。で、な? 結局、その孫、ネオは、火つけたヤツの顔をあんまりよく見れなかったんだと。それで正体はわからない。けど、アルフィード様ならもしかしてわかるんじゃないでしょーかぁ? ってなもんよ」
「あぁ? それでか!? 俺に火付けたヤツを探して連れて来いって依頼が、オルファースから強制的に来たのは!?」
 アルフィードのイライラの最後の一つ、それがオルファースからの依頼である。火をつけた間抜け姉弟の始末はつけるつもりでいたから、元から探し出す気でいたが、オルファースの押し付けがましい依頼に腹を立てた。「言われなくても追うっての!」と、いう事であるが、依頼という形になってしまうと、息の根止めるのにも事故を装わねばならないので、大変面倒なのだ。
 カチッン、カチッン来る事が多すぎて、アルフィードは不機嫌を顕にしているのだ。
「あのなー、元々、姫をさらう依頼を受けちまったお前が原因だろうが、素直にやれよ」
「……クソ……」
「それでな 、俺も一緒に行動するから、覚えとけよ」
「はぃー!? ただでさえオルファースの依頼で拘束されんのに、何でアンタと一緒にいなきゃなんねーのよ!?」
 どうにも、何に対しても腹が立つといった心理的状況のようであるが、ギルバートは一向に構わずサラリと言葉を続ける。
「──当然だが、お前も疑われてるからな」
 ギルバートにしては珍しく、真剣な顔をしている。アルフィードは苛立ちもどこへやら、きょとんと、間の抜けた声を出してしまう。
「は?」
「まず、お前がオルファースから出かけた直後、火事は発生している。オルファースを出てから、火事発生まで……お前がオルファースから出て、その後、公園の中に居たという目撃情報も来ている。時間がピッタリしすぎているんだよな、公園に姿を見せた時間が。実際、放火の瞬間にお前は立ち会ったんだろ? で、お前は第一級魔術師、あんな火なんて作り出すのはちょろいって思われてるわけだ。──わかりやすい理由はこの辺だけどな、他にも、くだらない理由があるんだよ」
 ギルバートは一呼吸置いて、苦い笑みを漏らして言葉を繋げる。
「──お前、頭いいんだから、わかるだろう? お前を嫌っている上級貴族出の魔術師は多い。これを機にお前から魔術師の力を剥奪したいと思っている奴らが居るって事さ」
「……」
「魔術を暴走させて、あんな事にまでなった。死傷者がなくて済んだから、死罪は免れるだろう。が、魔術師としての資格、及び、魔術の力の剥奪、これは抗えない……──お前、ネオってガキに感謝しろよ?」
「なんで」
「貴族出身魔術師達はこぞって、ネオにこの任務を与えたがった。ネオは優秀だから、確かにこれをこなすだろう。そうなればその功績は大きく称えられ、お前の言う犯人──姉弟魔術師は平民出だ、なぁ?」
 ギルバートは顔が広い、アルフィードが吐き捨てるように言った「阿呆姉弟」の言葉から、消火時居なかった魔術師に見当を付け、その出自を言い当てている。そもそも、庶民出身の魔術師で上級に上がっても、貴族魔術師の排斥行為で仕事が回って来ず、都に残る場合、汚い裏稼業に手を染める者は後を絶たず、少なくない。“家”に縛られた貴族が、姫誘拐なんて手を出すはずもない。
「……また、庶出の魔術師の肩身が狭くなる。その上、やっぱりネオ様は、貴族出身者は、素晴らしいのネ~ってなコトになるんだよ」
 また一呼吸置く。赤い髪をくしゃりと握るように掻いて、ギルバートは皮肉気な、険しい顔をした。
「──……この程度ならまだ良いが、姉弟魔術師をオルファースがこっそりと始末した後、お前が、アルフィードが真犯人でしたってオルファースに宣言されりゃ、お前、一体どうやって抵抗するっていうんだ? お前もオルファースを嫌ってんだろうけど、オルファースの貴族どもだって気ままな農民出のお前を嫌ってるんだぞ」
「……最初っから、『俺が』犯人を挙げるしかないってワケだな」
「ネオってガキは……──言ったろ? 優秀なんだ。犯人の顔を、見ていたハズだ。ちゃんとな。だが、わからないから、と言ったんだ」
「……クソ、いらん借り、作っちまった、て事かよ」
 アルフィードは下唇を舐めた。
「いらんって事ないだろー!? お前、それで救われるチャンス出来たんだぞ!」
 眉間に皺を寄せるギルバートに対し、アルフィードはガタンと椅子を鳴らして立ち上がると怒鳴る。
「うーるせーよ、メーワクなんだよ! ──クソクソクソっ! 最近の俺は何なんだよ!? えぇ! なぁ!」

 その時、客のアルフィード達が気に留めることのない、裏の勝手口から一人。

──「ただいま~」
 他に客もいない為か、隠さなきゃならない事でもないからか、いつしか大声になっていたギルバートとアルフィード。
「星のめぐりが悪いんだろ? そういう時だってあるさ」
 なだめるような声。
 裏の勝手口から厨房まで、それらの声は聞こえていた。
──「おや、お帰り。まだよくないんだから、もっと早く帰っておいでよ」
 一方、厨房の声は男達には聞こえなかった。
「俺は、運だの占いだのは全っ然、信じてないんだよ!」
 大声を出してしまった事を多少恥じている、言い訳がましい口調である。
──「……何? あの席のお客さん達、ケンカ?」
「お前、それで本当に魔術師か!?」
 冗談にしてしまおうと、苦笑まじりの声。
──「さてね~」
 厨房で首をかしげる女将は、帰ってきたばかりの少女に曖昧な返事をした。
「何言ってやがる、運だの、奇跡だの、そんなモンは自分の力で引っ張ってくるモン、起こすモンなんだ!」
 気遣いを察しながらも、己を主張する事を忘れない。しかし、先ほどの気色ばんだ様子はない。
──「……魔術師? あの二人、魔術師なのかな……」
「お前って、何ちゅーか、ああ言えばこう言う……意外とガキだよな、アルフィード」
 どこか、優しい声音。
──「……ア……ル……?」
「うるせーって!」
 言葉が悪いのは照れているからか。
──「さあさ、体も本調子じゃないんだ。さっさと上へお上がり、ユリシス!」
 激しい勢いで客席を振り返ったかと思うと、呆然と動かなくなったユリシスの背中を、女将メルは階段へ押した。
 とある休日、沢山ある下町の定食屋の内の一軒、『きのこ亭』での出来事──。
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