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第6話『王女のお仕事』
(043)【2】目覚ましショック(3)
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(3)
翌日、ユリシスは日の出とともに起きていた。
今日から『きのこ亭』での仕事に復帰する。目が覚めた瞬間から体の隅々がきりりとする。
昨晩の天気の悪さもどこへいったものか、今朝の空には雲が微塵もない。晴天というやつだ。
──昨夜、アルフィードに声をかけようとしたユリシスは……。
例の如く、早朝のお約束として都を忍び出て森へ行こうと支度を整えながら、ユリシスは昨晩の事を思い出していた。
──あまりにも、あっけなく、終わってしまったのだが。
エプロン付けて『アルフィード』の傍へこそこそと行き、「いざ!」と気合を入れた時、相手の方が先に口を開いた。
「あ、姉ちゃん、ビール大三つ追加な」
丁度良かったとばかりに、アルフィードはこちらの顔も見ようとせずに──店員の証のエプロンが目に入ったのだろう──下を向いたままもごもごときのこの天ぷらを頬張っていた。
……注文を受けてしまった以上、ともかくそれを厨房に伝えなくてはならない。ならばそのビールを持ってくる時にこそ「何かしら話しかけてみよう!」と気合を入れなおしたが、厨房に行った途端女将と出くわした。目が合った瞬間、この計画はあっさり終わってしまったのである。
……実際のところ、ぎりぎりまで何をどう話しかけて良いのかサッパリわからなかったユリシスは、内心ではこの展開にホッとしていたりもした。
自分があの時の魔術の使い手である事を『アルフィード』本人にバレないように、魔術のアレやコレやを含め、突然「あなたはどういう人なのですか? 第何級の魔術師なんですか?」と聞くのは、ただの店員に扮した──実際に店員ではあるのだが──ぐらいで、気安く出来るものではないと考えてもいたのだから。
意気込んでいた分の落胆もあって、その沈み具合は大きかった。とはいえ、機嫌の良かった昨日のユリシスは、ただただ自分の間抜け具合に苦笑しながら、再度女将メルに階段へと背中を押され、自室へと追いやられたのである。
ビールの追加は女将に睨まれながら、ユリシスは大層小さな声で厨房へオーダーを伝えたのだった。
回想も終わった頃には支度も整い、外に出た。
今日の朝日は大気が霞むように眩しい。仄かにオレンジがかる光で真横からさしてくる朝日はユリシスのお気に入り、清々しい一日の始まりを感じられた。
しばらくは防壁超え以外には魔術を使わないよう心に決めてある。
二週間前に大火事を消した魔術の代償は、思いのほか大きかった。体調は万全と言えたが、魔力は……魔術一つ使うだけで肩で息をするよう迫られる。今の回復状態であれば、もう二、三日おとなしくしていれば大火事を消す直前までリセットできるだろうが……。裏を返せば、しばらくおとなしくしていなければ魔術をまともに使えない、という事になる。
しみじみよくわかった──そう思う事がある。
魔力は当然、際限ないものではない。使いすぎると後が続かない。魔術を使う事は命を削る行為。大げさに言ってしまえば自殺行為に等しい危険な技。『資格』というややこしいものが必要なのも、少なからず肯けた。
いつもの裏路地を、今日は魔術の支援なしで、駆け抜けた。
ふと、視界の端に影がよぎった気がして足を止めた。
辺りをもう一度見回したが、普段と変わらぬ街並みがあるだけ──静かな夜明け、早朝である。
「気のせい……かな」
独り言ちて、ユリシスは再び走り始めた。
──その影は六つ。ユリシスに一瞥をくれて、ただ一直線に王城の西に佇む大教会へ、風が吹き抜けるかのように家々の屋根を去って行っていた。
「カーイー! おーい、いるか~??」
ギルバートは昨日、『きのこ亭』でアルフィードと飲み明かした。酔いつぶれたアルフィードをオルファース内の彼に宛がわれている研究室へ運び、その足でカイ・シアーズの執務室の扉をノックしている。
アルフィードに関して、家に運んでも良かったが、家は焼けたまま野ざらしでただ土地があるだけ、そこへ放り投げるのはさすがに出来ない。第一級魔術師としてのオルファース内の研究室に転がしてきた。アルフィードの研究室は、本人が部屋には何も置かない種類の人間である為、机と椅子、かろうじて先日ギルバートが渡した古代ルーンで記述された本があるだけ。研究に没頭して寝泊りする魔術師も多く、各研究室には毛布が必需品と言われているが、ここにはそれもない。
でかい図体でガーガー眠るアルフィードを部屋の中央まで蹴りやると、ギルバートは自分のローブを脱いで毛布代わりにかけてやった。ギルバートの心遣いだ。
この第一級魔術師達の研究室は三階建ての第三別館、別称資料館の二階にある。その三階に、副総監らの執務室が並んでいる。
ギルバートは三階の自分の執務室で水を二杯飲むと、同じ階にあるカイ・シアーズの執務室を訪ねた。
──聞きたい事、話したい事が、あった。
カイ・シアーズ──カイジュアッシュ・ウォルフ・ディアミス・シアーズは、オルファース魔術機関幹部たる十名の副総監の一人。
もちろん、同僚のギルバート・グレイニーも副総監の地位に在る。
オルファースの頂点にはデリータ・バハス・スティンバーグ総監がおり、彼女が王命の下に指示を出し、十名の副総監が形にしてゆく。オルファース魔術機関の活動はこの副総監の手腕にかかってくる。オルファースが国内だけでなく世界的にもトップの魔術機関である事から、世界中の魔術師達を先導していると言っても過言ではない。
その副総監のうちの若手二名、ギルバートとカイ・シアーズは、そうでありながら──そうであるが故に、オルファースに不信の念を抱いていた。特権階級維持の為に貴族層から魔術師を大量に排出、その為に押しやられる被支配者。オルファース魔術機関は本来、身分を問わず才能ある者を掘り起こし、技能によって国を支えるものだった。統治に関与する組織ではなかったのだ。
ただでさえ大きな力を持つ魔術師と権力が合わさった時……オルファースは化け物になる。肥大するそれを間近に見、その一部を形成する二人。時の流れとともに移り変わる変化は止《とど》める事が出来ず、いつか飼い主にすら噛み付き、惨禍の元凶になるのではないかと恐れていた。
ギルバートがカイ・シアーズの執務室の扉をドンドンと叩くと、「はい! すぐ開けます!」とやや高めの声が聞こえた。
カイ・シアーズとは思えない──若すぎる、というより幼い声だ。カイ・シアーズも十分若いが、これは子供の声に近い。
カチャリと扉が開くと、出てきたのは少年。
ギルバートも見知った顔だった。声も知っていたのだからすぐに気付いても良かったのだが……。
少年はカイ・シアーズの弟子。先日第五級魔術師に昇級した、いっぱしの正魔術師の少年だ。
黒い髪に茶色の瞳をしている。清潔そうな、しかし魔術師というよりも下町の少年達と変わらぬような流行の格好をしている。外見や衣服に頓着しない──元がいいからだろうが──カイ・シアーズとは違い、お洒落さんらしい。
「よぉ、ナルディ。お前のお師匠様は居るか?」
少年──ナルディはギルバートより頭一つ分背が低い。まだ成長しきる前のちょっと小柄な十六歳の少年で、カイ・シアーズの数人居る弟子の中でも特に師を尊敬している。
ナルディは、扉から顔を挟みこんで来たギルバートの声を聞くなり、その息にウッと顔をしかめた。
「何なんですかー!? もぅ! ムチャクチャ酒臭いっ!!」
鼻をつまんでそっぽを向くナルディ。ギルバートは「そんなリアクションされると……」と呟いて、茶目っ気のある目を弓形にしてニマァと笑った。少しかがんで、こちらを向かないナルディにクハァーと息を吹きかけた。ますます顔を歪めるナルディを見て、ギルバートはすぐに声を上げて笑う。
「朝っぱらから飲まないで下さいよっ!」
怒るナルディにギルバートは嬉しそうに微笑んで、「昨夜からだ」と言う。するとナルディはあからさまにムッとしてしまった。
「酔っ払いと話は出来ません!」
ギルバートをドンと廊下へ押しやって扉をバタンと閉めてしまった。ギルバートはニヘニヘ笑ったまま「かたいなぁ」と呟いた。そもそも、自分の弟子は柔らかすぎてからかえない、逆にこちらがやり込められてしまう。からかいやすいカイ・シアーズの弟子に対しては、つい遊んでしまうのである。ナルディにはえらい迷惑な話だが。
それでも少しは反省して、声音を改めた。
「カイに用があるんだが、いないのか?」
すると扉は簡単に開く。
「薬の材料を、何とかの朝露とかいうのを、頼まれ仕事だという事で採りに行かれました」
留守役はちゃんとこなすらしく、ナルディはギルバートの顔を見上げた。
「……ああ、今、カイの弟子には見習いがいないのか」
第五級以上は正魔術師、第六級以下は見習い魔術師。
正魔術師は師から一人立ちして、自分で仕事を探して稼ぐ。その資格を与えられている。見習い魔術師達はそういった正魔術師の弟子になり、彼らの仕事を手伝う事で給金を得、学ぶ。
一番年若の弟子ナルディが第五級魔術師の資格を取得した時点で、カイ・シアーズがナルディに仕事を手伝わせる事は外注という形になった。まさにカイ・シアーズが本人の研究の一部、資料収集をギルバートに委託している現状と同じ事になる。ギルバートとナルディでは魔術師としての格が月とすっぽん以上に違うので、報酬の桁はいくつも異なるのだが。
第五級魔術師になったばかりではあるが、ナルディは見習い時代から能力を高く評価されており、現在、既に多くの客がついている。この日もナルディは師の部屋にある書物を読ませてもらいに来ていた。正魔術師としては新人なので、行き詰った仕事を師に相談し、ここでその調べものをしていた。留守番役も兼ねて。
「そうか……じゃあ、戻ったら俺の部屋を訪ねてくれるよう伝えてくれ。俺は寝る」
「部屋……執務室ですか。わかりました、伝えます」
クイクイっとギルバートが廊下の向こうを指差したので、オルファースから与えられた執務室だとナルディは理解した。戸を閉めかけるナルディに、ギルバートはポイッと言葉を投げる。
「ナルディ、仕事はどうだ?」
……ギルバートという男が多くの人に慕われている理由でもある、こうしたちょっとした心配りや言葉。ナルディはきゅぅっと眉根を寄せ、閉めかけていた戸をグイっと最大に開いて室内を見せた。
本が数十冊、床に散らばっている。その隙間を埋めるように床にたくさんのメモ書きや資料が散らばっている。常にキレイに片付いているカイ・シアーズの部屋とは思えない。自分の部屋のようだ、とギルバートは思った。
「とある事件の魔術的検証っていうオルファースからの依頼でレポートの作成中なんですけど……正直、僕には荷が勝ちすぎていて。先生──カイ様にこっそりと手伝っていただいてばかりなのです。お部屋もこんなに散らかしてしまって……」
しょんぼりとしている。自力でやってこなせないのが悔しいのだろう。この場合の『手伝い』は親切だけのもので依頼にはなっていないはずだ、カイ・シアーズなら絶対そうだ。
何十冊という本は、開いたまま置かれている。開いたまま積み重ねて置かれた本もたくさんある。閉じた本からは挟んである付箋が何枚も見えていた。
──こりゃ、徹夜したのか。
落ち込んでいる様子のナルディに、ギルバートはニカリと微笑いかけ、肩をばんばん叩いた。
「見習いあがったばっかでこいつはスゲェな! オルファースからの依頼とはな。がんばれよ! 魔術師として格を上げるにゃオルファースの依頼をこなすのが一番てっとりばやい。俺は副総監って肩書きだけで食ってけるから、仕事らしい仕事はしてねぇ。割と暇人だからよ、多忙なお前のお師匠様に聞けない事があったら、いつでも聞きに来ていいからよ、な? がんばれ!」
オルファースからの仕事は、信用がなければまず来ない。ましてナルディは商家出身、普通ならチャンスはなかなか巡ってこない。
オルファースから仕事が来る、その上ランクが少し高め、そうであるならレベルアップには最適だと、ギルバートは言うのである。これをこなせと、力になれるならなるからと、言うのである。
ギルバートはナルディが師を尊敬し、目標としている事を知っている。夢を持っているなら、手を貸すと言うのである。ナルディにとってこれほど心強い人、頼もしい味方、優しい言葉はない。
「はい、ありがとうございます……!」
ぱっと顔を上げ、ナルディは嬉しそうに笑った。
翌日、ユリシスは日の出とともに起きていた。
今日から『きのこ亭』での仕事に復帰する。目が覚めた瞬間から体の隅々がきりりとする。
昨晩の天気の悪さもどこへいったものか、今朝の空には雲が微塵もない。晴天というやつだ。
──昨夜、アルフィードに声をかけようとしたユリシスは……。
例の如く、早朝のお約束として都を忍び出て森へ行こうと支度を整えながら、ユリシスは昨晩の事を思い出していた。
──あまりにも、あっけなく、終わってしまったのだが。
エプロン付けて『アルフィード』の傍へこそこそと行き、「いざ!」と気合を入れた時、相手の方が先に口を開いた。
「あ、姉ちゃん、ビール大三つ追加な」
丁度良かったとばかりに、アルフィードはこちらの顔も見ようとせずに──店員の証のエプロンが目に入ったのだろう──下を向いたままもごもごときのこの天ぷらを頬張っていた。
……注文を受けてしまった以上、ともかくそれを厨房に伝えなくてはならない。ならばそのビールを持ってくる時にこそ「何かしら話しかけてみよう!」と気合を入れなおしたが、厨房に行った途端女将と出くわした。目が合った瞬間、この計画はあっさり終わってしまったのである。
……実際のところ、ぎりぎりまで何をどう話しかけて良いのかサッパリわからなかったユリシスは、内心ではこの展開にホッとしていたりもした。
自分があの時の魔術の使い手である事を『アルフィード』本人にバレないように、魔術のアレやコレやを含め、突然「あなたはどういう人なのですか? 第何級の魔術師なんですか?」と聞くのは、ただの店員に扮した──実際に店員ではあるのだが──ぐらいで、気安く出来るものではないと考えてもいたのだから。
意気込んでいた分の落胆もあって、その沈み具合は大きかった。とはいえ、機嫌の良かった昨日のユリシスは、ただただ自分の間抜け具合に苦笑しながら、再度女将メルに階段へと背中を押され、自室へと追いやられたのである。
ビールの追加は女将に睨まれながら、ユリシスは大層小さな声で厨房へオーダーを伝えたのだった。
回想も終わった頃には支度も整い、外に出た。
今日の朝日は大気が霞むように眩しい。仄かにオレンジがかる光で真横からさしてくる朝日はユリシスのお気に入り、清々しい一日の始まりを感じられた。
しばらくは防壁超え以外には魔術を使わないよう心に決めてある。
二週間前に大火事を消した魔術の代償は、思いのほか大きかった。体調は万全と言えたが、魔力は……魔術一つ使うだけで肩で息をするよう迫られる。今の回復状態であれば、もう二、三日おとなしくしていれば大火事を消す直前までリセットできるだろうが……。裏を返せば、しばらくおとなしくしていなければ魔術をまともに使えない、という事になる。
しみじみよくわかった──そう思う事がある。
魔力は当然、際限ないものではない。使いすぎると後が続かない。魔術を使う事は命を削る行為。大げさに言ってしまえば自殺行為に等しい危険な技。『資格』というややこしいものが必要なのも、少なからず肯けた。
いつもの裏路地を、今日は魔術の支援なしで、駆け抜けた。
ふと、視界の端に影がよぎった気がして足を止めた。
辺りをもう一度見回したが、普段と変わらぬ街並みがあるだけ──静かな夜明け、早朝である。
「気のせい……かな」
独り言ちて、ユリシスは再び走り始めた。
──その影は六つ。ユリシスに一瞥をくれて、ただ一直線に王城の西に佇む大教会へ、風が吹き抜けるかのように家々の屋根を去って行っていた。
「カーイー! おーい、いるか~??」
ギルバートは昨日、『きのこ亭』でアルフィードと飲み明かした。酔いつぶれたアルフィードをオルファース内の彼に宛がわれている研究室へ運び、その足でカイ・シアーズの執務室の扉をノックしている。
アルフィードに関して、家に運んでも良かったが、家は焼けたまま野ざらしでただ土地があるだけ、そこへ放り投げるのはさすがに出来ない。第一級魔術師としてのオルファース内の研究室に転がしてきた。アルフィードの研究室は、本人が部屋には何も置かない種類の人間である為、机と椅子、かろうじて先日ギルバートが渡した古代ルーンで記述された本があるだけ。研究に没頭して寝泊りする魔術師も多く、各研究室には毛布が必需品と言われているが、ここにはそれもない。
でかい図体でガーガー眠るアルフィードを部屋の中央まで蹴りやると、ギルバートは自分のローブを脱いで毛布代わりにかけてやった。ギルバートの心遣いだ。
この第一級魔術師達の研究室は三階建ての第三別館、別称資料館の二階にある。その三階に、副総監らの執務室が並んでいる。
ギルバートは三階の自分の執務室で水を二杯飲むと、同じ階にあるカイ・シアーズの執務室を訪ねた。
──聞きたい事、話したい事が、あった。
カイ・シアーズ──カイジュアッシュ・ウォルフ・ディアミス・シアーズは、オルファース魔術機関幹部たる十名の副総監の一人。
もちろん、同僚のギルバート・グレイニーも副総監の地位に在る。
オルファースの頂点にはデリータ・バハス・スティンバーグ総監がおり、彼女が王命の下に指示を出し、十名の副総監が形にしてゆく。オルファース魔術機関の活動はこの副総監の手腕にかかってくる。オルファースが国内だけでなく世界的にもトップの魔術機関である事から、世界中の魔術師達を先導していると言っても過言ではない。
その副総監のうちの若手二名、ギルバートとカイ・シアーズは、そうでありながら──そうであるが故に、オルファースに不信の念を抱いていた。特権階級維持の為に貴族層から魔術師を大量に排出、その為に押しやられる被支配者。オルファース魔術機関は本来、身分を問わず才能ある者を掘り起こし、技能によって国を支えるものだった。統治に関与する組織ではなかったのだ。
ただでさえ大きな力を持つ魔術師と権力が合わさった時……オルファースは化け物になる。肥大するそれを間近に見、その一部を形成する二人。時の流れとともに移り変わる変化は止《とど》める事が出来ず、いつか飼い主にすら噛み付き、惨禍の元凶になるのではないかと恐れていた。
ギルバートがカイ・シアーズの執務室の扉をドンドンと叩くと、「はい! すぐ開けます!」とやや高めの声が聞こえた。
カイ・シアーズとは思えない──若すぎる、というより幼い声だ。カイ・シアーズも十分若いが、これは子供の声に近い。
カチャリと扉が開くと、出てきたのは少年。
ギルバートも見知った顔だった。声も知っていたのだからすぐに気付いても良かったのだが……。
少年はカイ・シアーズの弟子。先日第五級魔術師に昇級した、いっぱしの正魔術師の少年だ。
黒い髪に茶色の瞳をしている。清潔そうな、しかし魔術師というよりも下町の少年達と変わらぬような流行の格好をしている。外見や衣服に頓着しない──元がいいからだろうが──カイ・シアーズとは違い、お洒落さんらしい。
「よぉ、ナルディ。お前のお師匠様は居るか?」
少年──ナルディはギルバートより頭一つ分背が低い。まだ成長しきる前のちょっと小柄な十六歳の少年で、カイ・シアーズの数人居る弟子の中でも特に師を尊敬している。
ナルディは、扉から顔を挟みこんで来たギルバートの声を聞くなり、その息にウッと顔をしかめた。
「何なんですかー!? もぅ! ムチャクチャ酒臭いっ!!」
鼻をつまんでそっぽを向くナルディ。ギルバートは「そんなリアクションされると……」と呟いて、茶目っ気のある目を弓形にしてニマァと笑った。少しかがんで、こちらを向かないナルディにクハァーと息を吹きかけた。ますます顔を歪めるナルディを見て、ギルバートはすぐに声を上げて笑う。
「朝っぱらから飲まないで下さいよっ!」
怒るナルディにギルバートは嬉しそうに微笑んで、「昨夜からだ」と言う。するとナルディはあからさまにムッとしてしまった。
「酔っ払いと話は出来ません!」
ギルバートをドンと廊下へ押しやって扉をバタンと閉めてしまった。ギルバートはニヘニヘ笑ったまま「かたいなぁ」と呟いた。そもそも、自分の弟子は柔らかすぎてからかえない、逆にこちらがやり込められてしまう。からかいやすいカイ・シアーズの弟子に対しては、つい遊んでしまうのである。ナルディにはえらい迷惑な話だが。
それでも少しは反省して、声音を改めた。
「カイに用があるんだが、いないのか?」
すると扉は簡単に開く。
「薬の材料を、何とかの朝露とかいうのを、頼まれ仕事だという事で採りに行かれました」
留守役はちゃんとこなすらしく、ナルディはギルバートの顔を見上げた。
「……ああ、今、カイの弟子には見習いがいないのか」
第五級以上は正魔術師、第六級以下は見習い魔術師。
正魔術師は師から一人立ちして、自分で仕事を探して稼ぐ。その資格を与えられている。見習い魔術師達はそういった正魔術師の弟子になり、彼らの仕事を手伝う事で給金を得、学ぶ。
一番年若の弟子ナルディが第五級魔術師の資格を取得した時点で、カイ・シアーズがナルディに仕事を手伝わせる事は外注という形になった。まさにカイ・シアーズが本人の研究の一部、資料収集をギルバートに委託している現状と同じ事になる。ギルバートとナルディでは魔術師としての格が月とすっぽん以上に違うので、報酬の桁はいくつも異なるのだが。
第五級魔術師になったばかりではあるが、ナルディは見習い時代から能力を高く評価されており、現在、既に多くの客がついている。この日もナルディは師の部屋にある書物を読ませてもらいに来ていた。正魔術師としては新人なので、行き詰った仕事を師に相談し、ここでその調べものをしていた。留守番役も兼ねて。
「そうか……じゃあ、戻ったら俺の部屋を訪ねてくれるよう伝えてくれ。俺は寝る」
「部屋……執務室ですか。わかりました、伝えます」
クイクイっとギルバートが廊下の向こうを指差したので、オルファースから与えられた執務室だとナルディは理解した。戸を閉めかけるナルディに、ギルバートはポイッと言葉を投げる。
「ナルディ、仕事はどうだ?」
……ギルバートという男が多くの人に慕われている理由でもある、こうしたちょっとした心配りや言葉。ナルディはきゅぅっと眉根を寄せ、閉めかけていた戸をグイっと最大に開いて室内を見せた。
本が数十冊、床に散らばっている。その隙間を埋めるように床にたくさんのメモ書きや資料が散らばっている。常にキレイに片付いているカイ・シアーズの部屋とは思えない。自分の部屋のようだ、とギルバートは思った。
「とある事件の魔術的検証っていうオルファースからの依頼でレポートの作成中なんですけど……正直、僕には荷が勝ちすぎていて。先生──カイ様にこっそりと手伝っていただいてばかりなのです。お部屋もこんなに散らかしてしまって……」
しょんぼりとしている。自力でやってこなせないのが悔しいのだろう。この場合の『手伝い』は親切だけのもので依頼にはなっていないはずだ、カイ・シアーズなら絶対そうだ。
何十冊という本は、開いたまま置かれている。開いたまま積み重ねて置かれた本もたくさんある。閉じた本からは挟んである付箋が何枚も見えていた。
──こりゃ、徹夜したのか。
落ち込んでいる様子のナルディに、ギルバートはニカリと微笑いかけ、肩をばんばん叩いた。
「見習いあがったばっかでこいつはスゲェな! オルファースからの依頼とはな。がんばれよ! 魔術師として格を上げるにゃオルファースの依頼をこなすのが一番てっとりばやい。俺は副総監って肩書きだけで食ってけるから、仕事らしい仕事はしてねぇ。割と暇人だからよ、多忙なお前のお師匠様に聞けない事があったら、いつでも聞きに来ていいからよ、な? がんばれ!」
オルファースからの仕事は、信用がなければまず来ない。ましてナルディは商家出身、普通ならチャンスはなかなか巡ってこない。
オルファースから仕事が来る、その上ランクが少し高め、そうであるならレベルアップには最適だと、ギルバートは言うのである。これをこなせと、力になれるならなるからと、言うのである。
ギルバートはナルディが師を尊敬し、目標としている事を知っている。夢を持っているなら、手を貸すと言うのである。ナルディにとってこれほど心強い人、頼もしい味方、優しい言葉はない。
「はい、ありがとうございます……!」
ぱっと顔を上げ、ナルディは嬉しそうに笑った。
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