しかばね先生の小説教室

島崎町

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第11話 しかばね先生の最初の授業

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「やあ、待ってたよ」

 聞きなれた声だ。授業でいつも聞いている、やさしくもたよりない、死にかけの声。
 そう、それは……

 開いたドアから見える。倒れたままの状態で、顔だけ不自然な角度でこっちを見ている。まるで崩れ落ちたマリオネットみたいな、

「しかばね先生……」

 ノドから声をしぼり出す。

 声に反応したように、先生が体を起こす。生きてる人間には不可能な角度で曲がった手足が、ゆっくりと床をとらえる。

 ゾッとする。まるで逆回転で起きあがる映像みたいな、不自然な起き上がり方なんだ。

「やあ」

 先生は立ち上がり、まっすぐ僕を見る。不思議なほほえみだ。でも、先生の目は真っ白。黒目がなくなって、死人のようににごってる。

「先生、死んだんじゃ……ないんですか?」
「フフフ……」先生が笑う。「まいったよ、死んじゃったよ」
「わ、笑いごとじゃないですよ。どうして死んじゃったんですか?」
「それがねえ、不思議なんだ。ちょっと油断しちゃったのかなあ?」
「油断しないでくださいよ!」

 ギリギリ生きてたしかばね先生だから、ちょっとした気のゆるみが死を招くんだ。なんか、交通安全の標語みたいだけど。

 先生は他人事みたいに笑いながら、部室の奥にあるイスに座る。

 机の反対側にはもう一脚あるけど、そこに座ると先生と真向かいになってしまうので、座りにくいなあ。僕はまだ、先生のことを怖いと思ってる。

 だからサッカ部のなかには入ったけど、先生と距離をとって立つことにする。

「先生、本当に死んじゃったんですか?」
「うん、そうみたいなんだ」
「だ、大丈夫なんですか?」
「死んでるんだから、大丈夫ってことはないけど、まあ、いまのところ不便はないよ。生きてるときと変わりないかな」
「たしかに、そうですね……」

 しかばね先生はあまりに死にかけだったので、死んだところで、ほとんど違いはない。不思議な状態だ。

 フフフ……。先生は少し乾いた笑いを見せる。

「ところで白滝君、きみを待ってたんだよ」
「僕を? どうして……」

 先生がグッと、机に乗りだす。白い目が、にぶく光る。

「きみ、ぼくの原稿持ってったね」
「あっ! すみません!」

 先生、わかってたんだ。

「あの原稿、どうしたの?」
「あ、あのですね、先生の持ってたチラシを拾ったんで、それに応募しました」
「本当? どうだった?」
「大賞とりました」
「やっぱり! いやあ自信作だったんだ。で?」
「え?」
「で?」
「なんですか? 『で?』って」
「で、どうなったの? 出版はいつごろ? 直しもしないとね!」
「先生、ごめんなさい。出版者の人が言うには、生命力がないから出版できないって……」

 先生は動かず、表情を変えず、じっと僕を見る。

「あ、あのですね、地獄の亡者が読むから生命力のある小説じゃないとダメだって……これは編集者が言ったんですよ、僕じゃなく!」
「そう……」

 先生は顔色を変えず……いや、死んでるから白くはなってるんだけど、とにかくだまって僕の話を聞いている。

「ただ、先生の小説は面白かったみたいですよ。だって大賞とったんですよ、『詩学三十六景』でしたっけ、すごいですよね!」
「うん、すごいんだ……」

 そう言って先生は、イスに深く体をしずめる。

「大丈夫ですか?」
「死んだのに、まだこうしてるってことは、僕には未練があるのかなあ。本を出したいっていう」
「落ちこまないでください、先生の小説は認められたんですよ。出版されなくても、いいものはいいんですよ」
「そう思う?」
「はい」
「じゃあ、納得なっとくしたから成仏しようかな」
「ま、待ってください!」
「止めないでよ。ふつう止める?」
「いま成仏されると困るんです!」
「なんで?」
「僕には先生が必要なんです。お願いです、僕に小説の書き方を教えてください!」

 言ってしまった。先生はイスにうずくまってる。黒髪がかかり、表情はわからない。
 でも髪のすきまから、白い目が輝やいてる。先生は死んでから、あやしい魅力が増してるみたいだ。

「いいよ」

 顔をあげ、先生がほほえむ。

「ありがとうございます!」
「その代わり、授業料はもらうからね~」
「授業料とるんですか!」
「だって僕は教師だよ、教えるんだから当然だよね」
「でもここは学校ですよ、義務教育なんだからタダですよ!」
「高校だから義務教育じゃないね」
「あ、そうでした!」

 僕たちは笑いあう。よかった、やっぱりしかばね先生はいい先生だ。

「じゃあ、いくらくらい払えばいいですか?」
「フフフ……もらうのはお金じゃないよ」
「なんですか?」
「ナイショ」
「ないしょですか!」

 僕たちはふたたび笑いあう。でも本当に、授業料はなにで払うんだろう……?

「そもそも、どうして小説を書きたくなったの?」

 ひととおり笑ったところで、先生が聞いてくる。

「それなんですけど……」

 そうだ、まだあのことを説明してなかったんだよ。

「先生の小説を応募して、大賞の知らせがきたんですよ。それで、ヘル出版まで行ったんですが」
「行ったんだ……」
「まずかったですか?」
「殺されにいくようなものだからね」
「やっぱり!」
「よく生きて帰ってこられたね」
「はい、その代わり、小説を書かないと殺すって脅されて」
「なるほど。あと何日?」
「3日です」
「いまどのくらい書けてるんだろう」
「0文字です」
「それはあきらめた方がいいね」
「そんな! 殺されますよ!」
「しかたないよ」
「先生、冷たいじゃないですか!」
「もう死んでるからね」
「そういうことじゃなく!」
「彼らは殺すって言ったら殺すから」
「そんなあ……」

 僕は愕然がくぜんと肩を落とす。

「まあでも……ペンと原稿用紙もらった?」
「ヘル出版のですか? もらいました」
「まだ可能性はあるか」
「ホントですか!」
「あきらめたらそこで終わりだからね、やるだけやろうか」
「はい! お願いします!」

 勇気づけられる。さすが先生だ。

「きみ、全然書けてないんでしょ」
「はい……」
「じゃあ基礎からだ。因果いんが関係って知ってる?」
「んー、どうでしょう」
「どうでしょうってことはないだろ、知らないんだね」
「はい……」
「因果ってのは原因と結果のことだよ。なにかがあって、その結果、別のなにかが生まれる。すべての物語は因果関係でできてるんだ」
「ど、どうやったら因果関係を書くことができますか?」
「むずしいことはないよ。僕たちは因果関係の連鎖のなかにあるんだ。たとえばきみはどうしてここに来たの?」
「えーと、先生の小説があったら、それをもらって書き直そうと思って」
「え? そうだったの?」
「あ、でもいまは先生に小説を教われるから、自分の小説を書く気満々まんまんですから!」
「それが因果関係だよ。『先生の小説を探そうと思った』、これが原因だ。で、その結果、『サッカ部に来た』」
「『先生の小説を探そうと思った、だからサッカ部に来た』……たしかに因果関係ですね!」
「それに、さっききみが言った、『先生に小説を教われるから、自分の小説を書く気満々』。これも原因と結果だ」
「なるほどー」

 さすが先生、サクサク教えてくれる。

「それとね、原因と結果がワンセットで終わるわけじゃないんだ。たとえば、サッカ部に来た→先生に教わる→書こうとする→でも書けなかった→だから編集に殺される」
「ひどい! 僕、死んでるじゃないですか!」
「たとえばだよ。いま、因果が連鎖してたのがわかるかな? サッカ部に来て→先生に教わる、だと『先生に教わる』は結果だ。でもそれは、つぎの『書こうとする』の原因になってるんだ」
「おおー」
「さっきは結果だったのに、それが原因になって、つぎの結果を生みだしてるんだ。これがずっとつづいていけば?」
「物語になる!」

 先生はうれしそうにほほえむ。

「すごいじゃないですか先生! こうやって小説は書くんですね!」
「あたりまえのことだから、ふだんは意識しないで書くんだけど、まあ、書けないときは、どうやって因果をつなげていくかを考えてみるといいよ」

 さすがしかばね先生。スラスラと教えてくれた。

「ありがとうございます、因果関係を使って、小説書いてみます!」

 立ちあがると、サッカ部は暗くなってる。天井近くの窓からは、夕陽の明かりがなくなって、夜気がしずかに入りこんでいる。

 いつのまにか時間がたっていた。下校の時間はとっくに終わってる。

「気をつけてね」

 暗闇のなかで先生が言う。

「え? なににですか?」
「形式的な言葉だよ。気をつけて帰ってねっていう」
「先生が言うと怖く聞こえますから」
「そうかい、ヒヒヒ……」
「へんな笑い方やめてください!」

 僕はあとずさり、ドアの方へ近づく。暗い部室のなかで、先生の目だけがぼんやり光ってる。

「書けなかったら、また来てね」
「は、はい。先生も、ひとりだとさびしいですよね……」

 ドアに手があたる。

「大丈夫、部員がいるから」
「でもサッカ部って、ひとりもいないんじゃ……」

 うしろ向きのまま、ドアノブを探す。手がなんどもからぶる。

「いるんだよ」
「だ、だれがですか?」
「幽霊部員」
「いないってことじゃないですか!」
「きみも入ればいいよ、サッカ部」
「か、考えときます!」

 ドアノブがあった。すぐにまわす。

「さようなら先生!」

 ドアを開けて飛び出すと、

「さようなら」

 少しさびしげな声が聞こえた。
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