天狗の盃

大林 朔也

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河童 5

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「答えろ、昌景。  
 お前の考えを、俺に言え。
 それに俺と話がしたいなら顔を上げろ。お前は誰と話をしている?」

 紅天狗に強い口調で言われても、僕は顔を上げずにいた。
 しょぼくれて曲がっている背中のまま何も答えないでいた。答えられるはずもない。そもそも男の前から逃げ出したい。

 すると紅天狗は物凄い力で僕の頭を掴んだ。男の指がメリメリと僕の頭に食い込んでいき、そのまま乱暴に引っ張りあげた。
「いた…」
 僕は思わず声に出したが、男の険しい表情を見ると歯がガタガタと鳴った。掴まれている頭の痛みを感じなくなるほどに、その爛々と燃えるような銀色の瞳は恐ろしかった。


「昌景という男を、知りたかったからだ」
 紅天狗は低い声で答えた。
 
 冷たい風が僕の体に吹きつけた。

「あっ…あの…」
 体を斬り裂かれるような冷たさから逃れようとして、僕は言葉を探した。
 目をキョロキョロさせながらモゴモゴ言い始めると、紅天狗は僕の頭をクシャクシャと撫で回した。
 その手は大きくて「自分を貶めるようなことは言うな」という熱を感じた。
 僕がコクリと頷くと、男は少年に向けるような微笑みを浮かべてから手を離した。

「昌景、俺はお前という人間を確かめねばならなかった。
 河童の領域は比較的安全だから、ここを選んで置き去りにした。
 俺がいないところでお前がどのように振る舞うのかを知ることが、昌景という人間を知る1番てっとり早い方法だと思ったからだ。
 俺がいたら、お前はお前ではなくなる。
 それに妖怪とは如何なる者かを、痛感して欲しかった。妖怪を知るということが、自身の身を守ることになる。
 俺が側にいれば、妖怪は俺を恐れて寄ってこない。
 となれば、意味がない。危険な領域に行くまでに、お前は何も学べない。だから、俺はお前を1人にして離れた。
 異常者…つまり尋常ではない異常なる力或いは考えをもつ者達は、お前が泣こうが喚こうが嫌がろうが、己の主義主張を押し通す。
 お前は自らを守る為に、それに対抗できるだけの力を備えていて、襲ってきても抗える力を持つ者だと奴等に示さねばならない。
 お前が自身を守ってこそ、俺も本来の力を出せる。
 それでも押し通す気なら、俺が、どういう事になるかを奴等に思い知らせてやる。
 そうだな…もしお前が結界から出なければ、河童は別の方法を使っていただろう。別の方法をな。ならば、俺は奴等を殺していた」
 と、紅天狗は言った。

「ごめんなさい。
 困ってる…河童が可哀想で…放っておけなくて…」
 と、僕は言った。

「そうして生命を失うのはお前だ。
 一つ一つの決断が、道を変える。取り返しのつかない道にも歩ませることもある。
 昌景はとにかく優しい。
 だが、その優しさにつけこむ輩がいるんだ。
 奴等の口上は何処か可笑しかっただろう?
 それにお前を騙そうと思い、薄汚い笑みを浮かべていたはずだ。
 優しさでは守れないものもあるんだ。
 お前も心が警鐘を鳴らすのを聞いたはずだ。俺が渡した面も危険を知らせただろう?きつく締まったはずだ。
 お前は、お前の心に従え。
 お前は自らの行動の全てに責任を持たねばならない。
 その行動を決定したのは自分なのだから、責任を誰かに押しつけるな。
 危機感を感じていた。嫌だった。ちがうか?
 お前の心と体は誰のものだ?」
 紅天狗は険しい顔をした。

「ダメだな…僕は…」
 僕は深くため息をついた。

 すると、紅天狗は右手で赤い髪をクシャクシャとした。

「俺は、昌景に死んでもらいたくないだけだ。
 自分がダメだなんて思わせる為じゃない。そんな風にとるな。
 ちょっとキツく言い過ぎたな。
 ごめんな。
 けどな俺がここまで言ったのは、昌景ならやってくれると信じているからだ。無理な奴には言わないさ。俺も疲れるだけだから。
 選ばれし者を置き去りしてヤッた方が簡単だ。俺の黒くなりつつある部分はそれを望んでいるのかもしれない。それが、あのザマだ」
 紅天狗は苦い顔をしながらそう言うと、夕暮れの空を仰ぎ見た。赤い空を見慣れない大きな鳥が何羽か飛び交い、遠い彼方へと消えていった。

「異界に来たのは初めてなんだ。
 思う通りにいかなくて、当然だよな。
 向こうの世界にいるのと変わらずに出来るはずないよな。
 早く帰ろう。
 体が冷たいだろう?あつい風呂にでも入れ」
 紅天狗はそう言ってから笑ったが、僕は笑えなかった。

「ごめん。
 もっと僕が…ちゃんとしてたら…。
 ダメだな…僕は…何も出来なかった」
 僕はもじもじしながらダメだダメだと繰り返した。

(紅天狗は僕の事を誤解している。
 僕はきっと何処に行っても変わらないだろう)

「本当にそう思ってるのか?」
 紅天狗は笑うの止めて、窘めるような口調で言った。

「うん」

「少し長くいすぎたか…異界の空気に触れすぎたかな?
 それとも水でも飲みすぎたか?
 まー、どっちにしろだ。昌景。
 どうして、そんなに自分を責め立てる? 
 どうして、そこまで自分自身を痛めつける?」
 紅天狗は苛立ちを含んだ声で言った。
 
「分からない…そう思うからだとしか…言えない」
 僕はつっかえながら言った。

 重たくて暗い日々が脳裏にチラついて、ソレから逃げるように視線を下に向けると、自分の手が震えているのに気がついた。

 何かに失敗してしまうたびに思考が勝手に反応してしまう。
 大人の男になった今でも…心がどうしてもあの頃に戻ってしまう。
「常識的」に考えて「時間が経過した」し「大人の男」ならば乗り越えていて「当然」だと多くの者は言うだろう。
 けれど、ソレは違う。
 常識とはソレを経験したことのない者にとっての常識であり、ソレの恐怖を知らない者の残酷な言葉の刃でしかない。したり顔をしながら常識という刃を振り翳し、簡単に誰かの心を斬り刻んでいく。
 常識なんてものは見る景色が変われば一変する。
 人間の世界の常識が異界では通用しないように。
 そう…僕の領域は「常識」ではかれぬほど損傷されていた。損傷された領域は無防備だ。防波堤を築いても地盤が緩んでいるから全く役に立たずに、すぐに崩れていく。
 僕に酷いことを言った者が、どれほど狂っていて本当にクソだと分かっていても、僕は何かに失敗するたびに必要以上に落ち込んでしまう。
 僕の心は、僕自身ですらどうしようも出来ないほどに「複雑」だった。
 何かの拍子に迫ってくる黒い手は、僕みたいなダメな人間が新しい場所で自由に生きる事を許さないとでもいうかのように嘲笑いながら迫ってきて、囚えようとしてくるのだ。
 お前はダメだダメだと…存在そのものを否定する。

 しかし僕の目の前の男が大きな声で「違う!」と叫ぶと、僕の襟首を掴もうとする黒い手は恐れをなして逃げていった。

「お前はやれる!お前なら出来る!
 勘違いすんな!俺は一言もダメだと言ってない!」
 紅天狗はまるで自分の事のように怒り出した。

「お前にして欲しい事を、お前なら出来るだろう事を、その身を持って教え込んだだけだ。
 昌景なら出来るさ。
 何も出来なかったと思ってんのなら、俺がソレを否定してやる。
 お前はこの訳の分からん地に天狗に連れて来られて置き去りにされたのに、出来た事が2つもある。
 最後にはやりたくないと言い、生きたいと願い笛を握れたことだ。
 これは立派な主張だ。
 だからこそ俺は昌景という「人間」を助けた。
 凄いことだ。その事はちゃんと分かってると思ったから、俺はわざわざ口にはしなかった。
 なぁ…昌景…お前は少しばかり真面目すぎるな。もっと楽に生きろ。
 2度と同じ事を繰り返さない為には、自分の行動を省みるのは大切な事だ。
 だがな自分が出来た事にも、ちゃんと目を向けてやれ。そして最後には自分を褒めてやれ。自信に繋がるぞ。
 ほら、猫背になってんぞ」
 紅天狗は優しい瞳でそう言うと、僕の腹を左手でコツンと叩いた。その手は何かを持っていて、僕の腹に突き刺さった。

「いた…」

「あ?すまんすまん。
 コレ持ってたの、忘れてたわ」
 紅天狗は胡瓜のようなものを左手に2本持っていた。

「それ…胡瓜?」 
 と、僕は聞いた。

「あ?胡瓜?
 あー、似てるけど違うな。
 俺はコレを探しに行ってたんだ。河童が育てている美味い果実なんだ。
 秋の収穫の頃だから、そろそろ出来るかなと思ってたんだよ。
 あっ、砂金をおいてきたから盗んだんじゃねぇよ」
 紅天狗はそのうちの1本を僕の鼻先に突き出した。
 たしかに良い香りが漂ってきた。南国のフルーツのような独特の香りだったが、見た目はどうみても胡瓜だった。
 その香りを嗅いでいると、河童に押さえつけられた背中の痛みが引いていった。

 だが最後に残ったある感情までは、どうしても鎮まらなかった。自分の愚かさをひどく悔やみ、自分の意志のなさを責めずにはいられなかった。
 紅天狗に言われた言葉も、僕の心に虚しく響くだけだった。
 強すぎる男から言われた言葉は、ちっぽけな僕には遠く響いていた。

 そう…僕の目に映る紅天狗はあまりにも大きかった。
 男の僕から見ても惚れ惚れするような肉体と強い言葉…畏怖される存在…。
 こんな男の隣で僕はやっていけるのだろうかと思うと、体の力が抜けて立っていられなくなった。もっと相応しい男が側にいる方がいい…なんで僕はノコノコ来たのだろう…光が強すぎて目が眩み、それすらも思い出せなくなった。


「おい、昌景。
 大丈夫か?立てるか?」
 紅天狗は地面に崩れ落ちようとする僕を抱き止め、力強い腕で優しく支えてくれた。
 でも、僕は立ち上がることが出来なかった。全てを諦めた男のようにグッタリとし、両足に力を入れることが出来なかった。
 
 すると紅天狗はもう何も言わずに僕の体を軽く抱き上げて小脇に抱え、全く重そうな素振りも見せずに歩き出した。
 それが逆に悲しかった。
 紅天狗の無言の気遣いが、ひしひしと伝わってきた。

(足を引っ張ってばかりだ。
 僕よりも兄の方が良かったのではないのだろうか?
 こんな風に男を担ぎ上げずにすんだだろうに。
 兄は紅天狗と似ている。異界に向かう道で見た紅天狗の背中に兄を見るほどなのだから…兄ならば紅天狗の力になれるだろう。
 僕とは違い…ちゃんとした力に…なれる。
 キッパリと断り、毅然とした態度で立ち向かっただろう。
 兄ならば…そうだな…)

 僕の心に、再び両親の言葉が強く響き渡った。
 夕暮れの冷たい風が、容赦なく僕の体に吹き付けてきた。
 地面を見ていると「昌景は、ダメだ」という両親の言葉が真実のような気がしてきた。
 川にさしかかると、黄金に輝く川に逞しい男の片腕で運ばれているちっぽけな男の姿が映った。逞しい男に抱えられているその姿は…荷物のようで…ひどく無様に見えた。
 僕は虚しくなって、自分の姿から目を逸らした。

 場所が変わったところで何も変わらない…だって僕は何処に行っても「僕」なのだから。

 僕は…両親の言うように…ダメな男…なのだから…。


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