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鎌鼬 3
しおりを挟む「ちがう!鎌鼬だ!そんな言葉は使うな!
お前と同じ鎌鼬だ!
お前は禁を犯したんだぞ!」
僕は迫り来る暗闇から逃れようとして大きな声を上げていた。
「ほぅ…禁のことは知っとるのか。
そんな格好をしていながら威勢だけはいいんだな。なんの力もないくせに。
女神の怒りなど、誰も恐れちゃいない。
コレ以外にも殺したが、何もなかった。今までも、今も、これからも、何もない。
それは何故か?
それはな、ワシが特別だからだ。
特別な者は、何をやっても許されるのだ」
罪の意識の全くない鎌鼬は魂のない瞳で僕を見た。
「お前…何を言っている…?許されるはずないだろうが」
「ヌシよ、知らんのだな。
禁であってもな、力のあるモノには適用されぬのだ。
力があれば、ねじ曲げられる。
力があれば、辿る道が変わるんだ。
大きくて素晴らしい鎌を持つ、橙色の瞳をした鎌鼬は何をしてもいい。その証拠にワシは何度も赤い瞳をした頭に守られ、頭はワシが何をしようとも許してくれた。ワシの鎌を「数百年に一度の宝だ」「お前がいなくなっては大変な損失だ」とも仰った。
どうだ?ワシは、特別なんだ。
この橙色の瞳と素晴らしい能力が、ワシを守ってくれる。ワシという鎌鼬がいなくなれば困るからな。
もし女神の怒りに触れるようなことがあっても、ただただ頭を下げ、ほとぼりが冷めるまで大人しくしていればいいだけのことよ。あの優しい女神ならば、涙を見せれば、命を取るようなことはせん。
食料の蓄えはあるのだから、しばしの休暇と思えばいい。
どうじゃ!?
禁など、あってないようなものよ。
橙色の瞳の特権じゃ。
何をしても許される、素晴らしい生き方よ。
力と時の流れが、ワシの味方をしてくれるわ」
鎌鼬はニンマリと笑いながら、自慢の鎌を見せつけてきた。
並べたてられたのは、クソみたいな言葉だった。
鵺よりも、もっともっと薄汚い。
地位と力があれば、何をしても許されると思っている。
(ちがう…人間とは…違う。人間は、ここまで醜くない。
妖怪は、恐ろしい)
僕は強くそう思ったが、同時に妙な違和感を覚えた。
心に「何か」がひっかかった。
鏡のように光る鎌に映った自らの顔を見ていると、鏡の中の僕は微笑みを浮かべてから「綺麗」「醜悪」「皮」「化け物」と口をゆっくりと動かしてから、僕をじっと見つめてきた。
何処かで見た瞳の色だった。
それを思い出そうとしていると、鎌鼬が嬉しそうな顔で自らの所業を自慢しようと口を開いた。
「馬鹿も使いようによっては役に立つ。
頭の役に立ったのは、今回もワシよ。
たしかにコレの言ったように、ニオイを嗅ぐだけじゃあ分からん。鎌鼬の血が入っていないか、血を舐めないと分からんのだ。
けれど、傷はつけてはならない。
だから、コレを使ったのよ。
コレはヌシを見れば必ず切りかかる。コレの前でヌシを見せ続け、コレが切った傷口から流れた血を舐めてやろうとな。
コレがつける傷なら、そう深くはなりはせぬからな。
頭の命令と関係ないならば、そのまま食ってやればいい。
頭に傷の事を問われても、ヌシの傷はコレがつけた傷だ。傷口は鎌鼬の鎌によって、それぞれ違うからよ。コレが食らおうとしていたところをワシが見つけて、コレを殺して助けたのだと沈痛な表情をしながら答えればいいだけのことよ。
死ねば、何も喋ることが出来ない。
ヌシが何を言っても無駄だぞ。
ワシは頭から信頼を得ている。橙色の瞳をした鎌鼬の言葉は何よりも信じてもらえる。
力のある者の言葉は、ない者の言葉を粉砕出来る。
あぁ…褒美が今から楽しみだ」
鎌鼬がニンマリと笑うと、得体の知れない生き物の鳴き声が聞こえ始めた。血のニオイを嗅ぎつけ、肉を漁ろうときたのかもしれない。
「いや…しかし、コレの血は臭いの。
悪臭じゃ…鼻がもげそうだ。
はやいとこ、美味そうな血を舐めるとするか」
鎌鼬の口の端から涎が垂れ始めた。
だらしなく口が開くと鋭い歯の奥から赤黒い舌が伸びてきて、雪の上に落ちた僕の黒い血を舐めた。茶色い毛がゾクゾクするように震え、尻尾がビクリと動いた。
「ヌシ…妖怪…か?」
鎌鼬は目を細めながら僕を見た。
鼻先を突き出して傷口をスンスンと嗅いでから、赤黒い舌を伸ばして腕に残った血と傷口を舐め始めた。
傷口を舐められる度に鋭い痛みが走り、鎌鼬の荒い息とベタベタした舌の嫌な感触が腕に残った。
「なんだ…この血は…ひどく甘ったるくて…頭が痺れてくる。舐めれば舐めるほどに上手い…ニオイも…たまらん。
これは…知っている…はて…なんだったか…?」
鎌鼬は目を閉じ鼻を動かしながら考え込んでいたが、急にその動きがピタリと止まった。
「そうだ!この血のニオイは嗅いだことがある!
ずっと頭が舐めている布に染み付いている…あのニオイだ!
そうか、そういう事か!
天狗の翼が、ようやく黒うなりよるのか!
頭の機嫌が最近やけにいいと思ったら、そういう事か!
ならば、よしよし!本当にいいモノを見つけたぞ!
ヌシは、選ばれし者だな!」
鎌鼬は嬉々としていたが、急に尻尾を震わせると辺りをキョロキョロと見渡してから鼻を激しく動かした。
「天狗は…いないのか?ヌシ…1人だけ…か?
どうやって…やってきた?なぜ、こんな所にいる?」
そう問いかける鎌鼬の声はとても小さかった。
「天狗は…いない。
結界門が開かれた時に…軸の歪みで…僕だけ…ここに飛ばされたんだ。天狗を探して…さまよっていた。
もし近くにいたとしたら…僕はこんな目に遭ってはいないだろう?
一体…何の話をしているんだ?」
と、僕は言った。
先程聞いた言葉に合わせるように答えたつもりだが、鎌鼬はじっとりとした目を向けた。
嫌な沈黙が流れたが、やがて意地悪く笑い出した。
僕の言葉を信じたというよりも自らの嗅覚を信じたからなのかもしれない。それとも僕がこれからどんな顔をするのか見たくなったからなのかもしれない。
鎌鼬が嬉しそうに尻尾を振ると、血で染まった赤い雪が勢いよく吹き上がった。
「ヌシのような者が…選ばれし者とはな。
選ばれし者が、こんな所をヒョコヒョコ歩いているとは…信じられん。本当に選ばれし者ならば、もうとっくに天狗が見つけ出しているだろう。
ヌシは、本当に、選ばれし者か?」
と、鎌鼬は言った。
(貴様は、選ばれし者ではない)
黒天狗のその言葉も思い出すと、僕は何も言い返せなくなった。急に自信がなくなり、少し開いた唇は虚しく震えているだけだった。
「いや、天狗も所詮は妖怪だ。
そろそろ人間を殺したくてウズウズしているのかもしれんな。選ばれし者と思わせて、適当な人間を異界に放り込んで妖怪に嬲り殺しにされるのを見て楽しんでいるのかもしれんな。
ヌシよ、そう思わんか?
選ばれし者ならば「あの話」を知っている。
天狗の真の姿を知っているのだろう?」
鎌鼬がそう言うと、扇を掲げる天狗の像の姿が脳裏に浮かんで体がビクンと震えた。
「そうよ。
天狗とはな、人間を殺す存在だ。
天狗はな、ワシらが恐れる者から、人間が恐れる者へと変化する。まさに変幻自在じゃわい。
いくつもの意味があると知ることよ」
鎌鼬はそう言うと、踏んづけにしている下半身に鎌を突き刺した。
死してなおも無惨に痛めつけられていることを苦しんでいるかのように、両足と尾がピクピクと動いた。
鎌鼬はその様子を見ると、鎌を引き抜いて高々と振り上げてから、ピクリと動いた尾を切り落とした。尾は音を上げて血溜まりの中に落ち、茶色は赤く染まり血を吸って重たくなるともう動かなくなった。
「いや、選ばれし者とは、そもそもそういう意味だったな。優秀な者は選ばれない。楽しめる者でなければ、意味がない。
選ばれるのは出来損ないだ。失敗作だ。
なぁ、選ばれし者よ。
お前も、コレと同じ失敗作だな。必要がなくなれば、今のように尻尾を切り落とされる。お前はな、見捨てられたのだ。
あの時と、同様だ。愚か者の血が色濃く流れているだけのことはあるなぁ…」
鎌鼬はそう言うと、薄ら笑いを浮かべた。
「愚か者の…血が流れている…?
一体…何の話だ?」
「血の話については知らぬのか?」
鎌鼬がそう言うと、僕は黙り込んだ。
「そうかぁ…そうかぁ…そういうことかぁ。
ならば、ワシが特別に教えてやろう!」
鎌鼬はニンマリと笑い、上機嫌になった。
無惨に切り落とされ血を吸ってグシャグシャになった尾を見ると、僕の心臓は激しく音を立て始めた。雪の冷たさで、体はどんどん痛くなってきた。
「ヌシよ、考えたことはなかったか?
人間は、いくらでもいる。食っても食っても減ることはない。
それなのに、どうしてヌシの一族の男だけが、選ばれし者とされるのか?
天狗が放つ黒羽の矢が、突き刺さるのか?
それは祖先である、あの愚か者が原因だからよ。
そう…その血を授かりながら、禁を犯した。その命をもってしても消えることのない罪をな。裏切り者の肉は腐り果て、悪臭が漂い続ける。千年経とうが、布にニオイがこびりついているほどにな。
犯した罪が許されるまで罰を受けなければならないが、愚か者の犯した罪は神を裏切る大罪よ。
永遠に許されることはない。
永遠に償い続けなければならず、その血が流れる子にも引き継がれた。
永遠に続く責任を取らせる為に、その腐った血と肉のニオイを追う、生きた黒羽の矢が突き刺さるのよ。
恐ろしい黒羽の矢じゃ。地の果てまでも追いかけてくるぞ」
鎌鼬は舌舐めずりをしてから、弓矢を放つ真似をした。
「あの矢の羽はな、鴉の羽じゃない。
あの山の鴉は、生まれ出づる者達だ。
だからこそ龍に姿をかえ、山の空を自由に飛ぶことが出来る。
生まれ出づる者を傷つけることは、誰であっても出来ぬ。鬼であっても、天狗であってもな。
ならば、あの黒羽は誰のものだ?」
と、鎌鼬は言った。
灰色から真っ黒になった翼を想像すると恐ろしくなり、僕は鎌鼬から視線を逸らした。
高い木々の枝に積もっていた雪がパラパラと降ってきて血溜まりの中へと落ちていくと、白い雪は瞬く間に血の赤へと色を変えていったのだった。
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