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使用人は亡き主人に想いを馳せる 中
しおりを挟む学年が上がって最高学年になると同時に、第四王子が学園に入学したのである。王妃にも可愛がられている第四王子のジェイク殿下は、不敬であることを承知で言えば我儘で傲慢で、第一王子であるバティスト殿下によく似ておられた。
そんなジェイク殿下が入学してからというもの、日に日にルーク様から笑顔が消えていくことに気がついたのは恐らく私だけだろう。
「ルーク様、学園はいかがですか?」
失礼にならない程度にそう探りを入れてみたが、返ってくるのは「大丈夫だよ」という言葉と苦笑のみ。そんな見え見えの嘘に気付かぬ振りをしてそうですかと返す日々だったが、ある日決定的なことが起きた。
その日はルーク様の誕生日だった。
当然忌み子として離宮に隔離され、公にもされていないルーク様の誕生日は、他の王子様方とは異なり大々的に祝われることはない。それを知っている私は、一年程前から離宮の厨房で働くヘンリーという青年と共に前日から厨房に篭って祝いの準備を進めていたのだが、その用意の途中、玄関から聞こえてきた音に慌てて駆け出した。
玄関にたどり着くとすぐ音の正体がわかった。しかし何故そうなっているのかがわからず、私は混乱する。遅れてやって来たヘンリーが肩を叩いたことで我に返り、私は慌てて玄関でうつ伏せに倒れている主人の元へと駆け寄った。
「ルーク様?!どうなさったのですか!ルーク様!!」
「う……っ、ぁ……」
無礼を承知でルーク様の小柄で軽い体を仰向けにして抱え、何度も名前を呼ぶうちに薄らと瞼が上がり、黒曜石のような美しい黒の瞳が姿を表す。緩慢な動きで動く瞳はどこか虚ろで、私の目と視線が合った瞬間に身体がびくりと震えた。
何かあった、それだけは確かなのに状況が全く把握できていない。再度ルーク様とお呼びすると、彼は漸く私を認識したのか、詰めていた息を吐き出して表情を緩めた。
「あ……エイ、ダン……?」
「はい、エイダンでございます。ルーク様、何があったのですか?」
「え……あの……ころんだ、だけ」
痛々しげに体を庇いながら力なく笑う彼の姿に、そんなことは絶対にあり得ないとわかっているのに、私はこの時そうですかと頷くことしかできなかった。恐らくルーク様もそれをわかっていて嘘をつかれていたのだと思う。
彼は、本当に優しい方だから。
本当のことを言えば私達が心を痛めるとわかっているから、彼は嘘をついた。
この頃から徐々にルーク様の様子がおかしくなっていった。暗闇や物音に怯えたり、痣が増えていたり、ぼんやりとすることが増えたりと上げ出したらキリがないくらいだが、兎に角ルーク様は様々なことに臆病になっていらっしゃるようだった。
一度だけ寝る前にルーク様が、部屋を出ようとする私を引き留めたことがあった。その時に溢れた言葉は、寝るまで手を繋いでいて欲しいという切実ながらもなんとも可愛らしい我儘だったのである。滅多に我儘を仰ることのないルーク様の可愛らしい願いに、私が昇天しそうになったことは言うまでもない。
これはあくまでも推測だが、ルーク様は学園で虐められていたのだろう。それも自身の弟によって。
ルーク様を始め王族のことをよく知る騎士のルイスに話を聞いた時、彼は何と言っていただろうか。確か第一王子と第四王子は仲が良く、さらに言えば王妃も仲が良い。しかし第二王子であるウィリアム様はこの三人とは仲があまりよろしくないのだと言っていなかったか。
そこでふと気がついてしまった。
王妃と第一王子、第四王子、そして第一王女はよく似ておられる。対してウィリアム様とルーク様のお二人は髪色以外はよく似ているが、前述の四人とはそこまで似ていない。それどころか王妃殿下に至ってはウィリアム様やルーク様と全く似ていないのである。
……いや、これはあくまでも推測だ。確定ではないが、どうしてか確信はあった。そしてそれがもし正解だったとしたら、今までにあったことの幾つかは説明がつくのである。
私はその考えを振り払うように頭を横に振った。
こんなことを考えていたなんて知られれば極刑に処される可能性が高い。今私が処刑されて終えば、ルーク様の味方はほぼゼロに等しくなるだろう。私はそっと心の奥底に仕舞い込むように目を閉じた。
「エイダン、自己治癒魔法って何か知ってる?」
ある日学園から帰ったルーク様は私にそう聞いた。自己治癒魔法とは元々ある治癒能力を高め、負傷や毒を浴びた場合に治癒魔法が発動する魔法のことである。そして光属性の魔力を持ち、かつ魔力量が多い者しか使うことのできない魔法であり、自分の大事な人にかける永続魔法だ。そう伝えるとルーク様は嬉しそうに顔を綻ばせた。
その表情から何があったのか大体の想像はつく。しかし私はそれに気付かぬふりをしてルーク様に微笑んだ。
「とても良い事があったのですね」
「うん……ユベイルが僕に自己治癒魔法をかけてくれたんだ」
「そうでしたか。それは良かったですね」
「うん」
どうやらユベイルという青年はルーク様のことを大事にしてくれているらしい。今まで見た表情の中でも一番嬉しそうな彼の笑みに、胸が暖かくなった。
自己治癒魔法で発動する治癒魔法は万能ではない。それでも少しの傷であればすぐに治るし、もし致命傷を負ったとしても延命が可能だと言われている。私も実際に自己治癒魔法をかけてもらった者を見た事がないのでどこまでのものなのかはわからないが、少なくとも今のルーク様には必要なものだということだけはわかっていた。
将来彼を苦しめることになろうとはこの時の私には思いもよらなかったが、そのお陰で少しでもルーク様と一緒に生きられたことは感謝している。
この日を境にルーク様の顔色は徐々に色を取り戻していき、私は内心安堵していたのだが、そのひと月後、再びルーク様の顔色は酷くなった。
何故こんなにもルーク様だけがここまで苦しめられなければならないのかと憤るが、一使用人である私の言葉など何の音にもならない。悔しさに力任せに握り込んだ拳は血の気を失って白くなっている。その拳に不意に誰かの温もりが添えられて振り向くと、そこにいたのはヘンリーだった。
「エイダン」
「……私は、どうしてこんなにも無力なのでしょうか」
一使用人である私に出来ることなんて殆どない。ルーク様の御心を癒すことも出来ない。私は何で無力なんだろう。
そう呟く私にヘンリーは眉尻を下げて、固く握られた拳をそっと持ち上げて優しく撫でた。
「エイダンがいたからルーク様はここまで生きてこられたんだと思いますよ。俺は、ルーク様のご飯を作るしか出来ないけど、エイダンは違う。いつもルーク様のことを支えてくれて……ありがとう」
「っ……私こそ、いつも美味しい食事をありがとうございます」
この離宮にいるシェフはヘンリー一人だ。だからルーク様の血肉を作っているのはヘンリーだと言えば、彼はそんな恐れ多いと苦笑した。
「俺はまだまだですよ。ルーク様の調子があまり良くない時でも食べられるようなレシピをまだ知らないんですから」
確かにここ最近ルーク様はほとんど食事をとる事ができていなかった。塊の肉は見るだけでも吐き気がしてしまうようだし、野菜も大きいと箸が進まなくなるようだった。かろうじて食べられていたのはスープと果物のみ。スープも具材は殆ど口に入れる事がなく、ルーク様は食事を終える度に申し訳なさそうに謝っていた。
きっとヘンリーはルーク様が申し訳ない気持ちにならずに食べられるようにしたいのだろう。彼の表情には悔しさが混じっていた。
それからも顔色は良くなることもなく、日に日に弱っていくルーク様。もうすぐ卒業という頃、ヘンリーは漸く何かのレシピを思いついたようで、嬉しそうに報告に来た。
「やっとレシピが思いついたので一度味見して欲しいんですけど、この後いいですか?」
「ああ、是非」
気分の落ち込みからか、ルーク様の食欲は戻ることなく日に日にやつれていく。もしヘンリーの新メニューが食べられたならもしかすると、そう思いながら厨房についていった。ヘンリーは銀色の深い鍋から取り分けたものをスープカップに入れて私に渡してくれた。中身は濃い黄金色で、優しい香りがする。ほんの僅かにとろみのついたそれを一口口に含むと野菜の甘さが口いっぱいに広がり、とても優しい味がした。
これはと聞くと、どうやら野菜のエキスを最大限まで抽出し尽くした栄養たっぷりのスープだという。くたくたになるまで人参やじゃがいも、玉ねぎなどの野菜を煮込み、その全てを潰してからスープを濾したものだから飲みやすいかと思ってと笑う彼に、私は目を見開いた。
きっと早朝からずっとこの作業をやっていたのだろう。食べてもらえるかもわからない、けれど大切な主人を想って作られたこのスープは本当に今まで食べたどの料理よりも愛に溢れた優しい味がした。きっとこれならルーク様も食べられるだろう、そんな根拠のない自信が湧いてくるほどにこのスープは美味しかった。
ルーク様が帰宅し、湯浴みを終えて自室に戻ったことを確認し、私はルーク様の部屋にヘンリーが作ったスープをお持ちした。たったひと匙でも良い、口に含んでくれればと思いながら見守っていると、ルーク様は恐々とスプーンを手に取ってスープを掬って口に入れた。
ルーク様の目が見開かれる。ぽろぽろと透明で美しい雫が目から溢れ、テーブルの上に落ちていく。
「……おい、しい」
ぽつりと呟かれた言葉は、ぽろりとこぼれ落ちてしまったかのようにひどく小さなものだったが、しんと静まり返ったこの部屋ではしっかりと私の耳にも届いた。
おいしい、おいしいと涙を溢しながらスープを口に運んでいくルーク様。食べ終わる頃にはルーク様の目は赤くなっていた。
「エイダン……ヘンリーにありがとうって、伝えてもらえる?」
「はい、勿論です」
「……おいしかったな……」
久しぶりに見た笑顔はとても儚げで、胸がつきんと痛む。しかし白を通り越して青白かった頬に微かに赤みが差したのが見え、ほうと息を吐き出した。
食べ終えた食器を引き上げ、厨房に戻って先程のルーク様の言葉を伝えると、ヘンリーは眉尻を下げてふにゃりと笑った。目尻には光る物があったが、その気持ちは痛い程理解出来たので私もつられて笑む。ほんの少し、胸のつっかえがとれたような気がした。
それからはルーク様の希望によりヘンリー特製の野菜スープを毎日出すようになった。食欲のある時はスープの他にも少し食べ、食欲がない時はこのスープのみを食べる。以前では考えられなかったことだ。
それはヘンリーの努力が報われた瞬間だった。
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