それが僕らの日常

白井由貴

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6:林間学校の始まり

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 そして、ついに林間学校当日がやってきてしまった。

 真央とはこの一週間まともに口を聞いていない。メッセージアプリでのやり取りも一切なく、俺の心は既に暗雲立ち込める状態だった。

「聡、顔色悪いけど大丈夫か?」

 心配そうに聞いてくる直に大丈夫だと笑うが信じてもらえてはいないだろう。今の自分がどんなに酷い顔をしているか分かっているつもりだ。今朝鏡で見た自分の顔は隈も酷く、顔色は最悪だった。

「もし気分が悪くなったら……」

「――……聡?」

 直が気遣うように俺の肩に手を置いて話しかけた時、不意に名前を呼ばれて肩が跳ねる。
 少し前までは毎日沢山聞いていたはずの声は、とても久しぶりなような気がした。直のようにこちらを気遣うようなものではなく、ただ不思議そうな声音で名前を呼ばれ、俺は体の横にだらんと垂らした両手をぐっと握りしめる。

 じゃり、じゃりと砂利を踏み締める音が聞こえ、それは俺の前で止まった。今目の前にいる人物が誰かというのがわかっているからこそ、俯いた顔を上げることが出来ない。地面に映る影が手を伸ばすように俺の方に伸び――触れる直前でぴくっと止まり、俺に触れることなく離れていった。

「真央くん、ここにいたんだね!先生が呼んでたよ?」

「あ、ああ……今行く」

 俺は弾かれたように顔を上げようとしてグッと堪えた。 去っていく二つの足音に、俺は肺に溜まっていた空気を全部吐き出す。無意識のうちに呼吸を止めていたようだ。

「……なんなんだよ、くそ」

「……聡」

 肩に手を置いていた直は、その手を移動させて俺を慰めるようにくしゃりと頭を撫でた。何か言いたげに俺の名前を呟いた後、結局何も言わずに俺の頭をぽんぽんと撫でて俺の背中を軽く押す。
 どうやら林間学校の宿舎に向かうバスがやってきたようだ。

 俺たちはバスに乗り込み、予め決めていた座席に座った。俺の席はバスの真ん中くらいの位置で、隣は直、前の座席には市原と藤で、通路を挟んだ隣の席が真央の席になっている。
 座席決めの時はまだ仲が良かった俺たちだったので真央が本来であれば俺の隣は真央だった。だが今の状態で移動中ずっと隣同士なのは辛くて俺が直の席と変わろうとしていたところ、気付けば何故か真央が直と入れ替わっていた。

 俺が何かを言ったわけではなく俺の知らないうちにそう決まっていて、何度も直に尋ねたのだが、全く教えてくれないまま今日に至る。

 真央も俺と座るのが嫌だったのかもしれないと、自分も同じことを考えていたはずなのに自分のことは棚に上げながらも悩んでいた。そうなると今度は眠れなくなり、ここ二、三日はまともに眠れていない。ただでさえぱっとしない顔面なのに、隈が酷い今の顔は見るに耐えないものになっているだろう。

 生徒が全員乗り込んだようで、バスが動き出した。移動中気まずかったらどうしようなんて考えていた筈なのに、バスの適度な揺れによっていつの間にか夢の世界へと旅立ったのだった。

「ほら、もうすぐ着くぞ。起きろー」

 肩をとんとんと叩く優しい刺激にふっと意識が浮上する。ん、と思い瞼を押し上げると、こちらを覗き込む琥珀色の瞳とかち合った。寝起きで霞む頭はものの見事に思考を停止させており、ただ呆然とぱちぱちと瞬きだけを繰り返す。琥珀色が柔らかに細められ、俺は漸くそれが幼馴染みの瞳であることに気付いてぱっと顔を逸らした。

「びっ……くりしたぁ……」

「もうすぐ着くってさ」

 どうやら俺は三時間あまりある道中をノンストップで寝ていたらしい。車内もそれなりに騒がしかったにも関わらず、一向に起きる気配がなかったのだそうだ。その代わりあんなに色濃く目の下にあった隈は少し和らぎ、顔色もそれなりに戻っているようで、真央以外の同じ班のメンバーがほっとしたような表情で俺を見ていた。

 班毎に点呼を取ったあとは兄弟校の生徒たちとの顔見せと交流会が行われた。
 顔見せではまず両校の各班にそれぞれ割り振られた番号によって各班の組み合わせが決められ、以後林間学校の期間はその決められた合同班で行動することになる。例えば俺たちの班はC班なので相手校のC班と合同班を組むといった具合だ。

 俺たちと組む相手の班は女子が二人、男子が三人。その女子二人は真央を見て黄色い声を上げ、男子のうち二人は市原を見ながら口角を上げて小さくガッツポーズをしている。まあそれに関しては大体予想は出来ていたので俺と直、そして藤は苦笑を浮かべた。

 交流会は施設内にある芝生広場で行われた。
 丁度昼時ということもあり、本来であれば持ってきた弁当を合同班になったメンバーで話しながら食べることによって交流を深めるのだが、俺たちの班は少々おかしな状態になっていた。

「ねえねえ、真央くんって呼んでもいい?」

「ねえ、真央くんって彼女いるの?」

「市原さんって彼氏いたりする?」

「市原さんすごく可愛いからモテるんだろうなあ」

 ――終始こんな状態である。
 女子二人は真央の両隣を陣取り、男子二人は市原を囲んで質問攻めをしているのだ。残りの俺たちはといえばよく言えば空気、悪く言えば邪魔者扱いをされている。

 そんな相手校だったが、一人だけその輪に加わらない男子がいた。そんな彼の名前は金谷椎名かねたにしいなくん。金谷くんは他の四人とはあまり仲が良くないらしく、冷めた目で彼らをちらと見た後は一切視線を向けておらず、俺たちと目があった瞬間に「ごめんなさい」と小さく謝られた。

「金谷くんが謝ることじゃないでしょう?」

 藤の言葉に俺と直はこくこくと頷くと、彼はほっとしたように息を吐いた。長い前髪に隠れてほとんど見えないが、ほんの少し雰囲気が和らいだように感じたので、もしかするとずっと申し訳なさを抱えていたのかもしれない。

「正直な話、私達はこうなるだろうことはある程度予想していたから気にしないで。私達は私達で仲良くやりましょう?」

「……ありがとうございます」

 笑顔でそう言った藤に、金谷くんは伏せていた顔を僅かに上げて、困ったようにふわりと微笑んだ。

 第一印象はおとなしい子、笑った印象はとても綺麗な男の子というのが俺たちの彼への印象だった。
 

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