愚者のオラトリオ

Canaan

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番外編

過去編~狂信者に祝福を 3

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「だ、団長! ハサウェイ団長!!」
 ジェイソンは手すりに飛びつき、下を覗く。暗くてステラの姿は確認できなかったし、何の音も聞こえなかった。
「団長、団長! 無事ですか! いま、浮き具を……!」
 ジェイソンはコルク製の浮き具を取りに行こうとした。
「おっと」
 だが、フィッツシモンズの腕が自分の首に回った。ジェイソンはもがく。
「放しなさい! 早くしないと、団長が死んでしまいます!」
「そうだ。あの女は死んだんだ。『事故』でな」
「な……何を言っているのですか!?」
「あの女は海に落ちた。これは事故だ……ほかの奴らにはそう説明すりゃいい。海の上ではよく起こることだろ。誰も不思議には思わねえよ」
 彼のセリフに愕然とする。痛めつけるにしても、女性に対して酷いことをするものだ……ジェイソンはそう考えていた。だが、彼らはステラを亡き者にするつもりであったのだ。
「放しなさい! 団長! 団長ーーー!!!」

「おい。さっきから何を騒いでいるんだ?」
 ジェイソンがもがいて叫んでいると、人が集まってきた。最初にやってきたのはメインマストで見張りをしていた騎士だ。
「どうした、なにがあった?」
「いま、誰か叫んでなかったか?」
 下の船室にいた団員たちも、次々とやってくる。
「皆さん、聞いてください! 団長が、ぐっ……!」
 団員たちにいま起こったことを伝えようとしたが、フィッツシモンズがもう片方の手でジェイソンの口を塞ぐ。そしてキャヴェンディッシュが演技がかった口調で喋りはじめた。
「それがさ、副団長が、団長を船から突き落としたんだ」
「俺らは団長を助けようとしたんだけど、間に合わなくてよ」
 フィッツシモンズも相槌を打った。
「うー、うーーー!!」
 違う! そう叫びたかったが、フィッツシモンズはジェイソンの口を塞いでいるし、さらに首をぐいぐい絞めるので、呼吸すら難しくなってくる。
 そして集まった騎士たちもざわつきはじめた。
「おい、いまの話って……?」
「ああ、ほんとうに副団長が……?」
 みんな、驚きつつも疑っているようだ。それもそうだろう。ジェイソンは素直にステラに従っていたが、フィッツシモンズとキャヴェンディッシュはそうではなかった。ステラを亡き者にしたいと考える人間がいるとしたら、それは反抗的だった二人のほうなのである。
 ジェイソンは首を振りたかったが、二人はそれを許さない。
「服従したように見せかけて油断させてさ……副団長も、けっこう腹黒いんだなあって俺らは思ったよ」
「ああ。まさか、ゴーラム副団長があんな大胆な行動に出るなんてな」
 まさか、あの大人しかった男が……というのは、前団長の事件で皆経験済みである。「嘘だろ」と呟きつつも二人の言葉を信じてしまう者が現れた。そして信じきれない者は「俺、団長を探してみる」と言って、甲板から下へ降りて行った。

 取り押さえられ、首に腕を回されたジェイソンには永遠のように感じられたが、実際には十五分か二十分ほどだったかもしれない。ステラの捜索に出かけた者が「ざっと調べた感じでは、この船のどこにも団長の姿はなかった」と報告に現れた。
「では、まさか……」
「やっぱり副団長が……」
 そのような言葉が聞こえ始める。
 ジェイソンは、視線を下に落とし、諦めかけた。こんなに時間が経ってしまっては、団長ももう生きてはいないだろう。そして、まったくの濡れ衣であるのに自分は犯罪者である。上官を殺めたとあれば、吊るし首は免れない。そして黒鴎騎士団はフィッツシモンズとキャヴェンディッシュの天下である。彼らがうまく指揮を執れるとは思えないから、それも一瞬のことであろうが、せめて亡霊となって彼らを呪ってやりたいものだ。
 そんなことを考えていると、甲板に集っていた騎士の一人が「おい……」と言った。そこに、ひたひたと、濡れた音が続く。
 ジェイソンは視線を上に向けた。
 集まった騎士たちは、ジェイソンの背後を見やって驚いているようだ。フィッツシモンズとキャヴェンディッシュも後ろを振り返り、それに伴ってジェイソンもそちらに目を向けることができた。

 そこには、ずぶ濡れのステラが朝焼けを背負って立っていたのである。

「な……何で生きてんだ!?」
「嘘だろ……夜の海に落ちて、生きてるなんて……ど、どうやったんだ!?」

「私を亡き者にしたいならば、首を切り落とすべきだったな」
 彼女はそう言って、一歩フィッツシモンズに近づいた。
「な、く、来るな!」
 フィッツシモンズはジェイソンを締めあげたまま、一歩下がる。だが、ステラは二歩進んだ。
「来るな! こいつがどうなってもいいのかよ!?」
「うー、うー!」
 ジェイソンはステラに訴えようとした。キャヴェンディッシュが、彼女の背後に回っていると。
 ステラはもう一歩進みながら、右手で背中に留めてある短剣を素早く抜いた。腰のカットラスは無くなっていたが、短剣は無事だったようだ。そして振り向きざまに、短剣の柄でキャヴェンディッシュの顎に一撃を入れる。
「あうっ!?」
 キャヴェンディッシュは顎を押さえた。膝に力が入らないようで、よろめいて、そのまま尻もちをついた。
「さっきは油断したが……二度も私の背後をとれると思うなよ」
 彼女の動きがあまりに鮮やかだったので見惚れそうになった。フィッツシモンズも同じように見惚れていたのだと思う。いつの間にかステラが目の前にやって来ていたので、彼は慌てて、そして改めてジェイソンの首を締めあげようとした。
 ステラは彼の指を素早くつかんだように思えた。スパンという小気味よい音のあとに、ゴキュ、という鈍い音が聞こえた気がした。
「げぇっ!?」
 フィッツシモンズはジェイソンから腕を解いて、手を押さえて膝をついた。何が起こったのかよくわからなかったが、ステラはフィッツシモンズの親指を折ったようだった。
 彼はステラの就任初日に痛い目に遭わされているはずだが、それだけではわからなかったのだろうか。ステラ・ハサウェイは攻撃を躊躇うことがない。一度「やる」と決めたら躊躇わずにやる。素早く、容赦なくやる。きっと、命を奪うことに関しても容赦なくやる。
 ステラがこの騎士団にやって来てから、彼女がカットラスを扱う場面を目にしたことがなかった。あまり剣は得意ではないのだろうか……ジェイソンはそんな風に考えていたが、必要が無いのだ。彼女の得意分野は、剣の間合いよりも狭い超接近戦なのだから。

 ジェイソンは震えていた。
 恐ろしかったからではない。
 自分の剣と命を捧げても良いと心の底から思える主に、やっと出会えたからだ。
 ずっと、この時を待っていた。彼女のような強いひとを求めていた。
 殺されても、地獄から舞い戻ってくるようなタフさを備えた、大いなる統率者を。

「さて……」
 ステラは昏倒しているキャヴェンディッシュと、座り込んでいるフィッツシモンズを見比べる。それから言った。
「事故で海に落ちたことにすればいいんだったな」
 彼女は自分がされたことをやり返す予定でいるようだ。
 ジェイソンはステラが「やれ」と言ったらその通りにするつもりで、命令を待った。
 しかしフィッツシモンズは情けない声を出して、甲板に蹲った。
「わ、悪かった……! 俺が悪かったから、殺さないでくれ!」
「貴様、上官を海に放り込んでおいて『悪かった』で済むと思っているのか」
「ほ、ほ、ほんとうに、すみませんでした……!」
「ここまでされて、許すわけにはいかないんだよ。それに、私に従わない者は必要ない」
 ジェイソンは、命令を待ちながら考えた。
 剣と命を捧げられる上官に巡り合えたのは光栄の極みである。しかし、崇拝するように、狂信者のように上官に仕えたい……皆がそう考えているわけではないことも知っている。
 このまま叛徒二人を海に投げ込んでしまったら、彼女はこの騎士団を恐怖だけで支配することになるだろう。
 組織の存続を考えたら、副官としての自分の行動がおのずと見えてきた。
「ハサウェイ団長。お待ちください」
「……なんだ?」
「この二人の処遇は、軍事法廷に委ねるのがよろしいかと」
「貴様、こいつらの所業を許せというのか?」
「許すわけではありません。上官殺しは吊るし首……今回は未遂ですが、身分剥奪と投獄は免れないでしょう。騎士としてはそちらのほうがよほどの恥ではありませんか」
 いまは命が助かったことに感謝するかもしれないが、罪人として生きるうちに思うことも色々と出てくるだろう。たとえば「あのとき、命乞いなんかしなきゃよかった」とか、そういう類のことを。
 彼女は「ふうん」と呟いて、一瞬だけ考えたが頷いた。
「わかった。では、こいつらを小部屋に閉じ込めておけ。海賊どもの隣の部屋だ」

 フィッツシモンズとキャヴェンディッシュは、甲板に集まっていた騎士たちによって小部屋へと連れられて行った。
 彼らの姿が見えなくなると、ジェイソンはステラに訊ねた。
「あの、団長。あなたは、いったいどうやって……」
「うん? 海に落ちた後か?」
「はい」
「まず、凪いでいたのは幸いだったな」
 船が動いていないから、落ちた時にすぐに船体につかまることができたと彼女は言った。
「それから、修理痕だらけのボロ船だったということも幸いした。夜明け前で、暗かったことも幸運だった。姿を見られずに這い上がることができたからな」
 なんと、彼女は指先を引っかける場所さえあれば、そこに張り付いたり昇り降りしたりできるらしい。応急処置として、船体に板を打ち付けただけの部分がたくさんあったから、それらを利用してのぼってきたのだと言う。
「そ、そんなことが可能なのですか」
「実際にそうやってのぼってきた。信じられないならば、見せてやろうか?」
「いえ!」
 そこで、ジェイソンはステラに向かって片膝をついて頭を下げた。
 そんなことができる人間は見たことがないが、でも、ステラ・ハサウェイならば、あるいは……彼女にはそう思える何かがあった。
 そして自分は彼女の持つ「そう思える何か」に心酔しはじめている。
「ハサウェイ団長、私はあなたの言葉を信じます。このジェイソン・ゴーラムは、あなたに剣を捧げ、誠心誠意お仕えします」
「私が海に落ちたとき、貴様が助けようとしていたことはわかった……私も貴様の言葉を信じよう」
 頭上からステラの声が降ってくる。
「だが、ああいう時は、まずは自分の身を守れ! 叛徒に騎士団を乗っ取られるところだったではないか! いいな!?」
「は、はい!」
「私はこの騎士団を海軍のトップにするつもりだ。貴様にも大いに働いてもらうぞ。よろしく頼む……ジェイソン」
「もちろんそのつもりです!」



 陸地に戻って数日。
 フィッツシモンズとキャヴェンディッシュは、軍法会議にかけられるのを牢の中で待っている。
 持ち帰った海賊の宝の査定はまだ終わっていないが、黒鴎騎士団の収益はだいたいの見当がついてきたところだ。
 そして港にある騎士団の詰所で、ジェイソンは今回の巡航の報告書をまとめていた。

「おい、ジェイソン」
「は。何でしょう」
 弱小である黒鴎騎士団には狭いスペースしか与えられていないから、ステラとジェイソンの机も近い。彼女に呼ばれたジェイソンは、すぐにステラの机まで向かった。
「前騎士団長のことだが。そいつには、妻と子がいたんだったな?」
「はい。何度か会ったことがありますが……」
 予算持ち逃げの件で、彼の妻子とは何度か顔を合わせている。最後に会ったとき、離縁して実家へ戻るのだと言っていた。
「その妻の実家はどこだ? 住所を調べておけ。今回の儲けから見舞金を出す」
「承知しました」
「それから、巡航に使う船のことだがな……もっと速くて頑丈な船を購入するのは無理だろうか」
「ああ、それは……今回の収益だけではさすがに無理ですね」
 いま使っている船と奪った海賊船をまとめて売り払っても、新しい船を買ったり造ったりするにはまったく足りない。
 だが、今回のような仕事を何度か繰り返せば、そこそこ性能の良い中古の船を購入できるようになるだろう。
「今回のような仕事を繰り返しても、中古にやっと手が届くかどうかなのか?」
「ええ。もとが貧乏な騎士団ですから、地道に活動資金を増やしていくしかありません」
 大きな海賊船にはたくさんの宝が積んであるだろうし、そういう船に乗った海賊の頭目を生け捕りにすれば、かなりの報奨金が出る。しかし、大きな船と戦うには、こちらも大きな船を用意しなくてはいけない。大物と呼ばれる海賊と戦えるような域に到達するには、大金と優秀な人員が必要なのである。
 でも、ステラ・ハサウェイについて行けば、間違いなくその域に辿り着けるだろう。ジェイソンはそう思っている。

 ジェイソンは現在売りに出されている、中古船のカタログチラシをステラに差し出した。船のイラストが描かれていて、その下には詳しい説明書きがついている。
「それに、一から船を造るのはお金もですが、長い時間がかかります。ある程度の資金がたまったら、まずはこういった中古船を買って、改良しながら騎士団の戦力と財力を増やしていくかたちになるでしょうね」
「ふーん……」
 彼女はそれをしばらく見つめていたが、ぱっと顔をあげる。
「ジェイソン。ここに記された船だがな……貴様ならば海賊どもと戦うのに、この中からどれを選ぶ?」
「え? 私ですか? そうですね……」
 ジェイソンはステラの質問を「もしも」の話だと受け止めた。「馬のレースの勝敗を当てたら、何を買う?」といった、夢物語に近い話だと。
 しかし夢物語だからと言って、一番大きくて比較的新しい船を欲するつもりはない。いまの黒鴎騎士団の規模と人数では、大型船を乗りこなしたうえで海賊と戦うことはできないからだ。
「私が選ぶとしたら、この船……ですかね」
 妙に現実的に考えた結果、ジェイソンはチラシの中にある一隻の中古船を指さした。それほど大きな船ではないが、いまの黒鴎騎士団にはじゅうぶんなもの。そして改良のし甲斐がありそうな、シンプルかつ無難だと思われるものを。
 ジェイソンの指し示したものをみて、ステラは頷いた。
「なるほど。では、これを買おう」
「えっ!?」
「この船を買うと言っているんだ」
「え? いや、しかし」
 ジェイソンはチラシに記された金額を確認する。中古とはいえ今回の儲けで買えるような船ではない。予約するのだとしても、内金を払わなくてはいけないし、この船を購入できるほどの金が貯まる頃には、もっといい船が出回っているかもしれない。そう言おうとした。
「問題はない。私個人の金を使う」
「いや、でも……」
 彼女は巡航に出る前にも個人のお金を出してくれている。そして、このチラシにある船を買うとなると……ステラが破産してしまわないか心配になってきた。
「案ずるな。使いどころに迷っている金がある」
「……!!」
 そこでジェイソンはあの話を思い出した。ステラが夫に逃げられたのだという話を。
 彼女は侯爵家の娘である。その夫となるならば、相手も名家出身なのだろう。たとえば、使い切るのに困るくらいの、賠償金を支払えるような家。
 前団長の妻に見舞金を出したいというのも「夫に逃げられた妻」という立場にステラは、心からの同情を覚えているからではないだろうか。
 これ以上の勘繰りはよくない。話を変えるべきだと思ったが、ジェイソンが何かに気づいたことに、ステラも気づいてしまったようだった。

「貴様は私の過去を耳にしているようだな……それは真実だ。結婚の誓いを立てる前だったから、逃げたのは夫ではなくて婚約者だが」
「あ、あの……すみません……」
 言い難いことを言わせてしまったのではないだろうか。ジェイソンはついつい謝ってしまう。
「貴様には私の手となり足となって働いてもらうことになる。私に関する情報は、ある程度頭に入れておいたほうがいいだろう」
「は、はい……」
「どうした。婚約者に逃げられるような女が上官でがっかりしたのか」
「え!?」
 ジェイソンは申し訳なさから口ごもっていたのだが、ステラは違う風に受け止めたようだった。
「安心しろ。部下には逃げられぬように尽力する……こちらから追い出すことはあるかもしれんが」
「待ってください、団長にがっかりするなんて、とんでもありません! 婚約者が逃げたから、何だと言うんです? そもそも、必要ないではありませんか。あなたに従わない男など」
 彼女に従わない男など必要ない。
 ジェイソンは心からそう思っている。
 だが、その科白にステラはハッと目を見開いた。
 虚を衝かれた表情なのだろうか。いつもよりもステラは幼く見えた。
 同時に、ジェイソンは今さらながら気がついた。
 ステラ・ハサウェイの顔立ちが、とても美しいことに。滑らかに整った輪郭は芸術品のようだし、左の目元にあるほくろは、彼女の放つ厳めしいオーラをほんの少しだけ和らげている。
「……貴様の言うとおりだな、ジェイソン」
 彼女はそう答え、また手元のチラシに視線を落とした。
「では、船の購入については、後ほど詳しい相談をさせてもらうことにする。私からの話は以上だ、さがれ」
「は!」

 自分のボスは、ほかの何よりも強く、激しく、そして美しい。
 巡り合わせに感謝しながらジェイソンは一礼し、彼女の机を離れたのだった。




(番外編:過去編~狂信者に祝福を 了)


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