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第3章 Nameless Hero
04.もしも彼ならば
しおりを挟むプツッと小さな音がして、キャスの手首を縛めるものが少しだけ緩んだ。何重にもなっている紐の一部が切れたのだと分かる。
身体が濡れたままだったから紐も湿って柔らかくなっていたのが幸いしたのだとグレンは言った。そして引き続き彼は紐を切ることに集中した。
二人とも胸がはだけていたりガウンが小さすぎたりしていておかしな格好だし、手首に彼の息がかかるしで、こんな状況なのになんだか倒錯的な気持ちになってくる。
「……もうちょっとで、全部切れそうだ」
グレンが呟いて、体勢を変えた。紐を噛み切るために顔はキャスの背中側にあるが、下半身はキャスの視界に入るところにあった。
しかし、本当にガウンが小さすぎて短い。アンドリューが着ると膝が隠れる丈になるのに、グレンが身に着けると足が剥き出しになる状態でなかなかに変態っぽい。
それでも彼は膝から下が長くて、本当にスタイルがいい……思わず彼の足に見入っていると、股間の辺りで危うく合わさっていた生地が、ぺらりと捲れた。
「……!?」
そこに現れたものに、キャスはますます見入る。
これまで何度も「ストロー」の形状について思いを巡らせてはいたが、あれが真の姿なのだろうか。でも、彼が押し付けてきたカチカチのものと同じだとはとても思えないのだが? あれではジャンプしたら女の人の胸以上にぴょこぴょこ上下しそうではないか?
キャスはグレンが素っ裸でジャンプして「ストロー」を上下させている場面を想像した。初めて出会った時、自分が彼にやって見せたのはそういうことだったのではないか。
確かに気は逸れるかもしれないが、色気がまったく無いどころかお笑いの域である。
「切れた……!」
グレンが何か言っているが、キャスはそれどころではない。グレンの股間を観察し、想像を巡らせるのに忙しいのだから。
「キャスリーン?」
「……。」
「どうしたの……えっ? う、うわあ! ど、どこ見てるんだよ……!」
キャスが返事をしないので訝しく思ったグレンが上体をずらし、そして大事なところが見えていたことに気づいたようだ。彼はそのまま身体を回転させて、こちらに背を向ける状態で横たわる。
だが、回転した勢いでまたガウンが捲れ、今度はお尻が丸見えになった。
「うわ! もう……何なんだよ……!」
彼は身体をもぞもぞとさせて生地を何とかしようとしたらしいが、無理だった。キャスにお尻を見せたまま、もう一度諦めたように「何なんだよ……」と呟いた。
色々と大変な絵面ではあるが、そこには自然体のグレン・バークレイがいるような気がした。
キャスの両手が自由になっていたので、彼の方ににじり寄ってガウンを直してやる。取り敢えず大事なところは隠れた。それから自分の両足を縛る紐を解くことに専念した。
手の方は濡れていた分噛み切るのが容易だったようだが、足の方はそうでもない。濡れているからこそ解き難いのだ。指先に力を込め過ぎてじんじんしてきたが、紐が少しだけ緩むと、そこからはあっという間だった。
「解けたわ……!」
急いでグレンに向き直り、改めて彼の手足の枷をチェックする。それから、鍵の保管場所はどこだろうと考えた。
叔父の屋敷にはこれまでに数度入ったことがあるが、大部分は封鎖されていた。今の部屋から出られても、叔父たちに見つからずに鍵を探し回ることが出来るだろうか。
「鍵を探すよりも、脱出を試みた方が早いと思う」
「で、でも。私一人で……?」
「君の叔父さんが鍵を持ち歩いてたとしたら、探す意味がない。君はここを出たら、騎士団に知らせに行ってほしい」
キャスは一人で行動することを想像し、途端に恐ろしくなった。キャスが今生きているのは、グレンが一緒にいたからだ。いや、彼がいなければ日記を集めて読み解けなかっただろうから、命の危険はなかったかもしれないが……でもやっぱりキャスの手足が自由になったのだって、グレンのお陰だ。
躊躇していると、グレンがちょっと身体を起こした。
「でも、脱出できそうになかったら、無理はしないでこの部屋に戻ってくればいい」
「そしたら、グレン様は……?」
「何か……何か別の方法を考える。ぼくと君が助かるための、別の方法を」
両の手足が拘束されたままなのに、この人は何を言っているんだろうと思った。いくら彼の頭が良くても、キャスが脱出して助けを呼んでこない限りは死なない方法なんてある訳がないと思ったのだ。
でも、彼の瞳には強い光が宿っている。投げやりになっているようにはとても見えなかった。キャスはグレンの眼差しに見入る。
「ぼくの……ぼくの英雄だった人なら、こんな時……『最後まで諦めるな。最善を尽くせ』って、そう言うと思う。だから」
「グレン様の、英雄……?」
「うん。昔憧れてた人。今は……いなくなっちゃったけど」
なるほど。彼には憧れ、手本にしている存在がいるのだ。
しかし「英雄だった」、「いなくなった」というのが気になった。例え亡くなっていたとしても、憧れの対象を過去形にしたりするだろうか。その人が今でもグレンの心の中でヒーローとして輝いているならば、彼の表現はひっかかるものがある。
彼のヒーローは、落ちぶれたり堕落したり、犯罪者や廃人になったりしてしまったのかもしれない……。そうだとしたら、詳しく訊ねるのも気が引けた。
それに何より、今はここから出る方法を探すべきである。それはキャスがやるしかなかった。
「危険なことさせてごめん」
グレンの言葉に、キャスは顔を上げ、改めてグレンを見据えた。
ぴちぴちのガウンを着て拘束されている今の彼は限りなく変態っぽいのだが、でも、普段の彼は、キャスが知っている人の中で一番素敵な男性だと思う。
皮肉を口にすることが多いが、そこから真の底意地の悪さは窺えなかった。冷めた考え方をするわりには、しっかりとキャスの世話を焼いてくれて、いつも助けてくれる人。
キャスは申し訳なさそうにするグレンに向かって首を振った。
「いいえ。貴方は、私の……」
貴方こそが私のヒーロー。……今はちょっと変態にしか見えないが。
すべてを口にする代わりに、キャスは屈み込んでグレンの肩に手を置き、顔を近づけた。
一瞬だけ唇を触れ合わせた後は、唖然としている彼に向かって笑って見せる。
「じゃあ、行ってきます!」
そう告げて、グレンの返事を待たずに部屋を出た。
一人で行動する勇気を出すために活を入れるつもりでもあったし、おまじないのつもりでもあった。
実際に彼にキスをした途端、足が動き出した。
おまじないの効果はあったようだ。
でも、本当はたぶん怖かったのだ。我に返った後の、グレンの反応が。
廊下に出たキャスは、まず一番近くの窓を調べてみた。残念ながら鉄格子が嵌まっている。所々が錆びているようなので、誰かを閉じ込めるために叔父が設置した訳ではなく、この屋敷が建てられたころから侵入者除けとしてついているものなのだろう。
鉄格子がどれくらい丈夫なのものなのか確かめてみたかったが、キャスの身長では鉄格子を掴んで揺らしてみたりするのは無理だった。
そこで、踏み台になるような椅子か何かを探しつつ、他の出口がないかを調べていこうと考える。
この屋敷には使用人が少ない。だが、だからと言って見つかる可能性が低い訳でもない。少ないからこそ、キャスがうろうろしていたら目立って仕方がないのだから。
これまでは、叔父はお金を節約したいからあまり使用人を雇わないのだと思っていた。でも、悪いことをしているから、大勢の人間を雇うのを控えているだけなのかもしれない。
廊下の隅にキャビネットが置かれていたので、それを窓の下に運ぶことを考えたが、キャスの力では持ち上げるどころか、押したり引き摺ったりもできなかった。
キャビネットを踏み台にすることは諦めたが、せっかくなので上にかかっていたクロスを頂いた。それを首に巻き付けて心もとない部分を隠す。これで、はだけた部分を気にしながら動かなくてもよいことに安心した。
キャスは階段を見つけると、耳を澄ませながら一段ずつ降りていく。
外に出るとしたら一階からになるが……この屋敷で一番人が多いのは、一階の、入り口とリビング、キッチンを繋ぐエリアになるだろう。
しかし、アンドリューもこの屋敷に滞在しているとしたら……叔父や使用人たちの行動範囲も広がる。仮に彼が二階や三階にいるのだとしたら、階段が使われる機会も増える。
もっと慎重に動いた方がいいかもしれない。そう思ったと同時に、階下に人影が見えた。
まずい。そう思って階段を引き返したが、一番上の段のところで「ズダン」と音を立ててしまった。急いでいたせいもあり、もう一段あると思い込んで、何もない空間を踏み抜いてしまったのだ。
「……うん?」
階下の誰か呟いた。それは、フリッカーの声に聞こえた。おまけに、彼の足音も近づいてくる。キャスの姿を認識されてしまっただろうか。
急いでグレンのいる部屋に戻って、そ知らぬふり──拘束されているふりまでできるかどうか不安だが──をすべきだと思った。
しかし、部屋の近くまで来たところで再びフリッカーの声がした。
「アンドリュー君? アトリエにいるのではなかったかな?」
彼はキャスの気配をアンドリューのものと思っているようだ。つまり、この屋敷にアンドリューもいる。そこまではいい。
フリッカーの声が近すぎる。すぐそこまで来ているのだ。おそらくはキャスが部屋に戻っても、扉を閉めるのが間に合わない。そう考えたキャスは、グレンのいる部屋を素通りし、廊下の角を曲がる。
しかしそこは行き止まりであった。
「アンドリュー君?」
また、フリッカーの声がしたが、遠ざかっていく。おそらくは階段を上りきったところで、キャスとは反対方向に進んだのだろう。
でも安心はできない。フリッカーはアンドリューの姿を確認したら──或いはできなかったら──こちら側にやって来るかもしれない。
ここは廊下の突き当たりで、キャスの届かないところに小さな窓がある以外は何もなかった。
「……。」
いや、何もない訳ではない。
キャスはある一点に注目し、そこへ近づいていく。
壁に小さな扉のようなものがついているのだ。大きさ的に人間が出入りするためのものではない。キャスはその扉の取っ手に手を掛け、開けてみた。
間違いない。これはダストシュートだ。
女学校の廊下にも取り付けられていた。階下にゴミを捨てに行く手間を省くための設備で、各階から投げ込まれたゴミは一か所に溜まる。一番下のゴミ溜めは焼却炉に通じていた。この屋敷のものも、女学校と同じようになっているのではないかと思った。
普通の大人が出入りするには無理があるが……自分の体格ならば、ここから脱出できる。
キャスは迷わずそこに身体を入れた。
ゴミがクッションになってくれるはずだと決めつけて飛び込んだが、割れたガラスや尖ったものが捨てられている可能性にも思い当たった。
でも、早まったかもしれないと考える前に「ぐちゃっ」と音がして酷い腐乱臭が鼻をついた。「チチッ」というネズミの鳴き声まで聞こえる。
どうやら自分は腐った生ゴミの上に尻もちをついている状態らしい。立ち上がろうとして手をつくと、今度は「グニュッ」とした感触があって、さらに手の甲に何かが触れた。
「ひえぇっ……!」
触れたものはゴミかもしれない。でも、虫かもしれない。
身震いしながらなんとか立ち上がり、ゴミ溜めから脱出した。
とっくに夜が明けて、陽が高い位置へ昇り始めている。
叔父や屋敷の使用人に見つかる前に、ここを立ち去らなくては。
グレンは大丈夫なのだろうか。キャスが逃げ出したと、まだばれていなければ良いのだけれど。
今頃フリッカーがグレンのいる部屋へ入ったかもしれないと思うと怖くなったが、今は考えるよりも先に行動すべきだ。
キャスはレンガの塀に足を掛けてよじ登り、叔父の敷地から通りに出るとそこから走り出した。
「冷やかしはお断りだよ! よそでやってくれ!」
御者がそう怒鳴ったかと思うと、辻馬車はキャスを乗せることなく去ってしまった。
断られたのはこれで三台目だ。キャスは肩を落とす。
ルルザ大聖堂までは結構な距離があるから、辻馬車を停めようと思ったのだ。
お金を持っていないから、到着した後で騎士団に支払ってもらおう──団員の危機を知らせに行くのだから、交通費くらい支払ってくれるだろう──と考えていた。
しかし、馬車が止まってくれないのはキャスが「後払いで良いか」と訊ねたからではない。強烈な生ゴミ臭を漂わせているからだ。
ズボンには何かの汁がべったりと付着しているし、きっと顔も汚れている。おまけにはだけた胸を隠すためとはいえ、首にクロスを巻き付けているから怪しいことこの上ない。
今の自分は物乞いにしか見えないのではないだろうか。
こうなったら馬車を停めることを諦め、自分の足で走っていくしかなかった。
「はあっ、はあっ……」
何ブロックか走ったところで、キャスは膝に手をついて息を整えた。
厨房で働いていたから体力がない訳ではないが、走り続けるという行為には慣れていなかった。肺とわき腹が痛むし、喉がからからに乾いて上手く唾が飲み込めない。
少し距離のあるところにいる人はキャスのことを訝し気に観察しているし、近くを通りかかった人は「うっ」と言って鼻と口を塞いでいる。今の自分は二十一歳の乙女としてあるまじき風体であるようだ。
でも、そんなことを気にしている場合ではない。大聖堂まで急がなくては。そう思いはしたが、次に立ち止まって休んだら、もう走れなくなるような気がしていた。
もう決して立ち止まらずに、大聖堂まで走りきるための気合を入れている時、
「おい。君は、あの時の……グレンの友人ではないか?」
どこかで聞いたような声がしてなんとか顔を上げると、そこにはグレンの従兄、ヒューイ・バークレイ子爵と王都の美術商、オリヴィエ・グラックが立っている。
「君の様子……尋常ではないぞ。何かあったのか?」
「大丈夫かい? なんだかとても辛そうだよ」
彼らはキャスの方へ歩み寄り、途中で「うっ」と怯んだが、それでも近くまで来てくれた。
「な、何があった!? 大丈夫か? 医師を呼んだ方がいいか!? それとも……」
「し、子爵様……」
「君は、怪我をしているのか?」
「子爵様っ……」
こんな偶然があるだろうか。でも、この偶然に感謝しなくてはいけない。
キャスが立ち止まって息を整えていた場所、そこは、彼らが滞在してる宿屋「月の果実」の前だったのだ。
「た、助けてください!」
ヒューイ・バークレイならば、キャスよりも効率的にルルザ聖騎士団を動かせるのではないか。彼ならば、グレンを助けるために全力を尽くしてくれるに違いない。
キャスの目から安堵の涙が溢れそうになった。
「どうした? 怪我をしているのか? 具合が悪いのか?」
「私は宿へ戻って毛布を借りてこよう。彼女には……着替えが必要だ」
「ああ、オリヴィエ殿、頼みます……それで、いったい何があったんだ? 話せるか?」
ボロボロのキャスを見て、ヒューイたちはは色々と想像を巡らせたようだった。疲労と寝不足と、纏わりつく生ゴミ臭で吐き気がする以外は、いたって健康である。キャスはしゃくりあげながら訴えた。
「おっ、おねっ、お願いします……! グ、グレン様を、助けてください! お願いします……!」
*
キャスリーンが出て行ってしまった後、グレンは楽な姿勢を探しつつ壁にもたれた。床に転がっておくのが一番楽ではあるのだが、それでは無防備過ぎて心もとない気がした。
それから一瞬で終わった口づけのことを考えた。
彼女とキスをしたのは初めてではない。もっと深くて際どいものだって交わしている。でも、どちらかと言えばそれは情欲や勢いに任せたものだった。
先ほどキャスリーンと交わしたものは不意打ちだったとはいえ、強い何かが伝わってきたような気がした。ただ、その何かが分からずにいる。グレンを巻き込んだ申し訳なさだったのか、今生の別れを覚悟してのことだったのか。
「……まさか」
だいたい、キャスリーン・メイトランドはこの期に及んでグレンの股間を凝視しているような女である。彼女のキスに感傷的な想いが込められているとはあまり考えられなかった。
ガウンが小さすぎるから仕方ないとはいえ、彼女の前で尻を丸出しにしているのを見られたばかりでもある。
こんな間抜けな姿で最期を迎えるなんて、あって良い訳がない。あれを今生の別れにしてたまるかと思った。
──いいえ。貴方は、私の……
それに、彼女は何を言いかけたのだろう。
自分はキャスリーンの何だと言うのだろう。
そして、グレンにとってのキャスリーンとは……。
「……。」
グレンにとってのキャスリーンとは……自分をヒューイみたいにしてしまう女だと思った。
彼女に関わってから調子が狂いっぱなしだ。顔にボタンをぶつけられるし変態みたいな恰好のまま囚われるし、股間も尻も見られるしで、情けないことこの上ない。しかもこれらはすべて二十四時間以内に起こった出来事である。……あり得ない。
グレン・バークレイはもっと冷静で、孤高であったはずなのだ。
では、ヒューイはどうだったのだろう。
ヘザーと恋に落ちた時、自分が変わっていく自覚はあったのだろうか。あったとしたら、彼はどうやって変化を受け入れたのだろう。
グレンは俯いた。が、むき出しの足が見えて自分の恰好を思い出し、気持ちが萎えそうになったので宙に視線を移した。
「ぼくは、ヒューイみたいになりたいわけじゃない……」
ぼそりと呟いた後で、目を閉じて深呼吸する。
それから、今は先ず、キャスリーンが戻ってきた場合のことを考えるべきだと思った。
おそらくだが、キャスリーンの父親の会社「タグリム商会」は、傾いてなどいなかったのではないだろうか。彼女の両親が亡くなったのは約三年前。アンドリューは学生で、キャスリーンも女学校を出たばかりだったという。
若くて世間知らずな姉弟を謀るのはさぞ簡単なことだっただろう。「君たちのお父さんの会社には莫大な借金があった。会社や屋敷を手放して清算するしかない」そう言ってキャスリーンたちが住んでいた屋敷を売り、傾いてもいない会社を他人に譲り、作ったお金をすべて自分の懐に入れる……充分に考えられ得ることだ。
さらにジェレマイアはどこかでアンドリューの才能に目をつけ始めた。贋作や模造品を作らせるのに適していると踏んだのだ。
しかし、アンドリューを「仲間」に引き込むにはキャスリーンが邪魔になってくる。確かにキャスリーンたちは曾祖母の日記のダミーを作るというせこい真似をしていたが、美術品の偽物となると規模が全く違う。大金が動くし人命が失われることもある。
アンドリューが美術品の偽物作りに手を出したと知ったら、キャスリーンは全力で弟を止めるだろう。だからジェレマイアは、アンドリューとキャスリーンをどこかで引き離したかったに違いない。
さらに、シャーロット・メイトランドの日記。日記の秘密をジェレマイアはどこまで信じていたのかは分からない。だが、半信半疑で様子を見ているうちに、日記は揃い、そして読み解かれた。
ジェレマイアはシャーロットの財産を手に入れ、アンドリューを仲間に引き込み、キャスリーンを消してしまおうと、一気に行動に出たのだ。
グレンは手枷をガシャガシャと動かしてみる。何かのはずみで壊れたり外れたりしそうにはなかった。
部屋を見渡し、手枷をぶつけて壊せそうなものが無いかを確認する。目につく場所にある金属のものと言えば、窓にはまった鉄格子と、ドアノブ位だ。窓は今の状態では届きそうにないし、ドアノブに手枷を打ち付けたりしたら、音が響いて仕方がないだろう。
彼女が戻ってきた場合に何をすべきかを考えていると、扉が開いた。現れたのはキャスリーンではなく、フリッカーであった。
「おや。一人足りないねえ」
「……。」
「あの女の子はどうしたのかな」
逃がしたなどと教えるつもりはない。どちらかと言えば、キャスリーンはまだこの屋敷内をうろついている可能性の方が大きいから、捜索されたらすぐに捕まってしまうだろう。
そこでグレンは嘘をつくことにした。
「さっきジェレマイア・ミルトンが来て、連れて行ったんだ」
この嘘が鵜呑みにされることはないだろう。だが、フリッカーがジェレマイアに確認に向かえば、僅かだがその分の時間が稼げる。或いは、これがフリッカーにとってばればれの嘘であったなら、彼はグレンを問い詰めるはずだ。どちらにしろキャスリーンの動ける時間が増えると思った。
「ふうん……」
フリッカーは部屋に踏み入ると、後ろ手に扉を閉めた。グレンは自分が尋問されるのだと予想した。が、同時にキャスリーンの家で起こったことも思い出した。
フリッカーがグレンを縛り上げる際の出来事だ。グレンが武器を隠していないかを確認されたのだが……触れ方がやたらと執拗だったのだ。特に尻や股間を重点的に探られた。その時から「まさかな」とは感じていたが、その「まさか」らしい。
「ちょうどよかった。君と、ゆっくり話したいと思っていたところなんだよ」
フリッカーはグレンの前までやって来ると、ねっとりとした視線でむき出しの足を眺めまわす。ガウンを借りた時は多少小さくても乾いた服が手に入って有難いと感じたが、こんな事なら濡れた服を脱がなければよかった。今の自分はどう見ても露出狂の変態ではないか。しかも手足を拘束されている。
吐き気が止まなかったが、グレンは敢えて落ち着いた風を装った。彼を相手に怯えたり詰ったりしたら、それこそ何をされるか分かったものではない。
「ゆっくり、話したい……ですか」
「そうなんだよ。はじめて君を見た時から、ずっとそう思っていてね……で、どうかな?」
ここで頷いたら、身体で話し合うことになってしまうようだ。
ヒューイだったら、こんな時どうするのだろう。
グレンは深呼吸した。
ヒューイだったら、「最後まで諦めるな。最善を尽くせ」と言うだろう。
もう一度深呼吸する。
現在、グレン・バークレイ史上最大のピンチであるが、でも、これは拘束を解かせるチャンスなのではないかとも思った。
グレンはフリッカーを見上げ、言った。
「それは、どういう話かによりますね」
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