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第二話
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先日、アイリスは父であるクーランジュ公爵から相談を受けていた。
「王家の中に、狼の悪霊が紛れ込んでいる?」
防音仕様の書斎で、筆ひげのクーランジュ公爵は自身の子女の中でも特に頭脳明晰な次女アイリスへ、荒唐無稽とも取られかねない話を始めたのである。
「うむ。お前と婚約している第三王子にもその疑いがあるわけだが、さてどうすべきか……」
「お父様、国王陛下にはその旨をお伝えしているのですか?」
「もちろんだ。しかし、王位争いが激化してきている最中、このことを漏らせばどの勢力も相手を非難する材料に使うだろう。濡れ衣を着せ、強硬手段に出かねない輩もいる以上、下手に陛下が動くわけにはいかぬし、騒ぎを大きくしたくはない」
「なるほど」
ヒェムス王国の現国王からの信頼厚いクーランジュ公爵は、政治の表舞台ではさして高名でも何でもないが、こうして国王が自ら動くことが難しい案件を差配して解決する顧問的な役割を負っていた。第三王子ロディオンを最低限守るために、自慢の次女アイリスとの婚約を成立させたこともその一端だ。
現在、ヒェムス王国には三人の王子がおり、まだ立太子はなされていない。謀略よりも直接的な手段——暗殺や襲撃によって数多の王族が命を落としてきたヒェムス王国の歴史を鑑み、情勢は国王の制御下に置かれ、各勢力が物騒な手段を持ち出さないよう絶妙なバランスを保っているところだ。
であれば、『王族の誰かに狼の悪霊が憑いている』などとひとたび人の口に上ってしまえば、どうなるか。間違いなく非難の応酬が始まり、目障りな相手を狼憑きであると決めつけ暗殺の口実にしかねない。瞬く間に王城は血の海と化すだろう。
アイリスは少し考えたのち、クーランジュ公爵へ確認を取る。
「つまりは、私たちがその狼の悪霊を見つけ、秘密裏に退治すればいい、というわけですね?」
「うむ、それが最善だな。何か案はあるか?」
「では、こうしましょう、お父様。狼の悪霊の目的は、おそらく国の混乱もしくは乗っ取りだとして……上手く行ったように見せかけるのです。そうして喜び勇み、必ず王家の一員らしからぬ振る舞いを我慢しきれなくなるはずです。そこを狩人や司教たちとともに捕らえて、退治を大々的に喧伝するのです」
アイリスの狼退治の提案を、クーランジュ公爵はふむふむと頭の中の算盤を弾き、やがて「可能である」と結論づけた。国の最高権力者の一族である王族に取り憑くのであれば、その目的も自ずと絞り込める。ましてや狼だ、傾国の浪費よりももっと実際主義的な実利を取ろうとするのではないか。
そこまで推理できるのなら、取り憑かれそうな王族の人間に当たりをつけて、すみやかに化けの皮を剥いでいくこともできる。
「なるほど。我々は、容疑者一人ずつにそれぞれかまをかけていく、というわけだな」
「はい。差し当たって、国の乗っ取りに利用される可能性が高いのは三人の王子殿下たちです。私の見立てではおそらく、神学を修め敬虔な信徒である第一王子殿下、文武両道で銃の扱いにも長けた第二王子殿下、このお二方は狼の悪霊程度が入れ替わることは難しいかと」
「確かに、お二方は公的な行事では陛下の代理として派遣されることすらあるからな。それに、取り巻きも国で頂点を争う有力な家臣たちだ。万一、狼の悪霊が王子のふりをしてもすぐに見抜かれるだろう」
「それに比べ、第三王子……ロディオン殿下はお二方には何かと見劣りし、正妃の子であることが最大の売りという有様です」
自分の婚約者についてではあるが、言ってなんだが、とアイリスは少しバツが悪そうだった。クーランジュ公爵も苦笑いをしている。
そもそも、ヒェムス王国第三王子ロディオンには、王位を継げずとも殺されるわけにはいかない政治的な理由がある。だからこそ、クーランジュ公爵はアイリスを婚約者にと決めたのだ。
「ロディオン殿下はお優しいし、もし王位争いから脱落しても正妃の実家である隣国の援助でどこかしらの貴族の跡継ぎになれるからな。それを見越してお前と婚約を結んだわけだが、うん」
「いえいえ。私はロディオン殿下が好きですわ、お父様。お優しい心根は頼りないと見られるでしょう、しかし」
アイリスはほんのりと頬を染め、ロディオンを想う。確かに後ろ盾もなく、長じた実力もなく、魅力も人並みの第三王子だが、だからと言って嫌う理由にはならない。
「何も、国に必要なのは秀でた才能ばかりではありません。必ず、ロディオン殿下はひとかどの人物となりえますわ」
アイリスはそう断言した。
クーランジュ公爵は「お前がそこまで言うのなら」とあっさり納得する。
かくして、クーランジュ公爵とアイリスは、まず最有力候補の第三王子ロディオンからかまをかけていく、もとい狼の悪霊が取り憑いていないかを確かめていくことにしたのだった。
あとは簡単である。国王の側近から、第三王子ロディオンへそれとなく『クーランジュ公爵に他国との密通の嫌疑がかかっている。証拠となるであろう密書を手に入れたが、ロディオン王子の婚約者の実家のことであるゆえ、どうすべきか指示を仰ぎたい』と相談を持ちかけさせる。
それと同時に、ロディオンを即日クーランジュ公爵邸へと招くのだ。何が目的であれ、普段と違うおかしな様子であれば、アイリスが直接見抜ける。万一不測の事態があったとしても、クーランジュ城は堅固な守りを誇り、呪術的な防護も完璧である。狩人や司教にも別室で待機させておけばいい。
その計画は首尾よく進み、ロディオンはアイリスと面会して——クーランジュ公爵へ面会して嫌疑を確かめる前に婚約破棄を言い渡してきたことはいまいち謎だが——見事、尻尾を見せたのだった。文字どおり、いつのまにか狼のふさふさ尻尾が生えているのである。
「王家の中に、狼の悪霊が紛れ込んでいる?」
防音仕様の書斎で、筆ひげのクーランジュ公爵は自身の子女の中でも特に頭脳明晰な次女アイリスへ、荒唐無稽とも取られかねない話を始めたのである。
「うむ。お前と婚約している第三王子にもその疑いがあるわけだが、さてどうすべきか……」
「お父様、国王陛下にはその旨をお伝えしているのですか?」
「もちろんだ。しかし、王位争いが激化してきている最中、このことを漏らせばどの勢力も相手を非難する材料に使うだろう。濡れ衣を着せ、強硬手段に出かねない輩もいる以上、下手に陛下が動くわけにはいかぬし、騒ぎを大きくしたくはない」
「なるほど」
ヒェムス王国の現国王からの信頼厚いクーランジュ公爵は、政治の表舞台ではさして高名でも何でもないが、こうして国王が自ら動くことが難しい案件を差配して解決する顧問的な役割を負っていた。第三王子ロディオンを最低限守るために、自慢の次女アイリスとの婚約を成立させたこともその一端だ。
現在、ヒェムス王国には三人の王子がおり、まだ立太子はなされていない。謀略よりも直接的な手段——暗殺や襲撃によって数多の王族が命を落としてきたヒェムス王国の歴史を鑑み、情勢は国王の制御下に置かれ、各勢力が物騒な手段を持ち出さないよう絶妙なバランスを保っているところだ。
であれば、『王族の誰かに狼の悪霊が憑いている』などとひとたび人の口に上ってしまえば、どうなるか。間違いなく非難の応酬が始まり、目障りな相手を狼憑きであると決めつけ暗殺の口実にしかねない。瞬く間に王城は血の海と化すだろう。
アイリスは少し考えたのち、クーランジュ公爵へ確認を取る。
「つまりは、私たちがその狼の悪霊を見つけ、秘密裏に退治すればいい、というわけですね?」
「うむ、それが最善だな。何か案はあるか?」
「では、こうしましょう、お父様。狼の悪霊の目的は、おそらく国の混乱もしくは乗っ取りだとして……上手く行ったように見せかけるのです。そうして喜び勇み、必ず王家の一員らしからぬ振る舞いを我慢しきれなくなるはずです。そこを狩人や司教たちとともに捕らえて、退治を大々的に喧伝するのです」
アイリスの狼退治の提案を、クーランジュ公爵はふむふむと頭の中の算盤を弾き、やがて「可能である」と結論づけた。国の最高権力者の一族である王族に取り憑くのであれば、その目的も自ずと絞り込める。ましてや狼だ、傾国の浪費よりももっと実際主義的な実利を取ろうとするのではないか。
そこまで推理できるのなら、取り憑かれそうな王族の人間に当たりをつけて、すみやかに化けの皮を剥いでいくこともできる。
「なるほど。我々は、容疑者一人ずつにそれぞれかまをかけていく、というわけだな」
「はい。差し当たって、国の乗っ取りに利用される可能性が高いのは三人の王子殿下たちです。私の見立てではおそらく、神学を修め敬虔な信徒である第一王子殿下、文武両道で銃の扱いにも長けた第二王子殿下、このお二方は狼の悪霊程度が入れ替わることは難しいかと」
「確かに、お二方は公的な行事では陛下の代理として派遣されることすらあるからな。それに、取り巻きも国で頂点を争う有力な家臣たちだ。万一、狼の悪霊が王子のふりをしてもすぐに見抜かれるだろう」
「それに比べ、第三王子……ロディオン殿下はお二方には何かと見劣りし、正妃の子であることが最大の売りという有様です」
自分の婚約者についてではあるが、言ってなんだが、とアイリスは少しバツが悪そうだった。クーランジュ公爵も苦笑いをしている。
そもそも、ヒェムス王国第三王子ロディオンには、王位を継げずとも殺されるわけにはいかない政治的な理由がある。だからこそ、クーランジュ公爵はアイリスを婚約者にと決めたのだ。
「ロディオン殿下はお優しいし、もし王位争いから脱落しても正妃の実家である隣国の援助でどこかしらの貴族の跡継ぎになれるからな。それを見越してお前と婚約を結んだわけだが、うん」
「いえいえ。私はロディオン殿下が好きですわ、お父様。お優しい心根は頼りないと見られるでしょう、しかし」
アイリスはほんのりと頬を染め、ロディオンを想う。確かに後ろ盾もなく、長じた実力もなく、魅力も人並みの第三王子だが、だからと言って嫌う理由にはならない。
「何も、国に必要なのは秀でた才能ばかりではありません。必ず、ロディオン殿下はひとかどの人物となりえますわ」
アイリスはそう断言した。
クーランジュ公爵は「お前がそこまで言うのなら」とあっさり納得する。
かくして、クーランジュ公爵とアイリスは、まず最有力候補の第三王子ロディオンからかまをかけていく、もとい狼の悪霊が取り憑いていないかを確かめていくことにしたのだった。
あとは簡単である。国王の側近から、第三王子ロディオンへそれとなく『クーランジュ公爵に他国との密通の嫌疑がかかっている。証拠となるであろう密書を手に入れたが、ロディオン王子の婚約者の実家のことであるゆえ、どうすべきか指示を仰ぎたい』と相談を持ちかけさせる。
それと同時に、ロディオンを即日クーランジュ公爵邸へと招くのだ。何が目的であれ、普段と違うおかしな様子であれば、アイリスが直接見抜ける。万一不測の事態があったとしても、クーランジュ城は堅固な守りを誇り、呪術的な防護も完璧である。狩人や司教にも別室で待機させておけばいい。
その計画は首尾よく進み、ロディオンはアイリスと面会して——クーランジュ公爵へ面会して嫌疑を確かめる前に婚約破棄を言い渡してきたことはいまいち謎だが——見事、尻尾を見せたのだった。文字どおり、いつのまにか狼のふさふさ尻尾が生えているのである。
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