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第十九話 自然の摂理は尊ぶべき
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調査を終えたイフィゲネイアは、錫杖の石突を岩から引き抜いてこう言った。
「結論から言えば、『アングルボザの磐座』は外部からの干渉を受けて、空間が異常歪曲、時間経過も早まっている可能性が高いわ」
松明を手にしたタビは、首を傾げながらシノンへ回復ポーションを渡す。あっという間に一瓶を飲み干したシノンは、イフィゲネイアの言わんとしたことが分かったようだった。
「『管理人』であるアングルボザ以外の何者かの干渉か。俺たちはすでに時間が加速している空間に入り込んでいるのか?」
「それはまだ大丈夫。何かあれば動くものを見て、動きが早く感じられるでしょうから」
あまりにも普通に受けいられているが、それは普通のことなのだろうか。タビは尋ねてみる。
「そういうのって普通にあることなんですか……?」
「いや、まずないな。人工的にダンジョンを造り出すことは不可能だし、人間は基本的にモンスターの食糧だ。人語を解する『管理人』と何らかの関係があるなら、まああり得るのか? それにしたって、どういう手で干渉する?」
「できないと決めつけることはできないわ。何らかの方法がある、と仮定した上で、対応を探るべきね」
つまりこの状況は普通ではない、ということだ。
ダンジョン自体がそもそも異常な空間にある、という話なのに、さらにそれが異常をきたしている。それははたして人の手で解決するような問題なのだろうか。天井の見えない洞窟を見上げながら、タビは不安に苛まれる。
——多分、これは不安だと思うが、どうなのだろう。
何に対しての不安か、と言われればそう、イフィゲネイアがダンジョンごと破壊したり、シノンがダンジョン中のモンスターを狩り尽くしたり、そういう種類の不安ではないかとタビは思う。少なくとも、自分たちの身の危険に関しては何も感じていない。なぜなら、イフィゲネイアに加えてシノンがいるからだ。
イフィゲネイアは正直、イフィクラテスよりも強い。それはイフィクラテスも認めるところで、さらにはイフィクラテスよりもずっと容赦がない。だからタビが心配すべきことは、イフィゲネイアが解決手段と称してやりすぎないかということだけだ。
そのはずだったのだが、シノンも実は止めなければならないのではないか——タビの不安はそこにもあった。大丈夫だろうか、タビはシノンを見上げるが、シノンは不思議そうに見返してくる。
いやいや。タビは首を横に振った。
自分から動いて何とかしなければならない、とりあえず話についていこうとタビは決めた。
「えっと、ダンジョンの中がいつもと違う異常な空間と時間になっていて……だからモンスターが増えた、ってことですか?」
イフィゲネイアは頷く。
「そうね。たとえば、広大な空間があれば縄張り争いせずに平和に繁殖できて、さらにそれが何十年、何百年分の時間を加速した空間なら、外でたった数ヶ月しか経っていなくても人間を脅かす膨大な数のモンスターがいきなり現れたように感じられるでしょうね」
その仮説が事実であれば、『アングルボザの磐座』内では外と違う時間の流れ方だったとして——その差が数十、数百年にも及んでいたとなれば、確かにモンスターの数は恐ろしく増えていくだろう。ダンジョンはそこで生まれ、そこで暮らすモンスターにとって自然と快適な環境になっていくだろうし、実際にモンスターが増えたのであればどうにかして生態系も維持されているということだ。そうやって溜め込まれたモンスターたちが、『アングルボザの磐座』の外に流出した。今度は外の環境が脅かされ、生態系も大きく乱れる。人間にだって危害が及ぶ可能性があるだろう。
そこまで考えて、タビはイフィゲネイアへと確認する。
「それだと、ダンジョンの生態系も大変なことになる、はずですよね?」
「ええ」
「増えたなら、餌になる動物やモンスターがいないと数を維持できないし、それができている……これも、誰かがえっと、干渉しているから? そんなこと、できるんですか?」
タビのダンジョンに対する見方が正しいとして、また自然の摂理が外でもダンジョン内でも同じだとして、確かにモンスターたちにとっての環境は保たれるかもしれない——が、餌はそうはいかない。
たとえば草食動物ならば草、肉食動物ならば草食動物、世界はどこでも生態系のピラミッドが形成されて、必ずピラミッドの頂点に君臨する肉食動物の数が一番少なくなっている。多くなるとすぐ下の層の生き物たちが食い尽くされ、餌が減って肉食動物の個体数も自然と減っていく。そういった循環は、ダンジョン内でも同じであるはずだ。
なのに、際限なく増えるだろうか? 外にいたモンスターたちはダンジョンから溢れ出たのだろうが、岩場を覆い尽くすあの数だけでも維持するための餌はその数倍以上必要となる。ダンジョン内部にまだ同数以上がいるとすれば、『アングルボザの磐座』内にはどれほどの数のモンスターがいるのか。ダンジョン内生態系ピラミッドの最下層から最上層まで、総個体数では億を下らないかもしれない。それだけを内包する広大な空間が作られている、ということでもある。
そして、それをどうやって維持するのか。数を増やしていかなければいけないし、外から供給するのも繁殖を手伝うのもなかなかできることではない。『アングルボザの磐座』へ干渉している誰か——それが人間だとすれば、一体どうやって?
シノンもそれを理解したらしく、深刻そうに考え込む。
「だとすると、人間一人がやらかしたことじゃあないな。それに、ここでさらに異常が発生すれば、大山脈から南、ラエティア全土にモンスターが雪崩れ込むことも考えられる。危険どころの話じゃない、大災害だ」
そして、タビは現状、できることをやろうとする。
「師匠、あの」
「何?」
「モンスターがたくさん増えて、困るは困ると思うんですけど……外に出なければ、ダンジョン内でなら討伐されずに生きていっていい、と思うんです」
もちろん、人間や環境に危害を加えるモンスターは討伐すべきだ。
だが、ダンジョンに留まり、自発的に人間へ危害を加えないなら、何か手出しをすべきではない。そこまでしてしまえば、『アングルボザの磐座』へ干渉した何者かと同じになってしまう。
「一番大事なのは『アングルボザの磐座』からたくさんモンスターが溢れ出ないことで、人に被害が出ないなら放っておいてあげれば、と思って」
今ならまだ、それができるかもしれない。
タビは『ラハクラッツの森』で、ダンジョン内のモンスターにもそれぞれ役割があり、ダンジョンを維持し、生きていくために行動していることを知った。平和にそれが維持されるのであれば守られていいだろうし、もし人間とぶつかるようなら何か対策を講じなければならない。
タビには、安易にモンスターを殺すことが最善とは思えないのだ。ソクラテアを倒したときも、ラハクラッツと話し合えたときも、それは最後の手段にしたかった。
——『共存』、それができれば。
ほんの少し見えた光明を、タビは手放さない。
何か手段はないか、タビが訴えるように見上げると、イフィゲネイアはタビの主張に理解を示した。
「そうね。むやみやたらと殺すより、自然に増えたのなら自然に減ることを待ったほうがいい。干渉されて増えたなら、その干渉を消して、元通りにしてやればいい。そういうことね」
イフィゲネイアは仮面の下で微笑む。力はまだなくても、自分なりの答えを出そうとした弟子の頭を、よくやったとばかりに撫でた。
「『アングルボザの磐座』の内外を分かつ壁を強化しましょう。何者かの干渉を抑えて、『管理人』アングルボザの状態を確認してからになるけれど」
タビとイフィゲネイアの方針が決まり、シノンもあっさりとそれに同意する。
「まあ、異常さえ何とかなるならそれでいいか。俺だってモンスターを好き好んでぶっ殺したいわけじゃない」
どうやら、冒険者のシノンも殺生は好まないようだった。タビは安堵する。冒険者はモンスターを積極的に討伐しようとするものだと思っていただけに、シノンが冷静に判断してくれたことはありがたかった。
そしてもう一つ、タビはモンスターを討伐したくない理由がある。
「それに……何か目的がある、だとしたら何だろう、って。シノンさんが言ったように、ラエティアを危険に晒すことが目的だったなら、モンスターは利用されているだけだと思うんです」
何者かの目的がそこにあるのなら、モンスターはただ道具として扱われている。
他人の都合でそんなふうに扱われるのは——何と表現すべきか、タビは少し迷ったが、きっとこうだろう。
——それはきっと、ひどい話だ。世界は、そうあってはいけないのだ。
だが、それがタビの主張だとしても、真っ向から対立する存在がいるからこそ、今の異常事態が起きているのだ。
足元が揺れる。小石が飛び跳ね、振動でぱらぱらと岩が落ちてきて、ずしん、ずしんと踏み鳴らす重圧感ある音が洞窟の奥から響いていくる。
イフィゲネイアとシノンが真っ先に洞窟の奥を見た。何かがやってくる、その気配を察して、何が起きてもどうにかなるように錫杖と大剣を握りしめて。
そうして近づいてくる地響きの主は、洞窟を埋め尽くす鋼色の肌をした巨体の女巨人アングルボザだった。
「結論から言えば、『アングルボザの磐座』は外部からの干渉を受けて、空間が異常歪曲、時間経過も早まっている可能性が高いわ」
松明を手にしたタビは、首を傾げながらシノンへ回復ポーションを渡す。あっという間に一瓶を飲み干したシノンは、イフィゲネイアの言わんとしたことが分かったようだった。
「『管理人』であるアングルボザ以外の何者かの干渉か。俺たちはすでに時間が加速している空間に入り込んでいるのか?」
「それはまだ大丈夫。何かあれば動くものを見て、動きが早く感じられるでしょうから」
あまりにも普通に受けいられているが、それは普通のことなのだろうか。タビは尋ねてみる。
「そういうのって普通にあることなんですか……?」
「いや、まずないな。人工的にダンジョンを造り出すことは不可能だし、人間は基本的にモンスターの食糧だ。人語を解する『管理人』と何らかの関係があるなら、まああり得るのか? それにしたって、どういう手で干渉する?」
「できないと決めつけることはできないわ。何らかの方法がある、と仮定した上で、対応を探るべきね」
つまりこの状況は普通ではない、ということだ。
ダンジョン自体がそもそも異常な空間にある、という話なのに、さらにそれが異常をきたしている。それははたして人の手で解決するような問題なのだろうか。天井の見えない洞窟を見上げながら、タビは不安に苛まれる。
——多分、これは不安だと思うが、どうなのだろう。
何に対しての不安か、と言われればそう、イフィゲネイアがダンジョンごと破壊したり、シノンがダンジョン中のモンスターを狩り尽くしたり、そういう種類の不安ではないかとタビは思う。少なくとも、自分たちの身の危険に関しては何も感じていない。なぜなら、イフィゲネイアに加えてシノンがいるからだ。
イフィゲネイアは正直、イフィクラテスよりも強い。それはイフィクラテスも認めるところで、さらにはイフィクラテスよりもずっと容赦がない。だからタビが心配すべきことは、イフィゲネイアが解決手段と称してやりすぎないかということだけだ。
そのはずだったのだが、シノンも実は止めなければならないのではないか——タビの不安はそこにもあった。大丈夫だろうか、タビはシノンを見上げるが、シノンは不思議そうに見返してくる。
いやいや。タビは首を横に振った。
自分から動いて何とかしなければならない、とりあえず話についていこうとタビは決めた。
「えっと、ダンジョンの中がいつもと違う異常な空間と時間になっていて……だからモンスターが増えた、ってことですか?」
イフィゲネイアは頷く。
「そうね。たとえば、広大な空間があれば縄張り争いせずに平和に繁殖できて、さらにそれが何十年、何百年分の時間を加速した空間なら、外でたった数ヶ月しか経っていなくても人間を脅かす膨大な数のモンスターがいきなり現れたように感じられるでしょうね」
その仮説が事実であれば、『アングルボザの磐座』内では外と違う時間の流れ方だったとして——その差が数十、数百年にも及んでいたとなれば、確かにモンスターの数は恐ろしく増えていくだろう。ダンジョンはそこで生まれ、そこで暮らすモンスターにとって自然と快適な環境になっていくだろうし、実際にモンスターが増えたのであればどうにかして生態系も維持されているということだ。そうやって溜め込まれたモンスターたちが、『アングルボザの磐座』の外に流出した。今度は外の環境が脅かされ、生態系も大きく乱れる。人間にだって危害が及ぶ可能性があるだろう。
そこまで考えて、タビはイフィゲネイアへと確認する。
「それだと、ダンジョンの生態系も大変なことになる、はずですよね?」
「ええ」
「増えたなら、餌になる動物やモンスターがいないと数を維持できないし、それができている……これも、誰かがえっと、干渉しているから? そんなこと、できるんですか?」
タビのダンジョンに対する見方が正しいとして、また自然の摂理が外でもダンジョン内でも同じだとして、確かにモンスターたちにとっての環境は保たれるかもしれない——が、餌はそうはいかない。
たとえば草食動物ならば草、肉食動物ならば草食動物、世界はどこでも生態系のピラミッドが形成されて、必ずピラミッドの頂点に君臨する肉食動物の数が一番少なくなっている。多くなるとすぐ下の層の生き物たちが食い尽くされ、餌が減って肉食動物の個体数も自然と減っていく。そういった循環は、ダンジョン内でも同じであるはずだ。
なのに、際限なく増えるだろうか? 外にいたモンスターたちはダンジョンから溢れ出たのだろうが、岩場を覆い尽くすあの数だけでも維持するための餌はその数倍以上必要となる。ダンジョン内部にまだ同数以上がいるとすれば、『アングルボザの磐座』内にはどれほどの数のモンスターがいるのか。ダンジョン内生態系ピラミッドの最下層から最上層まで、総個体数では億を下らないかもしれない。それだけを内包する広大な空間が作られている、ということでもある。
そして、それをどうやって維持するのか。数を増やしていかなければいけないし、外から供給するのも繁殖を手伝うのもなかなかできることではない。『アングルボザの磐座』へ干渉している誰か——それが人間だとすれば、一体どうやって?
シノンもそれを理解したらしく、深刻そうに考え込む。
「だとすると、人間一人がやらかしたことじゃあないな。それに、ここでさらに異常が発生すれば、大山脈から南、ラエティア全土にモンスターが雪崩れ込むことも考えられる。危険どころの話じゃない、大災害だ」
そして、タビは現状、できることをやろうとする。
「師匠、あの」
「何?」
「モンスターがたくさん増えて、困るは困ると思うんですけど……外に出なければ、ダンジョン内でなら討伐されずに生きていっていい、と思うんです」
もちろん、人間や環境に危害を加えるモンスターは討伐すべきだ。
だが、ダンジョンに留まり、自発的に人間へ危害を加えないなら、何か手出しをすべきではない。そこまでしてしまえば、『アングルボザの磐座』へ干渉した何者かと同じになってしまう。
「一番大事なのは『アングルボザの磐座』からたくさんモンスターが溢れ出ないことで、人に被害が出ないなら放っておいてあげれば、と思って」
今ならまだ、それができるかもしれない。
タビは『ラハクラッツの森』で、ダンジョン内のモンスターにもそれぞれ役割があり、ダンジョンを維持し、生きていくために行動していることを知った。平和にそれが維持されるのであれば守られていいだろうし、もし人間とぶつかるようなら何か対策を講じなければならない。
タビには、安易にモンスターを殺すことが最善とは思えないのだ。ソクラテアを倒したときも、ラハクラッツと話し合えたときも、それは最後の手段にしたかった。
——『共存』、それができれば。
ほんの少し見えた光明を、タビは手放さない。
何か手段はないか、タビが訴えるように見上げると、イフィゲネイアはタビの主張に理解を示した。
「そうね。むやみやたらと殺すより、自然に増えたのなら自然に減ることを待ったほうがいい。干渉されて増えたなら、その干渉を消して、元通りにしてやればいい。そういうことね」
イフィゲネイアは仮面の下で微笑む。力はまだなくても、自分なりの答えを出そうとした弟子の頭を、よくやったとばかりに撫でた。
「『アングルボザの磐座』の内外を分かつ壁を強化しましょう。何者かの干渉を抑えて、『管理人』アングルボザの状態を確認してからになるけれど」
タビとイフィゲネイアの方針が決まり、シノンもあっさりとそれに同意する。
「まあ、異常さえ何とかなるならそれでいいか。俺だってモンスターを好き好んでぶっ殺したいわけじゃない」
どうやら、冒険者のシノンも殺生は好まないようだった。タビは安堵する。冒険者はモンスターを積極的に討伐しようとするものだと思っていただけに、シノンが冷静に判断してくれたことはありがたかった。
そしてもう一つ、タビはモンスターを討伐したくない理由がある。
「それに……何か目的がある、だとしたら何だろう、って。シノンさんが言ったように、ラエティアを危険に晒すことが目的だったなら、モンスターは利用されているだけだと思うんです」
何者かの目的がそこにあるのなら、モンスターはただ道具として扱われている。
他人の都合でそんなふうに扱われるのは——何と表現すべきか、タビは少し迷ったが、きっとこうだろう。
——それはきっと、ひどい話だ。世界は、そうあってはいけないのだ。
だが、それがタビの主張だとしても、真っ向から対立する存在がいるからこそ、今の異常事態が起きているのだ。
足元が揺れる。小石が飛び跳ね、振動でぱらぱらと岩が落ちてきて、ずしん、ずしんと踏み鳴らす重圧感ある音が洞窟の奥から響いていくる。
イフィゲネイアとシノンが真っ先に洞窟の奥を見た。何かがやってくる、その気配を察して、何が起きてもどうにかなるように錫杖と大剣を握りしめて。
そうして近づいてくる地響きの主は、洞窟を埋め尽くす鋼色の肌をした巨体の女巨人アングルボザだった。
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