さようなら、私の小さな騎士様

ルーシャオ

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第十八話

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 ヤルンヴィト辺境伯は何とも口惜しい、という口振りだったが、エレミアが信じないのは当然だ。

 つい先日、夫から逃げてきた子爵夫人が、婚約の話など信じられるだろうか?

 よしんば信じたとしても、相手がよりによってもうすぐ十二歳のユリウス——エレミアから見れば従兄の子という遠いながらも親族だが、そのくらいであれば貴族間の結婚では珍しくもない——となると、嫌がるというよりも相手への遠慮が強いだろう。

 少なくとも、ユリウスはそう解釈し、少しばかりエレミアのために擁護を付け加える。

「向こうはそうは受け取らないでしょう。僕はまだまだ年も若く頼りないですし、いつ状況が傾くかも分からないのに肩入れするわけにはいかない。それが貴族の身の振り方というものです」
「だとしても……なあ?」
「だとしても?」

 今度は何だ。おそらく、ユリウスの顔にはそう書いてあったに違いない。

 ヤルンヴィト辺境伯は、珍しく躊躇いがちに、エレミアの現状を明かした。

「今、エレミア殿は、国内各地で紛争調停を行っている。儂をはじめ四辺境伯が流した食料買い占めや反乱の噂が火種で、あちこちで争いごとがよく燃え上がっているわけだが、それを片っ端からエレミア殿が鎮めているわけだ。よくやるものだ、まったく」

 ——国内各地、紛争調停、火種、片っ端から、鎮めている。

 エレミアには到底似合わない単語の数々を、数秒かけてやっとのことで飲み込めたユリウスは、思わず呆れ返った。

「ひょっとして、自作自演マッチポンプ、ですか? 彼女を巻き込んで」
「馬鹿を言うな! 儂はそんなつもりでエレミア殿に情報を渡したわけではない、上手く利用するとだけ言って出ていったと思ったらそれだ。しかも、なかなかに順調で、貴族や平民たちからの人気はこの数ヶ月でうなぎ上りだぞ」

 本当のところは定かではないものの、エレミアが本来反乱計画にない、特筆すべき働きをしているというのは、にわかに信じがたかった。そんな都合のいい話があるなどと信じられない、しかし、エレミアのことを信じたい、そのせめぎ合いでユリウスの心が揺れる。

 エレミアは貴婦人であり、政治や軍事の話題になど関わり合いになれない——ユリウスもヤルンヴィト辺境伯も、数ヶ月前にはそんなふうに思い込んでいた。ところが、蓋を開けてみれば自分から最前線でそうしたことを担い、むしろ予定されていた反乱計画を上手く利用してしまっており、計画が本筋どおりに行かなくなって怒るはずの本職のヤルンヴィト辺境伯さえ褒める有様だ。

 この時点で、ユリウスは事態が予想だにしていなかった方向へ進みはじめている、と勘づいていた。間違いなくエレミアが事態をそう動かしたのであり、これから先どうなるかはエレミアが鍵となりうる。

 反乱計画の中心的人物に一気に躍り出たエレミアを、ユリウスはどう扱うべきか。すでにユリウスは答えを出している。

(『約束』どおり、いや、『約束』などあろうがなかろうが、危険なのだから守らなくては。僕は、彼女の小さな騎士なのだから)

 それは、初めはエレミアとのほんの些細な会話のやり取りや冗談で生まれた言葉だったかもしれない。だが、今となっては、ユリウス自身が彼女エレミアの騎士でありたいと本気で思っている。

 古の吟遊詩人が語ったような、貴婦人に忠義を尽くす騎士。育ったフィンダリアの土地にはないその理想像は、ユリウスの父と側近たちが十分に寝物語として幼いユリウスへ、『約束』とともに教え伝えてきた。

 ユリウスは、彼女の名前を聞くたびに胸が高鳴るのは、理想の騎士になるべきという使命感ゆえなのだ、と信じて、今ここに立っている。ベルルーニ王国元第一王子の嫡男としてではなく、だ。

 そんなことはつゆ知らず、ヤルンヴィト辺境伯は——ユリウスにとって聞きたくもあり、聞きたくもないある話題へ、ついに踏み込んだ。踏み込んでしまった。

「正直なところ、儂はエレミア殿の方針でいいと思っている。予定は多少狂ったが、エレミア殿自身が吹聴してくれているからな」
「何をですか?」
「決まっている、、だ……正確には、『もうすぐ帰ってくる正当な王位継承権者』のために、国内の安定を図っている——あの美人がそう言えば、ほとんどの人間は勘違いするぞ。ああ、この女性はきっと『婚約者』のために力を尽くしている。帰ってきたら結婚するのだ、とな。もちろんヴィクトリアス殿下とではなく、その息子あたりだろうと簡単に予想できるだろう?」

 誰にとっても、それは盲点だったのだ。

 エレミアという赤銅色の髪をした貴婦人が、この盤面に出てくることを予想できた者など、誰一人としていない。ましてや、エレミアが心機一転、「何かをしなくては」という思いに突き動かされていることなど、ユリウスさえも知らない。

 完全なるダークホースだ。その行動、思考、目的の意図を違わず読み取れる人間がいない以上、彼女の過去や属性から憶測していくしかない。

 アルカディア伯爵家五女、十八歳、元王妃プロティアの実妹の子、元カリシア子爵夫人、カリシア子爵はすでに死亡、後見人はヤルンヴィト辺境伯、さらには『もうすぐ帰ってくる正当な王位継承権者』……そういった情報から、エレミアの望むものは何かと考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは、やはり——。

「実に、鮮やかなものだよ。女性ならではかもしれぬ。王位継承権者といえば普通は男だ、その人間のためにと言うならかつての王妃の血統で生き残っていた王子がいて、その誰かのために健気にも走り回っているのだ、これほど働くのだからきっと深く愛する人なのだろう……と思うものだ。なあ?」

 別に、ユリウスは納得できていないわけではない。世間一般の人々の憶測など、山をドラゴンと見間違え、貴族を資産家と勘違いする程度の認識から生まれるものだ。

 ゆえに、ヤルンヴィト辺境伯の言うとおり、エレミアの目的を『次の王の妃を狙っている』などと下衆の勘ぐりをされるのは、致し方ない部分もある。ユリウスはそう捉えた。その上で、疑問が浮かぶ。

彼女エレミアは決して見境のない、手段を選ばないような人ではない。むしろ、あんな状況でも僕を気遣うくらい優しい人だ。それに、元王妃の末路を間近で見て知っていて、自分が王妃になろうだなんて思うわけがない。となると、彼女はむしろ、……?)

 エレミアがどこまで考えているかはさておき、貴族ならばその程度の頭は回る。では、そのための策として、彼女がこの状況下でどういうことをしたのか。

 大して考えたわけではないが、はたと、ユリウスは答えに行き着いた。

 彼女の目的に関する話はすべて、憶測なのだ。ならば、エレミアは本当に何かを宣言したわけではなく、彼女の言葉が曲解されてもいないのならば、これしかない。

「もしかして……彼女は、……?」

 たったそれだけのことなのに、エレミアは多くの人々にここまでの憶測を抱かせた。

「そうだ。お前かヴィクトリアス殿下が王位に就いても、婚約はしていない、だから結婚はしないし、する必要はない。何なら、遠い親族であることを理由に協力するのは当然、とでも語るだろう。お前と殿下が余計なものに縛られないために、エレミア殿はあえてそう振舞っているんだ」

 ユリウスもヤルンヴィト辺境伯も、それにはまったくもって感心するほかない。

 いや、感心どころか、戦慄さえする読みだ。自分は何も言っていない、周りがはやし立てたところでそんな約束はなく、自分の経歴からもその選択はありえない。もちろん、ヴィクトリアスもユリウスもエレミアへ結婚を要求することはない、説得力のある断る理由だって作ろうと思えばいくらでも作れる。

 だが、もっと確実な方法もあるのだ。エレミアがそれを選ぶ可能性が否定できないため、ユリウスは口にすることさえ憚られている。

 そこまで考え抜いた上で、エレミアは危険な争いの真っ只中で、何を思い、何のために行動しているのか。ユリウスはまだエレミアのことを分かっていなかったのだと痛感すると同時に、無性に心配になってくる。今すぐにでもエレミアのもとへ向かいたい、数ヶ月前に話せなかったことを話して、聞きたいことを聞かなければならない。

 もうすでにユリウスは逸る心を抑えきれなくなりかけているというのに、ヤルンヴィト辺境伯はさらに余計なことを言う。

「ユリウス。もし、計画が上手くいって、予定どおりお前か殿下が国王になったとしよう。そのとき、エレミア殿はどうするのだろうか。姿を消すくらいならいいが、役目を終えたとばかりに——」

 その先は言わせなかった。ユリウスは叫ぶ。

「縁起でもないことをおっしゃらないでいただきたい!」
「すまぬ、つい」

 謝るあたり、ヤルンヴィト辺境伯もまた、エレミアを心配する気持ちは本物だろう。だからと言って許せるわけではない、ユリウスは苛立ちをどうにか理性で抑える。

 とにもかくにも、何とかしなくてはならない。何とか、となるともうこれしかユリウスには取れる手段が残っていなかった。

 ヤルンヴィト辺境伯へ、ついにユリウスは啖呵を切った。

「僕と彼女との婚約を、どうにか公式のものとしてください! 結婚については彼女と話し合ってからです!」
「ああ、ああ、分かった分かった、どうにかしておく」
「可及的速やかにお願いします! 僕は、彼女に会いにいきます! 今はグレンフツ伯爵領にいるのですよね? あとのことは、イシディヤの残した部下と相談してください!」

 盛大に問題発言を言い残して、ユリウスは大股でヤルンヴィト辺境伯の執政室から飛び出していく。扉は邪魔だとばかりに蹴り開けられ、廊下に出るやいなや駆け出していく軽快な足音が響きわたる。

 ユリウスに厄介な頼まれごとをされたヤルンヴィト辺境伯だったが、決してできないわけではない。

 大きな大きなため息を吐いて、ヤルンヴィト辺境伯は少しばかり満足そうに笑った。

「ふう、ユリウスもまだまだ青いな……おかげで年寄りばかりが苦労をする」

 満更でもないふうに、ヤルンヴィト辺境伯はいくつか書状を作りはじめた。

 すでに公文書偽造は数え切れないほど行っている。今更、一つや二つ増えたところでどうということはない。たとえば、公的な効力を有する婚約の契約書作りなど、ヤルンヴィト辺境伯の権力をもってすれば朝飯前だ。

 何せ、エレミアのためにと、ユリウスの協力者がカリシア子爵とその屋敷を焼き払った一連の騒動も、ヤルンヴィト辺境伯の手で色々と証拠を作るなり文書を偽造するなりしてのだから。

 これで、若者の恋路の邪魔はなくなったも同然である。

 陰ながら応援するヤルンヴィト辺境伯は、柄にもなく愉快な気持ちでペンを走らせ、さらなる小細工を弄するのだった。
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