子爵令嬢にとんでもないもの背負わせないでください

ルーシャオ

文字の大きさ
6 / 22

第六話 ラヘル・ヴェリシェレン

 フィオがいなくなって、私は急に冷静さを取り戻し、まずすべきことを口に出します。

「落ち着いて、アリアーヌ。フィオから話を聞き出すのは一旦保留にして、私自身の目と耳で状況を把握するしかないわ。何がおかしいのか、何が正しいのか、きちんと見極めて、それから——」

 それからどうする。逃げるか、フィオの妻になるかを決めるの?

 どちらにしたって、私一人では困難です。今の今まで屋敷から一歩も出たことのない正真正銘の箱入り娘が、どうして遠く離れているであろう実家に戻ることができるのか。背中の『豊穣の女神アンナプルナ』の紋章は私に何の力も与えてくれません、ただ異種族にとって魅了チャームにも近い効果を発揮している何か、でしかないのです。

 とはいえ、実現困難だからと諦めるにはまだ早いでしょう。落ち着いて考えてみましょう、まず待遇は悪くないのですから、衣食住の心配もなく、少しなら時間もあります。

(そうだわ。これほどの部屋のあるお屋敷なら、使用人がいるはず。フィオではなくそちらから話を聞いて、状況を整理しましょう)

 うんそうだ、それがいい。私はサイドテーブルの呼び鈴を手にして、やっぱりダメだと下ろしました。呼び鈴ではフィオが来てしまいます、自分の足で会いにいかないと。

 よいしょとベッド脇から腰を上げ、意を決して顔を上げると、そこには黒髪赤目の美少年が。

 私が呆気に取られて固まった瞬間、黒髪赤目の美少年は笑っていました。

「お困りかな?」
「ひぇ!?」

 驚きのあまり、というかいつの間にか勝手に部屋に入ってきていた黒髪赤目の美少年に、私はまったく気づきませんでした。執事服を着た、十五歳くらいの少年は、実に顔立ちが整っており、その所作まで目を見張るほど美しい有様です。少年の目元の二重ほくろがこうも色気を持っているとは、これまで私は露ほどもほくろに関心がありませんでしたが、とんでもないことです。

 しかしながら、先ほどの声は少年らしからぬ低音バリトンだったような——混乱の極みにある私へ、執事服を着た黒髪赤目の美少年は、愛らしく目を細めます。

「ははは、可愛らしい悲鳴を聞いてしまったな」
「だ、だだだ、だれ、誰!?」

 驚きすぎて一単語もちゃんと喋れない私に対し、美少年は大人びた口調で穏やかに問います。

「さて、アリアーヌ、私の名をご存じかな?」

 不思議なものです。私が誰、と尋ねたら、名前を知っているかと問われました。この話の噛み合わなさは、先ほどのフィオとのやりとりを思い出してしまいます。何となく、嫌な沈黙が流れました。

 笑顔を保ったまま、黒髪赤目の美少年はついに自己紹介に出ます。

「ラヘル・カジミェシュ・パントレオニス・ヴェリシェレン、それが私の名だ」
「まだ答えていないのに」
「それは失礼。だが、のかな?」
「ええ、もちろん。前に」

 当然だとばかりに口を突いて出たものの、はて、私は首を傾げました。

「前に……?」

 私は、ラヘルと名乗った黒髪赤目の美少年に、会ったことがないはずです。同世代の友人もろくにいない私のことです、忘れているとも思えません。

 またしても、フィオと同じです。ラヘル少年は私を知っているようですが、私は知らない。ラヘル少年の親密な態度を見れば、互いに顔を見知っていてもおかしくないだろうに、です。居心地の悪さばかりではありません、すっかり私から何かが抜け落ちている気さえします。フィオやラヘル少年はそんなことないのに、私だけ記憶の欠落でもあるのでしょうか。

 だめです、頭がこんがらがってきました。気づけるはずのことに気づけていない、そのもどかしさで私は頭がまともに働きません。驚きや恐怖も手伝って、なおのことです。

 ですが、ラヘル少年は私の前にしゃがみ、微笑みを絶やさず待っていました。見上げてくるその上品な美貌は、どこかうれいを帯びています。人間離れした赤い切長の双眸には、強い意思を込めて。

 ひょっとすると、私に何か言いたいことがあるのかもしれません。会話から何か事態解決の糸口が掴めるかもしれない、なけなしの勇気を振り絞って、私はできるだけはっきりと言葉を発します。

「あの、いくつか聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
「ラヘル、私はあなたと会ったことがあるの? どうしても、思い出せないのだけど」

 ラヘル少年の目が一瞬だけ大きく開きましたが、すぐに元に戻ります。驚くようなことを言ってしまったかしら、もしかすると私は記憶喪失にでもなったのかもしれません。そんな心配をしてしまうほどに、他者の態度にすっかり私は怯えてしまっています。

 ただ、ラヘル少年は片膝を床に突き、右手を胸に当て、私へ左手を差し伸べるプロポーズの姿勢を取って、高らかに笑います。

「君とは何度か運命の出会いをしたとも! もちろん、今のことではないよ。それに、今回は奇跡的に」
「そこまでだ」

 ラヘル少年の言葉を遮ったのは、帰ってきたフィオです。ラヘル少年の頭に陶器のポットを置き、底面が相当熱かったらしくラヘル少年が「あっつぁー!?」と頭を抱えて叫んで床を転がっています。

 いきなりのひどい絵面に、シリアスな雰囲気が台無しです。フィオはまったく意にも介さず、サイドテーブルに持ってきたトレイごと温かいお茶を置きました。香り高い紅茶です、薄手のティーカップに注がれると花の甘い香りが漂ってきました。

 フィオは壁際にあったスツールを運んできて私の前に座り、未だ床に腰を下ろしているものの何とか起き上がったラヘル少年を冷たくあしらいます。

「油断も隙もないな、『ヴェリシェレン王』。ここに入れたのは、あなたの策動のためではない」
「分かっているとも、『ヴォルテア卿』。いや、私にとってはヴォルテア・マイナーだな。三世でもいい」

 フィオとラヘル少年のさりげないやり取りですが、両者が見知った仲であり、それなりに因縁があることが窺えます。

 ですが、それだけに私には不可解な点が多数ありました。

「それは、どういうことなの? ヴェリシェレン王って確か、処刑場にやってきた……ヴォルテア卿ってあなたのことでしょう? 孫、なの? あれ?」
感想 0

あなたにおすすめの小説

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

【完結】今さら執着されても困ります

リリー
恋愛
「これから先も、俺が愛するのは彼女だけだ。君と結婚してからも、彼女を手放す気はない」 婚約者・リアムが寝室に連れ込んでいたのは、見知らぬ美しい女だった―― アンドレセン公爵令嬢のユリアナは、「呪われた子」として忌み嫌われながらも、政略結婚によりクロシェード公爵家の嫡男・リアムと婚約し、彼の屋敷に移り住んだ。 いつか家族になれると信じて献身的に尽くすが、リアムの隣にはいつも、彼の幼馴染であり愛人のアリスがいた。 蔑まれ、無視され、愛人の引き立て役として扱われる日々。 ある舞踏会の日、衆前で辱めを受けたユリアナの中で、何かがプツリと切れる。 「わかりました。もう、愛される努力はやめにします」 ユリアナがリアムへの関心を捨て、心を閉ざしたその夜。彼女は庭園で、謎めいた美しい青年・フィンレイと出会う。 彼との出会いが、凍りついていたユリアナの人生を劇的に変えていく。 一方、急に素っ気なくなったユリアナに、リアムは焦りと歪んだ執着を抱き始める。 ・全体的に暗い内容です。 ・注意喚起を含む章は※を付けています。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

《完結》悪女と噂されたわたくしのざまぁ

ヴァンドール
恋愛
悪女と噂のわたくしとの結婚なら、どれほど軽んじても問題はないと思っていた旦那様。 ところが……。

異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない

木風
恋愛
DV夫から一歳の娘を抱えて逃げた鈴木優子は、光に飲まれて異世界の王宮へ転移してしまう。 生きるために差し出した武器は簿記と経理経験――崩壊寸前の王宮会計を『複式簿記』で立て直すことに。 ただし譲れない条件はひとつ、「午後五時の定時退勤」。娘の迎えが最優先だからだ。 その姿勢に、なぜか若き国王ヴィクトルが毎日経理室へ通い始めて――仕事と子育ての先に、家族の形が芽吹いていく。

病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。 怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。 ……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。 *** 『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』  

【完結】無関心夫の手を離した公爵夫人は、異国の地で運命の香りと出会う

佐原香奈
恋愛
建国祭の夜、冷徹な公爵セドリック・グランチェスターは、妻セレスティーヌを舞踏会に残し、早々に会場を後にした。 それが、必死に縋り付いていた妻が、手を離す決意をさせたとも知らず、夜中まで仕事のことしか考えていなかった。 セドリックが帰宅すると、屋敷に残されていたのは、一通の離縁届と脱ぎ捨てられた絹の靴。そして、彼女が置いていった嗅いだことのない白檀の香りだけだった。 すべてを捨てて貿易都市カリアへ渡った彼女は、名もなき調香師「セレス」として覚醒する。 一方、消えた妻を追うセドリックの手元に届いたのは、かつての冷たい香りとは似て非なる、温かな光を宿した白檀の香水。 「これは、彼女の復讐か、それとも再生か——」 執念に駆られ、見知らぬ地へ降り立った公爵が目にしたのは、異国の貿易王の隣で、誰よりも自由に、見たこともない笑顔で微笑む「他人」となった妻の姿だった。 誤字、修正漏れ教えてくださってありがとうございます!

2度目の結婚は貴方と

朧霧
恋愛
 前世では冷たい夫と結婚してしまい子供を幸せにしたい一心で結婚生活を耐えていた私。気がついたときには異世界で「リオナ」という女性に生まれ変わっていた。6歳で記憶が蘇り悲惨な結婚生活を思い出すと今世では結婚願望すらなくなってしまうが騎士団長のレオナードに出会うことで運命が変わっていく。過去のトラウマを乗り越えて無事にリオナは前世から数えて2度目の結婚をすることになるのか? 魔法、魔術、妖精など全くありません。基本的に日常感溢れるほのぼの系作品になります。 重複投稿作品です。(小説家になろう)