34 / 36
第三十四話 嬉しいお礼はお風呂場な件
しおりを挟む
魔王の初来訪から数日後、すっかり探検家然とした格好になったアスベルが、アイギナ村のログハウスへと帰ってきた。
「帰ったぞ! 鳥のうんこ採ってきてやったぞー!」
もうすぐ昼食の時間にさしかかるが、アスベルは気にせず半ばやけくそ気味に叫ぶ。海鳥が空を埋め尽くす沿岸の島々で鳥糞石の採取に従事してきたのだ、もはや食事場所もアウトなワードも気にならない。アスベルはまた一つ大人になった——あるいは悟りに近づいていたが、誰も褒めてはくれないことだった。
そのアスベルを出迎えたのは、ラスナイトの淹れる紅茶を口にしながら、優雅に書類を片付けるルネだ。アスベルの発言を無視して、しっしと手で追い払う仕草をする。
「ご苦労様。共同浴場がこないだできたから、入ってきてちょうだい」
「おい、遠回しに臭いって言ってないか?」
「言ってないし、こんな田舎でお湯たっぷり使い放題なのよ? いいから入ってきなさい、気に入るから」
「何だってそんな贅沢なことに?」
「カツキが温泉を掘り当てたのよ。すごいわねぇ、『農耕神の手』様々よ」
「マジで? すごいな農耕神! よし、どんなもんか確かめてくる」
そのまま踵を返し、アスベルは風のように走っていった。
ラスナイトが開けっぱなしの玄関の扉を閉めようとして、ルネが「いいから、空気の入れ替えしましょ」と引き留める。そう——アスベルはまあ臭くはないのだが、何となく気持ちの問題である。
かっぽかっぽと戻ってくるラスナイトは、それならと窓も開けに動く。
「でも本当、あの共同浴場ってすっごくいいですよね。私用の深いお風呂も作ってもらっちゃって、有り難いです」
「そうね、いずれは他の種族もみんな不自由なく入れるよう拡張工事を考えているわ。まずは地下の湯量の調査をしないと、ってカツキが張り切っているし」
ラスナイトが開け放した窓から、濃い緑の匂いを風が連れてくる。本来ならこの時期アイギナ村に吹く風はもっと乾いていたのだが、村の西側にできた温泉井戸から湧き出る豊富な熱湯が若干の湿り気を含ませていた。
そう、カツキの『農耕神の手』は、本当に温泉を引き当てたのだ。ただし、その手段は本人曰く「何となく湿気ってたから調べたら熱水の水脈があった」という漠然としたもので、偶然の要素が強いのだろう、とルネはとりあえず納得している。
ルネとて、もし言えないような事情があったのなら、そのうちカツキが言い出すまで黙っていよう、くらいの気構えはある。
だが、カツキが言い出せなかったのは、そんなレベルのことではない。
「まさか魔王がお礼代わりに温泉水脈を当てて、ここ掘れわんわん役を僕がやったなんて言い出せないし……」
つまりはそういうことである。一夜で築いた仮設共同浴場も実は魔王が建設した、とはカツキ以外誰も知らず、アイギナ村にはその点を不思議に思っても「まあいいか」と指摘しない暗黙のルールが一つ出来上がっていたのだった。
村の集会所よりも広めのフロアに、木造屋根付きで床はタイル張り、大理石を浴槽に使った真新しい共同浴場ができたのは、ほんの二、三日前のことだ。
男女別、現在アイギナ村にいる人類の種族に対応した複数の浴槽を備えた共同浴場は、屋根と壁の間に幅広の採光窓が一段作られており、開け放して湯気を逃がしていた。きちんと体を洗う場所と湯に浸かる場所は別々で、冷水の溜まった槽もある。ゆくゆくは改築工事をするから仮設であるらしいが、もう十分すぎるほど立派な共同浴場ができていた。都会と呼ばれる都市にもそうそうない贅沢な設備であり、普段は水浴びで済ませていたアイギナ村の住民たちは、おっかなびっくりお湯に浸かる体験を味わいつつある。
脱衣所から全裸でやってきたアスベルが、目ざとく湯船に浸かる先客を見つけた。
「お、カツキ! 先に入ってたのか」
湯気の中、湯船でだらけるカツキは完全にとろけていた。この世界にやってきて初めての温かい風呂だ、毎日のように入り浸っている。
今日も理由をつけて二度目の入浴を堪能しているカツキは、久々の再会に目を細めた。
「おかえり、アスベル。周辺の調査で汚れたから、洗い流そうと思って」
「お前もよく働くなぁ。で、こいつは?」
こいつ、とアスベルの動かした視線の先は、カツキの隣、タオルを頭に巻きつけた見知らぬ一人の少年へ向けられていた。湯船のへりに腰をかけ、少しのぼせたように手をうちわ代わりにしている。
カツキはしれっと答える。
「友達」
「へぇ、コルム以外に暇な同年代のやつがいたのか」
「コルムはそこにいるよ」
「うお!? 倒れてるぞ!」
「大丈夫、タイルが冷たくて気持ちいいらしいよ」
カツキが指差すそこには、冷水の浴槽のそばで人間の姿をしたコルムがうつ伏せになって倒れていた。クリーム色の耳と尻尾は力なく垂れているが、たまにころんと転がって浴槽から溢れる冷水をかぶりつつ体温調節をしている。すっかりご満悦である。
ひととおり全身を新品の石鹸で洗ったアスベルが、大理石の積まれた浴槽に近づくと、ふと気付いた。
湯船から、何か出ている。目を凝らすとやっと正体が判明した。
それは、尻尾だ。硬そうな大きい鱗で覆われた、先細の赤い尻尾だった。
カツキの新しい友人らしい一人の少年は、赤い鱗で覆われた尻尾を持つ何者か、だった。
「帰ったぞ! 鳥のうんこ採ってきてやったぞー!」
もうすぐ昼食の時間にさしかかるが、アスベルは気にせず半ばやけくそ気味に叫ぶ。海鳥が空を埋め尽くす沿岸の島々で鳥糞石の採取に従事してきたのだ、もはや食事場所もアウトなワードも気にならない。アスベルはまた一つ大人になった——あるいは悟りに近づいていたが、誰も褒めてはくれないことだった。
そのアスベルを出迎えたのは、ラスナイトの淹れる紅茶を口にしながら、優雅に書類を片付けるルネだ。アスベルの発言を無視して、しっしと手で追い払う仕草をする。
「ご苦労様。共同浴場がこないだできたから、入ってきてちょうだい」
「おい、遠回しに臭いって言ってないか?」
「言ってないし、こんな田舎でお湯たっぷり使い放題なのよ? いいから入ってきなさい、気に入るから」
「何だってそんな贅沢なことに?」
「カツキが温泉を掘り当てたのよ。すごいわねぇ、『農耕神の手』様々よ」
「マジで? すごいな農耕神! よし、どんなもんか確かめてくる」
そのまま踵を返し、アスベルは風のように走っていった。
ラスナイトが開けっぱなしの玄関の扉を閉めようとして、ルネが「いいから、空気の入れ替えしましょ」と引き留める。そう——アスベルはまあ臭くはないのだが、何となく気持ちの問題である。
かっぽかっぽと戻ってくるラスナイトは、それならと窓も開けに動く。
「でも本当、あの共同浴場ってすっごくいいですよね。私用の深いお風呂も作ってもらっちゃって、有り難いです」
「そうね、いずれは他の種族もみんな不自由なく入れるよう拡張工事を考えているわ。まずは地下の湯量の調査をしないと、ってカツキが張り切っているし」
ラスナイトが開け放した窓から、濃い緑の匂いを風が連れてくる。本来ならこの時期アイギナ村に吹く風はもっと乾いていたのだが、村の西側にできた温泉井戸から湧き出る豊富な熱湯が若干の湿り気を含ませていた。
そう、カツキの『農耕神の手』は、本当に温泉を引き当てたのだ。ただし、その手段は本人曰く「何となく湿気ってたから調べたら熱水の水脈があった」という漠然としたもので、偶然の要素が強いのだろう、とルネはとりあえず納得している。
ルネとて、もし言えないような事情があったのなら、そのうちカツキが言い出すまで黙っていよう、くらいの気構えはある。
だが、カツキが言い出せなかったのは、そんなレベルのことではない。
「まさか魔王がお礼代わりに温泉水脈を当てて、ここ掘れわんわん役を僕がやったなんて言い出せないし……」
つまりはそういうことである。一夜で築いた仮設共同浴場も実は魔王が建設した、とはカツキ以外誰も知らず、アイギナ村にはその点を不思議に思っても「まあいいか」と指摘しない暗黙のルールが一つ出来上がっていたのだった。
村の集会所よりも広めのフロアに、木造屋根付きで床はタイル張り、大理石を浴槽に使った真新しい共同浴場ができたのは、ほんの二、三日前のことだ。
男女別、現在アイギナ村にいる人類の種族に対応した複数の浴槽を備えた共同浴場は、屋根と壁の間に幅広の採光窓が一段作られており、開け放して湯気を逃がしていた。きちんと体を洗う場所と湯に浸かる場所は別々で、冷水の溜まった槽もある。ゆくゆくは改築工事をするから仮設であるらしいが、もう十分すぎるほど立派な共同浴場ができていた。都会と呼ばれる都市にもそうそうない贅沢な設備であり、普段は水浴びで済ませていたアイギナ村の住民たちは、おっかなびっくりお湯に浸かる体験を味わいつつある。
脱衣所から全裸でやってきたアスベルが、目ざとく湯船に浸かる先客を見つけた。
「お、カツキ! 先に入ってたのか」
湯気の中、湯船でだらけるカツキは完全にとろけていた。この世界にやってきて初めての温かい風呂だ、毎日のように入り浸っている。
今日も理由をつけて二度目の入浴を堪能しているカツキは、久々の再会に目を細めた。
「おかえり、アスベル。周辺の調査で汚れたから、洗い流そうと思って」
「お前もよく働くなぁ。で、こいつは?」
こいつ、とアスベルの動かした視線の先は、カツキの隣、タオルを頭に巻きつけた見知らぬ一人の少年へ向けられていた。湯船のへりに腰をかけ、少しのぼせたように手をうちわ代わりにしている。
カツキはしれっと答える。
「友達」
「へぇ、コルム以外に暇な同年代のやつがいたのか」
「コルムはそこにいるよ」
「うお!? 倒れてるぞ!」
「大丈夫、タイルが冷たくて気持ちいいらしいよ」
カツキが指差すそこには、冷水の浴槽のそばで人間の姿をしたコルムがうつ伏せになって倒れていた。クリーム色の耳と尻尾は力なく垂れているが、たまにころんと転がって浴槽から溢れる冷水をかぶりつつ体温調節をしている。すっかりご満悦である。
ひととおり全身を新品の石鹸で洗ったアスベルが、大理石の積まれた浴槽に近づくと、ふと気付いた。
湯船から、何か出ている。目を凝らすとやっと正体が判明した。
それは、尻尾だ。硬そうな大きい鱗で覆われた、先細の赤い尻尾だった。
カツキの新しい友人らしい一人の少年は、赤い鱗で覆われた尻尾を持つ何者か、だった。
1
あなたにおすすめの小説
「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。
彼は気づいたら異世界にいた。
その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。
科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。
キャンピングカーで走ってるだけで異世界が平和になるそうです~万物生成系チートスキルを添えて~
サメのおでこ
ファンタジー
手違いだったのだ。もしくは事故。
ヒトと魔族が今日もドンパチやっている世界。行方不明の勇者を捜す使命を帯びて……訂正、押しつけられて召喚された俺は、スキル≪物質変換≫の使い手だ。
木を鉄に、紙を鋼に、雪をオムライスに――あらゆる物質を望むがままに変換してのけるこのスキルは、しかし何故か召喚師から「役立たずのド三流」と罵られる。その挙げ句、人界の果てへと魔法で追放される有り様。
そんな俺は、≪物質変換≫でもって生き延びるための武器を生み出そうとして――キャンピングカーを創ってしまう。
もう一度言う。
手違いだったのだ。もしくは事故。
出来てしまったキャンピングカーで、渋々出発する俺。だが、実はこの平和なクルマには俺自身も知らない途方もない力が隠されていた!
そんな俺とキャンピングカーに、ある願いを託す人々が現れて――
※本作は他サイトでも掲載しています
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
大学生活を謳歌しようとしたら、女神の勝手で異世界に転送させられたので、復讐したいと思います
町島航太
ファンタジー
2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。
異世界召喚された俺の料理が美味すぎて魔王軍が侵略やめた件
さかーん
ファンタジー
魔王様、世界征服より晩ご飯ですよ!
食品メーカー勤務の平凡な社会人・橘陽人(たちばな はると)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。剣も魔法もない陽人が頼れるのは唯一の特技――料理の腕だけ。
侵略の真っ最中だった魔王ゼファーとその部下たちに、試しに料理を振る舞ったところ、まさかの大絶賛。
「なにこれ美味い!」「もう戦争どころじゃない!」
気づけば魔王軍は侵略作戦を完全放棄。陽人の料理に夢中になり、次々と餌付けされてしまった。
いつの間にか『魔王専属料理人』として雇われてしまった陽人は、料理の腕一本で人間世界と魔族の架け橋となってしまう――。
料理と異世界が織りなす、ほのぼのグルメ・ファンタジー開幕!
社畜おっさんは巻き込まれて異世界!? とにかく生きねばなりません!
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
私の名前はユアサ マモル
14連勤を終えて家に帰ろうと思ったら少女とぶつかってしまった
とても人柄のいい奥さんに謝っていると一瞬で周りの景色が変わり
奥さんも少女もいなくなっていた
若者の間で、はやっている話を聞いていた私はすぐに気持ちを切り替えて生きていくことにしました
いや~自炊をしていてよかったです
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる