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第一章 淫魔の王と淫夢《ゆめ》みる聖女

╰U╯Ⅳ.約束の夜、契約の証(1)

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   † † †

 その晩、ミオリは夢を見た。
 淫夢ではなく、神殿に上がる前の、四歳のミオリがウォルフスに出逢った夜の夢だった。



 ミオリは住民たちから遠ざけられ、村の外れにあるやしろめられていた。
 近々ミオリは聖女として、聖都チェレステ=ラクイアの神殿に召されるのだ。それを前にしての潔斎である。

 食事などの世話をする人間はいたが、この三日、ひとりで夜を過ごしている。
 たった四歳の少女にとって、それはとてつもなく不安なことだった。

 この夜も夜半に目が覚めた。灯り皿に火は灯されていたが、そこから落とされる濃い影さえも、ミオリの不安を煽るものでしかない。

 ミオリは声をたてずに泣いた。
 どんなに泣き叫んでも、誰もやっては来ない。それはこのふた晩でよく解っていた。

 それでも、次から次へと涙が零れてしまう。

(かあさん……)

 しょっぱい涙が口にまで降りてきて、ミオリは洟を啜り上げた。

 泣いたってどうにもならないことは解っている。大人である父母がどうにもできないのだ、四歳のミオリがこの状況を変えることは不可能としか言いようがない。

「!」

 外から物音がして、ミオリは体を強張らせた。

 部屋の隅で体を丸くして膝を抱える。そしてやしろの入り口を、じっと見つめた。

 ほどなくガタゴトと音をたててかんぬきが外され、外から扉が開けられた。
 ――やがて侵入してきたのは、銀色のざんばら髪に褐色の肌の大男だった。

 ミオリは驚き、息を止めて彼を見つめる。

「お? 驚かせちまったか、悪い……」

 侵入者はミオリの姿を見て、少しぎょっとしたようだった。
 彼はミオリに近寄ることはせず、その場に胡坐あぐらをかいてどかりと座り込んだ。

「何もしないから、しばらく匿ってくれ」

 その言葉通り、彼は腕を組んで瞳を閉じている。
 部屋の隅で脚を抱えたまま、ミオリは男をじっと見つめた。

 その視線に気づいたのか、彼は瞳を開けて軽く微笑んで見せた。
 ミオリは意を決し、男に声をかける。

「……おじさん、悪い人?」

 おずおずと尋ねるミオリに、男は否定で返す。

「悪い人じゃないし、おじさんでもないぞ」
「追いかけられてるんでしょう?」
「あー……」

 男はばつが悪そうにがしがしと頭を掻いた。

「えーと……、友達と喧嘩をしたんだ」
「けんか?」
「女……の子と仲良くなってな、そしたらその子を好きな男の子が怒っちまったんだよ」
「そうなんだ」

 大人でもそういった喧嘩をするものなのか。ミオリは濡れた瞳をぱちくりとしばたいた。
 涙はいつの間にか止まっている。

 そんなミオリに、今度は男が尋ねた。

「嬢ちゃんこそ、どうして閉じ込められてるんだ。いたずらのお仕置きか?」
「ううん」
「じゃあ、どうして。こんなところに一人でいちゃ怖いだろう」

 彼は眉根をひそめた。
 人間の教育のことはわからないが、小さな子供にする仕打ちとも思えない。

「わたし、聖女になるの」
「聖女ってあれか? 聖都の神殿にいる?」
「うん。これはその準備で、けっさいなんだって」
「けっさい……潔斎か。だとしてもこんな子供をひとりで閉じ込めるなんて」

 ミオリはびっくりして彼を見つめる。

 両親以外の村人は、誰も聖女になるミオリをおもんぱかることはなかった。
 聖女を出した村には、莫大な報奨金が支払われる。嘆き悲しむ両親をよそに、村人達は遠くの井戸から水道を引く算段をしていたのだ。

「おじさん、痛いの? 泣いてる?」

 ミオリの言葉に、男は軽く目を瞠った。

「俺が泣いてるように見えるのか?」
「うん」
「そりゃ、嬢ちゃんが泣いてるからじゃないのか?」
「もう、泣き止んだよ」

 ミオリはわずかに口を尖らせ、抗議した。だが。

「でも、心ではまだ泣いてるだろう?」
「……」

 ミオリは目をぱちくりとしばたいた。

 この蜜色の肌の大男は、ミオリを心配してくれているのだろうか。
 やさしいおじいちゃんだと思っていた村長でさえ、ミオリを聖女にしないでくれと懇願する両親を、杖でちょうちゃくしたというのに。

「おじさん、本当に悪い人じゃない?」
「……ああ」

 ミオリは抱えた膝から顔を上げ、そして言った。

「じゃあ、こっちに来て」
「いいのか?」
「うん」

 男はミオリのいる部屋の隅まで、屈んだ姿勢のままそろそろと膝を進めた。
 天井の低いやしろでは大柄な彼は頭を打ってしまうということもあるだろうが、きっと、ミオリを驚かせないための配慮だ。

 彼はミオリの目の前でふたたび胡坐あぐらをかいて座り、だが今度は腕を組むことはしなかった。
 ミオリの話を聞くという姿勢なのだろう。

「おじさん、わたしね……本当は聖女になりたくない」

 ミオリはついに、男に本心を曝け出す。彼はミオリをじっと見つめ、頷いた。

「ああ」
「聖女になったらずっとひとりで、父さん母さんとも会えないし、大きくなってもけっこんできないって」
「……」

 ミオリの前で男は、くちびるを横一文字に結んで黙って聞いていた。

「それなのにみんな、聖女に選ばれておめでとう、この村の誇りだ、って言うの。……わたし、ちっとも嬉しくないのに」

 ミオリは折り曲げた膝をぎゅっと抱える。
 ミオリの眼前で、男はしばらく何も言わなかった。

 だがやがて、彼が膝の上で軽く握った手、その指にわずかに力が込められる。
 それから、迷うことなく告げた。

「――なら、俺の国に来るか?」
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