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第十二話 お茶会
今日は何事も順調な日だ。朝食は好きなものばかり並んでいたし、あの仕事熱心な旦那様が僕の忠告を聞き入れて午後に一時間休憩を取ることを約束してくれた。それに——
「ジョゼフ聞いて。料理長が高級茶葉仕入れてくれた」
「それはよかったです! 今すぐお淹れしましょうか?」
「待って。実は考えがあって」
僕はかねてより計画していたことをジョゼフに打ち明けた。
「お茶会の練習をしたいんだ。いつものじゃなくて貴婦人がやるようなやつ」
「お茶会……ですか?」
ジョゼフが怪訝な顔をする。無理もないだろう、突然こんなことを言い出して不思議に思うはずだ。
「辺境伯の伴侶として、今後のためにやっておこうかと思ってね。急だけどできれば今日中に」
「承知しました! 僕もお手伝いさせてください!」
ジョゼフは勢いよく手を上げて手伝いを申し出てくれた。その表情が明るいから背中を押された気持ちになる。僕も嬉しくなって、さっそく行動に移すことにした。
「いやー、まさかこんなに豪華になるとは。みんなに感謝しないと」
庭園の一角に準備してもらったテーブルを見て感嘆の声を上げる。
突然のお願いにも関わらず、料理長は軽食やデザートを、家政婦長とメイドたちがテーブルのセッティングをしてくれた。
残念なことに今回のお茶会に一番協力してくれたジョゼフはこの場にいない。
なぜなら軽く正装した僕を見て「いいですね! すごく貴族っぽいです!」と褒めてしまい、レジスにとてつもなく叱られているからだ。
すごい勢いだった。そばにいた僕も思わず姿勢を正すほどの剣幕だった。
ジョゼフの態度はこの屋敷に勤めた経験がまだ半年しかないというのもあるが、一番の原因は僕のスキルだ。
一緒に過ごしていくうちにどうしても緊張感が薄れてしまうからなぁ。主人として反省しないといけない。一応レジスには僕の癒しスキルのこととあまり叱りすぎないように伝えたけど、どこまで守ってくれるか不明だ。
「ノア様。旦那様の仕事が落ち着かれたようで、こちらに向かっておられるそうです」
ジョゼフの代わりに僕の手伝いをしてくれたアルチュールが声をかけてきた。
「ありがとう。髪とか服とかおかしいとこない?」
その場でくるりと回ってみせる。
「とてもお似合いですよ」
「よかったぁ。久しぶりだから緊張しちゃって」
「大体は親しい仲の方々を招待するものだと聞き及んでおりますが」
アルチュールが不思議そうな顔で首を傾げた。
「基本はそうだよ。それでも例外はあるし、何より熾烈な情報戦を目の当たりにするとね」
「身近でそのようなことがあったのですか?」
「うん、母が……」
「オラーヌ伯爵夫人が、ですか?」
思い出したら寒気がしてきた。
「母のスキルが『演算』でさ。眉毛の微妙な角度の違いとかでこっちの感情読み取ってくるんだよ」
「それはまた、恐ろしいと申しますか……」
「普段は優しい人なんだけどね」
そういうわけで、お母様は僕が絶対敵に回したくない人物の筆頭である。
庭園に咲き誇る花を愛でつつ、アルチュールと家族の話で盛り上がっていたら、旦那様が早足でこちらに向かってくるのが見えた。
「待たせてしまって申し訳ない」
「いえ、お仕事お疲れ様です。むしろお忙しいところありがとうございます」
僕の言葉に旦那様は少し口角を上げた。話すようになってから、旦那様の微妙な表情の違いが分かるようになった気がする。
そして、どちらも口を開くことなく席に着き、そのまま沈黙が続いてしまった。
「あのっ!」
「その……今日は」
言葉を発するタイミングが被ってしまい、何とも言えない空気が流れる。
「あっ、ごめんなさい」
「いや、こちらこそ」
懐かしいな、初めて会った時もこんな感じだったような。でもあの時と違うのはお互いに肩の力が抜けていることだ。僕は遠慮することなく全身が旦那様に見えるように立ち上がった。
「今日の格好変ですか? いつもよりちょっと頑張ってみたんですけど」
「……似合っていると思う。すごく」
腕を広げてアピールすると、旦那様がたどたどしく答えてくれた。
「ありがとうございます! よかった、頑張った甲斐がありました」
僕が笑顔を向けたら旦那様は目を逸らしながら小さく唇を動かす。
「その服もいいと思うが、私は普段の服も、可愛……いや、君らしくて好ましいと思っている」
「あはっ」
変な笑い声が出てしまって咄嗟に口元を手で押さえた。旦那様が不安そうにこちらを見つめているので慌てて口から手を離す。
「旦那様がたくさん褒めてくれるから嬉しくて変な声が出ちゃいました」
「すまない。こういうのは不慣れで……」
「謝らないでください。あの、旦那様も普段から素敵だと思いますよ」
「えっ、あ、ありがとう」
僕は旦那様の顔をまともに見ることができず立ち尽くしていた。心臓がバクバクする感覚を落ち着かせたくて、意味もなく服のシワを伸ばすように手を動かす。
「あのー、お二人とも固まってないでそろそろ始めませんか? 旦那様の休憩時間は有限なので」
「そ、そうだね! さっそく始めよう」
「あ、ああ。よろしく頼む」
呆れた様子のアルチュールが声をかけてくれたことでようやく動き出せた。ぎこちない空気も、旦那様のお茶を淹れる頃にはすっかり落ち着きを取り戻していた。
「お口に合うとよろしいのですが」
「いい香りだ」
「ありがとうございます。苦手であれば遠慮なくおっしゃってくださいね」
紅茶を淹れるのは久しぶりだからあまり自信はない。どうしても気になってしまい旦那様がカップに口を付けるまで凝視してたら苦笑いされた。
「美味しい」
「よかった!」
旦那様が優雅にカップを傾けている様子を眺めながら僕も紅茶を飲む。
柔らかな甘い香りの紅茶は渋みがほとんどなく、すごく飲みやすい。さすが料理長の選んだ茶葉だ。
用意してくれた軽食やデザートとの相性もよくて、ついお茶会のホストとしての役割を忘れそうになる。
「見ていて飽きないな」
「どういう意味ですか?」
「なんでもない」
僕がデザートを食べている間、旦那様はなぜか楽しそうに微笑んでいた。
このまま平穏な時間を過ごすのも悪くないが、今日は実のある会話がしたい。
「あの、旦那様。聞いてもいいですか?」
「ああ」
「ご趣味は?」
有意義な質問が全然思いつかなかった。でも僕と旦那様はまだ結婚して日も浅いし、お互いを知るいい機会かもしれない。
旦那様は顎に指を添えてしばらく考え込んでいる。
「趣味か……」
「ゆっくりでいいですよ」
「強いて言えば読書だな」
「そうなんですね! 僕も読書好きですよ。ちなみにどんな本をお読みになるんですか?」
「主に世界情勢や歴史の専門書だ。君は?」
この流れで恋愛小説を読むのが趣味とは言いづらい。だけど旦那様なら馬鹿にすることはない気がして、正直に話すことにした。
「恥ずかしいことですが、恋愛小説が好きでよく読んでます」
「恋愛小説か。読んだことがないな」
ですよね、としか言いようがない。
他に共通の話題がないか考えていたら旦那様が先に口を開いた。
「それならフロンドル家初代当主の話は君が好きそうだ」
「初代の……どういった話でしょうか」
「初代は竜と愛し合ったことで力を得たと言われていてな。様々な障害が二人を襲うが共に助け合い、乗り越え、辺境の地にたどり着いたと伝えられている」
「そういうロマンチックな話大好きです!」
すごく気になるけど、歴史書は内容が難しそうだ。旦那様と話ができるのはだいぶ先になるかもしれない。
僕の表情から察したのか旦那様は「時間がある時に一緒に読もう」と約束してくれた。
旦那様との会話は楽しい。僕がずれたことを言っても馬鹿にしたり否定しないでまずは受け入れてくれるからだ。
趣味の話をきっかけに様々な話題で盛り上がった。これは情報収集といってもいいかもしれない。
次は好きな茶葉の話をと口を開きかけた時、寒気がしてくしゃみが出てしまった。
「すみません。少し寒気がして」
「風が冷たくなってきたな。これを羽織っていなさい」
旦那様が立ち上がりジャケットを僕に掛けてくれた。
「ありがとうございます。旦那様は寒くないですか」
「平気だ」
「では、ありがたくお借りしますね」
僕は上着を脱ぐことなくそのまま旦那様のジャケットを羽織った。それでも余裕で袖も丈も余る。改めて旦那様の大きさが実感できた。
「旦那様見てください! 袖がすごく余ってます!」
「そうだな」
「この大きさなら包まって寝られるかもしれません」
「それはさすがに、刺激が」
「えっ、あ、シワになりますもんね。すみません、調子に乗りました」
「そういうことではなくて……とにかく寝るとか言うのはやめなさい」
「はーい」
よくわからないまま返事をすると、アルチュールの笑い声が降ってきた。
「申し訳ございません。あまりにも噛み合ってなさすぎて」
「何が?」
「説明したら一生恨まれそうなので黙秘します」
アルチュールの視線の先には不満げな顔をした旦那様がいた。
「旦那様はアルチュールが笑ってる原因わかりますか?」
「黙秘だ」
「教えてくださいよ! 気になるじゃないですか!」
「そういえば、君はなぜ茶会の練習を?」
あからさまに話を逸らされた。これは追求しても意味がなさそうだ。
「辺境伯の伴侶として今後に備えようかと」
「なるほど。まず、君の気持ちはとても喜ばしい。マナーも完璧で、いつ茶会が行われても問題ないはずだ。そのうえで言いにくいのだが」
「はい」
「正式な茶会の機会はないと思った方がいい。少なくとも私が当主であるうちは」
「えっ」
旦那様がものすごく申し訳なさそうな顔をしながら理由を教えてくれた。
「周辺地域の領主全員から避けられているからな。その、私のスキルが原因で」
「あー……」
威圧スキルの影響が甚大すぎる。毎日普通に楽しくお話ししてたから、旦那様のスキルのことをすっかり忘れていた。
「残った茶葉どうしましょう」
「好きにしなさい」
旦那様が僕の頭を撫でながら許可してくれた。旦那様の手が温かくて心地よかったので、せっかくだから頭を擦り付けておいた。
茶葉は後日、家政婦長とメイドたち、それから料理長を招待して「ジョゼフを慰める会」で使わせてもらった。
練習自体は徒労に終わったけど使用人に喜んでもらえて大満足だ。
この会の話をしたらまた旦那様とお茶会の約束を取り付けられるだろうか。その時は一緒に歴史書を読めるかもしれない。
想像したら一刻も早く会いたくなって、僕は微笑みながら旦那様の元へと向かう足を速めた。
「ジョゼフ聞いて。料理長が高級茶葉仕入れてくれた」
「それはよかったです! 今すぐお淹れしましょうか?」
「待って。実は考えがあって」
僕はかねてより計画していたことをジョゼフに打ち明けた。
「お茶会の練習をしたいんだ。いつものじゃなくて貴婦人がやるようなやつ」
「お茶会……ですか?」
ジョゼフが怪訝な顔をする。無理もないだろう、突然こんなことを言い出して不思議に思うはずだ。
「辺境伯の伴侶として、今後のためにやっておこうかと思ってね。急だけどできれば今日中に」
「承知しました! 僕もお手伝いさせてください!」
ジョゼフは勢いよく手を上げて手伝いを申し出てくれた。その表情が明るいから背中を押された気持ちになる。僕も嬉しくなって、さっそく行動に移すことにした。
「いやー、まさかこんなに豪華になるとは。みんなに感謝しないと」
庭園の一角に準備してもらったテーブルを見て感嘆の声を上げる。
突然のお願いにも関わらず、料理長は軽食やデザートを、家政婦長とメイドたちがテーブルのセッティングをしてくれた。
残念なことに今回のお茶会に一番協力してくれたジョゼフはこの場にいない。
なぜなら軽く正装した僕を見て「いいですね! すごく貴族っぽいです!」と褒めてしまい、レジスにとてつもなく叱られているからだ。
すごい勢いだった。そばにいた僕も思わず姿勢を正すほどの剣幕だった。
ジョゼフの態度はこの屋敷に勤めた経験がまだ半年しかないというのもあるが、一番の原因は僕のスキルだ。
一緒に過ごしていくうちにどうしても緊張感が薄れてしまうからなぁ。主人として反省しないといけない。一応レジスには僕の癒しスキルのこととあまり叱りすぎないように伝えたけど、どこまで守ってくれるか不明だ。
「ノア様。旦那様の仕事が落ち着かれたようで、こちらに向かっておられるそうです」
ジョゼフの代わりに僕の手伝いをしてくれたアルチュールが声をかけてきた。
「ありがとう。髪とか服とかおかしいとこない?」
その場でくるりと回ってみせる。
「とてもお似合いですよ」
「よかったぁ。久しぶりだから緊張しちゃって」
「大体は親しい仲の方々を招待するものだと聞き及んでおりますが」
アルチュールが不思議そうな顔で首を傾げた。
「基本はそうだよ。それでも例外はあるし、何より熾烈な情報戦を目の当たりにするとね」
「身近でそのようなことがあったのですか?」
「うん、母が……」
「オラーヌ伯爵夫人が、ですか?」
思い出したら寒気がしてきた。
「母のスキルが『演算』でさ。眉毛の微妙な角度の違いとかでこっちの感情読み取ってくるんだよ」
「それはまた、恐ろしいと申しますか……」
「普段は優しい人なんだけどね」
そういうわけで、お母様は僕が絶対敵に回したくない人物の筆頭である。
庭園に咲き誇る花を愛でつつ、アルチュールと家族の話で盛り上がっていたら、旦那様が早足でこちらに向かってくるのが見えた。
「待たせてしまって申し訳ない」
「いえ、お仕事お疲れ様です。むしろお忙しいところありがとうございます」
僕の言葉に旦那様は少し口角を上げた。話すようになってから、旦那様の微妙な表情の違いが分かるようになった気がする。
そして、どちらも口を開くことなく席に着き、そのまま沈黙が続いてしまった。
「あのっ!」
「その……今日は」
言葉を発するタイミングが被ってしまい、何とも言えない空気が流れる。
「あっ、ごめんなさい」
「いや、こちらこそ」
懐かしいな、初めて会った時もこんな感じだったような。でもあの時と違うのはお互いに肩の力が抜けていることだ。僕は遠慮することなく全身が旦那様に見えるように立ち上がった。
「今日の格好変ですか? いつもよりちょっと頑張ってみたんですけど」
「……似合っていると思う。すごく」
腕を広げてアピールすると、旦那様がたどたどしく答えてくれた。
「ありがとうございます! よかった、頑張った甲斐がありました」
僕が笑顔を向けたら旦那様は目を逸らしながら小さく唇を動かす。
「その服もいいと思うが、私は普段の服も、可愛……いや、君らしくて好ましいと思っている」
「あはっ」
変な笑い声が出てしまって咄嗟に口元を手で押さえた。旦那様が不安そうにこちらを見つめているので慌てて口から手を離す。
「旦那様がたくさん褒めてくれるから嬉しくて変な声が出ちゃいました」
「すまない。こういうのは不慣れで……」
「謝らないでください。あの、旦那様も普段から素敵だと思いますよ」
「えっ、あ、ありがとう」
僕は旦那様の顔をまともに見ることができず立ち尽くしていた。心臓がバクバクする感覚を落ち着かせたくて、意味もなく服のシワを伸ばすように手を動かす。
「あのー、お二人とも固まってないでそろそろ始めませんか? 旦那様の休憩時間は有限なので」
「そ、そうだね! さっそく始めよう」
「あ、ああ。よろしく頼む」
呆れた様子のアルチュールが声をかけてくれたことでようやく動き出せた。ぎこちない空気も、旦那様のお茶を淹れる頃にはすっかり落ち着きを取り戻していた。
「お口に合うとよろしいのですが」
「いい香りだ」
「ありがとうございます。苦手であれば遠慮なくおっしゃってくださいね」
紅茶を淹れるのは久しぶりだからあまり自信はない。どうしても気になってしまい旦那様がカップに口を付けるまで凝視してたら苦笑いされた。
「美味しい」
「よかった!」
旦那様が優雅にカップを傾けている様子を眺めながら僕も紅茶を飲む。
柔らかな甘い香りの紅茶は渋みがほとんどなく、すごく飲みやすい。さすが料理長の選んだ茶葉だ。
用意してくれた軽食やデザートとの相性もよくて、ついお茶会のホストとしての役割を忘れそうになる。
「見ていて飽きないな」
「どういう意味ですか?」
「なんでもない」
僕がデザートを食べている間、旦那様はなぜか楽しそうに微笑んでいた。
このまま平穏な時間を過ごすのも悪くないが、今日は実のある会話がしたい。
「あの、旦那様。聞いてもいいですか?」
「ああ」
「ご趣味は?」
有意義な質問が全然思いつかなかった。でも僕と旦那様はまだ結婚して日も浅いし、お互いを知るいい機会かもしれない。
旦那様は顎に指を添えてしばらく考え込んでいる。
「趣味か……」
「ゆっくりでいいですよ」
「強いて言えば読書だな」
「そうなんですね! 僕も読書好きですよ。ちなみにどんな本をお読みになるんですか?」
「主に世界情勢や歴史の専門書だ。君は?」
この流れで恋愛小説を読むのが趣味とは言いづらい。だけど旦那様なら馬鹿にすることはない気がして、正直に話すことにした。
「恥ずかしいことですが、恋愛小説が好きでよく読んでます」
「恋愛小説か。読んだことがないな」
ですよね、としか言いようがない。
他に共通の話題がないか考えていたら旦那様が先に口を開いた。
「それならフロンドル家初代当主の話は君が好きそうだ」
「初代の……どういった話でしょうか」
「初代は竜と愛し合ったことで力を得たと言われていてな。様々な障害が二人を襲うが共に助け合い、乗り越え、辺境の地にたどり着いたと伝えられている」
「そういうロマンチックな話大好きです!」
すごく気になるけど、歴史書は内容が難しそうだ。旦那様と話ができるのはだいぶ先になるかもしれない。
僕の表情から察したのか旦那様は「時間がある時に一緒に読もう」と約束してくれた。
旦那様との会話は楽しい。僕がずれたことを言っても馬鹿にしたり否定しないでまずは受け入れてくれるからだ。
趣味の話をきっかけに様々な話題で盛り上がった。これは情報収集といってもいいかもしれない。
次は好きな茶葉の話をと口を開きかけた時、寒気がしてくしゃみが出てしまった。
「すみません。少し寒気がして」
「風が冷たくなってきたな。これを羽織っていなさい」
旦那様が立ち上がりジャケットを僕に掛けてくれた。
「ありがとうございます。旦那様は寒くないですか」
「平気だ」
「では、ありがたくお借りしますね」
僕は上着を脱ぐことなくそのまま旦那様のジャケットを羽織った。それでも余裕で袖も丈も余る。改めて旦那様の大きさが実感できた。
「旦那様見てください! 袖がすごく余ってます!」
「そうだな」
「この大きさなら包まって寝られるかもしれません」
「それはさすがに、刺激が」
「えっ、あ、シワになりますもんね。すみません、調子に乗りました」
「そういうことではなくて……とにかく寝るとか言うのはやめなさい」
「はーい」
よくわからないまま返事をすると、アルチュールの笑い声が降ってきた。
「申し訳ございません。あまりにも噛み合ってなさすぎて」
「何が?」
「説明したら一生恨まれそうなので黙秘します」
アルチュールの視線の先には不満げな顔をした旦那様がいた。
「旦那様はアルチュールが笑ってる原因わかりますか?」
「黙秘だ」
「教えてくださいよ! 気になるじゃないですか!」
「そういえば、君はなぜ茶会の練習を?」
あからさまに話を逸らされた。これは追求しても意味がなさそうだ。
「辺境伯の伴侶として今後に備えようかと」
「なるほど。まず、君の気持ちはとても喜ばしい。マナーも完璧で、いつ茶会が行われても問題ないはずだ。そのうえで言いにくいのだが」
「はい」
「正式な茶会の機会はないと思った方がいい。少なくとも私が当主であるうちは」
「えっ」
旦那様がものすごく申し訳なさそうな顔をしながら理由を教えてくれた。
「周辺地域の領主全員から避けられているからな。その、私のスキルが原因で」
「あー……」
威圧スキルの影響が甚大すぎる。毎日普通に楽しくお話ししてたから、旦那様のスキルのことをすっかり忘れていた。
「残った茶葉どうしましょう」
「好きにしなさい」
旦那様が僕の頭を撫でながら許可してくれた。旦那様の手が温かくて心地よかったので、せっかくだから頭を擦り付けておいた。
茶葉は後日、家政婦長とメイドたち、それから料理長を招待して「ジョゼフを慰める会」で使わせてもらった。
練習自体は徒労に終わったけど使用人に喜んでもらえて大満足だ。
この会の話をしたらまた旦那様とお茶会の約束を取り付けられるだろうか。その時は一緒に歴史書を読めるかもしれない。
想像したら一刻も早く会いたくなって、僕は微笑みながら旦那様の元へと向かう足を速めた。
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