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廃村の亡霊編
亡者 3
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家から出て10分ほどがたった頃、天馬は違和感を覚えた。
「(おかしい……もうとっくに皆の姿が見えていてもいい頃だろうに……)」
それどころか、最初は記憶にあった道を戻ってきたはずなのに、いつの間にか知らない道に出てしまっている。
しかも、明らかに民家の配置が変わっているのだ。
道しるべにしていた家も、気づけばかなり遠くにあるのが確認できた。
まるで、外に出ようとすればするほど、村の中に引き込まれているかような、異様な感覚。
それが確信に変わったのは、30分ほど歩いてからのことだった……
――そして、現在。
最初はただ、自分が記憶違いをしているだけだと思っていた道順。
しかし、歩いても歩いても、まるで前に進んでいる気がしない。
「(どうなってるんだ……?)」
辺りを見渡していた為に散漫になっていた意識を、通路の両側へとしっかり向けて、村の景色を注視しながら歩いてみると……
「っ…………」
なるほど。
すると、明らかに同じ道を何度もループさせられていることに気が付いた。
村の中に生えた木の配置に、ほとんど倒壊寸前の家の姿が、何度も繰り返し出現するのだ。
一定の距離を歩くごとに、まるで巻き戻された映像を繰り返すかのように、同じ道を歩いている。
天馬はアリーチェと一緒に足を止めて、頭を抱えたい衝動を必死に抑え込んだ。
「(まずいっ、完全に閉じ込められた)」
さすがに天馬にも焦りが見られる。
「…………」
天馬のようすがおかしいことに気付いたアリーチェが、声を出さずに見上げてくる。
それに天馬は笑顔で、大丈夫、と応えるも、アリーチェの表情は晴れない。
天馬も、握った手のひらに嫌な汗を掻いているのを自覚していた。
これでは、アリーチェの不安を拭えないのも無理はない。
「(どうする……『本来の目的地』までの道のりなら分かるけど……しかし)」
ずっと天馬の肌に痺れるような感覚を送り続けている黒い魔力。
例え道を作り替えられても、その魔力を追い掛ければ、『そちら側』へ行くことは容易だろう。
こうなれば、もはや戻るより目的を果たした方が早いと判断できる。
しかしそのためには、危険を承知でアリーチェを同行させるか、もしくは、どこかで【聖域】のスキルを使ってアリーチェを匿い、留守番をさせるしかない。
前者は最も悪手だと言わざるを得ないが。
しかし後者も、この亡霊だらけの村にアリーチェを一人で残していくことになる。
いくら結界の内側とはいえ、不安は残る。
そんな思考を続けながら、天馬はそっと自分の胸に触れた。
「(こうなったら、アイテムボックスにアリーチェさんを……いや、そうするとマルティナの存在がばれるかもしれない)」
以前ディーから、アイテムボックスに入れられた生物は、仮死状態になって中に納められる、と聞いた。
しかし、実際に子供たちを中に入れ、その子たちが外に出たとき、こう言っていたのだ。
『お姉ちゃんのお胸の中にね、お魚とか果物とか、い~っぱい浮いてた! でも、すぐに眠くなっちゃって……』と。
つまり、どういうことかというと。
天馬のアイテムボックスに入れられても、すぐに仮死状態になるわけではなく、意識を失うまでに若干のタイムラグがあるようなのだ。
その話を聞いたとき、天馬は思わずぎょっとしたのを覚えている。
あのとき、子供たちを中に入れる前……天馬のアイテムボックスには、盗賊たちの慰みものにされた二人の女性がいたのだ。
あんな凄惨な状態の彼女たちを子供たちが目撃したらと思うと、心臓に悪いことこの上ない。
幸いなことに、子供たちは誰も、彼女たちを目にした様子はなかったので、それは杞憂に終わったのだが。
しかしそれは、下手をすれば仮死状態になる前に、見られたくないものを見られる可能性があるということだ。
そうでなければ、天馬はこの村に来る際、皆をアイテムボックスに入れた状態でここまで赴いたであろう。
そうはせず、わざわざ馬車を用意してまで長い道のりを一緒に歩いてもらったのには、そういった理由があったからだ。
「(でも、今は非常時。そんなことを言ってられるのか……? いや、それならアリーチェさんを結界の内側に残して、急いで俺がこの事態を解決すれば……)」
マルティナは長い目で見ればこの村の益になる存在だ。
魔物という脅威を迎えるときに、彼女という存在は必要不可欠だ。
なにせその脅威を身をもって体験しているのだ。
魔物の行動や習性を把握する上では、いなくてはないらない存在。
しかし、彼女はあまりにも大きな罪を犯している。
特に今回村に同行してもらった者たちは、彼女に並々ならない憎悪を抱いている。
見つかれば確実に殺されてしまうだろう。
そのとき、天馬は彼らを止められるのか。
船では自制させたが、それは彼女が、法的な罰を受けることを前提で納得してもらっているはずなのだ。
それ故に、彼女を天馬が連れてきていることがばれた時、果たして皆はどんな行動を起こすのか。
それはとても凄惨な末路を辿る気がしてならない。
「(彼女の存在は、今は明かせない。せめて、皆がもう少し落ち着いたときでないと)」
そうなると。やはりアリーチェをアイテムボックスに入れるのは無理だ。
見られたら言い訳ができない。
「(皆に隠し事をするのは心苦しい。でも、彼女は必要な存在だから……皆の、為にも)」
そう自分に言い聞かせて、天馬は再度、手近な建物に入った。
「ふぅ……っ!」
天馬は家に結界を張り、アリーチェに向き直る。
「アリーチェさん、今は話をしても大丈夫ですよ?」
「……」
しかし、アリーチェは応えない。
「(なるほど。きとんと約束を守ってくれているんですね)」
となると……
「(そうだ。字を書いて説明を……)」
と思い至ったところで、天馬は壁に手を付いた。
「(俺、この世界の文字、書けねぇじゃん!)」
そういえばいつの間にか普通に会話してるけど、そもそも聞き取れている単語が全部日本語になっている気がするけど。実際はそうではないのだろう。
それに、町で見かけた字。天馬はあれを読めなかった。
そもそも今までは文字を必要とする環境ではなかったのだ。
無人島だったり、奴隷船だったり。
しかも、町でだって別に会話ができれば文字を読み書きする必要はなかった。
それがまさか、ここにきて問題になろうとは。
「(仕方ない。一方的に喋ろう)」
そうするしかないという結論に達し、天馬は己の迂闊さを嘆きながらも、ゆっくりと口を開いた。
「アリーチェさん、すみません。問題が発生しました。どうやら、この村に閉じ込められたみたいです」
「っ……!」
アリーチェもうすうす感づいてはいたのだろう。
体をびくりと震わせるも、声は出さなかった。
「それで、どうしたらいいのかを考えた結果、この村の中心に行って、わたしが霊たちを静めた方がいいと判断しました。幸い、そこまでの道筋ならなんとか分かりそうなので」
「……」
「ですが、そこにアリーチェさんを連れて行くことは、先程も言った通り、危険すぎます。ですから、アリーチェさんにはこの家の中で、しばらく待っていてもらえたらと……」
「っ?!」
天馬の言葉に、アリーチェは目を見開き顔を強張らせる。
しかし咄嗟に口に手を当てて、声を漏らさないように堪えた。
「この家は今、わたしの力で外の霊たちが中に入れないようになっています。ですから、ここでわたしが戻るまで……」
「~~~~~~っ! (ふるふるふる!)」
天馬が最後まで言葉を発する前に、アリーチェは天馬にしがみついて首を横に振った。
まるで親に置いていかれる子供のような仕草だ。
「お願いします。戻ることはできそうもないですし、これから行くところは、とても危険な場所なんです。ここにいれば、少なくともアリーチェさんに危害が及ぶことは……」
「~~~~っ! ~~~~~~っ!」
なんとか諭そうと声を掛け続けるも、アリーチェは瞳を潤ませて、必死に、置いて行かないでと体全部を使って訴えてくる。
「分かって下さい。わたしは、アリーチェさんを危険な目に遭わせたくない……」
と、天馬が口にした瞬間だった。
ドン!
「「っ?!」」
急に、家の扉から何かが叩き付けられるような音が響いた。
まるで、外から扉を殴りつけたかのような……
ドン! ドン!
「っ!」
「ひぃ!」
またしても。
音の正体を探る間も無く、今度は壁から二回。
ドン、ドン、ドン!
そして次第に、
ドンドン……ドンドンドンドン!
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン!!!
「いや……いや……」
「くっ!」
扉、壁、天井、果ては……床下……
家のあらゆる箇所から、ドンドンと激しく壁を叩く音が響き続ける。
「(なんで? 結界を張ってあるのに?!)」
家の中にこそ侵入はされていないが、明らかに亡者達はこの家の外に取り付いている。
先程までは、結界に近付いてくることすらしなかったというのに。
「(まさか、アリーチェさんの恐怖心に惹かれて……)」
その可能性は高いように天馬は思えた。
さっきの家では、アリーチェは天馬とのやり取りで、多少なりとも余裕を取り戻していた。
しかし、今回は逆に、天馬によって一人ここに取り残されると言われ、焦燥と恐怖が心を支配した。
ドンドンドンドンドンドンドンドン!
響き続ける連打音。
アリーチェは天馬の体に顔を埋めて、耳を塞いでガタガタと震えている。
「ふえ、いや~……怖い……助けて……助けて……」
「っ!」
「怖いの……お姉さま」
「~~~っ」
必死になって天馬に身を寄せてくるアリーチェの姿に、天馬は深い後悔の念を抱いた。
「(何をしてるんだよ、俺!)」
ついさっき、アリーチェを守るなどと口にしておきながら、今自分は、明らかにアリーチェを怖がらせている。
得体の知れない存在が跋扈(ばっこ)するこんな場所に、例え結界があるからと安易に一人にしても大丈夫だろうと考えてしまっていた。
「(ガクガクガク)」
結果、アリーチェはこんなに震えて、ボロボロと涙を流しているではないか。
「っ……ごめんなさい。アリーチェさん……」
天馬は、耳を押さえているアリーチェの手の上に、自分の手を重ねた。
そして、ぎゅっと彼女の耳を一緒に塞いで、深く息を吸い込んだ。
そして、
「……少しうるさいですよ……『静かにしなさい』」
天馬は言葉に力を込めた。
女神スキル――【強制】
声に支配力を持たせ、相手の行動を制限、支配することができる力だ。
その力が及ぶのは、なにも『生きているもの』に限った話ではない。
天馬が語気を強めて発した言葉は、決して大きくはないはずなのに、家の中全体に響くようであった。
途端、あれだけ鳴り続いていた連打音が、ピタリと止まった。
「あ、……お姉さま」
「もう、大丈夫です。それよりも、ごめんなさい。わたし、アリーチェさんを守るなんて言っておいて、こんな……」
天馬はぎゅっと下唇を噛んだ。
瞳を真っ赤にしたアリーチェの姿に、天馬は打ちのめされる。
「(守るっていうのは、こういうことじゃないだろうが!)」
確かに、ここにいれば亡者はアリーチェに手を出せない。
しかし、先程のように、恐怖を植えつけるような行動はできるのだ。
家の外側の至る所から音が響くなど、どれほど恐ろしいか。
それがもし、天馬がいない、一人の状態だったなら……
「(確実にトラウマになるレベルの話じゃないか!)」
今でさえ限界ギリギリだというのに。
「本当にごめんなさい、アリーチェさん。わたしが浅はかなことを言ったせいで、怖がらせてしまいましたね……」
「ふぇ、ひぐ……うぇ~……」
アリーチェは、再び泣き出してしまった。
よほど、怖かったのだろう。
「もう、置いていくなんて言いません。わたしと一緒に来たいのであれば、連れて行きます。ただ、もしかしたらここ以上に、怖い思いをするかもしれません。それでも、一緒に来ますか?」
「(こくこくこく!)」
アリーチェは首を全力で縦に振った。
そして、天馬の腕にしがみついてきて、決して放そうとしない。
「分かりました。それじゃ、行きましょうか」
と、天馬が立ち上がろうとすると、
「あ、あう……」
アリーチェは、その場から動かずに、困ったような表情で天馬を見上げてきた。
「あの、アリーチェさん、一体どうし……ああ~」
どうしたのか、と言葉を続ける前に、天馬は納得した。
「(そりゃ、あれだけ怖い思いを連続ですればなぁ……)」
アリーチェが座りこんでいる床。そこには、じんわりと水溜りが広がっており、湯気が上がっていた。
「(そうだよなぁ……漏らすよなぁ)」
アリーチェの股間部分に当たる箇所から下の衣服が、ぐっしょりと濡れている。
「ふぇ、ふぇ~~…………」
「よしよし」
今度は別の意味で泣き出しそうなアリーチェを、天馬は慰める。
彼女は、度重なる恐怖に、おもらしをしてしまったのだ。
「(おかしい……もうとっくに皆の姿が見えていてもいい頃だろうに……)」
それどころか、最初は記憶にあった道を戻ってきたはずなのに、いつの間にか知らない道に出てしまっている。
しかも、明らかに民家の配置が変わっているのだ。
道しるべにしていた家も、気づけばかなり遠くにあるのが確認できた。
まるで、外に出ようとすればするほど、村の中に引き込まれているかような、異様な感覚。
それが確信に変わったのは、30分ほど歩いてからのことだった……
――そして、現在。
最初はただ、自分が記憶違いをしているだけだと思っていた道順。
しかし、歩いても歩いても、まるで前に進んでいる気がしない。
「(どうなってるんだ……?)」
辺りを見渡していた為に散漫になっていた意識を、通路の両側へとしっかり向けて、村の景色を注視しながら歩いてみると……
「っ…………」
なるほど。
すると、明らかに同じ道を何度もループさせられていることに気が付いた。
村の中に生えた木の配置に、ほとんど倒壊寸前の家の姿が、何度も繰り返し出現するのだ。
一定の距離を歩くごとに、まるで巻き戻された映像を繰り返すかのように、同じ道を歩いている。
天馬はアリーチェと一緒に足を止めて、頭を抱えたい衝動を必死に抑え込んだ。
「(まずいっ、完全に閉じ込められた)」
さすがに天馬にも焦りが見られる。
「…………」
天馬のようすがおかしいことに気付いたアリーチェが、声を出さずに見上げてくる。
それに天馬は笑顔で、大丈夫、と応えるも、アリーチェの表情は晴れない。
天馬も、握った手のひらに嫌な汗を掻いているのを自覚していた。
これでは、アリーチェの不安を拭えないのも無理はない。
「(どうする……『本来の目的地』までの道のりなら分かるけど……しかし)」
ずっと天馬の肌に痺れるような感覚を送り続けている黒い魔力。
例え道を作り替えられても、その魔力を追い掛ければ、『そちら側』へ行くことは容易だろう。
こうなれば、もはや戻るより目的を果たした方が早いと判断できる。
しかしそのためには、危険を承知でアリーチェを同行させるか、もしくは、どこかで【聖域】のスキルを使ってアリーチェを匿い、留守番をさせるしかない。
前者は最も悪手だと言わざるを得ないが。
しかし後者も、この亡霊だらけの村にアリーチェを一人で残していくことになる。
いくら結界の内側とはいえ、不安は残る。
そんな思考を続けながら、天馬はそっと自分の胸に触れた。
「(こうなったら、アイテムボックスにアリーチェさんを……いや、そうするとマルティナの存在がばれるかもしれない)」
以前ディーから、アイテムボックスに入れられた生物は、仮死状態になって中に納められる、と聞いた。
しかし、実際に子供たちを中に入れ、その子たちが外に出たとき、こう言っていたのだ。
『お姉ちゃんのお胸の中にね、お魚とか果物とか、い~っぱい浮いてた! でも、すぐに眠くなっちゃって……』と。
つまり、どういうことかというと。
天馬のアイテムボックスに入れられても、すぐに仮死状態になるわけではなく、意識を失うまでに若干のタイムラグがあるようなのだ。
その話を聞いたとき、天馬は思わずぎょっとしたのを覚えている。
あのとき、子供たちを中に入れる前……天馬のアイテムボックスには、盗賊たちの慰みものにされた二人の女性がいたのだ。
あんな凄惨な状態の彼女たちを子供たちが目撃したらと思うと、心臓に悪いことこの上ない。
幸いなことに、子供たちは誰も、彼女たちを目にした様子はなかったので、それは杞憂に終わったのだが。
しかしそれは、下手をすれば仮死状態になる前に、見られたくないものを見られる可能性があるということだ。
そうでなければ、天馬はこの村に来る際、皆をアイテムボックスに入れた状態でここまで赴いたであろう。
そうはせず、わざわざ馬車を用意してまで長い道のりを一緒に歩いてもらったのには、そういった理由があったからだ。
「(でも、今は非常時。そんなことを言ってられるのか……? いや、それならアリーチェさんを結界の内側に残して、急いで俺がこの事態を解決すれば……)」
マルティナは長い目で見ればこの村の益になる存在だ。
魔物という脅威を迎えるときに、彼女という存在は必要不可欠だ。
なにせその脅威を身をもって体験しているのだ。
魔物の行動や習性を把握する上では、いなくてはないらない存在。
しかし、彼女はあまりにも大きな罪を犯している。
特に今回村に同行してもらった者たちは、彼女に並々ならない憎悪を抱いている。
見つかれば確実に殺されてしまうだろう。
そのとき、天馬は彼らを止められるのか。
船では自制させたが、それは彼女が、法的な罰を受けることを前提で納得してもらっているはずなのだ。
それ故に、彼女を天馬が連れてきていることがばれた時、果たして皆はどんな行動を起こすのか。
それはとても凄惨な末路を辿る気がしてならない。
「(彼女の存在は、今は明かせない。せめて、皆がもう少し落ち着いたときでないと)」
そうなると。やはりアリーチェをアイテムボックスに入れるのは無理だ。
見られたら言い訳ができない。
「(皆に隠し事をするのは心苦しい。でも、彼女は必要な存在だから……皆の、為にも)」
そう自分に言い聞かせて、天馬は再度、手近な建物に入った。
「ふぅ……っ!」
天馬は家に結界を張り、アリーチェに向き直る。
「アリーチェさん、今は話をしても大丈夫ですよ?」
「……」
しかし、アリーチェは応えない。
「(なるほど。きとんと約束を守ってくれているんですね)」
となると……
「(そうだ。字を書いて説明を……)」
と思い至ったところで、天馬は壁に手を付いた。
「(俺、この世界の文字、書けねぇじゃん!)」
そういえばいつの間にか普通に会話してるけど、そもそも聞き取れている単語が全部日本語になっている気がするけど。実際はそうではないのだろう。
それに、町で見かけた字。天馬はあれを読めなかった。
そもそも今までは文字を必要とする環境ではなかったのだ。
無人島だったり、奴隷船だったり。
しかも、町でだって別に会話ができれば文字を読み書きする必要はなかった。
それがまさか、ここにきて問題になろうとは。
「(仕方ない。一方的に喋ろう)」
そうするしかないという結論に達し、天馬は己の迂闊さを嘆きながらも、ゆっくりと口を開いた。
「アリーチェさん、すみません。問題が発生しました。どうやら、この村に閉じ込められたみたいです」
「っ……!」
アリーチェもうすうす感づいてはいたのだろう。
体をびくりと震わせるも、声は出さなかった。
「それで、どうしたらいいのかを考えた結果、この村の中心に行って、わたしが霊たちを静めた方がいいと判断しました。幸い、そこまでの道筋ならなんとか分かりそうなので」
「……」
「ですが、そこにアリーチェさんを連れて行くことは、先程も言った通り、危険すぎます。ですから、アリーチェさんにはこの家の中で、しばらく待っていてもらえたらと……」
「っ?!」
天馬の言葉に、アリーチェは目を見開き顔を強張らせる。
しかし咄嗟に口に手を当てて、声を漏らさないように堪えた。
「この家は今、わたしの力で外の霊たちが中に入れないようになっています。ですから、ここでわたしが戻るまで……」
「~~~~~~っ! (ふるふるふる!)」
天馬が最後まで言葉を発する前に、アリーチェは天馬にしがみついて首を横に振った。
まるで親に置いていかれる子供のような仕草だ。
「お願いします。戻ることはできそうもないですし、これから行くところは、とても危険な場所なんです。ここにいれば、少なくともアリーチェさんに危害が及ぶことは……」
「~~~~っ! ~~~~~~っ!」
なんとか諭そうと声を掛け続けるも、アリーチェは瞳を潤ませて、必死に、置いて行かないでと体全部を使って訴えてくる。
「分かって下さい。わたしは、アリーチェさんを危険な目に遭わせたくない……」
と、天馬が口にした瞬間だった。
ドン!
「「っ?!」」
急に、家の扉から何かが叩き付けられるような音が響いた。
まるで、外から扉を殴りつけたかのような……
ドン! ドン!
「っ!」
「ひぃ!」
またしても。
音の正体を探る間も無く、今度は壁から二回。
ドン、ドン、ドン!
そして次第に、
ドンドン……ドンドンドンドン!
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン!!!
「いや……いや……」
「くっ!」
扉、壁、天井、果ては……床下……
家のあらゆる箇所から、ドンドンと激しく壁を叩く音が響き続ける。
「(なんで? 結界を張ってあるのに?!)」
家の中にこそ侵入はされていないが、明らかに亡者達はこの家の外に取り付いている。
先程までは、結界に近付いてくることすらしなかったというのに。
「(まさか、アリーチェさんの恐怖心に惹かれて……)」
その可能性は高いように天馬は思えた。
さっきの家では、アリーチェは天馬とのやり取りで、多少なりとも余裕を取り戻していた。
しかし、今回は逆に、天馬によって一人ここに取り残されると言われ、焦燥と恐怖が心を支配した。
ドンドンドンドンドンドンドンドン!
響き続ける連打音。
アリーチェは天馬の体に顔を埋めて、耳を塞いでガタガタと震えている。
「ふえ、いや~……怖い……助けて……助けて……」
「っ!」
「怖いの……お姉さま」
「~~~っ」
必死になって天馬に身を寄せてくるアリーチェの姿に、天馬は深い後悔の念を抱いた。
「(何をしてるんだよ、俺!)」
ついさっき、アリーチェを守るなどと口にしておきながら、今自分は、明らかにアリーチェを怖がらせている。
得体の知れない存在が跋扈(ばっこ)するこんな場所に、例え結界があるからと安易に一人にしても大丈夫だろうと考えてしまっていた。
「(ガクガクガク)」
結果、アリーチェはこんなに震えて、ボロボロと涙を流しているではないか。
「っ……ごめんなさい。アリーチェさん……」
天馬は、耳を押さえているアリーチェの手の上に、自分の手を重ねた。
そして、ぎゅっと彼女の耳を一緒に塞いで、深く息を吸い込んだ。
そして、
「……少しうるさいですよ……『静かにしなさい』」
天馬は言葉に力を込めた。
女神スキル――【強制】
声に支配力を持たせ、相手の行動を制限、支配することができる力だ。
その力が及ぶのは、なにも『生きているもの』に限った話ではない。
天馬が語気を強めて発した言葉は、決して大きくはないはずなのに、家の中全体に響くようであった。
途端、あれだけ鳴り続いていた連打音が、ピタリと止まった。
「あ、……お姉さま」
「もう、大丈夫です。それよりも、ごめんなさい。わたし、アリーチェさんを守るなんて言っておいて、こんな……」
天馬はぎゅっと下唇を噛んだ。
瞳を真っ赤にしたアリーチェの姿に、天馬は打ちのめされる。
「(守るっていうのは、こういうことじゃないだろうが!)」
確かに、ここにいれば亡者はアリーチェに手を出せない。
しかし、先程のように、恐怖を植えつけるような行動はできるのだ。
家の外側の至る所から音が響くなど、どれほど恐ろしいか。
それがもし、天馬がいない、一人の状態だったなら……
「(確実にトラウマになるレベルの話じゃないか!)」
今でさえ限界ギリギリだというのに。
「本当にごめんなさい、アリーチェさん。わたしが浅はかなことを言ったせいで、怖がらせてしまいましたね……」
「ふぇ、ひぐ……うぇ~……」
アリーチェは、再び泣き出してしまった。
よほど、怖かったのだろう。
「もう、置いていくなんて言いません。わたしと一緒に来たいのであれば、連れて行きます。ただ、もしかしたらここ以上に、怖い思いをするかもしれません。それでも、一緒に来ますか?」
「(こくこくこく!)」
アリーチェは首を全力で縦に振った。
そして、天馬の腕にしがみついてきて、決して放そうとしない。
「分かりました。それじゃ、行きましょうか」
と、天馬が立ち上がろうとすると、
「あ、あう……」
アリーチェは、その場から動かずに、困ったような表情で天馬を見上げてきた。
「あの、アリーチェさん、一体どうし……ああ~」
どうしたのか、と言葉を続ける前に、天馬は納得した。
「(そりゃ、あれだけ怖い思いを連続ですればなぁ……)」
アリーチェが座りこんでいる床。そこには、じんわりと水溜りが広がっており、湯気が上がっていた。
「(そうだよなぁ……漏らすよなぁ)」
アリーチェの股間部分に当たる箇所から下の衣服が、ぐっしょりと濡れている。
「ふぇ、ふぇ~~…………」
「よしよし」
今度は別の意味で泣き出しそうなアリーチェを、天馬は慰める。
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