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北城市地区予選 1年生編

第65走 オーダー責任者

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 競技記録を貼る掲示壁には、3年の渚もやって来ていた。
 どうやら彼も100mの結果が気になったようだ。

「どうだったよ?」

 渚は隼人、翔、結城の3人を見つけ、結果をたずねる。
 するとそれに対し隼人は嬉しそうに答えた。

「いやそれがさ!3人とも2次進出したみたいなんだよ!」

「え!マジで?早馬やったじゃん!」

 そう言って渚は結城の頭を少し強めに叩いていた。
 だが結城の脳内はまだ混乱している。

「は、はい……。なんというか、良かったです」

「なんだその反応!もっと喜ぶ所だろ!!」

 実際、結城も嬉しくない訳では無かった。
 ただ、自分の中で”進めるわけがない”と勝手にスイッチを切っていたので、ここからもう一本走るという不安と非現実感が一気に襲ってきていたのだ。

 そしてその不安の大部分は、先ほどからガクガク言っているヒザのせいだろう。
 それは緊張でも怪我でもない。明らかな疲労だった。
 久しぶりの緊張感と真剣勝負を終えた身体は、たった1レースで既に悲鳴を上げ始めていたのだ。

 すると不安そうな表情に気付いた隼人が、結城に語りかける。

「早馬、大丈夫か?トラックに立てば走るだけだから、楽しくやろう」

「はい、そうですよね~……」

 結城は小さな小さな声で答えていた。

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 山口渚の顔は広い。
 その証拠に、今は他校の2人の選手と話し始めていた。

 その2人は渚と同じ中学出身の選手であり、2人は同じ高校に進んだ。
 渚とは中学時代に4継を組んだメンバーでもあり、当時の渚は2走を務めていたのだ。

 そしてその2人も今回の100mを走っていたようで、結果を見に来ていたようだった
 結論からいうと2人とも2次予選に進んでおり、1人は11.22、もう1人は11.38という好タイムだ。

 ちなみにこれは余談だが、2人が所属する春野はるの高校は男子校であり、渚は毎回女子が居る事を羨ましがられている。



 そして渚は程々に話を終え、スグにスタンド上部の陣地へと戻っていた。
 なにせ彼には大仕事が残っているからだ。

「さーて、書くか」

 そう言って渚は4×100mリレーのオーダー用紙に名前を記入し始めていた。
 リレー種目に出場するためには、この用紙に今日走るメンバーを書いて、締切時間までに絶対に提出しなければならない。
 提出に遅れた、もしくは不備があったとなれば、問答無用で失格となってしまうのだ。

 そんなキタ高の4継メンバーに関しては、実は全て渚が決める事になっている。
 吉田先生から”君に任せる”という指示を貰っているので、いわばキタ高の4継責任者のようなものなのだ。

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①黒崎慎吾(2)
②佐々木隼人(3)
③ 郡山翔(1)
④山口渚(3)

※()内は学年
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 これが今日のオーダーだ。 
 現キタ高メンバーではベストの布陣である。

 ちなみに兵庫の市予選において、リレー種目だけは”全て記録会形式”なので、最下位になろうがバトンを落とそうが、県予選にはどの高校でも参加できる特殊な形式になっている。
 要は県予選本番に向けての最終確認の意味合いが強いレースとなるのだ。

 だが渚は負けるつもりはない。
 必ずベストタイムを出すと心に誓い、オーダーを本部へと届けに歩き出したのだった。



 その本部にはキタ高顧問、吉田先生が鎮座している。
 県内ではとんでもない権力を持つというウワサがある吉田先生は、特に忙しそうにする様子もなく、ゆったりとトラックの女子100mを見ていた。
 渚は本部の扉を開けた後に”失礼します”と一礼し、吉田先生の所へと向かう。

「吉田先生。リレーのオーダー、出しに来ました」

「お、ご苦労様。そろそろアップかい?」

「そうっすね。この後スグに行きます」

「じゃあ100mの3人とも会うね?伝えて欲しい事があるんだよ」

「はい……?」


 そう言うと吉田先生は、3人へのアドバイスを渚に伝えた。


「……という事だね。じゃ、よろしくね山口君」

「分かりました、伝えときます。あ、そういえば……」

「なんだい?」

「今リューが上に来てます」

 吉田先生の眉がピクッと動く。

「大空君かい?そうか、来てくれたんだね!よかったよかった」

「吉田先生に誘われたって言ってましたよ」

「そうね、一昨日電話だけしといたんだよ。彼は今後も必要な人材だからね」

「俺もそう思います。連絡してもらって、ありがとうございました」

 そう言って渚は頭を下げていた。

「愛されてるんだね、みんなに」

「そうっすね。間違いないです。アイツがいなかったら……。まあ、今はこの話はいいっすね」

「ん、そうだね。また試合終わったら話そうかって伝えておいてくれるかい?」

「了解っす。じゃあオーダー出してきます!」

「はい、よろしくね~」

 こうして渚は、真後ろに設置されたオーダー受付へ向かうのだった。

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「はぁぁぁぁあああ……」

 サブトラックで2次のアップをしている結城は、深いため息をついていた。

「さっきからため息ばっかりやな!うるさいねんボケェ!」

「仕方ないだろ!?だって2次進めるなんて思ってなかったんだからな!?」

「勝手に判断したお前が悪い!」

 翔に正論を言われた結城は何も言い返せない。

 そんな現在のサブでは、主に100mの2次予選に進む選手達がアップをしていた。
 とはいえ1次予選を走った直後なので、ほとんどの選手は軽めの動きがメインだ。

 とはいえ初の公式戦を終えた2人は少しリラックスしていた。
 反対に隼人は集中を切らすこと最終確認を続けている。

 そう、レース前後の過ごし方は選手によって全く違うのだ。

 すると、サブトラックの入口から武川第二タケニ高校のジャージを着た3人の男がやってきた。
 1人は翔と2次予選で同組の3年竹安、1人は隼人と同組の1年虎島。
 そしてもう1人は結城と同組である、3年西村俊樹にしむらとしきだった。

 西村は1次で10.99(-0.8)の好記録を出しており、結城の居る第3組では最速のタイムを記録している。

「お、来よったな……!」

 翔が3人を見て呟いた。
 そんなタケニのジャージは黒を基調としており、ネイビーのラインが入っている。
 身体の大きな選手が着ると非常に威圧感を感じさせる事でも有名だ。

 まさに実績と伝統を繋いできたこのジャージに袖を通す事は、北城地区周辺の中学生にとっては憧れでもあるのだ。

 ちなみにそれを見た翔は、離れた所に荷物を置いた3人に向かって中指を立てているイカレっぷりだ。
 結城はバレる前に必死でそれを阻止し、翔の頭を強めにパァンッと叩いていた。

 するとそのタイミングで、スタートの確認を終えた隼人も戻ってきた。

「あれ、何してたんだ?」

「いや、何もしてないです。断じて何もしてないです」

「早馬お前、叩かんでもええやろ!!?」

「……まさか早馬、暴力か?」

「ち、違います!!いや違う事もないですけど……。間違いなくコイツが悪いんです!」

 そう言って結城は翔を指した。

「頼むから問題は起こすなよ……。というか試合に集中しとけお前ら!」

「「は、はい!」」

 2人はビクゥっと体を震わせ、スグに謝罪を述べていた。



 直後に結城は、急にトイレに行きたくなる。
 ちなみにサブのトイレは入口の直ぐ横に設置されているのだが……

【使用禁止】

 結城が男子トイレに脚を踏み入れた瞬間に見えた言葉だ。
 どうやら故障しているようだった。

「マジっかよ、何で今……!?」

 1次予選のアップの際には使えていたので、まさにタイミングが悪いとしか言いようがない。
 こうなってしまうと、メイン競技場に戻って用を足すしか選択肢は無かった。

「仕方ないかぁ」

 結城は渋々サブトラックからメインスタジアムへ向かう。
 だが残念ながらその道中で、見知った2人の男に絡まれてしまった。

「あ、早馬じゃん」
「おお?さっきの1年か」

 2人の男の正体、つまりは”渚とリュー”が、結城にゆっくりと近付いてきていた。

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