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兵庫県予選大会 1日目

第112走 覚醒前夜

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【それじゃあ明日頑張ってください!4継で絶対近畿行ってくださいよ!】



 隼人のラインに届いたメッセージ、それは2年の大空龍リューからのものだった。

「リュー、明日ちゃんと来てくれるってさ」

「まぁ土曜だしな。他の2年も来てくれたらビックリするけど」

 現在寮の”2人部屋”で会話をしているのは、3年の隼人と渚である。
 2人部屋といえば3年生だけの特権、そんな広い部屋で2人は明日の4継に向けて体のケアも行っていたのだ。

「渚、疲労はどう?」

「別に余裕。明日の200mも棄権するし、100%で4継はいける。それより問題はお前と早馬だろ」

「俺も大丈夫だよ、別に痛みはまだ出てないし。にしても、さすがに早馬は走ってくれるよな?いきなりスガケンと組むのはちょっとバトン怖いんだよな。とはいえ早馬も疲労でしんどそうだったしなぁ……」

 そう言って隼人は、リューとの会話を終えたスマホをそっと机の上に置いていた。

 だがそんな彼の言う通り1年の結城は、まだまだ不安定さが目立つ状態の選手だ。
 事実今日の予選1本目でも、後半の減速が大きかった影響で隼人とのバトンパスも少し不安が残る形となっていた。

 どちらにしろ明日の4継決勝は、第1走がカギを握っているのは間違いなささそうだ。

「一応早馬も、ああ見えて日本記録保持者だろ。さすがに明日には合わせてくるって」

「渚は楽観的だなー」

「オメーが悲観的すぎるだけだ隼人」

 そう言う渚はというと、マネージャーがカメラで撮っていた今日の4継準決勝の走りを見返している。
 あと数センチで2着の選手を、あと1mでタケニの竹安を抜かせた、渚自身の脅威の追い上げの映像である。

「あー、やっぱ最後15mで上半身ブレすぎてたな。てかここの記憶飛んでるわ」

「渚、ゾーン入ったんだな※」

「だから俺はゾーン好きじゃないんだよ。だって抜かす瞬間は覚えときたいだろ?」

「いや、そもそもゾーンに入れるアスリート自体少ないんだぞ?もっと自分の集中力を誇れって」

「やだね、めんどくせー」

 いつも通り他愛の無い会話を交わす2人。
 だがこの”日常”を崩す出来事は、突然彼らに襲いかかった。



【ドンドンドン!ドンドンドンッ!!】

 突然部屋の玄関トビラから聞こえる爆音!
 どうやら誰かがトビラを強く叩いているようだ!

「え、えぇ!?誰、不審者!?」

「んなわけねぇだろ!?つーかこんな時間に迷惑すぎ。誰だろうと俺が寮の外にふっ飛ばしてやる!」

「寮母さんだったらどうすんだよ渚!?」

「なら優しめにふっ飛ばしてやる!」

 そして渚は意気揚々と玄関トビラへと向かい、勢いよくドアノブを掴んでトビラを開けた!

【ガンッ!!】

 すると災難な事に、トビラの向こうにいた”彼”も勢いよく突き飛ばされてしまったようだった。

「……ぶへぇ!!」

「は、早馬!?なにしてんだこんな時間に!?」

「や、山口先輩……もうちょっとゆっくり開けて下さいよ~……」

「あぁん?こんな時間に3年の部屋のトビラ叩く方が悪いよなぁ?なぁ早馬くーん??」

 すると渚は、結城に柔道の絞め技を繰り出していた!
 昨年の食堂事件以来の柔道技だ。

「痛たたたたた!!山口先輩!痛……くない?あれ、痛く無いかも?」

「当たり前だろバカ。試合控えてる奴にシッカリ決めるわけねぇだろ」

 そう言うと渚は、そっと結城を解放していた。
 ちなみにこれは渚なりのコミュニケーションだ。

 だが部屋の中からその様子を見ていた隼人は、なぜか渚の一連の行動に大きなため息をついている。
 なにせ帰りの電車で"後輩への接し方"を語ったばかりなのだ、その心労は計り知れない……。

「ったく。それで何しに来たんだ早馬。こんな時間に先輩の部屋のトビラ叩くぐらいだ、重要な事なんだろ?」

「ああ、そうでした!トビラに突き飛ばされて記憶飛ぶところだった!」

 すると結城はサッと立ち上がり、少し痛むオデコを触る。
 そして結城はこの場所に来たままの勢いで、3年生2人に対して言い放った!

「明日の決勝、俺が走ります!俺が生きている存在を、証明してやります!!」

「……え?」
「……え?」

 結城の突然の”存在証明宣言”に対し、3年生の2人は呆気に取られていた。
 だがそれでも結城は続ける。

「だから明日、絶対に近畿大会を決めましょう!大丈夫、だって俺がついてますから!」

 そして左胸を”ドンッ”と叩いた結城に対して、渚は恐る恐る口を開いた。

「えーっと……。早馬、俺が悪かった。俺が勢いよくドアを開けてお前を突き飛ばしたせいで、頭がおかしくなっちまったんだな。大丈夫だ、俺はずっとお前の味方だから、だから……」

「山口先輩、俺はいたって正常ですよ!?確かにちょっと動画見たせいでテンションはおかしくなってますけど……。と、とにかく!俺が明日走ります!」

「お、おう、そうですか……」

 とうとう敬語を使い始めた渚。
 どうやら結城とのテンションの差に、かなりの心の距離を感じてしまっているようだ。

 だがそれを後ろで見ていた隼人の方は、少し反応が違っている。

「早馬、本当に大丈夫なんだな?……信じてもいいのか?」

 不安と期待が半々の顔で、隼人は問いかける。
 だがそれに対し結城はまるで”王者"かのように、珍しく自信に満ちた笑顔で答えるのだった。

「もちろんっす。1番自分を信じてるのは、自分自身なんで!!」

 彼らの知らない結城がそこにはいた。


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※ゾーンに入る・・・アスリートなどが極限の集中力に入った際の表現。肉体的にも精神的にも最高のパフォーマンスが発揮できる瞬間とされており、しばしばゾーンに入っている最中の記憶がないというアスリートもいる。
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