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第32章:父の追跡
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21時を過ぎても、彩花は帰ってこなかった。 塾にはしばらく行っておらず、最近では学校も休みがちになっている。ここのところ毎晩のように深夜に帰る生活が続いていたが、昨夜はとうとう一度も帰宅しなかった。
リビングの時計の針が刻む音が、やけに重く響く。優子がソファの隅で震える肩を抱えて座り込んでいる隣で、陽菜と結衣も不安そうに身を寄せ合っていた。
「ねえ、彩花お姉ちゃん、どうしちゃったの……?」 結衣が泣き出しそうな声で呟く。最近の彩花は優子には牙を剥くが、妹たちに対してだけは、どこか悲しげな優しさを見せていた。
(……ごめんなさい。もうすぐ、全部壊れるから)
夕方、家を出る直前に彩花が二人に見せた、あの無理に作ったような笑顔。それを思い出し、陽菜は「私のせいで、お姉ちゃん怒ってるのかな……」と自分を責めるように俯いた。
「……探しに行ってくる。渋谷だ。あいつ、最近あっちに行ってるって噂を聞いた」 これまで沈黙を守り、玄関を見つめていた健太が、意を決したように立ち上がった。一晩帰ってこなかった娘の身を案じ、彼の顔からは余裕が消え失せていた。
「いいのよ、健太さん。そのうち帰ってくるわ」 「いいわけないだろう! 学校も塾も行かずに、昨夜も帰ってこなかったんだぞ! 陽菜も結衣も、あんなに心配してるんだ。母親なら、お前も何か言ったらどうなんだ!」
健太は優子の制止を振り切り、駅へと走り、渋谷へ向かう電車に飛び乗った。
車内で健太は必死に祈った。どうか自分の見間違いであってほしい。あの誇らしかった長女が、あんな場所へ好んで行くはずがない。
夜の渋谷。ネオンが不自然に明るいスクランブル交差点を抜け、センター街の奥へと足を進める。若者たちが地べたに座り込み、虚無的な空気が漂う一角で、健太は凍りついた。
街灯の下、ガードレールに背を預けて座り込んでいる、短いスカートの少女。派手な色のリップを塗り、見知らぬ男女数人と、虚空を見つめながら笑っている。 それが自分の娘だと気づいた瞬間、健太は心臓を素手で握りつぶされたような衝撃を覚えた。
さらに、その横には彩花と同年代と思わしき、素性の知れない男がいた。彩花はその男の肩に、だらしなく身を預けていた。
「彩花!」 健太の声が、喧騒を切り裂いて響いた。
「あ、おい、誰だよあのおっさん」 男が不機嫌そうに健太を睨む。
「……お父さん」 彩花は顔を上げた。男の肩からゆっくりと体を離すその瞳は、濃いアイラインが夜の湿気で滲み、見たこともないほど濁っている。
「帰るぞ、彩花。こんなところで、何をしてるんだ!」 健太が男から引き剥がすように彩花の腕を掴んだ。だが、彩花はその手を冷たく払い落とした。
「帰らない。私の勝手でしょ」 「勝手なことがあるか! お前、受験はどうした。お母さんも、陽菜も結衣も、みんなお前を待ってるんだぞ!」
「陽菜と結衣……」 妹たちの名前を聞いた瞬間、彩花の表情が一瞬だけ歪んだ。けれど、すぐに冷徹な仮面を被り直す。
「お父さんって、本当に幸せな人だね。お母さんがどんな顔をしてこの家を支えてるか、一度でも考えたことある? ……お父さんの信じてる『家族』なんて、全部ただの飾りだよ。嘘で塗り固めた、ただの箱」
「何を言ってるんだ……?」 健太の顔が困惑で歪む。
「お父さんのその『幸せ』が、どれだけの我慢と隠し事の上に立ってるか、想像もつかないでしょ。……お父さんは、いい人すぎるよ。だから、壊れるんだよ。全部」
彩花の言葉は、鋭いナイフとなって健太に突き刺さった。母の不倫という核心こそ口にしなかったが、その視線には「父だけが真実から疎外されていること」への憐れみと怒りが混じっていた。
「彩花、お前……疲れすぎてるんだ。とにかく、今日は帰ろう」 健太は彩花の言葉の「意味」を深く追求することを本能的に拒絶し、無理やり彼女の肩を抱き寄せた。
帰り道の電車の車内、二人の間に会話はなかった。窓の外を流れる夜の街並みを見つめる健太の指先は、微かに、けれど止まることなく震え続けていた。
リビングの時計の針が刻む音が、やけに重く響く。優子がソファの隅で震える肩を抱えて座り込んでいる隣で、陽菜と結衣も不安そうに身を寄せ合っていた。
「ねえ、彩花お姉ちゃん、どうしちゃったの……?」 結衣が泣き出しそうな声で呟く。最近の彩花は優子には牙を剥くが、妹たちに対してだけは、どこか悲しげな優しさを見せていた。
(……ごめんなさい。もうすぐ、全部壊れるから)
夕方、家を出る直前に彩花が二人に見せた、あの無理に作ったような笑顔。それを思い出し、陽菜は「私のせいで、お姉ちゃん怒ってるのかな……」と自分を責めるように俯いた。
「……探しに行ってくる。渋谷だ。あいつ、最近あっちに行ってるって噂を聞いた」 これまで沈黙を守り、玄関を見つめていた健太が、意を決したように立ち上がった。一晩帰ってこなかった娘の身を案じ、彼の顔からは余裕が消え失せていた。
「いいのよ、健太さん。そのうち帰ってくるわ」 「いいわけないだろう! 学校も塾も行かずに、昨夜も帰ってこなかったんだぞ! 陽菜も結衣も、あんなに心配してるんだ。母親なら、お前も何か言ったらどうなんだ!」
健太は優子の制止を振り切り、駅へと走り、渋谷へ向かう電車に飛び乗った。
車内で健太は必死に祈った。どうか自分の見間違いであってほしい。あの誇らしかった長女が、あんな場所へ好んで行くはずがない。
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街灯の下、ガードレールに背を預けて座り込んでいる、短いスカートの少女。派手な色のリップを塗り、見知らぬ男女数人と、虚空を見つめながら笑っている。 それが自分の娘だと気づいた瞬間、健太は心臓を素手で握りつぶされたような衝撃を覚えた。
さらに、その横には彩花と同年代と思わしき、素性の知れない男がいた。彩花はその男の肩に、だらしなく身を預けていた。
「彩花!」 健太の声が、喧騒を切り裂いて響いた。
「あ、おい、誰だよあのおっさん」 男が不機嫌そうに健太を睨む。
「……お父さん」 彩花は顔を上げた。男の肩からゆっくりと体を離すその瞳は、濃いアイラインが夜の湿気で滲み、見たこともないほど濁っている。
「帰るぞ、彩花。こんなところで、何をしてるんだ!」 健太が男から引き剥がすように彩花の腕を掴んだ。だが、彩花はその手を冷たく払い落とした。
「帰らない。私の勝手でしょ」 「勝手なことがあるか! お前、受験はどうした。お母さんも、陽菜も結衣も、みんなお前を待ってるんだぞ!」
「陽菜と結衣……」 妹たちの名前を聞いた瞬間、彩花の表情が一瞬だけ歪んだ。けれど、すぐに冷徹な仮面を被り直す。
「お父さんって、本当に幸せな人だね。お母さんがどんな顔をしてこの家を支えてるか、一度でも考えたことある? ……お父さんの信じてる『家族』なんて、全部ただの飾りだよ。嘘で塗り固めた、ただの箱」
「何を言ってるんだ……?」 健太の顔が困惑で歪む。
「お父さんのその『幸せ』が、どれだけの我慢と隠し事の上に立ってるか、想像もつかないでしょ。……お父さんは、いい人すぎるよ。だから、壊れるんだよ。全部」
彩花の言葉は、鋭いナイフとなって健太に突き刺さった。母の不倫という核心こそ口にしなかったが、その視線には「父だけが真実から疎外されていること」への憐れみと怒りが混じっていた。
「彩花、お前……疲れすぎてるんだ。とにかく、今日は帰ろう」 健太は彩花の言葉の「意味」を深く追求することを本能的に拒絶し、無理やり彼女の肩を抱き寄せた。
帰り道の電車の車内、二人の間に会話はなかった。窓の外を流れる夜の街並みを見つめる健太の指先は、微かに、けれど止まることなく震え続けていた。
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