不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase

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第1話:静かなる崩壊

4月のぬるい夜風が、リビングのカーテンを僅かに揺らしていた。山科徹(45)は、ソファに深く腰掛け、消音にしたテレビの画面をぼんやりと眺めていた。画面の中で踊る色彩よりも、隣に座る妻・美香(46)が放つ微かな「違和感」の方が、今の徹には何倍も現実味を持っていた。

結婚して20年。長男の大輔は19歳になり、次男の真司も16歳になった。嵐のような育児期が過ぎ、ようやく訪れた夫婦二人の時間。それを楽しみにしていたのは、徹だけだったのかもしれない。

「……ねえ、美香。さっきから誰と連絡してるんだ?」

徹が努めて穏やかに問いかけると、美香は弾かれたように顔を上げ、スマホの画面を伏せた。その動作があまりに素早く、不自然だった。

「え? ああ、パート先のグループLINE。シフトの調整が面倒で……。あ、私、明日も早いから先に寝るわね」

美香は一度も徹の目を見ることなく、逃げるように寝室へ向かった。彼女が通り過ぎた後には、これまで嗅いだことのない、甘く鋭い香水の香りが微かに残った。徹は、美香がいつからその香水を買っていたのか、思い出せなかった。

翌日から、徹の観察が始まった。一度意識してしまうと、変化は至る所に転がっていた。 スマホを風呂場にまで持ち込むようになったこと。以前は無頓着だった下着が、急に華やかなものに変わったこと。そして何より、夕食の献立だ。徹の好物である煮物は食卓から消え、代わりに、見慣れないイタリアンの惣菜や、どこか「若者の流行り」を意識したような横文字の料理が並ぶようになった。

「これ、どうしたんだ?」 「いいじゃない、たまには。新しいレシピを覚えるのも楽しいのよ」

美香は鼻歌混じりに答え、スマホをチラチラと確認しながらサラダを盛り付けている。その頬は、徹と会話している時よりもずっと赤らんでいた。その高揚が、夫である自分に向けられたものではないという事実は、徹の心に冷たい楔を打ち込んだ。

数日後、徹は意を決して、美香がシャワーを浴びている隙に彼女のスマホを手に取った。 指が震える。20年の信頼を裏切るのは自分の方ではないかという罪悪感と、真実を知ることへの恐怖がせめぎ合う。だが、ロック画面に浮かび上がった通知が、すべての躊躇を吹き飛ばした。

『昨日は最高に楽しかった。次はいつ会える? 早く抱きしめたい』

送り主の名は『K』。 徹は、自分の心臓が凍りつく音を聞いた気がした。リビングからは、次男の真司が自室でゲームをしている微かな音が聞こえる。この平穏な家の中で、妻は、母は、別の男に抱かれ、愛を囁かれていたのだ。

「……嘘だろ、美香」

呟きは、誰に届くこともなく消えた。徹はスマホを元の位置に戻し、暗いリビングで一人、拳を強く握りしめた。怒りよりも先に、深い、深い絶望が津波のように押し寄せてきた。


【幕間:美香の独白】
「ねえ、徹さん。あなたは気づいていなかったでしょうけど、私はずっと息苦しかったの。家を守り、子供を育て、年齢を重ねていくだけの毎日。鏡を見るたびに、女としての私が枯れていくのが怖かった。そんな時、彼が私を『一人の女性』として見つけてくれた。彼といる時の私は、山科家の母親でも妻でもない、ただの美香に戻れる。これが間違いだってことは分かっている。でも、一度知ってしまった温度を、もう忘れることはできないのよ」
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