アラ還妻と若い彼 継承される情熱

MisakiNonagase

文字の大きさ
5 / 28

第5章:境界を越える夜

​睦美と悠人の関係は、もはや生活の一部となっていた。睦美は悠人のアパートを自分の居場所のように感じており、悠人もまた、睦美の包容力と変わらぬ情熱に絶対の信頼を寄せていた。二人の間に「不確かなもの」は何ひとつなく、ただ凪いだ海のような、しかし深い愛がそこにはあった。

​一方、長谷川愛美の心は、激しい嵐の中にいた。14年連れ添った夫との関係は良好だ。大きな不満があるわけでもない。家庭人として、母として、そして責任ある立場の社員として、彼女は完璧であろうとしてきた。しかし、目の前の「瀬戸くん」を知れば知るほど、築き上げてきた理性の壁が薄氷のように脆くなっていく。

​6月の蒸し暑い午後のことだった。愛美と悠人は都心から少し離れた拠点への出張を終え、15時という早い時間に業務を完了させた。

「今日はもう直帰しましょうか。……もしよかったら、少しだけ、寄り道しませんか?」

愛美は自分でも驚くほど自然に、しかし震える心を押し殺して悠人を誘った。

​二人が向かったのは、お互いの帰り道にある、乗り換えなしの一本で繋がるターミナル駅の居酒屋だった。

通されたのは、通路と薄いカーテン一枚で仕切られただけの狭い個室風の席。最初は他愛もない仕事の反省や、インターンの感想を話していた。だが、ビールが空き、冷酒が運ばれてくる頃、店内の喧騒とは裏腹に、二人の間の空気は密度を増していった。
​愛美が化粧室から戻ってきたときのことだ。

無意識か、あるいは何かに導かれたのか、彼女は向かい合わせの席ではなく、悠人のすぐ隣に腰を下ろした。

「……長谷川さん?」

悠人が少し意外そうに彼女を見る。肩が触れそうな距離。愛美の鼻腔に、あの日感じた清潔な石鹸の香りが忍び込む。

​「私……どうかしてるわね」

愛美はグラスを見つめたまま、自嘲気味に呟いた。

「立派な母親でいなきゃいけない。教育係として、一線を越えちゃいけない。そんなの、自分が一番よく分かってる」

そして、愛美はゆっくりと顔を上げた。至近距離で、悠人の真っ直ぐな瞳が自分を捉える。

「でも、瀬戸くん。あなたのことを考えると、苦しいの。……好きになってしまったみたい」

​告白した瞬間、愛美は激しい自己嫌悪に襲われた。自分のこれまでの人生を否定するような言葉。だが、そんな彼女を見つめる悠人の脳裏に、ある残像が重なった。

睦美が時折見せる、潤んだ瞳と、少しだけ震える唇。愛美が今見せた「女」の顔は、皮肉にも悠人が愛してやまない睦美の面影そのものだった。

​悠人は無言のまま、愛美の頬に手を添えた。

「瀬戸く……」
言葉を遮るように、悠人が唇を重ねた。睦美との深い愛とは違う、しかし睦美と同じ熱を持つその感触。悠人は愛美の中に、睦美の分身のような、しかし別個の、不思議な魅力を感じていた。

​唇が離れると、悠人は落ち着いた声で、しかし残酷な事実を告げた。

「長谷川さん。僕には、大切にしている人がいます。……結婚はしていませんが、深く愛し合っている人が」

愛美の瞳に絶望が宿りかける。しかし、悠人は続けた。

「でも、あなたのことも、出会った時から興味がありました。……放っておけないんです」

​時計の針は17時30分を指していた。

「今夜、睦美は来ない日だ」
悠人は心の中で、今日のスケジュールを反芻する。最愛の睦美を傷つけることは、彼にとって万死に値する。しかし、目の前の愛美という「睦美に似た女」を抱きしめたいという欲求に、彼は抗わなかった。

​「……僕の家に来ますか? 今から」

愛美は、悠人の言葉に含まれた事実——彼に愛する人がいること——に胸を抉られながらも、彼への渇望には勝てなかった。

​彼女は震える手でスマートフォンを取り出すと、子供たちへLINEを送った。

『今夜はお仕事が長引くから、夕飯は何か適当に食べてね。少し遅くなるわ』

​送信ボタンを押した瞬間、彼女は「長谷川家の母親」という仮面を投げ捨てた。

二人は店を出て、夕暮れの街へと踏み出した。愛美がこれから足を踏み入れる場所が、数日前まで自分の母親が睦み合っていた場所だとは、まだ知る由もなかった。
感想 0

あなたにおすすめの小説

清掃員と僕の密やかな情状

MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。 青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。 肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。 44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)その後

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合つまた。 その後、大学を卒業した祐輔(ユウスケ)の新たなストーリーが始まった。 全15話を予定

もてる錯覚? 44歳主婦・好美の冒険

MisakiNonagase
恋愛
「もてている」という錯覚。その出口で、私は本当の恋を知った。 45歳の誕生日を前に、好美は自らを納得させるように複数の男たちと情事を重ねる。 高いヒールのロングブーツと、短すぎるスカート。それは、乾いた日常と無関心な夫への、ささやかな反逆だった。 主導権を握っているつもりだった。男たちを転がしているはずだった。 ――実は、都合のいい女として扱われていることに薄々気づきながらも、彼女はあえてその事実に蓋をし続けてきた。そうしなければ、自分の輪郭を保てなかったから。 けれど、22歳の大学生・優希の真っ直ぐな瞳と、包み込むような「ため口」が、彼女の頑ななプライドと虚飾を溶かしていく。 保身を捨て、一人の女として彼を求めた時、好美が見つけた「本当の居場所」とは――。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。