千代に八千代に寄り添いて 春は桜を冬は瑞華を

深緋莉楓

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第1話 欠席届

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 神棚に供えられた榊に向かって指を鳴らすと、青々しく美しい葉がひらりひらりと蝶のように風もない本殿の中を舞い、指を鳴らした男の足元へと音もなく落ちた。
 男は目を閉じたまま人差し指を軽く唇に当てると、ピンと張った葉の上につらつらと指を滑らせる。
 そんな男の様子を無言で見つめる少年の右の手首は、男の左手に掴まれたままだ。少年には手を掴まれていることを気にしている風は全くなく、男の仕草を興味深そうにじぃっと見つめ続けるだけで声すらかけようとはしない。
 男の横顔を見る少年の口元に柔らかな弧が描かれているのを目を閉じたままの男は気付いているのかどうか。

「……出雲に在わす神よ。畏れ多くもなにとぞ御赦しを……」

 そう呟くと男は榊の葉を右手の掌に乗せ、小声で何事かを呟いた。

「わっ!」

 思わず飛び上がりかけた少年の手首をほんの少しばかり力を込めて掴み直すと、男は綺麗な笑顔を向けて

「驚いた?」

 と無邪気に問うた。

 少年は何度も頷いて空いている自分の左の掌を見つめ、男に微笑み返した。

「すごいね! カミサマは本当にカミサマなんだね!」
「なんだ? まだ信じていなかったのか?」
「そうじゃなくて! 今まで掌で火を焚いたりしたことなかったから」
「なんだ、境内を徘徊するだけの暇神だと思っていたのか?」

 くすくす、ふふふ、先に笑い出したのはどちらだったのか──カミサマと呼ばれた男は少年に火傷などしていないことを証明するように掌を見せつけると、そのまま少年の頬を優しく撫で、そっと顔を近づけた。
 少年は煤一つついていない男の掌を見て嬉しそうに目を細め、ほんの少しくすぐったそうに頬を撫でられた後、静かに目を閉じて男の唇が自分のそれに重ねられるのを大人しく待った。

 数秒重なり合った二人がそっと離れ、少年は掠れた声で、ねぇ? と呼びかけた。

「さっきのはなんのオマジナイ?」

 まじないではないと言われ、少年は首を捻った。
   男は大層バツが悪そうに意味もなく声を潜めた。

「強いて言うなら欠席届か。神在月には出雲には行きませんのでごめんなさいって……」
「それって、やばい?」
「やばい? あぁ、どうだろう? 無断欠席ではないから大丈夫だと思う、のだがな」
「ねぇカミサマ、それって、それって、初サボり?」

 今度は男が首を傾げた。サボり、の意味が理解できなかったのだ。

樹貴たつき、その言葉は解らない。初めて聞いた」
「あ、そか。えーっと、初……初なんだろ? 無断じゃないからすっぽかしじゃないし、えと……」
「ふむ、言わんとすることは理解した。そうだな、出雲へ行かないのは初めてだ」
「俺のせい? だよね……」

 つ、と視線を下げてしまった樹貴が、繋いだ手を振り払ってしまいそうで、そんな想像がひどく恐ろしく男は緩めたばかりの左手に再び力を込めた。

「お前のせいじゃない。俺が決めた……出雲へ行くよりもお前と共に在りたいと願う」
「出雲の神様って、怖い?」

 その質問にはどう答えたものだろうかと悩む男はうんうん唸り、そんな男を見た樹貴は心の中でとてつもなく恐ろしい神様像を完成させつつあったが

「いや、出雲の神は怖くはない。おおらかでとても優しい。ただ、集まるであろう神々の中に怖いというか……その、なんというか。俺としては出雲の神よりもそちらが心配というかなんというか……」

 そのセリフに完成させつつあった神様像がぐにゃりと歪んだ。
 神無月とは全国の神々が出雲大社に集まるので、出雲地方以外ではそう呼ぶのだと日本史の授業で習った記憶がある。目の前に自分を救ってくれたカミサマがいるのだから、やはり出雲にもいるのだろう。その出雲の神様よりも恐ろしい神様までもが存在するらしい。

 掴んだ手は離さぬまま、唸り続けるカミサマに樹貴の胸は大きな不安の渦を抱えた。
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