月の瞳に囚われて

深緋莉楓

文字の大きさ
7 / 41

第7話 ルナとこの世の文明の利器

しおりを挟む
 きちんと服を着て戻ったルナがちょこんと隣に座る。

「これで良い?」
「あ、うん。なんか飲むか? お茶?」
「あるの? お茶飲みたい! お茶! お茶!」

 ずっと水ばかりだったからか、それはもう嬉しそうに繰り返すので、未開封の玉露入りの高そうなヤツを開けた。
 俺一人だったらペットボトルので充分なんだけど、ルナにはきちんとした物を飲ませてやりたかった。

 ふわん、と漂う渋さと甘さの混ざった緑茶の香をつい深呼吸して胸に溜め込んで楽しんでいると、全く同じ行動をしているルナと目が合って、妙におかしくて吹き出した。

「さっきの質問……」
「ん?」
「確かに山も滝もあるよ。館以外は自然しかなくて。年中花が咲いていて、とても美しいよ……」

 ふ、と細くなった目は懐かしんでいるのだろうか。

「帰るのか?」

 何を言っているんだ、と一人ツッコミを入れた。
 当然、いつの日にかは帰るのだろう。ルナはこの世界の存在ではないのだから。
 おそらくルナは神か神に近い者だ。そんな存在をたかだか人間の俺が引き留める方がおかしい。

「無何有郷には帰らない。さっき深海と約束した。深海は一人にするな、裏切るなと俺に言った。俺はそれに応えてこの姿をあらわにした。俺は深海と一緒にいたい」

 今までの少し甘えた無邪気な口調とは一転して、ずいぶんと大人びたルナの言葉が嬉しいと同時に怖かった。

 この世界は嫌だと言ったのはルナだ。
 この姿でこの世界にいるのは負担だと言ったのはルナだ。

 じゃあ、いつか、この世界に心底嫌気がさしたら……やっぱり帰るんじゃないのか……?

「深海?」

 ルナが帰ると言うまで、一緒にいたいと願うのはダメだろうか?

「身体、大丈夫なの? ツラいんじゃないのか?」

 んー、と小さく唸ってルナは目を閉じた。

「上手く言えないけど、深海の領域は過ごしやすい。空気が澄んでる」

 そう言われて何となくで吸い出したタバコはやめようと思った。人と話したくない時や心の隙間を埋めるのに役立っていたけれど、ルナがいてくれる限り、出番はなさそうだ。

「ルナが望むだけ、ここにいれば良いよ……っていうか、いてください」

 俺の我儘。
 許されるだけその金眼を見ていたい。
 澄んだ声で名を呼ばれたい。
 俺の知らない世界の話を聞きたい。

「えと、よろしくお願いします!」

 ひょこっと下げられた頭を撫でる。

 もう一つ、我儘追加。
 絹糸のように滑らかなこの髪に触れたい。

「こちらこそ。よろしくお願いします」

 金眼の中に自分の姿を見た。
 ルナも俺の眼の中に自分を見たのだろうか? ふ、と照れ臭そうに微笑むと、すっかり冷めた湯呑みに手を伸ばした。

「お茶、美味しいねぇ」

 ふんわりと笑うルナに新しいのを、と言うといつも俺が飲んでいる黒い液体は何だ? と聞かれた。
コーヒーだと答えると

「無何有郷にはないなぁ」

 と残念そうな口振りで、コーヒーとは何だと熱心に聞いてきた。

「ちょい待ち……コーヒー、コーヒー……」

 スマホでネット検索をして、コーヒーノキの種子を焙煎した後に粉末にして熱湯か水を注いで飲むのだと教えると、ただでさえ丸い目を更に丸くして今度はスマホに食いついた。

「コレは……遠くの人と話したり、メール……手紙をやりとりしたり、さっきみたいに調べ物ができたりする機械だ」
「むぅ……人の世とはすごいな! これは水鏡のような物か……」

 とひとしきり唸って薄っぺらいスマホを恭しく両手で抱えて、首を曲げて背面を覗き込んだりしていた。

「ゲームもできるぞ? やるか?」
「げえむ?」

 説明するより実際に見せた方が早いだろうと判断して、簡単そうなパズルゲームのアプリをダウンロードした。

「同じ色を三つつなげるんだ。早く動かして消さないと上からどんどん降ってくるからな。消せなくなったり、時間切れしたらお終い。ちゃんとできたら……ほら新しい問題が出てくる」
「わわわっすごい! 何で!? 深海は魔術が使えるの?」

 スマホの画面を滑る俺の指と俺の顔を交互に見やって興奮しているのか金眼がキラキラと輝いている。
 それに見惚れて……俺は三ステージ目でゲームオーバーになった。

「あー負けた。次、やってみる?」
「やる!」

 ルナはしばらく画面見つめて、緊張に震える指先でタッチした。

「うぉ! 動いた! くるくるしてる!」

 すごいすごいとはしゃぐうちにタイムアップ。
 画面はどんよりした暗い絵柄で止まっている。
 幸い平仮名でにゅーげーむと表示してあるので、そこを触れば何度でも挑戦できると教え、俺は初めてのスマホ、初めてのゲームに夢中のルナを見つめた。

 集中しているのか、少しとんがった上唇が可愛い。
 失敗して画面が暗くなる度に口の端が歪んでいく。
 知らなかったとはいえ、猫じゃらしで遊んでしまったことにほんの少し罪悪感のような物を覚えた。
 神様に猫じゃらしなんて、俺なんかバチ当たるんじゃないの? 

 うーうー唸るルナの頭を撫でて

「食器、洗ってくる」

 と伝えてキッチンへと向かう。下げただけだった食器を洗っておかないと、なんてもっともらしい理由をつけてルナから離れた。
 でないとルナがゲームに飽きるまで、俺は飽きもせずルナを眺めていそうだった。

「み、深海~できないっ」

 キッチンから戻るとルナは半泣きで暗い画面のスマホを渡してきた。
 スコアを見れば三十戦二勝二十八敗とある。二勝は俺だな。
 どれだけがんばった? とツッコミたいのと吹き出したいのをこらえてルナを呼ぶ。

「おいで」

 床に座り込んで、足の間にルナを座らせた。

「手、貸して……そう人差指。力抜いてて」

 ひとまわり小さいルナの手を包んで、そっと画面の上を滑らせると、触れたカラフルなブロックが回転した。

「これはできたよ!」

 肩越しに覗いているのでルナの表情が見えないのが惜しい……けど口調からすると拗ねているような?

「で、次は……コレかなぁ……で、コレ」
「すごい! 深海すごい!」

 バッとものすごい勢いで振り返って俺を見るルナとの距離の近さに、今の体勢を冷静になって頭の中で描くことができた。

 足の間に座らせて。
 背中から抱くように右手を重ねて。
 二人でスマホを持って。

 認識した途端、心臓が音を立て始めて、一気に顔が熱くなった。多分耳まで。

「深海? もう一度!」
「あ、うん」

 ステージをクリアする度にルナはすごい! と喜んで振り返る。
 俺の心臓、大丈夫かな。
 こんなドキドキ、卒業式に告白した時以上だ。
 転送してもらった本命彼氏とのキス写真を見た時の心臓もやたらとうるさかったけど、あの時とは……種類が違う。

「あのさ、ルナ」

 今なら言えると思う。
 言いたい、知っておいて欲しいと思う。
 子猫のルナに泣いてすがった俺の弱さを。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

冷酷無慈悲なラスボス王子はモブの従者を逃がさない

北川晶
BL
冷徹王子に殺されるモブ従者の子供時代に転生したので、死亡回避に奔走するけど、なんでか婚約者になって執着溺愛王子から逃げられない話。 ノワールは四歳のときに乙女ゲーム『花びらを恋の数だけ抱きしめて』の世界に転生したと気づいた。自分の役どころは冷酷無慈悲なラスボス王子ネロディアスの従者。従者になってしまうと十八歳でラスボス王子に殺される運命だ。 四歳である今はまだ従者ではない。 死亡回避のためネロディアスにみつからぬようにしていたが、なぜかうまくいかないし、その上婚約することにもなってしまった?? 十八歳で死にたくないので、婚約も従者もごめんです。だけど家の事情で断れない。 こうなったら婚約も従者契約も撤回するよう王子を説得しよう! そう思ったノワールはなんとか策を練るのだが、ネロディアスは撤回どころかもっと執着してきてーー!? クールで理論派、ラスボスからなんとか逃げたいモブ従者のノワールと、そんな従者を絶対逃がさない冷酷無慈悲?なラスボス王子ネロディアスの恋愛頭脳戦。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

記憶を失くしたはずの元夫が、どうか自分と結婚してくれと求婚してくるのですが。

鷲井戸リミカ
BL
メルヴィンは夫レスターと結婚し幸せの絶頂にいた。しかしレスターが勇者に選ばれ、魔王討伐の旅に出る。やがて勇者レスターが魔王を討ち取ったものの、メルヴィンは夫が自分と離婚し、聖女との再婚を望んでいると知らされる。 死を望まれたメルヴィンだったが、不思議な魔石の力により脱出に成功する。国境を越え、小さな町で暮らし始めたメルヴィン。ある日、ならず者に絡まれたメルヴィンを助けてくれたのは、元夫だった。なんと彼は記憶を失くしているらしい。 君を幸せにしたいと求婚され、メルヴィンの心は揺れる。しかし、メルヴィンは元夫がとある目的のために自分に近づいたのだと知り、慌てて逃げ出そうとするが……。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。

転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした

リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。  仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!  原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!  だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。 「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」  死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?  原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に! 見どころ ・転生 ・主従  ・推しである原作悪役に溺愛される ・前世の経験と知識を活かす ・政治的な駆け引きとバトル要素(少し) ・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程) ・黒猫もふもふ 番外編では。 ・もふもふ獣人化 ・切ない裏側 ・少年時代 などなど 最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

処理中です...