月の瞳に囚われて

深緋莉楓

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第10話 片恋、自覚、告白

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 コーヒーメーカーをルナは興味津々で見ている。
 それはもうかぶりつき。フィルターセットの段階からずっと見ている。

「深海!」

 昨日あんな夢を見たから、気まずくて、申し訳なくて、ルナがコーヒーメーカーに興味津々なのを良いことに側から離れていた。
 そんな所へ大声で名前を呼ばれて、嫌な予感が胸を占める。
 まさか火傷! 蒸気に触れた?

「どした!? 大丈夫か!? ルナ?」

 慌ててキッチンへ行くと、キラッキラの笑顔で

「一滴出た!」

 と言われて力が抜けた。

「なんだよ~火傷したかと思って心配したろ?」
「あ、ごめん……」
「いや、ルナは悪くない……ごめん」

 気まずい。というか後ろめたい。
 ルナは悪くないのに、そんな哀しそうな目をしないでくれ!
 俺が悪かった! 色んな意味で!

「つい珍しくて……」
「無何有郷にはない物が多いだろ?」
「うん! だから、つい」
「一緒に見よう」

 パチパチと瞬きして、パアッと笑顔の花が咲く。

「ホント!?」
「ホント」

 俺には普通のことでも怪我をするかも知れないし、ルナの表情を見逃すのも惜しいと思う。
 夢のせいで自覚した。
 好きだって。
 夢の中でしたようなことはしちゃいけないってのは解るけど、だからってルナに哀しそうな顔をさせるのはおかしい……と自分に都合の良い言い訳をする。

「深海、今日は出かけない?」

 カウンターに寄りかかって隣でコーヒーメーカーを眺める俺にルナが聞く。
 今日は大学もバイトも休み。
 そう伝えるとルナは首を傾げた。

「ばいとって何?」
「んー、曜日とか時間決めて、働くことかな」
「なるほど。深海は大学という所で勉学に勤しみながらも能力を認められて働く人なんだな。多忙で優秀なのだ」

 うんうん、と何を納得したのか一人頷いている。

「いや、そういう人いっぱいいるよ? っていうかほとんどだよ?」
「そうなの!?」
「そりゃ、まあ。大学生なら遊びにも行くし飲みにも行くし、お金は必要だからさ」
「ほぉーっなんと謹厳実直な!」
「ルナ、大袈裟」

 なかなか古めかしい言い方をするルナに苦笑してコーヒーカップを用意する。
 普段ならできあがったコーヒーをそのままカップに流し込むけれど、記念すべきルナの初コーヒーだ。
 きちんとカップを温めて、ルナをテーブルに呼んだ。

「これがこぉひぃ……!」
「熱いからな? 気を付けて」

 立ち上る湯気を手で自分の方へと扇いでコーヒーの香を吸い込むルナの所作の美しさに見惚れた。

「いただきます」

 まずはブラックで。
 果たしてルナの口に合うかどうか。
 ふぅふぅと慎重にカップの中身を吹いて、ゆっくりと口をつけたルナは。

「深海、苦いっ」

 と案の定涙目になった。
 用意しておいた砂糖とミルクを勧めると、俺はどうやって飲んでいるのかと聞く。

「何も入れない」

 と答えると、どうすべきか唸って、それでもコーヒーを無駄にしたくなかったのか砂糖に手を伸ばした。

「ちょっとずつ入れろよ? 甘過ぎても美味しくない。ミル……牛乳を入れるとまろやかになるぞ」
「解った。でも香はすごく良い! これが眠りを妨げるとは不思議だね」

 カフェインが……なんて説明も要らないだろと、砂糖を一杯入れては味を確かめるルナを見ていた。
 おっかなびっくりな様子がすごく可愛い。

「美味しくなった! すごい!」

 二杯の砂糖と少しのミルクでルナはコーヒーの味に満足して、無くなるのが惜しいと言わんばかりにゆっくりと飲んだ。

「ルナ、今日は何をしたい?」
「うーん、深海と一緒にいたい」

 出掛けるか? と言いかけてやめる。きっと外出はルナにとってとても負担になるだろう。
 一日中、だらだらと過ごすのも悪くないと思ってルナにスマホを見せた。

「ゲームするか?」
「する!」
「じゃあコーヒーを飲んだらゲームをしよう。とにかく今日はだらだらしよう」

 こくこく頷くルナの姿に目を細めていると、滅多に鳴らないスマホが着信を告げた。
 バイブの振動と着信音に目を丸くしたルナに向かって人差し指を口に立てて静かにね、と言うと小さく頷いた。

「もしもし? え? ああ、そうだけど。俺、今日講義ないし……明日じゃダメなのかな? え? もう? それは……うん、解った。資料渡すだけね。今日は用があるから」

 通話を終えると溜め息が出て、そんな俺を見てルナが不安そうにする。

「ルナ、今から大学の人が資料を取りに来るから……」
「解った。猫になる。でもまだ良い? こぉひぃが……」
「良いよ。まだ十五分はかかるだろうし、ルナは一瞬で変身しちゃうから、コーヒー飲んで?」
「ありがとう」

 コーヒーを飲みながら、ルナは本当にスマホで会話ができることに驚いたと言い、ついにはスマホに向かって

「お前は神か!? 神の御使いか!?」

 と真剣に問いかけていた。
 ほとんど誰でも持ってるよ、と言うとルナは

「あな恐ろしや、人の世よ」

 と古典で聞いたような言葉を呟いて、少し残ったコーヒーカップを手に俺の隣へ移動して来た。

「深海に力をもらおうと思って! 深海の近くは清涼な気が多いから」

 とへにゃっと笑う。

「俺の近くと外ではそんなに違うの?」
「うん。何ていうか、深海を中心に放射状に気が流れていて、この部屋は深海の領域だから、外よりずっとずっとずっとずっとツラくない」
「そっか。俺でもルナの役に立てるんだな」

 純粋に嬉しくて、飲みかけのカップを置いてルナを抱きしめた。

「あわわっあわっ深海!?」
「力が要るんだろ? 持ってけよ」
「精気を吸い取ったりはしないよ。ただ流れてる綺麗な気を溜めてるだけ」
「変身にも力を使う?」
「まあね。俺が小さな猫になるのはこの世の力を受ける面積をできるだけ小さくする為で、でも深海の側にいれば何故かは解らないけどヒトのカタチでも大丈夫なの」

 不思議! と笑ったルナが身体から力を抜いたのが伝わってきた。
 そして背中にルナの腕が回されたのが、温もりで解った。
 チラリと目に入る青っぽい黒髪を撫でると、くふふ、とルナが笑って、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 好きな人が腕の中にいるなんて、なんて幸せなことだろう。

 ドアベルが鳴るとルナは瞬時に子猫の姿になった。
 途端に始まるゴロゴロ振動が嬉しくて、抱き上げてベッドの上に運んだ。

「すぐ戻るから」
「解った」

 どうして今日なんだよ、と心の中で文句を言いつつ玄関を開けた。

「ごめんね? 深海くん」
「あ、いや。すぐ持って来るから……」
「コレ、一緒に飲もうと思って!」

 と差し出されたカフェショップのテイクアウトのコーヒー。
 玄関で待つのは嫌だという意思表示か。

「……ありがとう……じゃあ上がって三島さん。でもさっきも言ったけど今日は用事があるから」

 暗に時間はない、すぐ帰って、と伝えつつさっきまでルナを抱きしめていたリビングに案内した。

「ここで待ってて。すぐ持って来るから」

 ドア一枚向こうのルナがいる部屋に滑り込んで、レポートに必要な資料を掻き集めた。

「深海くん」
「待っててって言ったよね?」
「ごめんね、少しお話したくて……あ! 可愛い! 猫飼ってるの!?」

 目ざとくベッドの上で丸まっているルナを見つけた三島さんは俺の非難を聞き流してルナに駆け寄り抱き上げた。

「ふにゃっ!?」
「可愛いー! 私、猫大好きなの! 綺麗な猫ちゃん!」
「にゃっ!」

猫大好きなの、と言うわりに……。

──深海! 助けて!──

 頭の中に響いて来た声にハッとする。

「その子人見知りなんだ。嫌がってるみたいだから離してやって? それに三島さん、そんなに猫好きじゃないよね? そんな握るように抱き上げたら苦しいだけだ」

 言い方が悪かったかも、なんて考える余裕はなかった。
 三島さんはわずかに口元を歪めて、ルナをベッドへ戻そうとした瞬間、暴れて自由になったルナが駆けて来る。
 その身体を抱き上げて背中を撫でると、首元で荒い呼吸が聞こえた。

「資料は俺が持ってるのはこれだけだから足りな──」
「深海くん! いつになったら私と向き合ってくれるの!? ずっと好きだって言ってるのに全然だし、最近じゃサークルにも飲み会にも来ないし! 今だってこうしてはぐらかしてる!」
「三島さん……俺はずっと断ってる。はぐらかしたこともないよ」
「それは……もう良いじゃない! 三年も経つんでしょ? もう忘れたって良いじゃない!」
「昔の人は関係ないよ。俺さ今好きな人がいるんだ。だから三島さんとも誰とも付き合うつもりはない。はい、これ資料。俺はもう使わないからあげるよ」

 三島さんの色を無くした顔を見下ろす。ギシギシと音がしそうな程の緩慢な動きで資料を掴むと

「誰? どんな人?」

 と掠れた声で聞いてくる。
 関係ない、とつっぱねることもできたと思うけど、ちゃんと伝えるのがずっと想い続けてくれた人への礼儀のような気がした。

「三島さんは知らない人。どんなって……そうだなぁ……甘いこぉひぃが好きで、げえむが大好きで、とても無邪気で、好奇心の塊で、心がすごく綺麗でお月様みたいな目をしてる子。好きなんだ」

 言いながら俺は腕の中のルナを見ていた。ルナも俺を見ていた。ぽけっと口を開けて真っ直ぐに俺を見ている。

 ちょ、恥ずかしいんだけど。

「私、フられちゃった?」
「俺はずっとお断りしてるけど……?」
「言い続けてれば洗脳できるかと思ったのに、残念!」

 ふざけた口調の彼女は溜め息をついてルナに手を伸ばした。

「シャーッ!」
「あら、猫ちゃんにも嫌われたみたい……さっきは苦しい抱き方してごめんね?」

 撫でようとした手を浮かせたまま、彼女は本当に申し訳なさそうに呟くと

「お邪魔しました。ごめんなさい。もう洗脳作戦は止めます。資料はありがたくいただきます」

 と深々と頭を下げ、アッサリと出て行った。
 鍵をかけようか、と思った矢先。
 細い腕が首に回った。

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