19 / 41
第19話 晒した本心
しおりを挟む
ゴズッと派手な音がして、白虎が両手で頭を抱えて朱雀を睨んだ。
「痛いっ! 何ですか!?」
「お前が悪い。言葉の選択も顔もお前が悪い」
「顔もって! 失礼なっ! いきなり手を出すなんて貴方の方がよっぽど悪いじゃないですかっだいたい……」
ぎゃんぎゃん喚く白虎を無視して、朱雀は握っていた拳を開き、掌をヒラヒラと遊ばせながら俺に笑いかけた。
「悪い、たまーに結論だけ言うバカになるんだ」
「どっちだよ?」
「あ?」
「消すのか消さないのか……どっちだよ!?」
「そりゃ深海次第だろ」
にんまりと笑う朱雀は悪巧み真っ最中って感じの悪い顔をしている。
神様のしていい顔をじゃないと思う。
「郷は二つに割れてる。帝みたいな、住む世界の違う魂が伴侶となる前例はないので認めないってのと、俺らみたいに何の問題があるんだかって思ってるヤツら。前者は頭の堅い帝と、その取り巻き。そいつらも実際に深海と会えば考えは変わると思う」
「そうです。帝も昔はもう少し……人の話に聞く耳を持つ方だったんですけどね……」
憂い顔の白虎は半分程飲んだペットボトルを朱雀に渡した。
「長く権力の座にいたからか、単に老いたのか……どっちもですかね。でもまぁ、そんな帝が深海さんに会いに来るとも思えませんので、もし深海さんがこの世を捨てる覚悟がおありなら、無何有郷へお連れします」
「行けるのか? 俺、人間だぞ?」
そうだ、さっき朱雀が言っていた。尾白も昔はこっちで生きてたって。なら、俺も行ける、はずだ。
ルナに会える?
「行って帰るだけの遠足にゃなんねぇぞ? だから覚悟はあるかって聞いたんだよ」
白虎の飲み残しを美味そうに喉に流し込んだ朱雀がマジメな顔して呟く。
「一人の郷の者が貴方を認めれば、郷の住人になれます。五人の郷の者が貴方を信じ力を与えれば尾白のような……こちらで言うところの精霊? になれます。貴方に少なくとも私程度の力……和子と共に永きを生きる力を与えるには最低でも十人の同意と信頼、力が必要です。あと神桃も。これは食べていただくだけですので問題はありません。一番問題なのは深海さんの決心と力の供給者の確保です」
「解るか?」
「え? 俺、神様になるのか?」
「神様? 違う。俺達と同格になるってこった」
それを神様って呼ぶんじゃないのか?
頭がクラクラする。
価値観とか世界観が違い過ぎて、理解する脳みそが働かない。
「ちょっと待って。コーヒー……飲ませてくれ」
泣いたせいか混乱しているせいか痛み始めた頭を押さえて呟くと
「なるほど! 落ち着く為に、こういう時に飲むんだな!? 深海、俺もこぉひぃが飲みたい!」
朱雀が明るく催促する。ルナと同じ言葉を言うんだな。
──深海、こぉひぃが飲みたい!
──深海、やっぱり苦いっ
──深海、お砂糖と牛乳を取って?
──深海、すごい! 美味しくなった!
「朱雀、ルナも同じこと言ったよ」
「は?」
「……深海、こぉひぃが飲みたい! って。ちゃんと三人分淹れて来るから、ちょっと待ってて」
コメカミを揉みほぐしながらコーヒーメーカーの前に立つと、止まっていた涙が溢れた。
初めてルナがコーヒーメーカーを使って淹れてくれたコーヒーはものすごく苦くて、ルナは唇をぐにぐにに歪めて泣きそうな顔をしたっけ。
──深海失敗した……。
醤油みたいに真っ黒な液体を見つめて呟くルナは、たくさん粉を入れたら美味しくなると思ったの、って。
あまりに落ち込んでいるのが可愛くて、エスプレッソも泣いて逃げ出すくらい濃いコーヒーを湯で薄めて飲んだっけ。
あれ以来ルナは粉を入れる時に数えるようになって、コーヒーメーカーにお願いするようになったんだ。
思い出すと自然と口元が緩んでしまう。
なぁ、ルナ。俺は正直、解らないよ。
朱雀の話を聞いてもピンとこないし、俺が郷に行って、お前まで白い眼で見られたらどうしようって思う。
でも……。
「すっげ……会いたい……」
しゃがみ込んで頭を抱えた。
一人が認めてくれたら、郷の住人になれる……五人で尾白のような存在になれる。十人……住む世界が違う俺に十人も協力してくれるだろうか。
ルナ、朱雀、白虎。青龍と紅蘭さんの名前も出てた。尾白は、どうだろうな。俺のこと嫌いだし、な。希望を持って尾白を入れたとしても六人。残り四人も、異端の俺を受け入れてくれるだろうか。
今なら最低でも郷の住人にはなれる。
それをルナはどう思うだろう? 喜んでくれるんだろうか? それとも帝にまた責められるんだろうか……だとしたら、白虎と朱雀も? さっきも説教とかって聞こえたし。
「こぉひぃ、まだか?」
「ひっ!?」
ばさりと音がして、目の前が赤色でいっぱいになった。
並んでしゃがみ込んだ朱雀の少しうねった癖毛が目の前で揺れている。
「いつまで待ってもこぉひぃの匂いはしないし、お前は頭抱えて唸ってるし」
「唸ってた?」
「うーうー唸ってた。まぁ、いきなりあんな提案されりゃ唸るよな。すまん」
ぽす、とまた大きな掌が頭に乗って、そのままぐるんぐるんと回される。
「簡単に返事なんてできねぇよな。この世界にだって大切なモンはあるだろ?」
「っていうか……上手く言えないけど、とにかく色々ごちゃごちゃで。郷に行けばルナに会えるって思うと行きたい。けど、行ってルナや朱雀達が嫌な思いするのは嫌だな、とか……あの、頭回すのやめてくれよ、目が回る」
悪い、って呟きと同時に頭が軽くなった。朱雀はしゃがんだままキッチンを見渡している。
「郷にはない物ばかりだ」
「ルナも言ってた」
「これらを捨てるのは惜しいか?」
「そうじゃなくて……」
電子レンジ、冷蔵庫、コーヒーメーカーに電気ケトル、使っていないホットプレート。
あるのが当たり前の世界を改めて朱雀と同じように見渡した。
「惜しいとは思わない」
「そうか? ずいぶん便利な世界じゃないか? 和子が言ってたぞ? てれびという額縁に入った機械はパチパチで一日中色んなことを見せてくれるって。異国のことも瞬時に教えてくれるって。あと、あにめ? 絵が動いて喋るんだぞ! って。そんな物は郷にはない。和子の大好きなげえむもない」
「なくて良いのかもな」
「……あるのが深海の世界だろ?」
「うん。あるのが当たり前の世界。夏はエアコンつけて涼しくして、冬はヒーターであったかくして。指一本で風呂の準備は終わるし」
「へぇ……お前、神様か」
神様はあんたじゃないか。って言おうとした。
「何だよ、神様って。ただの人間だよ」
「神様だろ? お前達人間はこの世が望んだ神様だろ」
「何それ」
「この世界、思うがままに操ってんのが人間だろ? それをこの世が許してんなら、それは神と同義だ」
「俺からしたら朱雀や白虎、ルナが神様だけど」
人間が神様だなんて、俺からしたら笑える。
殺して、奪って、売って、買って、捨てて。
壊して、作って、壊して。
騙して、憎んで、傷付けて。
そんなのが神様なんてあり得ない。
けれど、そんな人間を否定できる程俺も偉くない。
俺も、そんな人間だから。
文明の利器を最大限に利用して、自分が生きる為に他の生命をもらっている。
悲惨なニュースを見たくなくてバラエティー番組にチャンネルを変えて現実を見ようとしない。
俺は、そういう人間。美味しいとこ取りで批判ばっかり上手な、見て見ぬフリが上手い人間。
……頭ん中、ぐっちゃぐちゃになるから、こういうこと、考えたくないのに。
「また泣いてんのかよ」
「泣いてねぇよ……?」
ゴツン、と額を合わせられて慌てて視線を戻すと、至近距離で朱雀と目が合った。
こんな距離、ルナ以外とはあり得ない、と身体を離そうとするとのんびりとした朱雀の声が聞こえた。
「んだ、お前。ホントぐちゃぐちゃ色んなこと考えてんだな? そういうの、折り合い付けて生きてくモンだろ? って、折り合い付かねぇから悩んでんのか……深海、一つ聞かせてくれ。和子のこと抜きで。お前にこの世界は生き難難いだろう?」
「……っ」
「解ってるから、言っちまえよ」
ん? と促す朱雀の目が穏やかで、こらえたい涙が溢れてくる。
「生き……づら、い……も、折り合い? なんか、つかな……何が正しい、とか、解んね、え……」
「よし、郷に来い」
朱雀の腕の中は予想外に落ち着いた。落ち着き過ぎてしばらく涙が止まらなくて、あまりに戻らない俺達を心配して様子を見に来た白虎にまで頭を撫でられて、また泣いた。
泣く俺を抱いてあやす係が白虎にいつの間にか変わったことにも気付かずに、ただ自分を包んで撫でてくれる温もりにすがって泣いていた。
自分がすがっているのが白虎だと気付いたのは、朱雀よりも少し高い声が耳元で聞こえたからだった。
「落ち着きましたか? ああ、目が真っ赤ですね」
「え、朱雀は?」
「寝てます。見てみます? 今可愛くなってますよ?」
よいしょ、と俺を立たせた白虎はそっと俺の手を引く。
「勝手に貴方の中を覗いたんです。すみません。ちょっと時間がなくて、強引なことばかりして、本当に申し訳ないです」
「俺も、ごめん。ガキみたいに……泣いて」
俺の中、全部見られたんだと思うと気恥ずかしいような、逆にスッキリしたような不思議な気分だった。
「ほら」
白虎が指差した先にはベッドの上に仰向けで大の字に寝ている豆柴がいた。子犬独特のポコっと出た腹が可愛い。可愛いけど……
「何で犬なんだよ!?」
起こさないようにコソッと白虎に耳打ちする。
「え? 猫の方が良いですか?」
「そうじゃなくて、ここは鳳凰になるべきトコだろ?」
「ん? あぁ、だから朱雀は役職名ですって。私達は固定された獣に変化するワケじゃないですよ? 小さければ受ける影響が少ないですし、この部屋の深海さんの気を早く溜めることができますからね、朱雀は子犬を選んだんです。ちなみに私はウサギになりました」
何故か少しばかり得意そうな白虎にいつ寝たのかと聞くと、俺がコーヒーを淹れにキッチンへ行ってすぐだと言った。
「朱雀がちょっと見てくるって言い残したので、これは少々時間がかかるな、と思いまして。一足お先に深海さんの気を溜めさせてもらいました」
「俺、そんな泣いてた?」
「三十分くらいでしょうか? だから眠ったと言うよりは瞑想していたって感じですね」
深海さん、とまた白虎が俺の手を引く。そしてまたキッチンへ連れて行かれた。
コーヒーメーカーの前に立った白虎が困ったように眉を下げて
「こういう時は私がお茶をお出しするべきなんですが、あの、何も解らないもので……」
と胸の前で手を合わせる。気を遣ってくれているんだと思ったら、コーヒーを淹れてくると言ったきりだったことを思い出した。
「私も貴方と二人でお話がしたいんです」
「あ、じゃあ、ルナが好きだった緑茶がまだ残ってるから、それで良い?」
「はい!」
にこりと嬉しそうに笑う白虎はやはり珍しそうに俺の手元を見ている。
二人分の水を電気ケトルに注いで、お湯が沸く間に急須の用意をした。
あっという間に沸いた湯に感心したように白虎が
「早い! 便利ですねぇ!」
と唸る。そしてすぐに
「せめてお湯くらいは注がせてください」
とケトルを俺の手から奪った。
ゆっくりゆっくりと回すように湯を注ぎ入れて、立ち上る湯気に目を細めた白虎はとても凛として高貴だった。
「少し蒸らして、いただきましょう」
急須とマグカップを持って床に座った白虎に、途端に申し訳なくなる。
「ちゃんとした湯呑みとかなくて、なんかごめん。あと座布団もない……」
「茶器は確かに雰囲気があって目を楽しませてくれますけど、それでお茶自体の味が大きく変わってしまうワケではありませんよ? あ、そろそろ良いですかね、淹れますね」
二つのマグカップに交互にお茶を注いで、美味しそうです、と微笑む白虎につられて目を閉じて辺りを漂うお茶の香を吸い込んだ。
確かに美味しそう。俺が淹れたのより、ずっと美味そうな匂いがする。
「こぉひぃも美味しかったですけど、このお茶も美味しいですね。深海さんの作る物は皆とても美味しいです」
「そんなこと……」
お世辞でも嬉しい。お義母さんとか、怖いとか思ってホントごめん。
「深海さんだけじゃないですよ」
「へ?」
「あぁ、また結論から言ってしまった……朱雀がいたらゲンコツをもらうところでした。あのね、深海さん、貴方以外にもいるんですよ? 産まれ落ちる世界を間違えてしまった魂は。人だけじゃありません、動物も」
「……そうなのか? どうなるんだ? 全員が全員、無何有郷に行けるワケじゃないんだろ?」
「そうです。まだ昔は、郷の存在を知っている者も多くいましたから……本来ならこちらからは開かないはずの道が開く時があるんです。この世に心底厭気がさして違う世界を望む時に、思いの強さによって開きます。尾白もそうでした」
「尾白も……? あ、じゃあ郷の存在を知らない人はどうなる?」
「この世で窒息する……感じでしょうか。あくまでこちらの世界から来た者達に話を聞いた私の感想です。抱えた矛盾を消化できなくて、息苦しくて、生き苦しくて、折り合いなんてつけられなくて。そこで死を選ぶ者もいるようですし、死んだように生きる者もいるでしょう」
俺は多分、自分で死ぬ勇気なんてないから死んだように生きると思う。
ルナに会わなかったら、きっとそうだ。
「だからね、深海さんの魂が間違えてこの世に生を受けたのなら、別に和子の魂と引き合っても何らおかしいことはありませんよね? だって貴方は本来なら郷に産まれるはずだったんですから」
どう思います? と隣に座った俺を見て白虎が笑う。
「多分きっとそうですよ?」
「後半こじつけ?」
そう言って俺も笑ってお茶をすすると、白虎は肩をすくめて
「郷に行けば解ることです」
と俺の頭を撫でた。
白虎の掌は朱雀のより少し小さくて、それでも与えられる安心感は半端なかった。
……ルナと生きられるかも知れない……
それは確実に俺の希望になった。
「痛いっ! 何ですか!?」
「お前が悪い。言葉の選択も顔もお前が悪い」
「顔もって! 失礼なっ! いきなり手を出すなんて貴方の方がよっぽど悪いじゃないですかっだいたい……」
ぎゃんぎゃん喚く白虎を無視して、朱雀は握っていた拳を開き、掌をヒラヒラと遊ばせながら俺に笑いかけた。
「悪い、たまーに結論だけ言うバカになるんだ」
「どっちだよ?」
「あ?」
「消すのか消さないのか……どっちだよ!?」
「そりゃ深海次第だろ」
にんまりと笑う朱雀は悪巧み真っ最中って感じの悪い顔をしている。
神様のしていい顔をじゃないと思う。
「郷は二つに割れてる。帝みたいな、住む世界の違う魂が伴侶となる前例はないので認めないってのと、俺らみたいに何の問題があるんだかって思ってるヤツら。前者は頭の堅い帝と、その取り巻き。そいつらも実際に深海と会えば考えは変わると思う」
「そうです。帝も昔はもう少し……人の話に聞く耳を持つ方だったんですけどね……」
憂い顔の白虎は半分程飲んだペットボトルを朱雀に渡した。
「長く権力の座にいたからか、単に老いたのか……どっちもですかね。でもまぁ、そんな帝が深海さんに会いに来るとも思えませんので、もし深海さんがこの世を捨てる覚悟がおありなら、無何有郷へお連れします」
「行けるのか? 俺、人間だぞ?」
そうだ、さっき朱雀が言っていた。尾白も昔はこっちで生きてたって。なら、俺も行ける、はずだ。
ルナに会える?
「行って帰るだけの遠足にゃなんねぇぞ? だから覚悟はあるかって聞いたんだよ」
白虎の飲み残しを美味そうに喉に流し込んだ朱雀がマジメな顔して呟く。
「一人の郷の者が貴方を認めれば、郷の住人になれます。五人の郷の者が貴方を信じ力を与えれば尾白のような……こちらで言うところの精霊? になれます。貴方に少なくとも私程度の力……和子と共に永きを生きる力を与えるには最低でも十人の同意と信頼、力が必要です。あと神桃も。これは食べていただくだけですので問題はありません。一番問題なのは深海さんの決心と力の供給者の確保です」
「解るか?」
「え? 俺、神様になるのか?」
「神様? 違う。俺達と同格になるってこった」
それを神様って呼ぶんじゃないのか?
頭がクラクラする。
価値観とか世界観が違い過ぎて、理解する脳みそが働かない。
「ちょっと待って。コーヒー……飲ませてくれ」
泣いたせいか混乱しているせいか痛み始めた頭を押さえて呟くと
「なるほど! 落ち着く為に、こういう時に飲むんだな!? 深海、俺もこぉひぃが飲みたい!」
朱雀が明るく催促する。ルナと同じ言葉を言うんだな。
──深海、こぉひぃが飲みたい!
──深海、やっぱり苦いっ
──深海、お砂糖と牛乳を取って?
──深海、すごい! 美味しくなった!
「朱雀、ルナも同じこと言ったよ」
「は?」
「……深海、こぉひぃが飲みたい! って。ちゃんと三人分淹れて来るから、ちょっと待ってて」
コメカミを揉みほぐしながらコーヒーメーカーの前に立つと、止まっていた涙が溢れた。
初めてルナがコーヒーメーカーを使って淹れてくれたコーヒーはものすごく苦くて、ルナは唇をぐにぐにに歪めて泣きそうな顔をしたっけ。
──深海失敗した……。
醤油みたいに真っ黒な液体を見つめて呟くルナは、たくさん粉を入れたら美味しくなると思ったの、って。
あまりに落ち込んでいるのが可愛くて、エスプレッソも泣いて逃げ出すくらい濃いコーヒーを湯で薄めて飲んだっけ。
あれ以来ルナは粉を入れる時に数えるようになって、コーヒーメーカーにお願いするようになったんだ。
思い出すと自然と口元が緩んでしまう。
なぁ、ルナ。俺は正直、解らないよ。
朱雀の話を聞いてもピンとこないし、俺が郷に行って、お前まで白い眼で見られたらどうしようって思う。
でも……。
「すっげ……会いたい……」
しゃがみ込んで頭を抱えた。
一人が認めてくれたら、郷の住人になれる……五人で尾白のような存在になれる。十人……住む世界が違う俺に十人も協力してくれるだろうか。
ルナ、朱雀、白虎。青龍と紅蘭さんの名前も出てた。尾白は、どうだろうな。俺のこと嫌いだし、な。希望を持って尾白を入れたとしても六人。残り四人も、異端の俺を受け入れてくれるだろうか。
今なら最低でも郷の住人にはなれる。
それをルナはどう思うだろう? 喜んでくれるんだろうか? それとも帝にまた責められるんだろうか……だとしたら、白虎と朱雀も? さっきも説教とかって聞こえたし。
「こぉひぃ、まだか?」
「ひっ!?」
ばさりと音がして、目の前が赤色でいっぱいになった。
並んでしゃがみ込んだ朱雀の少しうねった癖毛が目の前で揺れている。
「いつまで待ってもこぉひぃの匂いはしないし、お前は頭抱えて唸ってるし」
「唸ってた?」
「うーうー唸ってた。まぁ、いきなりあんな提案されりゃ唸るよな。すまん」
ぽす、とまた大きな掌が頭に乗って、そのままぐるんぐるんと回される。
「簡単に返事なんてできねぇよな。この世界にだって大切なモンはあるだろ?」
「っていうか……上手く言えないけど、とにかく色々ごちゃごちゃで。郷に行けばルナに会えるって思うと行きたい。けど、行ってルナや朱雀達が嫌な思いするのは嫌だな、とか……あの、頭回すのやめてくれよ、目が回る」
悪い、って呟きと同時に頭が軽くなった。朱雀はしゃがんだままキッチンを見渡している。
「郷にはない物ばかりだ」
「ルナも言ってた」
「これらを捨てるのは惜しいか?」
「そうじゃなくて……」
電子レンジ、冷蔵庫、コーヒーメーカーに電気ケトル、使っていないホットプレート。
あるのが当たり前の世界を改めて朱雀と同じように見渡した。
「惜しいとは思わない」
「そうか? ずいぶん便利な世界じゃないか? 和子が言ってたぞ? てれびという額縁に入った機械はパチパチで一日中色んなことを見せてくれるって。異国のことも瞬時に教えてくれるって。あと、あにめ? 絵が動いて喋るんだぞ! って。そんな物は郷にはない。和子の大好きなげえむもない」
「なくて良いのかもな」
「……あるのが深海の世界だろ?」
「うん。あるのが当たり前の世界。夏はエアコンつけて涼しくして、冬はヒーターであったかくして。指一本で風呂の準備は終わるし」
「へぇ……お前、神様か」
神様はあんたじゃないか。って言おうとした。
「何だよ、神様って。ただの人間だよ」
「神様だろ? お前達人間はこの世が望んだ神様だろ」
「何それ」
「この世界、思うがままに操ってんのが人間だろ? それをこの世が許してんなら、それは神と同義だ」
「俺からしたら朱雀や白虎、ルナが神様だけど」
人間が神様だなんて、俺からしたら笑える。
殺して、奪って、売って、買って、捨てて。
壊して、作って、壊して。
騙して、憎んで、傷付けて。
そんなのが神様なんてあり得ない。
けれど、そんな人間を否定できる程俺も偉くない。
俺も、そんな人間だから。
文明の利器を最大限に利用して、自分が生きる為に他の生命をもらっている。
悲惨なニュースを見たくなくてバラエティー番組にチャンネルを変えて現実を見ようとしない。
俺は、そういう人間。美味しいとこ取りで批判ばっかり上手な、見て見ぬフリが上手い人間。
……頭ん中、ぐっちゃぐちゃになるから、こういうこと、考えたくないのに。
「また泣いてんのかよ」
「泣いてねぇよ……?」
ゴツン、と額を合わせられて慌てて視線を戻すと、至近距離で朱雀と目が合った。
こんな距離、ルナ以外とはあり得ない、と身体を離そうとするとのんびりとした朱雀の声が聞こえた。
「んだ、お前。ホントぐちゃぐちゃ色んなこと考えてんだな? そういうの、折り合い付けて生きてくモンだろ? って、折り合い付かねぇから悩んでんのか……深海、一つ聞かせてくれ。和子のこと抜きで。お前にこの世界は生き難難いだろう?」
「……っ」
「解ってるから、言っちまえよ」
ん? と促す朱雀の目が穏やかで、こらえたい涙が溢れてくる。
「生き……づら、い……も、折り合い? なんか、つかな……何が正しい、とか、解んね、え……」
「よし、郷に来い」
朱雀の腕の中は予想外に落ち着いた。落ち着き過ぎてしばらく涙が止まらなくて、あまりに戻らない俺達を心配して様子を見に来た白虎にまで頭を撫でられて、また泣いた。
泣く俺を抱いてあやす係が白虎にいつの間にか変わったことにも気付かずに、ただ自分を包んで撫でてくれる温もりにすがって泣いていた。
自分がすがっているのが白虎だと気付いたのは、朱雀よりも少し高い声が耳元で聞こえたからだった。
「落ち着きましたか? ああ、目が真っ赤ですね」
「え、朱雀は?」
「寝てます。見てみます? 今可愛くなってますよ?」
よいしょ、と俺を立たせた白虎はそっと俺の手を引く。
「勝手に貴方の中を覗いたんです。すみません。ちょっと時間がなくて、強引なことばかりして、本当に申し訳ないです」
「俺も、ごめん。ガキみたいに……泣いて」
俺の中、全部見られたんだと思うと気恥ずかしいような、逆にスッキリしたような不思議な気分だった。
「ほら」
白虎が指差した先にはベッドの上に仰向けで大の字に寝ている豆柴がいた。子犬独特のポコっと出た腹が可愛い。可愛いけど……
「何で犬なんだよ!?」
起こさないようにコソッと白虎に耳打ちする。
「え? 猫の方が良いですか?」
「そうじゃなくて、ここは鳳凰になるべきトコだろ?」
「ん? あぁ、だから朱雀は役職名ですって。私達は固定された獣に変化するワケじゃないですよ? 小さければ受ける影響が少ないですし、この部屋の深海さんの気を早く溜めることができますからね、朱雀は子犬を選んだんです。ちなみに私はウサギになりました」
何故か少しばかり得意そうな白虎にいつ寝たのかと聞くと、俺がコーヒーを淹れにキッチンへ行ってすぐだと言った。
「朱雀がちょっと見てくるって言い残したので、これは少々時間がかかるな、と思いまして。一足お先に深海さんの気を溜めさせてもらいました」
「俺、そんな泣いてた?」
「三十分くらいでしょうか? だから眠ったと言うよりは瞑想していたって感じですね」
深海さん、とまた白虎が俺の手を引く。そしてまたキッチンへ連れて行かれた。
コーヒーメーカーの前に立った白虎が困ったように眉を下げて
「こういう時は私がお茶をお出しするべきなんですが、あの、何も解らないもので……」
と胸の前で手を合わせる。気を遣ってくれているんだと思ったら、コーヒーを淹れてくると言ったきりだったことを思い出した。
「私も貴方と二人でお話がしたいんです」
「あ、じゃあ、ルナが好きだった緑茶がまだ残ってるから、それで良い?」
「はい!」
にこりと嬉しそうに笑う白虎はやはり珍しそうに俺の手元を見ている。
二人分の水を電気ケトルに注いで、お湯が沸く間に急須の用意をした。
あっという間に沸いた湯に感心したように白虎が
「早い! 便利ですねぇ!」
と唸る。そしてすぐに
「せめてお湯くらいは注がせてください」
とケトルを俺の手から奪った。
ゆっくりゆっくりと回すように湯を注ぎ入れて、立ち上る湯気に目を細めた白虎はとても凛として高貴だった。
「少し蒸らして、いただきましょう」
急須とマグカップを持って床に座った白虎に、途端に申し訳なくなる。
「ちゃんとした湯呑みとかなくて、なんかごめん。あと座布団もない……」
「茶器は確かに雰囲気があって目を楽しませてくれますけど、それでお茶自体の味が大きく変わってしまうワケではありませんよ? あ、そろそろ良いですかね、淹れますね」
二つのマグカップに交互にお茶を注いで、美味しそうです、と微笑む白虎につられて目を閉じて辺りを漂うお茶の香を吸い込んだ。
確かに美味しそう。俺が淹れたのより、ずっと美味そうな匂いがする。
「こぉひぃも美味しかったですけど、このお茶も美味しいですね。深海さんの作る物は皆とても美味しいです」
「そんなこと……」
お世辞でも嬉しい。お義母さんとか、怖いとか思ってホントごめん。
「深海さんだけじゃないですよ」
「へ?」
「あぁ、また結論から言ってしまった……朱雀がいたらゲンコツをもらうところでした。あのね、深海さん、貴方以外にもいるんですよ? 産まれ落ちる世界を間違えてしまった魂は。人だけじゃありません、動物も」
「……そうなのか? どうなるんだ? 全員が全員、無何有郷に行けるワケじゃないんだろ?」
「そうです。まだ昔は、郷の存在を知っている者も多くいましたから……本来ならこちらからは開かないはずの道が開く時があるんです。この世に心底厭気がさして違う世界を望む時に、思いの強さによって開きます。尾白もそうでした」
「尾白も……? あ、じゃあ郷の存在を知らない人はどうなる?」
「この世で窒息する……感じでしょうか。あくまでこちらの世界から来た者達に話を聞いた私の感想です。抱えた矛盾を消化できなくて、息苦しくて、生き苦しくて、折り合いなんてつけられなくて。そこで死を選ぶ者もいるようですし、死んだように生きる者もいるでしょう」
俺は多分、自分で死ぬ勇気なんてないから死んだように生きると思う。
ルナに会わなかったら、きっとそうだ。
「だからね、深海さんの魂が間違えてこの世に生を受けたのなら、別に和子の魂と引き合っても何らおかしいことはありませんよね? だって貴方は本来なら郷に産まれるはずだったんですから」
どう思います? と隣に座った俺を見て白虎が笑う。
「多分きっとそうですよ?」
「後半こじつけ?」
そう言って俺も笑ってお茶をすすると、白虎は肩をすくめて
「郷に行けば解ることです」
と俺の頭を撫でた。
白虎の掌は朱雀のより少し小さくて、それでも与えられる安心感は半端なかった。
……ルナと生きられるかも知れない……
それは確実に俺の希望になった。
0
あなたにおすすめの小説
冷酷無慈悲なラスボス王子はモブの従者を逃がさない
北川晶
BL
冷徹王子に殺されるモブ従者の子供時代に転生したので、死亡回避に奔走するけど、なんでか婚約者になって執着溺愛王子から逃げられない話。
ノワールは四歳のときに乙女ゲーム『花びらを恋の数だけ抱きしめて』の世界に転生したと気づいた。自分の役どころは冷酷無慈悲なラスボス王子ネロディアスの従者。従者になってしまうと十八歳でラスボス王子に殺される運命だ。
四歳である今はまだ従者ではない。
死亡回避のためネロディアスにみつからぬようにしていたが、なぜかうまくいかないし、その上婚約することにもなってしまった??
十八歳で死にたくないので、婚約も従者もごめんです。だけど家の事情で断れない。
こうなったら婚約も従者契約も撤回するよう王子を説得しよう!
そう思ったノワールはなんとか策を練るのだが、ネロディアスは撤回どころかもっと執着してきてーー!?
クールで理論派、ラスボスからなんとか逃げたいモブ従者のノワールと、そんな従者を絶対逃がさない冷酷無慈悲?なラスボス王子ネロディアスの恋愛頭脳戦。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
記憶を失くしたはずの元夫が、どうか自分と結婚してくれと求婚してくるのですが。
鷲井戸リミカ
BL
メルヴィンは夫レスターと結婚し幸せの絶頂にいた。しかしレスターが勇者に選ばれ、魔王討伐の旅に出る。やがて勇者レスターが魔王を討ち取ったものの、メルヴィンは夫が自分と離婚し、聖女との再婚を望んでいると知らされる。
死を望まれたメルヴィンだったが、不思議な魔石の力により脱出に成功する。国境を越え、小さな町で暮らし始めたメルヴィン。ある日、ならず者に絡まれたメルヴィンを助けてくれたのは、元夫だった。なんと彼は記憶を失くしているらしい。
君を幸せにしたいと求婚され、メルヴィンの心は揺れる。しかし、メルヴィンは元夫がとある目的のために自分に近づいたのだと知り、慌てて逃げ出そうとするが……。
ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる