月の瞳に囚われて

深緋莉楓

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第19話 晒した本心

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 ゴズッと派手な音がして、白虎が両手で頭を抱えて朱雀を睨んだ。

「痛いっ! 何ですか!?」
「お前が悪い。言葉の選択も顔もお前が悪い」
「顔もって! 失礼なっ! いきなり手を出すなんて貴方の方がよっぽど悪いじゃないですかっだいたい……」

 ぎゃんぎゃん喚く白虎を無視して、朱雀は握っていた拳を開き、掌をヒラヒラと遊ばせながら俺に笑いかけた。

「悪い、たまーに結論だけ言うバカになるんだ」
「どっちだよ?」
「あ?」
「消すのか消さないのか……どっちだよ!?」
「そりゃ深海次第だろ」

 にんまりと笑う朱雀は悪巧み真っ最中って感じの悪い顔をしている。
 神様のしていい顔をじゃないと思う。

「郷は二つに割れてる。帝みたいな、住む世界の違う魂が伴侶となる前例はないので認めないってのと、俺らみたいに何の問題があるんだかって思ってるヤツら。前者は頭の堅い帝と、その取り巻き。そいつらも実際に深海と会えば考えは変わると思う」
「そうです。帝も昔はもう少し……人の話に聞く耳を持つ方だったんですけどね……」

 憂い顔の白虎は半分程飲んだペットボトルを朱雀に渡した。

「長く権力の座にいたからか、単に老いたのか……どっちもですかね。でもまぁ、そんな帝が深海さんに会いに来るとも思えませんので、もし深海さんがこの世を捨てる覚悟がおありなら、無何有郷へお連れします」
「行けるのか? 俺、人間だぞ?」

 そうだ、さっき朱雀が言っていた。尾白も昔はこっちで生きてたって。なら、俺も行ける、はずだ。

 ルナに会える?

「行って帰るだけの遠足にゃなんねぇぞ? だから覚悟はあるかって聞いたんだよ」

 白虎の飲み残しを美味そうに喉に流し込んだ朱雀がマジメな顔して呟く。

「一人の郷の者が貴方を認めれば、郷の住人になれます。五人の郷の者が貴方を信じ力を与えれば尾白のような……こちらで言うところの精霊? になれます。貴方に少なくとも私程度の力……和子わこと共に永きを生きる力を与えるには最低でも十人の同意と信頼、力が必要です。あと神桃も。これは食べていただくだけですので問題はありません。一番問題なのは深海さんの決心と力の供給者の確保です」
「解るか?」
「え? 俺、神様になるのか?」
「神様? 違う。俺達と同格になるってこった」

 それを神様って呼ぶんじゃないのか?
 頭がクラクラする。
 価値観とか世界観が違い過ぎて、理解する脳みそが働かない。

「ちょっと待って。コーヒー……飲ませてくれ」

 泣いたせいか混乱しているせいか痛み始めた頭を押さえて呟くと

「なるほど! 落ち着く為に、こういう時に飲むんだな!? 深海、俺もこぉひぃが飲みたい!」

 朱雀が明るく催促する。ルナと同じ言葉を言うんだな。

──深海、こぉひぃが飲みたい!
──深海、やっぱり苦いっ
──深海、お砂糖と牛乳を取って?
──深海、すごい! 美味しくなった!

「朱雀、ルナも同じこと言ったよ」
「は?」
「……深海、こぉひぃが飲みたい! って。ちゃんと三人分淹れて来るから、ちょっと待ってて」

 コメカミを揉みほぐしながらコーヒーメーカーの前に立つと、止まっていた涙が溢れた。
 初めてルナがコーヒーメーカーを使って淹れてくれたコーヒーはものすごく苦くて、ルナは唇をぐにぐにに歪めて泣きそうな顔をしたっけ。

──深海失敗した……。

 醤油みたいに真っ黒な液体を見つめて呟くルナは、たくさん粉を入れたら美味しくなると思ったの、って。
 あまりに落ち込んでいるのが可愛くて、エスプレッソも泣いて逃げ出すくらい濃いコーヒーを湯で薄めて飲んだっけ。
 あれ以来ルナは粉を入れる時に数えるようになって、コーヒーメーカーにお願いするようになったんだ。
 思い出すと自然と口元が緩んでしまう。

 なぁ、ルナ。俺は正直、解らないよ。
 朱雀の話を聞いてもピンとこないし、俺が郷に行って、お前まで白い眼で見られたらどうしようって思う。
 でも……。

「すっげ……会いたい……」

 しゃがみ込んで頭を抱えた。
 一人が認めてくれたら、郷の住人になれる……五人で尾白のような存在になれる。十人……住む世界が違う俺に十人も協力してくれるだろうか。
 ルナ、朱雀、白虎。青龍と紅蘭さんの名前も出てた。尾白は、どうだろうな。俺のこと嫌いだし、な。希望を持って尾白を入れたとしても六人。残り四人も、異端の俺を受け入れてくれるだろうか。

 今なら最低でも郷の住人にはなれる。
 それをルナはどう思うだろう? 喜んでくれるんだろうか? それとも帝にまた責められるんだろうか……だとしたら、白虎と朱雀も? さっきも説教とかって聞こえたし。

「こぉひぃ、まだか?」
「ひっ!?」

 ばさりと音がして、目の前が赤色でいっぱいになった。
 並んでしゃがみ込んだ朱雀の少しうねった癖毛が目の前で揺れている。

「いつまで待ってもこぉひぃの匂いはしないし、お前は頭抱えて唸ってるし」
「唸ってた?」
「うーうー唸ってた。まぁ、いきなりあんな提案されりゃ唸るよな。すまん」

 ぽす、とまた大きな掌が頭に乗って、そのままぐるんぐるんと回される。

「簡単に返事なんてできねぇよな。この世界にだって大切なモンはあるだろ?」
「っていうか……上手く言えないけど、とにかく色々ごちゃごちゃで。郷に行けばルナに会えるって思うと行きたい。けど、行ってルナや朱雀達が嫌な思いするのは嫌だな、とか……あの、頭回すのやめてくれよ、目が回る」

 悪い、って呟きと同時に頭が軽くなった。朱雀はしゃがんだままキッチンを見渡している。

「郷にはない物ばかりだ」
「ルナも言ってた」
「これらを捨てるのは惜しいか?」
「そうじゃなくて……」

 電子レンジ、冷蔵庫、コーヒーメーカーに電気ケトル、使っていないホットプレート。
 あるのが当たり前の世界を改めて朱雀と同じように見渡した。

「惜しいとは思わない」
「そうか? ずいぶん便利な世界じゃないか? 和子が言ってたぞ? てれびという額縁に入った機械はパチパチで一日中色んなことを見せてくれるって。異国のことも瞬時に教えてくれるって。あと、あにめ? 絵が動いて喋るんだぞ! って。そんな物は郷にはない。和子の大好きなげえむもない」
「なくて良いのかもな」
「……あるのが深海の世界だろ?」
「うん。あるのが当たり前の世界。夏はエアコンつけて涼しくして、冬はヒーターであったかくして。指一本で風呂の準備は終わるし」
「へぇ……お前、神様か」

 神様はあんたじゃないか。って言おうとした。

「何だよ、神様って。ただの人間だよ」
「神様だろ? お前達人間はこの世が望んだ神様だろ」
「何それ」
「この世界、思うがままに操ってんのが人間だろ? それをこの世が許してんなら、それは神と同義だ」
「俺からしたら朱雀や白虎、ルナが神様だけど」

 人間が神様だなんて、俺からしたら笑える。

 殺して、奪って、売って、買って、捨てて。
 壊して、作って、壊して。
 騙して、憎んで、傷付けて。

 そんなのが神様なんてあり得ない。
 けれど、そんな人間を否定できる程俺も偉くない。
 俺も、そんな人間だから。
 文明の利器を最大限に利用して、自分が生きる為に他の生命いのちをもらっている。
 悲惨なニュースを見たくなくてバラエティー番組にチャンネルを変えて現実を見ようとしない。

 俺は、そういう人間。美味しいとこ取りで批判ばっかり上手な、見て見ぬフリが上手い人間。
……頭ん中、ぐっちゃぐちゃになるから、こういうこと、考えたくないのに。

「また泣いてんのかよ」
「泣いてねぇよ……?」

 ゴツン、と額を合わせられて慌てて視線を戻すと、至近距離で朱雀と目が合った。
 こんな距離、ルナ以外とはあり得ない、と身体を離そうとするとのんびりとした朱雀の声が聞こえた。

「んだ、お前。ホントぐちゃぐちゃ色んなこと考えてんだな? そういうの、折り合い付けて生きてくモンだろ? って、折り合い付かねぇから悩んでんのか……深海、一つ聞かせてくれ。和子のこと抜きで。お前にこの世界は生きづら難いだろう?」
「……っ」
「解ってるから、言っちまえよ」

 ん? と促す朱雀の目が穏やかで、こらえたい涙が溢れてくる。

「生き……づら、い……も、折り合い? なんか、つかな……何が正しい、とか、解んね、え……」
「よし、郷に来い」

 朱雀の腕の中は予想外に落ち着いた。落ち着き過ぎてしばらく涙が止まらなくて、あまりに戻らない俺達を心配して様子を見に来た白虎にまで頭を撫でられて、また泣いた。
 泣く俺を抱いてあやす係が白虎にいつの間にか変わったことにも気付かずに、ただ自分を包んで撫でてくれる温もりにすがって泣いていた。
 自分がすがっているのが白虎だと気付いたのは、朱雀よりも少し高い声が耳元で聞こえたからだった。

「落ち着きましたか? ああ、目が真っ赤ですね」
「え、朱雀は?」
「寝てます。見てみます? 今可愛くなってますよ?」

 よいしょ、と俺を立たせた白虎はそっと俺の手を引く。

「勝手に貴方の中を覗いたんです。すみません。ちょっと時間がなくて、強引なことばかりして、本当に申し訳ないです」
「俺も、ごめん。ガキみたいに……泣いて」

 俺の中、全部見られたんだと思うと気恥ずかしいような、逆にスッキリしたような不思議な気分だった。

「ほら」

 白虎が指差した先にはベッドの上に仰向けで大の字に寝ている豆柴がいた。子犬独特のポコっと出た腹が可愛い。可愛いけど……

「何で犬なんだよ!?」

 起こさないようにコソッと白虎に耳打ちする。

「え? 猫の方が良いですか?」
「そうじゃなくて、ここは鳳凰になるべきトコだろ?」
「ん? あぁ、だから朱雀は役職名ですって。私達は固定された獣に変化するワケじゃないですよ? 小さければ受ける影響が少ないですし、この部屋の深海さんの気を早く溜めることができますからね、朱雀は子犬を選んだんです。ちなみに私はウサギになりました」

 何故か少しばかり得意そうな白虎にいつ寝たのかと聞くと、俺がコーヒーを淹れにキッチンへ行ってすぐだと言った。

「朱雀がちょっと見てくるって言い残したので、これは少々時間がかかるな、と思いまして。一足お先に深海さんの気を溜めさせてもらいました」
「俺、そんな泣いてた?」
「三十分くらいでしょうか? だから眠ったと言うよりは瞑想していたって感じですね」

 深海さん、とまた白虎が俺の手を引く。そしてまたキッチンへ連れて行かれた。
 コーヒーメーカーの前に立った白虎が困ったように眉を下げて

「こういう時は私がお茶をお出しするべきなんですが、あの、何も解らないもので……」

 と胸の前で手を合わせる。気を遣ってくれているんだと思ったら、コーヒーを淹れてくると言ったきりだったことを思い出した。

「私も貴方と二人でお話がしたいんです」
「あ、じゃあ、ルナが好きだった緑茶がまだ残ってるから、それで良い?」
「はい!」

 にこりと嬉しそうに笑う白虎はやはり珍しそうに俺の手元を見ている。
 二人分の水を電気ケトルに注いで、お湯が沸く間に急須の用意をした。
 あっという間に沸いた湯に感心したように白虎が

「早い! 便利ですねぇ!」

 と唸る。そしてすぐに

「せめてお湯くらいは注がせてください」

 とケトルを俺の手から奪った。
 ゆっくりゆっくりと回すように湯を注ぎ入れて、立ち上る湯気に目を細めた白虎はとても凛として高貴だった。

「少し蒸らして、いただきましょう」

 急須とマグカップを持って床に座った白虎に、途端に申し訳なくなる。

「ちゃんとした湯呑みとかなくて、なんかごめん。あと座布団もない……」
「茶器は確かに雰囲気があって目を楽しませてくれますけど、それでお茶自体の味が大きく変わってしまうワケではありませんよ? あ、そろそろ良いですかね、淹れますね」

 二つのマグカップに交互にお茶を注いで、美味しそうです、と微笑む白虎につられて目を閉じて辺りを漂うお茶の香を吸い込んだ。
 確かに美味しそう。俺が淹れたのより、ずっと美味そうな匂いがする。

「こぉひぃも美味しかったですけど、このお茶も美味しいですね。深海さんの作る物は皆とても美味しいです」
「そんなこと……」

 お世辞でも嬉しい。お義母かあさんとか、怖いとか思ってホントごめん。

「深海さんだけじゃないですよ」
「へ?」
「あぁ、また結論から言ってしまった……朱雀がいたらゲンコツをもらうところでした。あのね、深海さん、貴方以外にもいるんですよ? 産まれ落ちる世界を間違えてしまった魂は。人だけじゃありません、動物も」
「……そうなのか? どうなるんだ? 全員が全員、無何有郷に行けるワケじゃないんだろ?」
「そうです。まだ昔は、郷の存在を知っている者も多くいましたから……本来ならこちらからは開かないはずの道が開く時があるんです。この世に心底厭気いやけがさして違う世界を望む時に、思いの強さによって開きます。尾白もそうでした」
「尾白も……? あ、じゃあ郷の存在を知らない人はどうなる?」
「この世で窒息する……感じでしょうか。あくまでこちらの世界から来た者達に話を聞いた私の感想です。抱えた矛盾を消化できなくて、息苦しくて、生き苦しくて、折り合いなんてつけられなくて。そこで死を選ぶ者もいるようですし、死んだように生きる者もいるでしょう」

 俺は多分、自分で死ぬ勇気なんてないから死んだように生きると思う。
 ルナに会わなかったら、きっとそうだ。

「だからね、深海さんの魂が間違えてこの世に生を受けたのなら、別に和子の魂と引き合っても何らおかしいことはありませんよね? だって貴方は本来なら郷に産まれるはずだったんですから」

 どう思います? と隣に座った俺を見て白虎が笑う。

「多分きっとそうですよ?」
「後半こじつけ?」

 そう言って俺も笑ってお茶をすすると、白虎は肩をすくめて

「郷に行けば解ることです」

 と俺の頭を撫でた。
 白虎の掌は朱雀のより少し小さくて、それでも与えられる安心感は半端なかった。

……ルナと生きられるかも知れない……
 それは確実に俺の希望になった。

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