月の瞳に囚われて

深緋莉楓

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第24話 穢れ落とし

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 ガランとした部屋にコーヒーの入った段ボールが山のように積まれて、白虎はそれを見て

「いっぱいですね」

 と嬉しそうに笑って朱雀の腕に擦り寄った。
 そんな白虎の肩を抱いた朱雀は

「先に行け」

 そう言ってぎゅっと抱きしめた。
 はい、と素直に朱雀を抱き返す白虎の様子に逢魔刻に道を繋げるのはどんな大事おおごとなんだ、と身構えてしまった。

「そろそろ繋ぐぞ」

 長い呪文の詠唱をしたり、札を使ったり、指を様々な形に組み替えて印を結んだり……すると思っていた。
 朱雀はすっと右手を目の高さで掲げ──

カイ

 たった一言で向こうの見えない闇が渦巻くもやの塊のような物を作り出してしまった。

「これ、道?」
「はい。今はこぉひぃを運ばなくてはなりませんので、朱雀と私の館に繋げています」

 右手を掲げたまま朱雀が山積みのコーヒーの前までやって来た。道を伸ばしているらしい。

「よし、こぉひぃを入れろ」
「はい。深海さんも手伝ってくださいな!」

 楽しそうに微笑んで白虎は段ボール箱を暗闇の中に投げ込んでいる。
 コーヒーが自分の館に届くのが嬉しくてたまらないようだ。
 投げ入れられた箱はすぅっと消える。早く! と急かされて、俺も段ボール箱をひたすら投げ入れた。
 ドリッパーは陶器だから手で持って行く、と断った。箱を開けたら粉々なんて、絶対に嫌だ。せっかくルナに見せたくて綺麗な花の絵のを選んだのに。

「深海、他にも運びたい物があれば入れて良いんだぞ? 郷が受け入れられる物なら館に届く」
「ないよ。ホントにない。俺を投げ入れたいくらい」
「そうか? なら……那智!」

 朱雀に呼ばれた白虎が俺に頭を下げた。

「すぐ戻ります」
「焦らなくて良いぞ」
「でも、戻ります」

 臆することなく白虎が闇の中へと入って行く。銀色の髪も煌びやかではないけれど、丁寧な刺繍を施された着物もすぐに見えなくなった。

「開きっぱなしなのか?」
「ああ。逢魔刻だからな、繋げやすいし、あいつが戻ったら交代で俺も一旦あっちに戻る」
「そうなの? 何しに?」
「気の補充。白虎には昨日俺より力を使ったから、風呂でも入ってゆっくりして来いって言ってある」
「俺のせい……」
「じゃねぇよ。あれは勝手にあいつがやったんだ。気にすんな」

 ついやっちまったんだろ、って笑った朱雀は白虎の勝手には何の文句もないようだった。

「……でもさ、帝に怒られるんじゃ……」
「さぁな。知ったことか」

 口の端を歪めて吐き捨てた朱雀は苦い顔をして俺を見た。

「あの時、お前が言ったこと、俺もそう思う」
「あの時……」

 ルナの話を聞いて声を奪った帝に今まで感じたこともない程の怒りを感じた。そして俺は……クソだと言った。

「それ、言っちゃダメなんじゃないの? 俺はともかく、朱雀はさ、帝に仕えてんだろ?」

 俺もあっちに行ったら、そんなことは言っちゃいけないんだろう。未だに一発くらい殴りたいって思っているこんな俺を、帝は郷に迎えてくれるんだろうか?
 いや、迎えるも何も大反対しているんだったっけ。説得以前に、会った瞬間に消されるかもな……。

「俺達は帝に仕えてるワケじゃねえ。俺達が仕え、守るのは郷だ。白虎も同じように思ってる。だからあの時お前のことを諌めなかっただろう?」
「それって、でもさ、帝に対する裏切りになるんじゃ……ルナが言ってた。嘘はつき通さなきゃいけない。バレたら裏切りになって負の感情を生むからって……」
「あぁ、和子わこらしいな。真っ正直で真っ直ぐだ。安心しろ、俺達は帝に忠誠なんか誓っちゃいねえ。帝がまとめることを郷が認めたから、俺達は帝の下で管理者として力を使っている。それだけだ」

 そう言ってくれるけど、俺を連れて行ったら怒られるんじゃないの?
 勝手にルナと俺の心を繋いでくれたのもバレたら、本当は説教どころじゃすまないんじゃないの?

「んな顔すんなよ。大丈夫だって。深海、白虎に出した茶、まだあるか?」
「あるよ。さすがに何でも引き取る買取屋も食物系はダメだったし。淹れようか? って、ずっと右手そのまま?」
「あ? あぁ、まだまだ戻らんだろうし、固定しとくか。テイ定。うし、完了」

 やっぱ神様だろ!? って言いそうになるけど、絶対に否定されるのが解っているから、もう言わない。

 電気ケトルも売っ払ったから、買い取り拒否された片手鍋で湯を沸かす。ガスコンロに火が着いた瞬間、朱雀は驚いて、やはり興味深気に見つめている。

「あ、良い香だな!」
「だろ? ルナも白虎も美味いって言ってた……ルナかぁ、やっと会えるんだな」
「嬉しいか?」
「もちろん! 当たり前だろ!? 昨日さ、繋いでもらってすごく嬉しかったんだ。嬉しかったんだけどさ、すげぇ悔しかった……泣いてんのに抱きしめる腕がないってキツかった。明日の今頃はもう俺って郷にいるんだよな?」
「そうだ。和子に会えるかは解らんが、少なくともお前は郷の住人になっている」
「いつか会えるならそれで良いや。あ、そろそろ蒸らし良いかな?」

 白虎の真似をして淹れたお茶はかなり美味しかった。
 朱雀は真っ暗な道を眺めて、しまった、と呟いた。

「てれびを見せてもらうのを忘れた……!」

 あまりに悲壮な声で呟くので、見なくて良いよ、と伝えた。
 その代わりにスマホで動画を見せてみることにした。

「それは……ああ! すまほ、というヤツだな? げえむもできる不思議なハコだな?」

 朱雀の黒い目がルナと同じようにキラキラと輝き、興味津々で食い入るように画面を見つめている。

「これは! こいつ、相当な腕前だなっ! すごい!」

 何を見せたら良いのか解らなくて、俺の好きなゲームの公式デモを見せた。
 主人公がデカい剣と銃を駆使して、襲いかかってくる魔物を華麗に倒していく様は確かにすごい。実際にプレイしてもこんな風には絶対にできない。

「これは手に汗握るなっ!」

 興奮気味の朱雀は喉を鳴らしてお茶を飲むと

「こうも見事に斬られたならば、苦しまずに逝けるだろう。これもまた慈悲だな」

 と俺からしたらそっちかよ! って方にも感心していた。

「俺、なんも考えずにこんなん見せちゃったけど、こんな血腥ちなまぐさいの平気?」
「ん? ああ、そうだな。昔は争いもあったから……」
「平和なんじゃないのかよ?」
「平和なんてなぁ、一朝一夕に築けるモンじゃねぇよ。だから守ろうと思うんじゃねぇか」
「そっか……」

 それを守ってるあんたはすごいな。白虎もルナもすごいな。

「あ! 帰って来た!」

 いきなり弾んだ声に思わず道を見た。俺には何も見えないけど、マジメな顔をして平和を語った朱雀が微笑んでいるので、確かに白虎がいるのだろう。
──ポン──
 闇から吐き出されたように白虎が姿を現して、両腕を広げて待ちかまえていた朱雀に飛びついた。

「うわあ!」
「おかえり、那智」
「ただいま、燐。ただいま帰りました、深海さん。これお土産です」

 肌艶の良くなった白虎に、はい、と渡された紙袋を咄嗟に受け取ってしまう。
 山盛りの果物と数本の竹筒。

「で? ゆっくりできたか?」
「はい。行ってください。かなり深刻です……待ってますね」

 すぐ戻る、と白虎の頬を撫でて朱雀が道に入って行く。朱雀も慣れた様子であっという間に闇へと消えた。

「あ! すまほ! 朱雀と何をしてたんですか? げえむ?」
「テレビを見損ねたって言うから、代わりに動画を見せてた。ちょっと血腥いの。白虎は違うの見る?」

 こくこくと頷く白虎には激しい戦闘シーンのないファンタジーゲームの綺麗で感動的なシーンのデモを見せた。

「この人! 玄武に似ていますよ!」

 と指差したのは寡黙で周りからは何を考えているのか解らない、と評されている主人公だった。それを教えると白虎は声をあげて笑って、朱雀にも教えてあげましょう! と言って俺の名を呼んだ。

「あの、朱雀が見たのも見たいです。あの人が何を見て何を感じたのか、ちゃんと知りたいです」
「うん。解った」

 見終わった白虎の感想は、朱雀とほぼ同じだったが……

「でも和子の方が怖いかも」

 なんて恐ろしいことをポツリとこぼしたので、俺は絶対に絶対にルナと喧嘩なんかしないって心に決めた。
 ルナが怒ったらすぐ謝ろ。眼がブラッドムーンになる前に即謝ろう。うん。

「あ、深海さん。今から少しずつコレを食べてください」

 紙袋を指差されて、改めて中身を確認する。
 ブドウ。リンゴ。梨。木苺……その他諸々。

「郷の果物です。今から時間をかけて……この世の毒気? を身体の中から抜いていきましょう? ちょっと苦しいかも知れませんが……」
「いただきます! ……あっまー! 何コレ! 美味い!」

 毒気? なんて優しい言い方して。本当は穢れだろ? でも白虎は心配性だからそう聞いて俺が嫌な思いをしたらって考えたろ? で、苦労性だからきちんと説明しなきゃって思って……いい加減俺にも解るって。
 だから話の途中でリンゴに齧りついた。

「んぐ……すごい、美味しい」

 真っ赤でツヤツヤのリンゴは黄金の蜜がたっぷりで、甘くて口の中でホロっと崩れる。
シャコッシャコッと派手な音を立ててリンゴに齧りつく俺を心配そうに見つめる白虎の指がたまにワナワナと動くから、食べたいのかと思って袋の中からもう一つリンゴを取り出して渡した。

「あ、ありがとうございます! あの、深海さん……?」
「ん? なに? ……ん……? え? ちょ、ゔぅ」

 込み上げてくる吐き気に耐え切れず、トイレまで間に合わないと判断して咄嗟にシンクに顔を突っ込んだ。
 ドロリと糸を引いて俺の口から出たのは、今食べていたリンゴではなく、さっき朱雀と飲んだお茶の混じった胃液でもなくて、ヘドロのような灰色と黒の混じった得体の知れないモノだった。
 あぁ、コレが穢れか……。臭いはない。ただドロリと粘着質なスライム状のモノが身体の奥から迫り上がってくる。
 白虎の手が何度も背中を撫でてくれて、その度に俺はヘドロを吐いた。

「ぅえっ……きもっ……」
「深海さん、この水で口を漱いでください」

 渡された竹筒を受け取って、言われた通りに口を漱ぐ。

「これ、飲んでも良い?」
「良いですよ、少しだけ、ね?」

 頷いて一口。冷蔵庫に入れていないにもかかわらず、とても冷えている水はスルリと喉を越した。

「……ごめん……汚いモン見せて……」
「いいえ。もっと真っ黒なはずなのに。少し休んで、今度は小さなブドウを食べましょう?」
「まだ吐く?」
「身体から抜け切れば吐きません。それまではツラいと思いますけど……ごめんなさい。本当は郷でゆっくりゆっくり時間をかけて……空気を吸って、水を飲んで、少し食べて、眠って……そうやって慣らしていけば、こんなにツラい思いしなくて済むのに……」

 涙ぐむ白虎は本当に心配性で苦労性だ。

「それじゃ間に合わないんだろ? 二人が良かれと思って、今のうちに俺から穢れを抜いてるんだろ? 大丈夫! 俺、二人のこと信じてるから。だからブドウ取って?」

 朱雀の話。白虎の話。二人の郷を語る時の雰囲気。
 聞いていれば何となく解る。
 とにかく時間がないんだって。

「ブドウもあまー! めっちゃジューシー!」
「じゅうしぃってなんですか?」
「ん? 水分が多いってこと! 瑞々しいってヤツ。美味しいね! コレ皮も食べれる!」

 郷の果物は本当に美味しかった。
 そのびっくりする程美味しい果物を食べては繰り返し吐いた。

「俺、木苺好きなんだよ。吐いちゃうともったいないから、穢れが抜けてから食べよっと」

 ついそう洩らすと白虎はやっと少し笑って、優しく頭を撫でてくれた。
 二人が焦っている理由はハッキリとは解らないけど、明日の逢魔刻までには俺の身体から穢れを完璧に抜いてみせる。

「ずいぶん抜けましたね……少し休みましょう?」
「いや、大丈夫。俺、今まで生きてきてこんなに連続で吐いたことないけどさ、不思議と体力減らないんだな。これも郷の果物のおかげ? 大丈夫だから……ぅお?」

 シンクに突っ込んだ頭を鷲掴みにされた。

「おがえり……」
「そんな無理すんなよ……」

 ぐるんぐるんされなくて助かった。
 竹筒の水で口も漱いで、振り返ると朱雀が眉を寄せて俺を見ていた。

「無理させといて、こんなこと言うのもナンだけどよ、明日の逢魔刻までまだまだ時間がある……だから少し休んでくれ、頼む」

 白虎からも休んでと言われ、渋々ながら頷くと、ほっとしたような顔をした朱雀が開いたままの道に人差し指指を向けて

ソク

 と呟いて道を消した。

「明日、友達に会うんだろ? 今頑張り過ぎるとツラいぞ?」
「あ、そっか……」

 明日じゃ、もう遅いかもしれない。だとしたら……? 今……夜の七時。

「亮平? 今良いかな? うん、ちょっと預かってもらいたい物があってさ。え? 模様替え! 資料捨てたらヤバいだろ? 何時なら良い? 持って行くから……マジで!? ありがと! じゃあとで」

 スマホを驚愕の眼差しで見つめる二人に

「今から行ってくる」

 そう言ってもう一度郷の水で口を漱いだ。

「気を付けろよ!」
「深海さん、コレを……」

 気遣って言葉をくれる朱雀と慌てて数ある装飾品の中から小さな石を持たせてくれた白虎に一時間で戻ると告げて重い段ボール箱を抱えた。

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