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第一章

宣伝用映像の撮影

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「アーベルさん、カメラの方向いてくださーい!」
 我が家の一階にあるカーリンの作業場に、住人でない女性の声が響いた。
 声の主は風の精霊セイレーンのバネッサだ。存在界に出張するメンバーの一体だが、今日の彼女の役割はカメラマンだ。

「カーリンはアーベルさんの方を見て! ぷぷっ……」
 吹き出しそうになっているのは相談員のエリシアだ。
 おしゃべりな彼女にこの場面を見られるのは私にとって頭の痛いところなのだが、事情が事情なので彼女に見るなとも言えないのが辛い。

 以前、精霊界での暮らしぶりを映像で存在界に紹介する、という案が出たのを覚えているだろうか?
 今日はその映像の撮影日なのだ。

 初回は相談員の暮らしを紹介するべきだろうという話になり、相談員の中から男女一人ずつが選ばれることになった。
 撮影がここまで延びたのは精霊自体が基本的にのんびりした性質だということもあるのだが、誰を撮影するかがなかなか決まらなかったというのが最大の理由だ。

 女性陣だが所長のアイリスに魂霊のパートナーがいない上に、基本的に仕事精霊なので、仕事以外の生活要素がゼロに等しい。
 これではあまりにも精霊界の一般例とかけ離れているので却下となった。

 なら私がとコレットが立候補したのだが、バネッサが撮影した映像を見たイサベルとワルターから待ったがかかった。というよりダメ出しがあったというのが正しい。
 コレットは相談所に来ていないときは寝ているか「夜の生活」が中心で、バネッサが撮影した映像はその大部分が「夜の生活」だったそうだ。
 そうだ、というのは私がその映像を見ていないので、実際どのようなものだったのかは詳しく知らないからだ。
 ただ、映像をめぐって彼らがやり合っているのは「ケルークス」の店内で見ていたので、その光景ははっきりと覚えている。

「ただでさえ、この手の映像を公開するのに微妙な時期なんだぞ! コレットや契約している精霊が許可しているからって、こんなもの放映できる訳ないだろう!」
「え~、せっかく私が頑張ったのに~。バラ色の精霊界の生活をこれだけはっきりとさせた映像はないよ~。これ見たらみんな精霊界に来たいと思うんだけどな~」
 ワルターのダメ出しにコレットは思いっきり不満があったらしく、ワルターにもたれかかりながら詰め寄っていた。
 文句を言った後、ワルターにもたれたまま寝てしまうのがコレットらしいのだが。

「う~ん。さすがにこれはマズ過ぎるよ。ってバネッサは存在界に出入りしているでしょう? これがどうして大丈夫だと思ったの?!」
「だって、存在界の私もこんな感じだよ? 人間のみんなも見たいと思うし?」
「バネッサに撮影を任せたのが失敗だったわ……」
 イサベルも頭を抱えていた。
 バネッサはともかく、イサベルとワルターは存在界での活動経験が豊富だから、存在界での線引きは理解している。
 話し合いの結果、コレットの映像は強制的にお蔵入りさせるべきだ、ということになり人選をやり直すことになった。

 この時点で、女性の相談員はエリシアしか残されていない。
 私を含めた全相談員が「大丈夫か?」という顔になったが、結論から言えば彼女の暮らしぶりは良い意味で精霊界の平均的な暮らしであった。
 撮影に同行して手伝った私から見ても、これなら文句のつけようがないと思ったくらいだ。
 映像を見て、いい絵が撮れたとイサベルとワルターも太鼓判を押した。

 次は男性陣だ。
 ドナートはパートナーの数が多すぎるという理由で最初に候補から外された。
 アイリスだけは彼を撮影すべきだと強硬に主張したが、他の相談員全員とイサベル、ワルターまで反対に回ったのでは勝ち目がなかった。

 次に候補から外されたのはフランシスだ。
「ウチを基準にすると移住希望者が精霊界の暮らしに期待をしすぎるのではないか?」
 とフランシス自身も懸念していたが、その暮らしぶりを見て私を含めた他の相談員も納得した。
 
 フランシスの家はパソコンやらオーディオ機器やら存在界にあるものがいたるところに並べられていた。
 彼の暮らしぶりは一般的な移住者のそれとは違いすぎる。
 相談員の仕事を頻繁に入れている以外にも、パートナーに存在界へ出張するメンバーがいるからこれだけの品物を揃えられているが、ちょっと例外すぎる。

 相談員の中で一番最近の移住者、ということで今度はベネディクトに白羽の矢が立った。
 パートナーが一体のみということで、人間の価値観に合いそうだというのが理由であった。
 アイリスだけは良い顔をしなかったのだが……

 ベネディクトのパートナーであるメイヴは「ケルークス」だと彼に肩や脚をマッサージさせたり、菓子を食べせてもらったりといった様子が目立つ。
 そのため関係性にクエスチョンマークが付く点がやや気になるが、需要はあるのではないかという意見もあった。

「ちょっと気になるのは、彼女メイヴ、人前と家とで全然キャラ違いますよ。僕の操縦っぷりを見せたい、ということであれば協力することはやぶさかではないのですが……」
 そう言ってベネディクトが舌なめずりをした。
 ベネディクトの様子に他の相談員が一様に不安を覚えたのは言うまでもない。

 心配になったのか、その後撮影のための事前調査と称してエリシアとコレット、そしてフランシスがベネディクト宅を訪れたらしい。
 後でエリシアが話してくれたが、メイヴはどうもドMの性質だったらしく、家ではベネディクトにいじめて欲しいと懇願していたとか。
 フランシスに至っては「俺の『コナハトの女王』のイメージを返してくれ……来るんじゃなかった……」とうつろな目でホソボソとうわごとのようにつぶやいていたそうだ。
 頻繁に出勤していた彼が「ケルークス」に一時期姿を見せていなかったのはこれが原因だったのか……

 ベネディクトもダメということで、結局は私が選ばれることになった。あまり気が進まなかったのだが仕方あるまい。
 どうも精霊や魂霊は選択肢がたくさんあると、ハズレの選択肢をすべて引くまで当たりの選択肢を選ばない傾向があるような気がしてならない。
 私も例外ではないのか……

「アーベルさん、壺を傾けて中のアンブロシア酒が映るようにしてくださいっ!」
 カメラマン・バネッサの指示で私が壺を傾ける。

「カーリンはアーベルに味見させてあげて!」
 エリシアの指示にカーリンがうなずいて「はい。どうぞ」と木の匙ですくったアンブロシア酒を私の方に向けてきた。
 いつもは私が自分ですくっているのだが、カーリンも何故かエリシアの言葉に乗ってきている。

 匙の上の液体を吸い込んで、味を確かめる。
 正直私のレベルでは、いつも通り美味いとしか言えない。カーリンによれば毎回出来が違うとのことなのだが……
「うまくできている。樽に詰めたら『ケルークス』に持っていこうか」
「大丈夫そうですね。では、アーベルさん、樽詰めをお願いします」
 どうやらカーリンの目から見ても十分な出来であったようだ。出来が悪いと「ケルークス」に持っていくことを彼女が認めない。

「アーベルさん、お手伝いします」
 カーリンが私の後ろから壺を持つのを手伝う。まあ、これは普段も時々やっているからよしとしよう。

「カーリン! あまりくっつきすぎるとアーベルがやりにくいって!」
 今まで無言だったメラニーが手をぶんぶん振って「離れろ」のジェスチャーをしている。
 メラニーも出演したがったのだが、今回はカーリンだけということになったので、ちょっと機嫌を損ねているかもしれない。後でフォローしておこう。

 カーリンが出演者に選ばれたのにはいくつか理由がある。
 メラニーは、以前「各属性の代表的な精霊を紹介する」という映像を撮影した際に、風属性の精霊代表で出演したので候補から真っ先に外された。
 リーゼはフランシスと同様の理由で、彼女と過ごしていると精霊界での暮らしに期待をさせすぎる可能性があるので却下。
 個人的には肝心なところで遠慮するニーナに出てもらいたかったが、本人が固辞したので出演を強制できなかった。
 カーリンなら一緒にものづくりをする場面があるので、いい絵になるだろうとエリシアやアイリスが強硬に彼女を推したというのもニーナが出演を固辞した理由になっているように思う。こちらも後でフォローしておいた方が良さそうだ。

 いよいよ樽詰めも終わって、今度は私が「ケルークス」に樽を運んでいくシーンを撮影する。

「では、アーベルさん。準備ができました。気を付けて行ってきてくださいね」
 カーリンが足元に置かれた三つの樽を指し示した後、ぎゅっと私に抱き着いてきた。ちょっと演出過剰じゃないかという気がするのだが……

「確かに預かったよ。行ってくる」
 私は三つの樽の手にして、家から「ケルークス」の方に向けて足を踏み出した。

「はい、カットです!」
 バネッサの声でようやく撮影が終了した。
 撮った映像のうち六割は事実、三割は事実に誇張が入っている、そして残りの一割はフィクション、といったところだろうか?

 魂霊となって恥ずかしいという感情が薄れてしまったためか、この映像が存在界に流れることに対してはあまり気にならない。
 敢えて言えば、存在界時代の知り合いが今の私の姿を見たらどう思うかだけは気になる。

 私の外見は魂霊になった時点で、恐らく二十代後半か三十代前半の姿を美化したものになっているはずだ。
 というのも人間が魂霊に変わる際、その姿は人間時代のポテンシャルの中で、本人がもっとも良いと思っている外見になるらしいからだ。

 私も精霊界こちらに移住して何十年にもなるので、知り合いで生き残っている者はかなり少なくなっていると思う。
 そうした数少ない知り合いが若返った私を見たらどう感じるだろう?

 いないとは思うが、もし私のことを気にかけている者がいたら、こう伝えたい。
 私は精霊界で幸せにやっているから心配無用だ、と。
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