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第三章
新たな移住者の受け入れ作戦 その1
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「そうでしたか……それは急ぐ必要がありますね……」
アイリスが神妙な面持ちで相談客に話しかけた。
普段はかなりだらしなくしているように見える彼女だが、締めるところはきちんと締めてくる。
今日訪れた相談客はイドイさんというどこかの大学で文化人類学を研究している先生だ。
イドイさんは過去にも何度か相談に来ており、私とも顔見知りだ。
他の相談客と異なり、移住を希望しているのはイドイさん本人ではなく彼の娘さんである。
最近、イドイさんの相談は「ケルークス」のカフェスペースで対応することが多かったが今日は応接室だ。
応接室にはイドイさん、アイリス、私の三名のみがいる。
「はい。今日明日、ということはないだろうとは言われましたが……」
イドイさんの表情は険しい。
彼の娘さんは難しい名前の難病で、現代医学では治すことができないのだそうだ。
それでも過去の相談では数年の余裕があるとされていたが、最近になって一気に病状が悪化したらしい。
「病院から出ることができれば、うちのメンバーに移動を手伝わせるけど、できそうなの?」
「担当医とも相談して最期は自宅で過ごしたいという希望を伝えています。担当医も実現するよう手を尽くしてくれています」
「そう……自宅に運べるなら、ここまでは連れてこられると思うけど……」
アイリスが難しい顔をしている。
「やはり寝たきりの娘をここまで運ぶのは難しいでしょうか?」
「いえ、それは何とかします。ですが……」
アイリスが私の方をちらっと見た。私が答えた方がいいと判断しているようだ。
私は軽くうなずいてから、アイリスが気にしているであろうことをイドイさんに説明する。
「イドイさん、娘さんが移住されるのは問題ないのですが、残されたイドイさんへの影響が気になります」
「娘がこちらで幸せに暮らせるなら、私はそれで本望ですよ」
「それはよいのですが、そちらでは病人である娘さんが行方不明、という状態になります。その場合、真っ先に警察あたりがイドイさんを疑ってくると思うのですが、どう対処されますか?」
「確かに私が疑われるでしょう。ですが、娘の幸せのためです。それに警察は精霊界のことを知らないのでしょう。ならば私を逮捕できるだけの証拠を集められるとも思えませんが……」
イドイさんは既に覚悟を決めているようであった。
だが、イドイさんが警察の捜査対象になるというのはこちらも困る。
というのも、彼は何度もこちらに相談に来ていて、その度に精霊界に関する情報を集めている。
捜査など入ったらその手の情報が警察に漏れることになる。
移住希望者に精霊界のことを知ってもらえるのは歓迎だが、警察は移住を妨害する側だ。彼らに情報が漏れるのは好ましくない。
「警察が介入してくるのは、こっちも嬉しくないのよね。イドイさんの身に何かあるのはもっと困るから、作戦を考えるわ」
「娘が無事に移住できれば、やり方は所長さんにお任せします」
「もちろん、全力を尽くすわよ。時間もあまりなさそうだから、こまめに連絡取れるようにしておきたいけど……」
「ザカリーさんの連絡先なら知っています」
「なら、ザカリーを通して連絡を取りましょう。いちいちここへ来てもらうのも大変でしょうから」
「助かります」
イドイさんには詳しい状況を確認した後で帰ってもらった。
娘さんの退院に関して担当医とも話をする必要があるようだし、今は娘さんの病状が心配だろう。
「アーベル、これは前に話したように出張組の力を借りて、イドイさんの娘さんをここまで連れてくる必要があるわね」
「あとは娘さんが消えたことについてイドイさんや相談所が責任を問われない形にする必要があります」
「そうね……出張組とユーリを集めればいいかしら?」
「ドナートとフランシスがいた方がいいと思います」
イドイさんの娘さんを連れてくるのに彼らの力が必要だと思ったのは、次の理由からだ。
ドナートは軍務経験があるから、こうした作戦には知見があるのではないかと思った。
フランシスは通信の技術に明るいようだから、連絡の取り方などは考えてくれそうだ。
「わかったわ。明日、関係者を集めて作戦会議しましょう。九時半にここで」
「承知しました」
これは忙しくなりそうだ。
※※
翌朝、指定された九時半の少し前に私は「ケルークス」に顔を出した。
アイリスの指示ですぐに二階のサロンスペースへと移動する。
続々と相談員や存在界への出張組が集まってきた。
作戦会議の参加メンバーは次の通りだ。
相談員はアイリス、ドナート、フランシス、私の四名
相談員ではないが「ケルークス」店長のユーリ
存在界への出張組からはワルター、イサベル、ザカリーの三体
「狙うとしたら病院から家に移動する間が良さそうだな。それ以外だとイドイさんが疑われる可能性が高い」
アイリスから状況の説明を受けて、フランシスが最初にそう発言した。
娘さんが自宅に移動してしまえば、家にいるのはイドイさんと娘さんだけになる。
その場合、娘さんが行方不明になれば真っ先に疑われるのはイドイさんになるだろう。
「移動は介護タクシー、だったか? 病院から自宅まで十五分くらいだぞ。何か仕掛けるには余裕がなさすぎる」
ワルターがスクリーンに地図を表示させた。
病院から自宅までは車や人通りの多い場所ばかりを通るし、移動時間も短すぎる。
この間に娘さんを奪取してここまで運ぶのは至難の業かも知れない。
「こんな人の多そうなところ、力技では無理だと思う。何かに偽装して娘さんを連れ出さないと。さすがに引っ越し、とかじゃ不自然だけど……」
ユーリはイドイさんの自宅周辺に土地勘があるらしい。
といっても彼女が存在界に住んでいたのは二〇年くらい前までの話だから今は状況が異なるかも知れない。
「ユーリの言う通りね。今でもあのあたりは人が多いのよね……」
存在界への出張組のイサベルがユーリの意見を支持した。ということは状況はあまり変わっていないということだ。
「やはり自宅に移動してからの方が時間がある。イドイ氏の家から娘さんを連れ出しても不思議ではない車で娘を移動させるのがいいだろう」
ドナートはこれまでの会話を聞いて冷静に状況を分析していたようだ。
彼の条件に合う車となると……
「救急車か介護タクシーなら不自然ではないと思う。後は縁起でもないが葬儀屋の車とか……あ、葬儀屋はイドイさんが疑われるから却下だ」
自分で言っておいて、とんでもない話をしたと思ってしまった。
葬儀屋は亡くなった娘さんの遺体を安置する場所へ移動するというシチュエーションを想像してのものだった。
だが、亡くなったら先に連絡するのは医師か警察だろう。それをすっ飛ばして葬儀屋というのは不自然すぎる。
「救急車に偽装するのはちょっと難しいですね……それと介護タクシーだと短い期間に二度来るということで変に思われそうです」
ザカリーが指摘してきた。確かに介護タクシーが短い間に何度も来るというのは不自然だ。
「あ、いえ、介護タクシーは案としてはアリなんですよ。他にもっといい案がないか……」
ザカリーがフォローしてくれたが、ここは万全を期したいところだ。より良い案が出て欲しい。
「そういえば……日本には『天使の馬車』みたいなサービスはないのかい?」
「……『天使の馬車』? 知ってる?」
フランシスの言葉にユーリが首を傾げた。
ユーリは私、ワルター、イサベル、ザカリーに知っているかと尋ねてきたが、聞いたこともないサービスだ。
「俺が住んでいた国では、死期が迫った人に最後の旅を楽しんでもらうサービスがあってな、それが『天使の馬車』という名前だったと思うのだが……」
「言われてみれば、まだ人間だった頃にテレビでそんなサービスを見たことがあったような……」
フランシスに言われて、私は昔見たテレビのドキュメンタリーを思い出していた。
かなり昔の話なので記憶はあいまいだが、こんな話だったと思う。
若いカップルの男性の方が病気で死期が迫っていて、女性の側が何かできないかと考えていた。
男性の方が「どこか思い出になる場所へ二人で行きたい」ということを言っていて、女性が対応してくれる旅行会社を探していた。
苦労の末、対応してくれる旅行会社を見つけて二人で最初にデートをしたレストランに行った。
確かあれは外国の話だったが、私がテレビで見たのは五〇年以上前の話だ。今の日本に似たサービスがあっても不思議ではない。
「ちょっと聞いたことないな……イサベルとかワルターは知らない?」
ユーリが知らないとなると今の日本にもないサービスの可能性がある。
「聞いたことがないが……イサベル、知っているか?」
「知らないけど、調べてみるね」
イサベルがアイリスからノートパソコンを借りて操作し始めた。
出張組には存在界の通信機器を持っている者がいるから、それを利用して存在界のネットの情報を調べようというのだ。
「……あった!」
イサベルがパンと手を叩いた。
調べること十数分、今の日本にも同じようなサービスがあることが確認できた。
これは使えるかもしれない。
アイリスが神妙な面持ちで相談客に話しかけた。
普段はかなりだらしなくしているように見える彼女だが、締めるところはきちんと締めてくる。
今日訪れた相談客はイドイさんというどこかの大学で文化人類学を研究している先生だ。
イドイさんは過去にも何度か相談に来ており、私とも顔見知りだ。
他の相談客と異なり、移住を希望しているのはイドイさん本人ではなく彼の娘さんである。
最近、イドイさんの相談は「ケルークス」のカフェスペースで対応することが多かったが今日は応接室だ。
応接室にはイドイさん、アイリス、私の三名のみがいる。
「はい。今日明日、ということはないだろうとは言われましたが……」
イドイさんの表情は険しい。
彼の娘さんは難しい名前の難病で、現代医学では治すことができないのだそうだ。
それでも過去の相談では数年の余裕があるとされていたが、最近になって一気に病状が悪化したらしい。
「病院から出ることができれば、うちのメンバーに移動を手伝わせるけど、できそうなの?」
「担当医とも相談して最期は自宅で過ごしたいという希望を伝えています。担当医も実現するよう手を尽くしてくれています」
「そう……自宅に運べるなら、ここまでは連れてこられると思うけど……」
アイリスが難しい顔をしている。
「やはり寝たきりの娘をここまで運ぶのは難しいでしょうか?」
「いえ、それは何とかします。ですが……」
アイリスが私の方をちらっと見た。私が答えた方がいいと判断しているようだ。
私は軽くうなずいてから、アイリスが気にしているであろうことをイドイさんに説明する。
「イドイさん、娘さんが移住されるのは問題ないのですが、残されたイドイさんへの影響が気になります」
「娘がこちらで幸せに暮らせるなら、私はそれで本望ですよ」
「それはよいのですが、そちらでは病人である娘さんが行方不明、という状態になります。その場合、真っ先に警察あたりがイドイさんを疑ってくると思うのですが、どう対処されますか?」
「確かに私が疑われるでしょう。ですが、娘の幸せのためです。それに警察は精霊界のことを知らないのでしょう。ならば私を逮捕できるだけの証拠を集められるとも思えませんが……」
イドイさんは既に覚悟を決めているようであった。
だが、イドイさんが警察の捜査対象になるというのはこちらも困る。
というのも、彼は何度もこちらに相談に来ていて、その度に精霊界に関する情報を集めている。
捜査など入ったらその手の情報が警察に漏れることになる。
移住希望者に精霊界のことを知ってもらえるのは歓迎だが、警察は移住を妨害する側だ。彼らに情報が漏れるのは好ましくない。
「警察が介入してくるのは、こっちも嬉しくないのよね。イドイさんの身に何かあるのはもっと困るから、作戦を考えるわ」
「娘が無事に移住できれば、やり方は所長さんにお任せします」
「もちろん、全力を尽くすわよ。時間もあまりなさそうだから、こまめに連絡取れるようにしておきたいけど……」
「ザカリーさんの連絡先なら知っています」
「なら、ザカリーを通して連絡を取りましょう。いちいちここへ来てもらうのも大変でしょうから」
「助かります」
イドイさんには詳しい状況を確認した後で帰ってもらった。
娘さんの退院に関して担当医とも話をする必要があるようだし、今は娘さんの病状が心配だろう。
「アーベル、これは前に話したように出張組の力を借りて、イドイさんの娘さんをここまで連れてくる必要があるわね」
「あとは娘さんが消えたことについてイドイさんや相談所が責任を問われない形にする必要があります」
「そうね……出張組とユーリを集めればいいかしら?」
「ドナートとフランシスがいた方がいいと思います」
イドイさんの娘さんを連れてくるのに彼らの力が必要だと思ったのは、次の理由からだ。
ドナートは軍務経験があるから、こうした作戦には知見があるのではないかと思った。
フランシスは通信の技術に明るいようだから、連絡の取り方などは考えてくれそうだ。
「わかったわ。明日、関係者を集めて作戦会議しましょう。九時半にここで」
「承知しました」
これは忙しくなりそうだ。
※※
翌朝、指定された九時半の少し前に私は「ケルークス」に顔を出した。
アイリスの指示ですぐに二階のサロンスペースへと移動する。
続々と相談員や存在界への出張組が集まってきた。
作戦会議の参加メンバーは次の通りだ。
相談員はアイリス、ドナート、フランシス、私の四名
相談員ではないが「ケルークス」店長のユーリ
存在界への出張組からはワルター、イサベル、ザカリーの三体
「狙うとしたら病院から家に移動する間が良さそうだな。それ以外だとイドイさんが疑われる可能性が高い」
アイリスから状況の説明を受けて、フランシスが最初にそう発言した。
娘さんが自宅に移動してしまえば、家にいるのはイドイさんと娘さんだけになる。
その場合、娘さんが行方不明になれば真っ先に疑われるのはイドイさんになるだろう。
「移動は介護タクシー、だったか? 病院から自宅まで十五分くらいだぞ。何か仕掛けるには余裕がなさすぎる」
ワルターがスクリーンに地図を表示させた。
病院から自宅までは車や人通りの多い場所ばかりを通るし、移動時間も短すぎる。
この間に娘さんを奪取してここまで運ぶのは至難の業かも知れない。
「こんな人の多そうなところ、力技では無理だと思う。何かに偽装して娘さんを連れ出さないと。さすがに引っ越し、とかじゃ不自然だけど……」
ユーリはイドイさんの自宅周辺に土地勘があるらしい。
といっても彼女が存在界に住んでいたのは二〇年くらい前までの話だから今は状況が異なるかも知れない。
「ユーリの言う通りね。今でもあのあたりは人が多いのよね……」
存在界への出張組のイサベルがユーリの意見を支持した。ということは状況はあまり変わっていないということだ。
「やはり自宅に移動してからの方が時間がある。イドイ氏の家から娘さんを連れ出しても不思議ではない車で娘を移動させるのがいいだろう」
ドナートはこれまでの会話を聞いて冷静に状況を分析していたようだ。
彼の条件に合う車となると……
「救急車か介護タクシーなら不自然ではないと思う。後は縁起でもないが葬儀屋の車とか……あ、葬儀屋はイドイさんが疑われるから却下だ」
自分で言っておいて、とんでもない話をしたと思ってしまった。
葬儀屋は亡くなった娘さんの遺体を安置する場所へ移動するというシチュエーションを想像してのものだった。
だが、亡くなったら先に連絡するのは医師か警察だろう。それをすっ飛ばして葬儀屋というのは不自然すぎる。
「救急車に偽装するのはちょっと難しいですね……それと介護タクシーだと短い期間に二度来るということで変に思われそうです」
ザカリーが指摘してきた。確かに介護タクシーが短い間に何度も来るというのは不自然だ。
「あ、いえ、介護タクシーは案としてはアリなんですよ。他にもっといい案がないか……」
ザカリーがフォローしてくれたが、ここは万全を期したいところだ。より良い案が出て欲しい。
「そういえば……日本には『天使の馬車』みたいなサービスはないのかい?」
「……『天使の馬車』? 知ってる?」
フランシスの言葉にユーリが首を傾げた。
ユーリは私、ワルター、イサベル、ザカリーに知っているかと尋ねてきたが、聞いたこともないサービスだ。
「俺が住んでいた国では、死期が迫った人に最後の旅を楽しんでもらうサービスがあってな、それが『天使の馬車』という名前だったと思うのだが……」
「言われてみれば、まだ人間だった頃にテレビでそんなサービスを見たことがあったような……」
フランシスに言われて、私は昔見たテレビのドキュメンタリーを思い出していた。
かなり昔の話なので記憶はあいまいだが、こんな話だったと思う。
若いカップルの男性の方が病気で死期が迫っていて、女性の側が何かできないかと考えていた。
男性の方が「どこか思い出になる場所へ二人で行きたい」ということを言っていて、女性が対応してくれる旅行会社を探していた。
苦労の末、対応してくれる旅行会社を見つけて二人で最初にデートをしたレストランに行った。
確かあれは外国の話だったが、私がテレビで見たのは五〇年以上前の話だ。今の日本に似たサービスがあっても不思議ではない。
「ちょっと聞いたことないな……イサベルとかワルターは知らない?」
ユーリが知らないとなると今の日本にもないサービスの可能性がある。
「聞いたことがないが……イサベル、知っているか?」
「知らないけど、調べてみるね」
イサベルがアイリスからノートパソコンを借りて操作し始めた。
出張組には存在界の通信機器を持っている者がいるから、それを利用して存在界のネットの情報を調べようというのだ。
「……あった!」
イサベルがパンと手を叩いた。
調べること十数分、今の日本にも同じようなサービスがあることが確認できた。
これは使えるかもしれない。
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