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第三章
新たな移住者の受け入れ作戦 その3
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作戦会議から一週間後、イドイさんの娘さんが退院する日が決まったとアイリスから連絡があった。
アイリスから連絡があった四日後、魂霊の相談員が「ケルークス」に集められた。
ワルターの車に細工をするのだ。
イドイさんの娘さんを運び出すのは更に三日後と決まっていた。
「ワルターの車が来たよ!」
「ケルークス」にクリーナー草を納めているメリアスのオリヴィアがはるか先に見える光の方を指差した。
彼女は存在界に出張するメンバーではないが、今回の作業に必要な精霊界の塗料を持ってきてくれた。
彼女自身も存在界で活動できる妖精形態になれるので、こうしてワルターの車が来るのを見ていてくれたのだ。
「アーベル、フランシス、ドナート、ベネディクトは塗料の準備をお願い! ユーリ、コレット、エリシアは道具を持ってきて!」
アイリスの指示が飛んだ。
ワルターの車の塗装の前にアイリスが形態記憶の魔術を施す。
今のところ周囲に人の気配はない。今日の作業における最初の山場がアイリスのこの魔術になるはずだ。
人がいたら見つからないように車を相談所の敷地内に入れることが難しくなるが、こんな山奥に夜間に入り込む人間はまずいない。
ブゥゥゥゥゥン
ワルターの車が建物に近づいてきた。
このあたりは樹木や岩などの障害物も少なくないが、ワルターは巧みにこれらの障害物を避けて車を移動させている。
「アイリス、車を持ってきたぞ。魔術と塗装を頼む!」
「わかったわ!」
ワルターが車から出てくるとアイリスがボンネットに手を触れて目を閉じた。
「アーベル、こっちも始めよう」
「わかった」
アイリスが魔術を施している間、こちらも塗料をかき混ぜたり、塗装のための道具を準備したりする。
「アーベル、泡だらけになっているけどこれでいいのか?」
「ドナート、泡を立てても構わないとオリヴィアが言っていた」
「わかった。そのままかき混ぜる」
精霊界の塗料は石鹸水か洗剤を入れた水といった感じで、そんなにドロドロしていない。
これで車を塗装できるのか不安になるが、精霊界に来てから塗装などしたことがないのでこちらは言われた通りにするだけだ。
しばらくしてアイリスが塗料を混ぜる私の方に近づいてきた。
少し疲れているような表情にも見えるが、姿勢はしゃんとしている。
車のような大きな対象に魔術や魔法を施すというのはそれなりの大仕事で、ある程度力のある精霊でないと難しいがアイリスなら大丈夫だということらしい。
「アーベル、こっちは終わったわよ。塗料の準備は?」
「できました。いつでも使えます」
「じゃあ、全体の色からお願い」
「了解です!」
ワルターの車は銀色のワゴン車。これにまずは水色の塗料で全体を着色する。
架空の旅行業者の車に偽装するため、それっぽいカラーやロゴを相談員で考えた。
この手のデザインは意外にも? コレットが得意としていた。
水色を基調としたイメージを絵にしただけではなく、ロゴのデザインや型紙の作成までやってのけた。
「これは塗装している、というより洗車しているみたいですね」
ベネディクトが塗装用のスポンジを手にしながら苦笑した。
ベースとなる水色はスポンジに塗料をしみ込ませて車体にこすりつけるようにして塗りつけていく。
確かに塗装というより洗車だと思う。
全体を塗装するのは私、ベネディクト、ドナート、エリシアの四人だ。
「全体塗り終わりました。今度はタイヤ塗っておきます」
車体を塗っていた私を含めた四人は、次にタイヤとホイールに塗料を塗る。
今度は透明の塗料だ。これは色を変えるためではなく、タイヤやホイールの材質をごまかすためのものだ。
精霊界の塗料を塗った後で車体に魔法をかけて塗装部分を存在界の存在へと変えると、ぶつけたりして塗料がはげ落ちても足がつかない、というわけだ。
「ふああ~、ナンバーの書き換えおわったよ~」
大欠伸を隠そうともせず、コレットが立ち上がった。
彼女は手先が器用なようで、ナンバープレートの地名や数字を書き換えた。
色も業務用の車のそれに変えている。
実は車体を塗っていた私を含めた四名はあまり手先が器用でないメンバーだ。
手先が器用なメンバーは、コレットのようにナンバーを書き換えたり、車体に描くロゴの塗装を担当している。
「まずは枠が黄色だったな。ユーリ、右側を頼む」
「わかったわ」
フランシスがドアの部分に描くロゴの型紙のうち一枚をユーリに手渡した。
ユーリ、フランシス、コレットが筆でロゴを描いていく。オリヴィアも魔術でロゴを着色している。
「イリス・ツアーズ」、これが今回でっちあげる架空の旅行業者の名前だ。
もちろん、この名前は所長のアイリスからとったものだ。
さすがにそのままでは嫌だとアイリスがごねたため、読み方をフランシスの出身地のそれに変えた。
アイリスの名前を採用したのは実在の業者にできるだけ迷惑がかからないよう配慮したためだ。
「……大丈夫だ。慌てる必要はないからな」
ワルターが時計を見ながらつぶやいた。
夜が明ける前に車を出さないと、近くで相談所を見張っている連中に見つかる可能性がある。
それにワルターは明日、仕事があるのだそうだ。
車庫に車を置いて出勤する時間を考えると、ここを午前四時には出ないとならない。
ワルター本人だけ先に帰って、後日車を取りに来るという訳にはいかないのだ。
というのも、相談所の中に車を入れることはできないし、外に車を置いておいたら目立ってしまうからだ。
「オッケーです。ワルター、車を少し前に動かして」
「わかった」
タイヤ全体に塗料を行きわたらせるため、ワルターに車を動かしてもらう。
今まで地面に触れていた部分が地面から離れて塗料が塗れるようになった。
塗り残しがあると万が一のときに足がつく可能性があるから、こういったところは慎重にやるべきだ。
「ロゴ塗り終わったよ~」
コレットの間延びした声が聞こえてきた。
時計に目をやると三時まであと四、五分。
こちらもそろそろ仕上げの段階だ。
「オイラのところはおわったよ。アーベル、チェック頼むね」
「わかった。こっちもそろそろ終わりだ、エリシア、終わったらこっちのチェックを頼む」
タイヤは四人が一つずつを担当し塗り残しがないか他のメンバーにチェックしてもらう。
「……大丈夫だな」
「アーベル、こっちも大丈夫だよ」
私とエリシアの担当部分が終わった。
ドナートとベネディクトのところも終わったようだ。
これで三時ちょっとすぎ。
後はアイリスが車を存在界用に変換する魔法を施して完了だが、これが二番目の山場となる。
最初に車に施した形態記憶の魔術よりもこちらの方が難易度としては高いのだそうだ。
「行くわよ。ユーリ、念のため魔力を貯めた器を準備しておいて」
「わかったわ」
アイリスの指示でユーリが「ケルークス」の店内へと走った。
アイリスの魔力が尽きた場合に備えて、店内に保管されている魔力をかき集めておく。これらの魔力は「ケルークス」での飲食や物販の代金として支払われたものだ。
「……」
アイリスの手がぼうっと光っている。
車の方には特に反応があるように見えないのだが、ワルターがすげえと感嘆の声をあげていた。同じ精霊のオリヴィアは声も出さずに、ただアイリスの魔法に見入っている。
実はワルターも精霊としてはクロノスという種類で、原初の精霊に属する。
格としてはアイリスよりも上らしいのだが、魔術や魔法の腕ではアイリスには敵わないと言っていた。
クロノスは平原を司っているそうだが、そのためか土いじりや工事といった力仕事の方が向いているらしい。
一方のオリヴィアはメリアスという種類で中期の精霊に属する。格という点では初期の精霊であるアイリスよりは下となる。
もっとも精霊の世界では必ずしも格が高い、イコール偉いということにはならないらしい。
「……」
二〇分ほどして、アイリスの額に汗がにじんできた。
さすがに余裕、という状況ではないらしい。
それでも表情を変えることなくアイリスは集中を続けている。
「……」
ワルターがチラっと時計の方に目をやった。
アイリスの魔法があとどのくらいかかるのかわからないが、そろそろ出発を意識しなければならない時間のはずだ。
日の出は五時半くらいのはずだが、最悪でもそれまでには建物のある山を出て一般道に入っている必要があるだろう。
「「「「「「「……」」」」」」」
私を含めた魂霊の相談員六名とユーリはアイリスの魔法を見ていることしかできない。
魂霊は魔力を持たないから、魔法や魔術の面で役立つことはないのだ。
できるとしたら、せいぜい大人しくしてアイリスの邪魔をしないことくらいだ。
「……」
三時五〇分を過ぎたところでアイリスの魔法を見守っている魂霊全員が時計に目をやり出した。
タイムリミットまであと一〇分もない。
ワルターはいつでも車に乗り込めるよう、運転席側のドアの近くまで移動した。
ごくり、と誰かが唾を飲む音が聞こえてきた。
大丈夫だろうか?
そう思った瞬間、アイリスが車にかざしていた手を引っ込めた。
「ふう……終わったわ。これでいいわ」
「助かった! 協力に感謝だ! じゃ、行ってくる!」
ワルターは急いで車に乗り込み、そのまま自宅に向けて慌ただしく出発していった。
時計を見たら三時五七分、ギリギリの時間だ。
「ちょ、ちょっと、アイリス!」
「ユーリ、魔力を入れた方が……」
ワルターの車を見送っていると後ろの方から慌てたユーリとオリヴィアの声が聞こえてきた。
振り返るとアイリスがその場に崩れ落ちている。
「大丈夫ですか?! 部屋まで連れていった方が」
私もアイリスのところに駆け寄って様子を確認する。
「……大丈夫よ。急いだから一時的に魔力のバランスが崩れているだけ。一時間も休めば元に戻るから……」
アイリスの声がいつもと較べると弱弱しい。
「休むのなら部屋まで運びますか?」
「『ケルークス』のいつもの席まで運んでもらえば大丈夫よ……アーベル、おんぶして」
おんぶしてって、つかまっているのは結構大変じゃないか?
そう考えて私は周囲を見回したが、いつの間にか魂霊の相談員たちはオリヴィアの指示で塗料や塗装道具を片付け始めていた。
近くにいるのはユーリだけだ。
「ユーリ、『ケルークス』の入口のドアを開けて欲しい。私はアイリスを席まで運ぶよ」
「うん、わかった」
ユーリが走っていって入口のドアを開ける。
「アイリス、席に行きますよ」
「……うん、わかった」
私が乗りやすいようにしゃがむと、アイリスがのそのそと背中につかまってきた。
この感じなら大丈夫そうだ。
私はアイリスを「ケルークス」店内の奥にある彼女の指定席に座らせて、自分もいつものカウンター席に腰かけた。
アイリスはいつものようにだらしなく椅子の上で溶けているが、今日のところは仕方ない。
片づけを終えた相談員たちも続々と戻ってくる。
「ここで一休みしてから帰るか」
そのまま家に戻るという気分ではなかったので、私は注文を取ってもらおうとユーリかブリスの姿を探した。
「そうだな、一休みしないと落ち着かない時間だしな」
ドナートが腕組みして注文を取りに来るのを待ち始めた。
他の相談員たちも私たちに倣うようだ。
とりあえず最初の大仕事は終わった。
三日後はいよいよイドイさんの娘さんを相談所に運ぶことになる。
魂霊の私は存在界に手を出すことはできないけど、最善を尽くしたい。
死期が迫っている人が生きているうちに相談所にたどり着けるか?
それは文字通り「死活問題」だ。
かつての私がそうであったように。
アイリスから連絡があった四日後、魂霊の相談員が「ケルークス」に集められた。
ワルターの車に細工をするのだ。
イドイさんの娘さんを運び出すのは更に三日後と決まっていた。
「ワルターの車が来たよ!」
「ケルークス」にクリーナー草を納めているメリアスのオリヴィアがはるか先に見える光の方を指差した。
彼女は存在界に出張するメンバーではないが、今回の作業に必要な精霊界の塗料を持ってきてくれた。
彼女自身も存在界で活動できる妖精形態になれるので、こうしてワルターの車が来るのを見ていてくれたのだ。
「アーベル、フランシス、ドナート、ベネディクトは塗料の準備をお願い! ユーリ、コレット、エリシアは道具を持ってきて!」
アイリスの指示が飛んだ。
ワルターの車の塗装の前にアイリスが形態記憶の魔術を施す。
今のところ周囲に人の気配はない。今日の作業における最初の山場がアイリスのこの魔術になるはずだ。
人がいたら見つからないように車を相談所の敷地内に入れることが難しくなるが、こんな山奥に夜間に入り込む人間はまずいない。
ブゥゥゥゥゥン
ワルターの車が建物に近づいてきた。
このあたりは樹木や岩などの障害物も少なくないが、ワルターは巧みにこれらの障害物を避けて車を移動させている。
「アイリス、車を持ってきたぞ。魔術と塗装を頼む!」
「わかったわ!」
ワルターが車から出てくるとアイリスがボンネットに手を触れて目を閉じた。
「アーベル、こっちも始めよう」
「わかった」
アイリスが魔術を施している間、こちらも塗料をかき混ぜたり、塗装のための道具を準備したりする。
「アーベル、泡だらけになっているけどこれでいいのか?」
「ドナート、泡を立てても構わないとオリヴィアが言っていた」
「わかった。そのままかき混ぜる」
精霊界の塗料は石鹸水か洗剤を入れた水といった感じで、そんなにドロドロしていない。
これで車を塗装できるのか不安になるが、精霊界に来てから塗装などしたことがないのでこちらは言われた通りにするだけだ。
しばらくしてアイリスが塗料を混ぜる私の方に近づいてきた。
少し疲れているような表情にも見えるが、姿勢はしゃんとしている。
車のような大きな対象に魔術や魔法を施すというのはそれなりの大仕事で、ある程度力のある精霊でないと難しいがアイリスなら大丈夫だということらしい。
「アーベル、こっちは終わったわよ。塗料の準備は?」
「できました。いつでも使えます」
「じゃあ、全体の色からお願い」
「了解です!」
ワルターの車は銀色のワゴン車。これにまずは水色の塗料で全体を着色する。
架空の旅行業者の車に偽装するため、それっぽいカラーやロゴを相談員で考えた。
この手のデザインは意外にも? コレットが得意としていた。
水色を基調としたイメージを絵にしただけではなく、ロゴのデザインや型紙の作成までやってのけた。
「これは塗装している、というより洗車しているみたいですね」
ベネディクトが塗装用のスポンジを手にしながら苦笑した。
ベースとなる水色はスポンジに塗料をしみ込ませて車体にこすりつけるようにして塗りつけていく。
確かに塗装というより洗車だと思う。
全体を塗装するのは私、ベネディクト、ドナート、エリシアの四人だ。
「全体塗り終わりました。今度はタイヤ塗っておきます」
車体を塗っていた私を含めた四人は、次にタイヤとホイールに塗料を塗る。
今度は透明の塗料だ。これは色を変えるためではなく、タイヤやホイールの材質をごまかすためのものだ。
精霊界の塗料を塗った後で車体に魔法をかけて塗装部分を存在界の存在へと変えると、ぶつけたりして塗料がはげ落ちても足がつかない、というわけだ。
「ふああ~、ナンバーの書き換えおわったよ~」
大欠伸を隠そうともせず、コレットが立ち上がった。
彼女は手先が器用なようで、ナンバープレートの地名や数字を書き換えた。
色も業務用の車のそれに変えている。
実は車体を塗っていた私を含めた四名はあまり手先が器用でないメンバーだ。
手先が器用なメンバーは、コレットのようにナンバーを書き換えたり、車体に描くロゴの塗装を担当している。
「まずは枠が黄色だったな。ユーリ、右側を頼む」
「わかったわ」
フランシスがドアの部分に描くロゴの型紙のうち一枚をユーリに手渡した。
ユーリ、フランシス、コレットが筆でロゴを描いていく。オリヴィアも魔術でロゴを着色している。
「イリス・ツアーズ」、これが今回でっちあげる架空の旅行業者の名前だ。
もちろん、この名前は所長のアイリスからとったものだ。
さすがにそのままでは嫌だとアイリスがごねたため、読み方をフランシスの出身地のそれに変えた。
アイリスの名前を採用したのは実在の業者にできるだけ迷惑がかからないよう配慮したためだ。
「……大丈夫だ。慌てる必要はないからな」
ワルターが時計を見ながらつぶやいた。
夜が明ける前に車を出さないと、近くで相談所を見張っている連中に見つかる可能性がある。
それにワルターは明日、仕事があるのだそうだ。
車庫に車を置いて出勤する時間を考えると、ここを午前四時には出ないとならない。
ワルター本人だけ先に帰って、後日車を取りに来るという訳にはいかないのだ。
というのも、相談所の中に車を入れることはできないし、外に車を置いておいたら目立ってしまうからだ。
「オッケーです。ワルター、車を少し前に動かして」
「わかった」
タイヤ全体に塗料を行きわたらせるため、ワルターに車を動かしてもらう。
今まで地面に触れていた部分が地面から離れて塗料が塗れるようになった。
塗り残しがあると万が一のときに足がつく可能性があるから、こういったところは慎重にやるべきだ。
「ロゴ塗り終わったよ~」
コレットの間延びした声が聞こえてきた。
時計に目をやると三時まであと四、五分。
こちらもそろそろ仕上げの段階だ。
「オイラのところはおわったよ。アーベル、チェック頼むね」
「わかった。こっちもそろそろ終わりだ、エリシア、終わったらこっちのチェックを頼む」
タイヤは四人が一つずつを担当し塗り残しがないか他のメンバーにチェックしてもらう。
「……大丈夫だな」
「アーベル、こっちも大丈夫だよ」
私とエリシアの担当部分が終わった。
ドナートとベネディクトのところも終わったようだ。
これで三時ちょっとすぎ。
後はアイリスが車を存在界用に変換する魔法を施して完了だが、これが二番目の山場となる。
最初に車に施した形態記憶の魔術よりもこちらの方が難易度としては高いのだそうだ。
「行くわよ。ユーリ、念のため魔力を貯めた器を準備しておいて」
「わかったわ」
アイリスの指示でユーリが「ケルークス」の店内へと走った。
アイリスの魔力が尽きた場合に備えて、店内に保管されている魔力をかき集めておく。これらの魔力は「ケルークス」での飲食や物販の代金として支払われたものだ。
「……」
アイリスの手がぼうっと光っている。
車の方には特に反応があるように見えないのだが、ワルターがすげえと感嘆の声をあげていた。同じ精霊のオリヴィアは声も出さずに、ただアイリスの魔法に見入っている。
実はワルターも精霊としてはクロノスという種類で、原初の精霊に属する。
格としてはアイリスよりも上らしいのだが、魔術や魔法の腕ではアイリスには敵わないと言っていた。
クロノスは平原を司っているそうだが、そのためか土いじりや工事といった力仕事の方が向いているらしい。
一方のオリヴィアはメリアスという種類で中期の精霊に属する。格という点では初期の精霊であるアイリスよりは下となる。
もっとも精霊の世界では必ずしも格が高い、イコール偉いということにはならないらしい。
「……」
二〇分ほどして、アイリスの額に汗がにじんできた。
さすがに余裕、という状況ではないらしい。
それでも表情を変えることなくアイリスは集中を続けている。
「……」
ワルターがチラっと時計の方に目をやった。
アイリスの魔法があとどのくらいかかるのかわからないが、そろそろ出発を意識しなければならない時間のはずだ。
日の出は五時半くらいのはずだが、最悪でもそれまでには建物のある山を出て一般道に入っている必要があるだろう。
「「「「「「「……」」」」」」」
私を含めた魂霊の相談員六名とユーリはアイリスの魔法を見ていることしかできない。
魂霊は魔力を持たないから、魔法や魔術の面で役立つことはないのだ。
できるとしたら、せいぜい大人しくしてアイリスの邪魔をしないことくらいだ。
「……」
三時五〇分を過ぎたところでアイリスの魔法を見守っている魂霊全員が時計に目をやり出した。
タイムリミットまであと一〇分もない。
ワルターはいつでも車に乗り込めるよう、運転席側のドアの近くまで移動した。
ごくり、と誰かが唾を飲む音が聞こえてきた。
大丈夫だろうか?
そう思った瞬間、アイリスが車にかざしていた手を引っ込めた。
「ふう……終わったわ。これでいいわ」
「助かった! 協力に感謝だ! じゃ、行ってくる!」
ワルターは急いで車に乗り込み、そのまま自宅に向けて慌ただしく出発していった。
時計を見たら三時五七分、ギリギリの時間だ。
「ちょ、ちょっと、アイリス!」
「ユーリ、魔力を入れた方が……」
ワルターの車を見送っていると後ろの方から慌てたユーリとオリヴィアの声が聞こえてきた。
振り返るとアイリスがその場に崩れ落ちている。
「大丈夫ですか?! 部屋まで連れていった方が」
私もアイリスのところに駆け寄って様子を確認する。
「……大丈夫よ。急いだから一時的に魔力のバランスが崩れているだけ。一時間も休めば元に戻るから……」
アイリスの声がいつもと較べると弱弱しい。
「休むのなら部屋まで運びますか?」
「『ケルークス』のいつもの席まで運んでもらえば大丈夫よ……アーベル、おんぶして」
おんぶしてって、つかまっているのは結構大変じゃないか?
そう考えて私は周囲を見回したが、いつの間にか魂霊の相談員たちはオリヴィアの指示で塗料や塗装道具を片付け始めていた。
近くにいるのはユーリだけだ。
「ユーリ、『ケルークス』の入口のドアを開けて欲しい。私はアイリスを席まで運ぶよ」
「うん、わかった」
ユーリが走っていって入口のドアを開ける。
「アイリス、席に行きますよ」
「……うん、わかった」
私が乗りやすいようにしゃがむと、アイリスがのそのそと背中につかまってきた。
この感じなら大丈夫そうだ。
私はアイリスを「ケルークス」店内の奥にある彼女の指定席に座らせて、自分もいつものカウンター席に腰かけた。
アイリスはいつものようにだらしなく椅子の上で溶けているが、今日のところは仕方ない。
片づけを終えた相談員たちも続々と戻ってくる。
「ここで一休みしてから帰るか」
そのまま家に戻るという気分ではなかったので、私は注文を取ってもらおうとユーリかブリスの姿を探した。
「そうだな、一休みしないと落ち着かない時間だしな」
ドナートが腕組みして注文を取りに来るのを待ち始めた。
他の相談員たちも私たちに倣うようだ。
とりあえず最初の大仕事は終わった。
三日後はいよいよイドイさんの娘さんを相談所に運ぶことになる。
魂霊の私は存在界に手を出すことはできないけど、最善を尽くしたい。
死期が迫っている人が生きているうちに相談所にたどり着けるか?
それは文字通り「死活問題」だ。
かつての私がそうであったように。
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