96 / 104
第四章
こんなの〇〇じゃない!
しおりを挟む
「アーベルさま、少しよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ。今日は相談所に出勤する日ではないから」
ある朝、カーリンの酒造りの手伝いを終えてリビングに戻ってきたところ、マンガ本を読んでいるリーゼに呼び止められた。
「存在界での妖精の描かれ方に気になる点があります。アーベルさまのご意見をお伺いしたいのです」
リーゼは真剣な表情だ。
存在界での妖精の描かれ方には私も疑問に思う点が多々ある。
精霊界に移住してみてわかったことだが、存在界での精霊や妖精の描かれ方は実態とかなり差がある。
そもそも「妖精」が「存在界にいるときの精霊の姿」または「存在界にいる精霊のこと」を指すなんてことは、精霊界に移住して初めて知った。
それに精霊は基本的に人の姿をとることができる、ということもだ。
「そうだね、だったら『ケルークス』に行ってみるかい?」
「え、アーベルさまの職場ですか? 私は大丈夫ですけど……」
リーゼは首を傾げていたが、私が半ば強引に連れ出して「ケルークス」へと向かった。
「アーベルさまと二人でおでかけできることになるとは思わなかったです」
家を出た後、リーゼが満面の笑みで私の方を見てくれた。この笑顔を見られるだけでも家を出た甲斐があるというものだ。
「失礼します。今日は『ケルークス』の客としてきました」
「あら、アーベル。どうしたの?」
店内に入ると、奥の定位置にいたアイリスが声をかけてきた。相談客はいないようだ。
「フランシスに用事があって来たのですが、今日はまだ来ていませんか?」
「もう少ししたら来ると思うわ。中で待っていたら?」
私はリーゼを連れていつものカウンター席に陣取った。
「あら? アーベル、来てたんだ。今日はリーゼとデート?」
「そんなところ。調べものというか、フランシスに確認したいことがあってね」
注文を取りに来たユーリが私とリーゼを交互に見た。
そして、リーゼに小声で何か話しかけると、リーゼがコクコクとうなずいた。
「アーベル、後でリーゼを少し借りるね」
「わかった」
ユーリがリーゼに用事があるようなので、その前にこちらの用事は片付けておきたい。
三〇分ほどして予想通りフランシスが「ケルークス」に姿を現した。
彼はほぼ毎日新作のチェックを兼ねて出勤している。
「そういうことか。俺にもわからないことが多いが、興味はあるな……」
私とリーゼから話を聞いたフランシスが、身を乗り出してきた。予想通りだ。
「たとえばオークですけど、存在界の本だとほとんど豚の顔をした人間の姿です。オークはそのような姿をとらないのですけど……」
リーゼが読みかけのマンガ本を広げてフランシスに見せた。
確かに私も存在界の本やゲームなどでは豚頭の人みたいなオークを多く見ている。
「それでもある時点からは人間と変わらない姿のオークも登場するようにはなったぞ。まあ、多数派とは言えないだろうし、日本の場合はかなり特殊な気がするが……」
フランシスが説明する。この分野に関しては彼が専門家だ。私よりも彼の回答の方があてになる。
「人間と変わらないオーク、は理解できます。ですが、存在界の人間はどうやって豚の頭というオークを考えついたのでしょうか?」
「……出張組が何かやったのではないか?」
リーゼの質問にフランシスが嫌そうな顔をした。質問が嫌だったのではなく、存在界に行った精霊の行動を想像してのことだ。
「……いくらでも前科はあるし、可能性がない話とはいえないな……」
私もこれには苦笑いするしかなかった。
精霊━━存在界にいる場合は妖精になるが━━彼らが気を遣って行動した結果、精霊に対する誤った認識が人間に広がったという例は枚挙にいとまがないからだ。
「妖精形態だとオークは男女とも人間と変わらない姿です。精霊形態でもそうです。少し筋肉質になりますけど」
リーゼの言葉通り、オークは普通の人間と変わりない姿だ。
存在界で妖精の姿になっているときは精霊のときと比較すると、少し穏やかな外見になるという程度だ。
ちなみにオークは海岸を司る地属性の精霊である。精霊にしては、だが、ストイックな性質な者が多いとされている。
少なくとも存在界のファンタジーものにはその片鱗も無いように思われるが……
「そもそも、自分はオークだと名乗って存在界に行ったオークはいるのだろうか? アイリスは知らないか?」
フランシスがアイリスを巻き込んだ。
存在界に出張している精霊についてなら彼女が詳しいだろう。
「オークとかゴブリンで出張しているのはたくさんいるわよ。彼らは真面目だし、あまりふざける性質でもないから、彼らの存在界でのイメージがどうしてそうなったかは見当もつかないけど……」
幸か不幸かアイリスはこちらの話をすべて聞いていたようで、すんなりと会話に入ってきた。
そういえばゴブリンも精霊界に来て大幅にイメージが変わった精霊だ。
「ゴブリンが闇属性というのは理解できるが、模範とか手本を司る、というのは人間時代には思いつきもしなかったな。今は納得しているが……」
フランシスが苦笑した。
「失礼するぞ。所長はおるかの、ってそこだったか」
突然、店内に頑固そうに見える老人の精霊が入ってきた。
ピタッとしたTシャツにジーパンといったいでたちで、鍛えられた身体を見せつけるかのようだ。
「……ローズル様、何の用事でしょうか?」
アイリスが露骨に嫌そうな顔をした。ということはローズルという訪問者が「移住管理委員会」または「長老会議」の者であることが予想される。
「最近の相談記録を見せるのじゃ。調べたいことがあっての」
「はあ、では案内します……」
アイリスは嫌そうな顔を隠そうともせず、ノートパソコンを広げた。ローズルがアイリスの後ろに移動して画面を覗き込む。
「……アーベル、あれは何の精霊か知っているか? 所長が嫌そうにしているが」
フランシスが小声で尋ねてきた。
「『移住管理委員会』のお偉いさんじゃないか? ローズルといっていたけど、精霊の種類まではわからないな……」
「管理委員会のメンバーなら、存在界では神扱いの可能性があるぞ。ローズル、ってそんな神がいたかな……」
こういうジャンルはフランシスの方が圧倒的に詳しい。
「アーベルさま。ローズル様は原初の精霊です……」
リーゼがそっと私に耳打ちしてきた。
「何じゃ、この絵は? 豚の頭に人の体とは……ああ、人間の描いたものか。冗談で済む話なら良いが、ときには取り返しのつかないことにもなる。困ったものじゃな……」
いつの間にかぬっとローズルが現れてリーゼが広げたままにしていたマンガ本を手に取った。
「何だ、よくある話でロクでもないことを人間に吹き込んだ奴でもいたか?」
フランシスがローズルに問うた。
アイリスが慌ててフランシスの口を塞ごうとしたけど、フランシスの方が少し早かった。
「……ふざけた一部の精霊たちが妖精となって、人間にあることないこと吹き込む、というのはよくある話じゃな。フランシスも相談員ならその手の話を聞いたことがあるじゃろう?」
「え? 何で俺の名前を? 過去に会ったことはないはず……だが」
名乗りもしないのに名前で呼ばれてフランシスがのけぞった。
「『長老会議』の参加者たる者、全相談員の名前と顔は覚えておる。そちらのニンフを連れた男はアーベルだったな。魂霊最初の相談員だったか……」
「ローズルさん、初めまして」
ローズルとは恐らく初対面なので、とりあえず挨拶だけしておいた。
「……ところで先ほど興味深いお話をされていましたね。何か取り返しのつかないことがあって、人間がオークに持つイメージがこのようなものになったのですか?」
ついでとばかりに私はローズルに質問してみた。
「そうじゃ。あくまで報告で聞いた話じゃが……」
ローズルの話によれば、次のようなことになる。
昔、存在界に何十体かのオークが妖精として訪れていた。精霊界に移住し、精霊のパートナーとさせるための調査が目的だったそうだ。
彼らは人間社会に溶け込む必要を感じており、正体を明かして人間と一緒に山にトンネルを掘る作業に従事していた。
あるとき、彼らのうち一体が「有害な何か」が発生している場所を見つけた。
仲間と人間のリーダに「有害な何か」の存在を報告した結果、オークたちは安全を確保するための調査を担当することになった。
一方、人間たちは近くに他の人間を近づけないための監視所を建てて見張りを担当した。
人間よりも妖精形態のオークの方が「有害な何か」に侵されにくいと考えたためだったようだ。
しかし、「有害な何か」は人間だけではなく妖精にとっても有害なものであった。
調査を行っていたオークたちの姿は徐々に醜いそれへと変わっていった。話を聞いた限りでは薬品による火傷の類のように思われる。
影響を受けたオークたちの顔は崩れたブタかイノシシのそれに近かったようだ。
あるとき人間たちの監視を潜り抜けて、外から事情を知らない人間がやってきた。
それに気付いたオークたちは離れるよう訴えたのだが、既に「有害な何か」に侵されていた彼らの言葉は人間に理解できる音にならなかったそうだ。
仕方なく駆け寄って侵入を防ごうとしたのだが、それが襲いかかってくるのと勘違いされたらしい。
命からがら逃げてきた人間は監視所の人間に「化物が出た」と伝えた。
監視所の人間はオークの正体を知っていたので、
「化物じゃない! 危険な場所の調査を担当しているオークだ!」
と答えた。そして、オークの存在を口外しないよう念を押してから逃げてきた人間を解放したそうだ。
だが、念押しの効果はなく、逃れてきた人間は他の人間たちに
「オークという豚のような頭をした人間の化物に襲われた」
と吹聴して回ったらしい。
「……オークと監視所の人たちはどうなったのだ?」
「……フランシスよ、それを聞く覚悟はできておるかの?」
フランシスの問いにローズルは真剣な顔で問い返してきた。
「……俺はそのつもりだが、アーベルもいいか?」
フランシスに真顔で問われて私はリーゼの方をちらっと見た。
リーゼはコクコクとうなずいた。
「ああ、構わない」
リーゼの意思を確認できたところで私はそう答えた。
「オークの方は身体が耐え切れなくなって、続々と精霊界に戻されてきたのじゃ。人の手によって殺められた者も少なくなかったがの」
「……」「やはり……」「そうですか……」
「で、人間の方だが、化物と通じていた、とされて全員火あぶりになったそうじゃ。それ以降少しの間、精霊が正体を明かして人間と接触することは禁じられたのじゃ。禁止が解かれた今でも推奨されておらんがの」
ローズルが遠い目をした。
「もうちょっと明るい話が聞きたいところだ。冗談で済むレベルの」
さすがにこれ以上この話について誰も触れる気にはならず、強引にフランシスが話題を転じた。
その瞬間、アイリスが頭を抱えたが、時すでに遅し。
ローズルは知識が豊富なうえに話好きだった。
六時間以上ローズルの話に付き合わされることになったのだ。
「おっと、あっという間じゃったがそろそろお暇せねばな」
ローズルがそう言って立ち上がった瞬間、皆がほっとした表情になった。
「そうそう、フランシスにアーベル、そしてリーゼよ」
ローズルが話しかけてきたので皆が身構えた。
「長老会議が昔の記録を保管している資料館があるのじゃ。興味があれば行ってみるとよい。皆入れるように手配しておいてやろう。場所は所長に聞いてくれ。それじゃの」
そう言い残してローズルは「ケルークス」を後にした。
付き合わされた皆はぐったりしている。
私とリーゼ、そしてフランシスも長居は無用と「ケルークス」を飛び出した。
帰り道、リーゼはご機嫌だった。
理由を問うてみると、満面の笑みでこう答えてくれた。
「お姉ちゃんや他の皆には申し訳ないけど、寝室以外でアーベルさまを独占できました。他に皆には埋め合わせをしないといけないですけど、今日は楽しかったです」
そうか、楽しんでくれたのならそれはよかった。
正直「ケルークス」にリーゼを連れてきたのは悪いことをしたと思っていたのだが、その言葉に私は救われた。
「ああ、構わないよ。今日は相談所に出勤する日ではないから」
ある朝、カーリンの酒造りの手伝いを終えてリビングに戻ってきたところ、マンガ本を読んでいるリーゼに呼び止められた。
「存在界での妖精の描かれ方に気になる点があります。アーベルさまのご意見をお伺いしたいのです」
リーゼは真剣な表情だ。
存在界での妖精の描かれ方には私も疑問に思う点が多々ある。
精霊界に移住してみてわかったことだが、存在界での精霊や妖精の描かれ方は実態とかなり差がある。
そもそも「妖精」が「存在界にいるときの精霊の姿」または「存在界にいる精霊のこと」を指すなんてことは、精霊界に移住して初めて知った。
それに精霊は基本的に人の姿をとることができる、ということもだ。
「そうだね、だったら『ケルークス』に行ってみるかい?」
「え、アーベルさまの職場ですか? 私は大丈夫ですけど……」
リーゼは首を傾げていたが、私が半ば強引に連れ出して「ケルークス」へと向かった。
「アーベルさまと二人でおでかけできることになるとは思わなかったです」
家を出た後、リーゼが満面の笑みで私の方を見てくれた。この笑顔を見られるだけでも家を出た甲斐があるというものだ。
「失礼します。今日は『ケルークス』の客としてきました」
「あら、アーベル。どうしたの?」
店内に入ると、奥の定位置にいたアイリスが声をかけてきた。相談客はいないようだ。
「フランシスに用事があって来たのですが、今日はまだ来ていませんか?」
「もう少ししたら来ると思うわ。中で待っていたら?」
私はリーゼを連れていつものカウンター席に陣取った。
「あら? アーベル、来てたんだ。今日はリーゼとデート?」
「そんなところ。調べものというか、フランシスに確認したいことがあってね」
注文を取りに来たユーリが私とリーゼを交互に見た。
そして、リーゼに小声で何か話しかけると、リーゼがコクコクとうなずいた。
「アーベル、後でリーゼを少し借りるね」
「わかった」
ユーリがリーゼに用事があるようなので、その前にこちらの用事は片付けておきたい。
三〇分ほどして予想通りフランシスが「ケルークス」に姿を現した。
彼はほぼ毎日新作のチェックを兼ねて出勤している。
「そういうことか。俺にもわからないことが多いが、興味はあるな……」
私とリーゼから話を聞いたフランシスが、身を乗り出してきた。予想通りだ。
「たとえばオークですけど、存在界の本だとほとんど豚の顔をした人間の姿です。オークはそのような姿をとらないのですけど……」
リーゼが読みかけのマンガ本を広げてフランシスに見せた。
確かに私も存在界の本やゲームなどでは豚頭の人みたいなオークを多く見ている。
「それでもある時点からは人間と変わらない姿のオークも登場するようにはなったぞ。まあ、多数派とは言えないだろうし、日本の場合はかなり特殊な気がするが……」
フランシスが説明する。この分野に関しては彼が専門家だ。私よりも彼の回答の方があてになる。
「人間と変わらないオーク、は理解できます。ですが、存在界の人間はどうやって豚の頭というオークを考えついたのでしょうか?」
「……出張組が何かやったのではないか?」
リーゼの質問にフランシスが嫌そうな顔をした。質問が嫌だったのではなく、存在界に行った精霊の行動を想像してのことだ。
「……いくらでも前科はあるし、可能性がない話とはいえないな……」
私もこれには苦笑いするしかなかった。
精霊━━存在界にいる場合は妖精になるが━━彼らが気を遣って行動した結果、精霊に対する誤った認識が人間に広がったという例は枚挙にいとまがないからだ。
「妖精形態だとオークは男女とも人間と変わらない姿です。精霊形態でもそうです。少し筋肉質になりますけど」
リーゼの言葉通り、オークは普通の人間と変わりない姿だ。
存在界で妖精の姿になっているときは精霊のときと比較すると、少し穏やかな外見になるという程度だ。
ちなみにオークは海岸を司る地属性の精霊である。精霊にしては、だが、ストイックな性質な者が多いとされている。
少なくとも存在界のファンタジーものにはその片鱗も無いように思われるが……
「そもそも、自分はオークだと名乗って存在界に行ったオークはいるのだろうか? アイリスは知らないか?」
フランシスがアイリスを巻き込んだ。
存在界に出張している精霊についてなら彼女が詳しいだろう。
「オークとかゴブリンで出張しているのはたくさんいるわよ。彼らは真面目だし、あまりふざける性質でもないから、彼らの存在界でのイメージがどうしてそうなったかは見当もつかないけど……」
幸か不幸かアイリスはこちらの話をすべて聞いていたようで、すんなりと会話に入ってきた。
そういえばゴブリンも精霊界に来て大幅にイメージが変わった精霊だ。
「ゴブリンが闇属性というのは理解できるが、模範とか手本を司る、というのは人間時代には思いつきもしなかったな。今は納得しているが……」
フランシスが苦笑した。
「失礼するぞ。所長はおるかの、ってそこだったか」
突然、店内に頑固そうに見える老人の精霊が入ってきた。
ピタッとしたTシャツにジーパンといったいでたちで、鍛えられた身体を見せつけるかのようだ。
「……ローズル様、何の用事でしょうか?」
アイリスが露骨に嫌そうな顔をした。ということはローズルという訪問者が「移住管理委員会」または「長老会議」の者であることが予想される。
「最近の相談記録を見せるのじゃ。調べたいことがあっての」
「はあ、では案内します……」
アイリスは嫌そうな顔を隠そうともせず、ノートパソコンを広げた。ローズルがアイリスの後ろに移動して画面を覗き込む。
「……アーベル、あれは何の精霊か知っているか? 所長が嫌そうにしているが」
フランシスが小声で尋ねてきた。
「『移住管理委員会』のお偉いさんじゃないか? ローズルといっていたけど、精霊の種類まではわからないな……」
「管理委員会のメンバーなら、存在界では神扱いの可能性があるぞ。ローズル、ってそんな神がいたかな……」
こういうジャンルはフランシスの方が圧倒的に詳しい。
「アーベルさま。ローズル様は原初の精霊です……」
リーゼがそっと私に耳打ちしてきた。
「何じゃ、この絵は? 豚の頭に人の体とは……ああ、人間の描いたものか。冗談で済む話なら良いが、ときには取り返しのつかないことにもなる。困ったものじゃな……」
いつの間にかぬっとローズルが現れてリーゼが広げたままにしていたマンガ本を手に取った。
「何だ、よくある話でロクでもないことを人間に吹き込んだ奴でもいたか?」
フランシスがローズルに問うた。
アイリスが慌ててフランシスの口を塞ごうとしたけど、フランシスの方が少し早かった。
「……ふざけた一部の精霊たちが妖精となって、人間にあることないこと吹き込む、というのはよくある話じゃな。フランシスも相談員ならその手の話を聞いたことがあるじゃろう?」
「え? 何で俺の名前を? 過去に会ったことはないはず……だが」
名乗りもしないのに名前で呼ばれてフランシスがのけぞった。
「『長老会議』の参加者たる者、全相談員の名前と顔は覚えておる。そちらのニンフを連れた男はアーベルだったな。魂霊最初の相談員だったか……」
「ローズルさん、初めまして」
ローズルとは恐らく初対面なので、とりあえず挨拶だけしておいた。
「……ところで先ほど興味深いお話をされていましたね。何か取り返しのつかないことがあって、人間がオークに持つイメージがこのようなものになったのですか?」
ついでとばかりに私はローズルに質問してみた。
「そうじゃ。あくまで報告で聞いた話じゃが……」
ローズルの話によれば、次のようなことになる。
昔、存在界に何十体かのオークが妖精として訪れていた。精霊界に移住し、精霊のパートナーとさせるための調査が目的だったそうだ。
彼らは人間社会に溶け込む必要を感じており、正体を明かして人間と一緒に山にトンネルを掘る作業に従事していた。
あるとき、彼らのうち一体が「有害な何か」が発生している場所を見つけた。
仲間と人間のリーダに「有害な何か」の存在を報告した結果、オークたちは安全を確保するための調査を担当することになった。
一方、人間たちは近くに他の人間を近づけないための監視所を建てて見張りを担当した。
人間よりも妖精形態のオークの方が「有害な何か」に侵されにくいと考えたためだったようだ。
しかし、「有害な何か」は人間だけではなく妖精にとっても有害なものであった。
調査を行っていたオークたちの姿は徐々に醜いそれへと変わっていった。話を聞いた限りでは薬品による火傷の類のように思われる。
影響を受けたオークたちの顔は崩れたブタかイノシシのそれに近かったようだ。
あるとき人間たちの監視を潜り抜けて、外から事情を知らない人間がやってきた。
それに気付いたオークたちは離れるよう訴えたのだが、既に「有害な何か」に侵されていた彼らの言葉は人間に理解できる音にならなかったそうだ。
仕方なく駆け寄って侵入を防ごうとしたのだが、それが襲いかかってくるのと勘違いされたらしい。
命からがら逃げてきた人間は監視所の人間に「化物が出た」と伝えた。
監視所の人間はオークの正体を知っていたので、
「化物じゃない! 危険な場所の調査を担当しているオークだ!」
と答えた。そして、オークの存在を口外しないよう念を押してから逃げてきた人間を解放したそうだ。
だが、念押しの効果はなく、逃れてきた人間は他の人間たちに
「オークという豚のような頭をした人間の化物に襲われた」
と吹聴して回ったらしい。
「……オークと監視所の人たちはどうなったのだ?」
「……フランシスよ、それを聞く覚悟はできておるかの?」
フランシスの問いにローズルは真剣な顔で問い返してきた。
「……俺はそのつもりだが、アーベルもいいか?」
フランシスに真顔で問われて私はリーゼの方をちらっと見た。
リーゼはコクコクとうなずいた。
「ああ、構わない」
リーゼの意思を確認できたところで私はそう答えた。
「オークの方は身体が耐え切れなくなって、続々と精霊界に戻されてきたのじゃ。人の手によって殺められた者も少なくなかったがの」
「……」「やはり……」「そうですか……」
「で、人間の方だが、化物と通じていた、とされて全員火あぶりになったそうじゃ。それ以降少しの間、精霊が正体を明かして人間と接触することは禁じられたのじゃ。禁止が解かれた今でも推奨されておらんがの」
ローズルが遠い目をした。
「もうちょっと明るい話が聞きたいところだ。冗談で済むレベルの」
さすがにこれ以上この話について誰も触れる気にはならず、強引にフランシスが話題を転じた。
その瞬間、アイリスが頭を抱えたが、時すでに遅し。
ローズルは知識が豊富なうえに話好きだった。
六時間以上ローズルの話に付き合わされることになったのだ。
「おっと、あっという間じゃったがそろそろお暇せねばな」
ローズルがそう言って立ち上がった瞬間、皆がほっとした表情になった。
「そうそう、フランシスにアーベル、そしてリーゼよ」
ローズルが話しかけてきたので皆が身構えた。
「長老会議が昔の記録を保管している資料館があるのじゃ。興味があれば行ってみるとよい。皆入れるように手配しておいてやろう。場所は所長に聞いてくれ。それじゃの」
そう言い残してローズルは「ケルークス」を後にした。
付き合わされた皆はぐったりしている。
私とリーゼ、そしてフランシスも長居は無用と「ケルークス」を飛び出した。
帰り道、リーゼはご機嫌だった。
理由を問うてみると、満面の笑みでこう答えてくれた。
「お姉ちゃんや他の皆には申し訳ないけど、寝室以外でアーベルさまを独占できました。他に皆には埋め合わせをしないといけないですけど、今日は楽しかったです」
そうか、楽しんでくれたのならそれはよかった。
正直「ケルークス」にリーゼを連れてきたのは悪いことをしたと思っていたのだが、その言葉に私は救われた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
4
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる