一輪の花

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提案

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「カフウさん、見てください、山が赤く」
「本当だ」
「また、仕事の無い日に、山に出掛けない?おにぎりとか持っていって」
「良いね」
イチナには逮捕状のことを言えないでいた。ただ、もしも、どちらに転んだとしても大丈夫なように万全の対策は施している。

仕事の無い日。残された7日で唯一の日。

小山の中腹でおにぎりを一緒に食べていると、真っ赤に染まった楓の葉がイチナの頭にフワッと乗っかる。
「ん?」
振り向いたイチナと目が合う。
「葉っぱが乗ってた」
「取ってくれたの?」
「うん」
「ありがとう」
君の瞳が、僕を君に夢中にさせる。そんな、臭い台詞が思わず浮かんでしまうくらいに俺の目に写るイチナは綺麗だ。

「イチナ、好きだ」
この思いを今、伝えたい。そんな瞬間を幾度となく俺にくれる。
「どうしたの急に?」
照れるのをちょっと隠しながらそう聞いたイチナ。
「俺と結婚して後悔してない?」
「してないし、するつもりもない」
俺はイチナの方を見た。イチナは微笑みかける。
「そうか」
俺はもしも、イチナの逮捕状が出て、逮捕されるようなことがあれば、離婚を切り出すつもりでいた。離婚をして、ナハンからもらった途中上がりの推薦状をイチナに贈り、イチナの罪を問えないようにする。俺と婚姻関係にあるかぎり、イチナの人生の一部を壊してしまう。イチナを守るためには、それが最良の策だ。途中上がりは未婚の女性が対象。途中上がりをすれば、罪に問われることはない。
「カフウさんこそ、後悔してない?」
「しているわけないよ。これからだって、」
「良かった」
イチナはカフウの言葉をしみじみと噛み締めている。

「イチナ」「カフウさん」
話しかけるタイミングが重なる。
「何?イチナ」
「え?あ、また、今日のことも、大切な思い出になったなって。私、カフウさんと出会ってから、毎日が本当に大切な瞬間まみれに思えてきちゃって」
俺のせいでひどい目にだってあっているのに…

桜も紅葉も美しいものは、どれだけ願おうが時が来れば風に吹かれて、儚く散りゆく定め。ただ、もしも、その大きな自然の摂理に反するものがあるとするならば、それは、人の思い出。思い出だけは、美しいままに残る。
秋の高い空を見上げたイチナ。

「それで、カフウさんは何を言おうとしたの?」
「俺は…」
ダメだ。目を背けてはいけない。
「うん?何?忘れちゃった?」
イチナは隣でそう言って、笑った。
「ううん…」
「じゃあ、教えてよ」
「俺から、ひとつ、提案したいことがあるんだ」
「提案?」
「イチナが逮捕されるかもしれない」
「え?何も盗ったりしてないよ、不正だって」
「そうなんだけど、容疑は脅迫、恫喝、侮辱 だそうだ。それに、逮捕から裁判の時間は取らないらしい。ちょうど一週間くらい前に、俺の先輩が教えてくれたんだ。こういうのが来てるって」
イチナに出したのは、木簡。
「もしかして、罪状札?」
罪状札は管轄区域の犯罪者と容疑者をまとめたリストみたいなもの。まとめて使うことは少なく、一枚ずつ札として取り出して用いる。
「の写しだ」
「私の名前だ…」
呆然とするイチナ。
「裁判が行われなければ、自白があるまで厳しい拷問にさらされるかもしれない。俺は、イチナにそんな目に遭ってほしくない。でも、俺には何も出来ないんだ…」
「そんな…」
「それで、イチナに提案してたいことっていうのは、途中上がり の推薦があるからそれを使わないか?ということなんだ」
「え?でも、それは」
戸惑うイチナ。イチナも推薦条件を知っていたのか。
「そうだ、推薦の対象は未婚の女性」
「嫌だよそんなの!私、カフウと一生、一緒に生きるって決めてるから」
「途中上がりをしたら、罪には問われなくなる。宮中で働く高官の推薦がつくという意味になるから」
「ずっと一緒に居るって言ったのは嘘?」
「そんなわけないよ。でも、俺が、イチナにできる精一杯がこれなんだ。俺は、イチナを守りたい。イチナにだって自分を守ってほしい」
「そんなのってずるい」
うつむいて涙をこぼすイチナ。
「年季が明ければ、もう一度、俺と暮らそう」
ただ、いつに年季が開けるのかは、分からない。王家の人に気に入られたら、そのまま侍女になり、なかなか帰ってこれないなんてことも聞く。王宮での生活は、良いものだと聞く。
「愛する人も守れないくせにって思われたって、でも、それでも、イチナが一番大切だから、イチナと一緒に居る、それだけで全部特別なんだ」
「じゃあ、ずっと待ってるの?」
「待ってる。誰になんと言われたって、ずっと、イチナを想う気持ちと待ってるから、俺と別れてほしい」
変な言葉だ。そんなことは分かっている。イチナだって前の裁判結果で、この逮捕からは逃れられないことを察しているだろう。

イチナは深く考え込む。下唇をギリッと噛む。

幾分ほど経っただろうか。イチナが沈黙の中に身を置く間、カフウはイチナを静かに見守った。

はらりと一枚の紅葉がイチナの手元に落ちた。

「分かった。推薦を受ける…」


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