秀才くんの憂鬱

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出発前 です。

サワの母が です。

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 「少し寄りたいところがあるので、初めにそこへ寄ってもいいですか?」
ユウはそう言って、サワが住む町のある方角を指差した。
「はい、大丈夫です」


 いつもなら、居ても良いであろう農民も外へは出ていない。変な静かさに包まれた農村。
サワの家の前まで来る。
「イチナさんはここに居てください」
コンコンとノックをしてサワを呼ぶ。

「サワ、サワ居ますか?」
呼び掛けても反応がない。何度か呼び掛けて、それでも返事が無いので、ユウは、玄関の引き戸に手をかけた。すると、不用心なことに引き戸は開いた。
「お邪魔します、サワ、ユウだけどちょっと言いたいことがあって」
顔だけ覗かせて、キョロキョロと家の中を見る。なんだろうこの感じ。ものすごく悪いことをしている気分だ。
「いらっしゃらないんですか?えっと、サワさん」
「あぁ、サワは僕の幼馴染みだからしばらく離れることを伝えておきたくて。学校も一緒だから、居ない時の分の勉強も教えて欲しいし」
そんなことをイチナと話していると、バッとサワがとんできた。

「サワ!大丈夫か?」
「ユウ、逃げよ」
サワは、履き物も履かないでユウの手を掴んでただひたすらに家から離れるように走った。イチナも辛うじてついてきてくれた。

徐々に速度を落として、サワは止まった。大きな楠の下にサワは腰を下ろした。唇は真っ青でどうも元気とはかけ離れているようだった。
「どうした?」
「家に」
「家に?」
途切れ途切れで話すサワ。
「変な男が居て」
「変な男?」
「その男が私のことを襲おうとしてきた。金目の物を盗っていって」
サワの手は小刻みに震えていた。よほど、怖い思いをしたと思われる。
「その男、まだ中にいるの?」
「うん、薪でしたたかに殴って気絶した隙に」
「そ、そうか」
そういえば、サワはやたらと腕っぷしが強かったな。いや、でも、怖いものは怖いに決まっている。
「サワさん、お怪我はございませんでしたか?」
イチナはサワに水を差し出した。サワは水を受け取り一口、口に含んだ。
「え、うん。っていうか、誰ですか?」
イチナとサワは初対面である。
「申し遅れました。私はユウ王子に仕える女官であり、ユウ王子がお探しになられている剣を一緒に見つけに行く仲間みたいなものです」
イチナは愛想よくニコッと微笑んだ。
「剣を探してる?ユウと一緒にですか?」
「あぁ、そうだ。僕とイチナさんで。しばらくの間、留守にするからそれをサワに言いにきたんだ。そしたら、急にとんでくるものだから」
サワの顔が真っ青になった。
「家に来た男が言ってたんだ。草薙剣がこの家のどこかにあるはずだって」
「持ってるのか?サワ」
「持ってるわけないよ。草薙剣ってユウが前に借りた本に出てくる宝刀でしょ。それで、知らないって言ったら、教えるまで とか訳のわかんないことを言って家のあちこちを荒らしまくったんだ」
「そうだったのか。サワの両親は?二人は無事?」
そうユウが聞くとサワは泣き出した。それも、小さな子供が泣くように感情を抑えきれなくなって溢れ出した涙。地面に手をつき、俯いてただただ声をあげて泣いている。
ユウはサワの背中をトントンと優しく叩く。「大丈夫?」そんな安い言葉をかけられる雰囲気でもなく、ただただ泣き続けるサワに寄り添う。
「…お母さんが、矢で射られた」
「なぜ、そんな大事なことを…」
思い出せないほど辛い体験なんだ。自ら、言えなくたって不思議じゃない。僕がもっと早くに中に入っていたら良かったんだ。
サワは泣き続ける。地面には大きな雫の跡がいくつも作られていた。その一粒一粒の涙にサワの感情が滲んで見えた。ユウは、その場から居てもたってもいられない気持ちになった。

「イチナさん、サワの側に。僕は、一度、サワの家に行ってきます」
「そんな、待ってください!ユウ王子、まだ、犯人が家の中にいるかもしれないじゃないですか」
「それは、王子である僕の身を案じての発言ですか?僕は、警学校の学生です。それに、親友のこんな姿を見て何も行動を起こせないなんて嫌なんです」
ユウはそうイチナに言うと、サワの家の方へ駆けていく。


 お願いだから、シューさん、カンさん、無事で居てください。


サワの家に着いて、気配の消えた空間が広がる。
ユウのジャリッと靴が地面と擦れる音。

「シューさん、カンさん」
静かに呼び掛けてみる。
音を最小限に、壁に身を潜めつつ、二人を探す。
どうやら、サワを襲ったという男は居ないようだった。
サワが言っていたように、家中のタンスや棚の扉は全開で、床には割られた皿の破片なんかが散らばって、凄惨たる様子だった。
サワの部屋に入った時、目を疑った。そこには、血の水溜まりに身を埋めるカン。背中に6本の矢を受けて、それに重ねるように大きな切り傷が背中についていた。吐き気のするような光景に固まってしまう。カンは弱々しく、顔をこちらに向けることも出来ない様子だった。
「…ゆ、ユウくん?」
「カンさん、待って、今から止血します!」
「…サワ…大丈夫?」
「はい!」
シーツをちぎって、切り傷のところをきつく覆って縛る。なんで、止まらないんだよ。患部を強く押さえる。でも、深さも幅も命を奪うに申し分ないようだった。
「そっか…ユウくん、サワを守って…」
「話さなくて大丈夫ですよ、ちゃんと治したら、サワにもまたいっぱい会えるのに」
カンはそっと目を瞑った。

まだ、助かるよ。大丈夫!僕が助けるんだ。サワにも助かったって言いたいんだ。

必死に処置をしようとしているのに、カンは息を止めた。ユウは、何度も呼び掛ける。でも、反応はない。

 カンの横に死の世界からの遣いが来て、カンを連れ去ろうとする。見えなくたって、そんな感じがした。
「カンさん…」
今まで、何度もお世話になって、僕を本当の息子みたいに大切に扱ってくれた。ユウにとって紛れもなく大切な人の一人だった。


シューは家を仕事で空けていたために被害を受けなかったようだ。

「カンさん、すぐに僕のお母さん呼んできます。きっと、お母さんなら治せます。だから、それまで、待っていてください!」
この状態のカンさんを前にしたのが僕でなく、医学を学んだ母だったら助けていた…
いや、今はそんなこと、どうでも良いんだ。ただ、一刻も早く!


ユウは家を飛び出して、一番近くの薬師局(病院と薬局が併設された施設)にカンを担いで駆け込んだ。

薬師局の窓口には長い列ができていた。皆、疫病に感染しているのか、それが不安で観戦していないという事実を求めてやってきているのか定かではないが、ユウは悠長に並んでいる時間など無いと判断を下し、先頭に割り込んだ。
「ちょっと、列の最後尾に…」
窓口の女は目を丸くした。そこには、血まみれの女性を背負う若い男性。驚くのも無理はない。
「大ケガを負っている女性をすぐに手当てしてください!」
「す、すぐに、薬師を呼んで参ります」
薬師が走ってやってくる。

 そして、薬師は窓口の前のその場で、カンの脈を測った。それから、呼吸を確認する。最後に、口内を刺激し唾液の分泌がないことを確認した。
「亡くなっています」
放たれた言葉に反応が遅れる。
「そんな…すみません、僕」
「君は、彼女の息子かい?」
「いえ、カンさんの家族、呼んできます」
やけに冷静で居られたのは、心のどこかで未だに他人事に思えるから。


ユウは、サワがいる木の元まで向かった。
「ユウ王子!」
「ユウ、お母さんは?無事だよね。ねぇ!」
サワは僕の目を見て、必死に訴えた。でも、僕は首を横に振った。それで全てを悟ったであろうサワ。
 
サワは、立ち上がって、ユウの襟元を掴み上げた。イチナは慌てて制止しようとするが、サワは止めなかった。みるみるうちに歪む、サワの親譲りの端整な顔。

「なんで、どうして、お母さんがそんな目にあわないとダメだった?私たちは何か、悪いことをしたのか?」
目いっぱいに涙を浮かべたサワ。
 セミの声も、木の葉の影も、ぬるったい風も全てが無になり、サワの悲痛な叫びだけが、僕の鼓膜を震わせた。たとえ、ここでどんな言葉をかけたところで、きっと、サワの気持ちの一粒も僕には計り知れない。
「僕が、もっと早くに中に入っていたら」
「ユウのせいじゃない。ただ、私が弱かったんだ」
サワは、襟から手を離した。
サワは、警学校きっての体術の腕を誇る。女子だからと男子に劣ることはない。まして、素人相手に負けるわけがない。でも、怖かった。大切な存在を守れなかった。
 サワの目に溜まった涙は、止めどなく溢れ出した。

「サワ、カンさんに会いに行こう」




サワを連れて、カンが眠る薬師局の奥の部屋へ。
死亡したと口にした薬師は俯く。
呼び掛ければ起きそうだ。でも、事実は残酷で、サワが何度、呼び掛けようとカンが目を覚ますことはなかった。かけられた白い布には、ジワッと血が滲む。
サワは、母の手を握り、謝った。

 ユウは居たたまれなくなって、部屋の外に出た。
「ユウ王子」
後を追ってきたイチナ。
「どうしたんですか?」
「凄く辛そうで」
「そうでしょうね。サワは、小さい頃から、お母さんと仲が良くて、お母さんっていうのはサワにとって多分一番大事な人だと思います」
「ユウ王子も」
「…辛いですよ。亡くなったことも、サワが辛いのも、全部、目を背けたくなる現実です。でも、サワを前に僕が悲しいとか辛いとか言えた立場じゃありません」



しばらくして、サワが出てきた。
「サワ、」
「良いんだ。もう」
「本当に、そんな風に言えるのか?」
「思ってないよ。でも、お母さんが言ったんだ。サワは前を向いてって」
「そうか…」

サワは、一人で歩きだそうとしていた。

でも、その実、サワはユウに背を向けて肩を震わせていた。
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