逆算方程式

双子烏丸

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起こるアクシデント、そして悲劇

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 しかし、そんな時に事件が起きる。
 それは最後のワープを抜けた時だった。
 抜けた後すぐに、船は小惑星帯に突入した。あまりにもすぐであった為に、避ける暇も無かった。
 今までにもそうした経験があったライゼルは、簡単に小惑星帯を脱出したが、問題はその後だった。
 脱出して、しばらく経過した後、操縦室のメータに表示されている酸素量が、急激に低下し始めていた。
 原因は……、酸素タンクに穴が空き、そこから空気が漏れ出したからだ。恐らく、小さな小惑星の欠片が、高速でぶつかったせいだった。
 急いで、ライゼルはタンクの穴を塞いだ。
 だが残っている酸素量は、もう少なかった。
 この地点で最も近い惑星は、本来の目的地であるエクスポリス。酸素量は、そこまででさえも、ライゼルとクゥ、二人分の量が足りなかった。
〈……酸素が、足りないようね〉
「ああ」
 ライゼルはモニター越しに、ミーシャにその報告をしていた。
〈クゥは、今どこにいるの?〉
「……部屋にいるさ」
〈不測の事故における最悪の場合、船員は乗客と船員自身の生命を最優先するべし……、これは宇宙航行の大原則。そしてクゥは乗客ではなくて、あくまで『積荷』。言いたい事は、分かるわね〉
「もちろん、分かっている」
 ライゼルは了解した。
 そして彼は、操縦室を出た。
 


 ライゼルは、クゥの部屋にいた。
 彼の手元にあったのは、何かの薬品が入っている、注射器である。
 部屋には、クゥが待っていた。
「……すまない。俺の為に、こんな事になって……」
 彼は、そう彼女に言った。
「ライが謝る事は無いよ。もう、決めた事だから」
「そうか……。準備は、いいか?」
 クゥは、黙って右の手首を差し出す。
 手にした注射器の、その針を、ライゼルはクゥの手首に刺そうとした。
 だがその手は、震えている。
 彼は注射器の針を、刺せないでいた。
「……僕が、やるよ」
 その様子を見ていたクゥは、いきなりライゼルから注射器を奪い取ると、自分で手首に針を刺した。
 彼女は、全身から力が抜けたかのように、崩れ落ちた。
「そんな! クゥ!」
 ライゼルはクゥの身体を支えた。
 そして彼はゆっくりと、彼女を床に横たえる。
「変だね、何だか……力が入らないんだ。体も、寒いよ」
 クゥの手を、ライゼルが両手で握りしめた。するとその手が、冷たくなっていくのが分かった。顔色もからも、血の色が引き始めている。
 金色に輝く翼は、その輝きを失いつつあり、翼の先端から灰色になっていく。そして灰色になった翼からは、羽根がぼろぼろと抜け落ちる。
「安心しろ。俺が、傍にいるから」
 ライゼルは、今にも泣きそうな顔をして言った。
 それとは対称的に、クゥは、笑顔を浮かべていた。
「へへっ、嬉しいな。ライが隣にいてくれて」
 彼女の声は、とても弱々しかった。
 目蓋は、段々と閉じていく。
「僕は……ライの事が……好き。……とても……大好きだよ……」
 その言葉を最後に、クゥは瞳を閉じ、意識を失う。
 ライゼルが握るその手からは……もう温もりは感じられなかった。



「……それが、この事故の一部始終だ」
 ライゼルは、ついに一ヵ月半の航海を終え、惑星エクスポリスの宇宙港に到着した。宇宙港の周囲は、高層ビルに囲まれ、エアカーが無数に飛びかっている。
 既に三人の内、生物科学者と美術商には積荷を渡し終えた所だ。
 残るは、ゲルベルト重工の会長の積荷であったが……。
 宇宙船の傍には、ライゼルと、会長のゲルベルトとその取り巻き、そして状況説明の為に、ミーシャも急きょ宇宙タクシーを借りて、エクスポリスを訪れていた。
 ゲルベルトは傲慢な顔つきの、中肉中背の初老男性である。
 そしてクゥは、宙に浮かぶ機械のカプセルの中に横たわっていた。透明な蓋から見える、彼女の顔は青白く、灰色になった翼は枯木の様に干からび、羽根も殆んど抜けていた。
 ライゼル達二人が説明し終わると、ゲルベルトはカプセルの中のクゥを見て、呻き声を上げた。
「これを作る為に、金を幾らつぎ込んだか……。こうなっては、全て台無しだ。それもこれも……」
 ゲルベルトはライゼルを指差す。
「箱を開けるなと言った筈なのに、お前が勝手に箱を開けたせいだ! 好奇心で中身を調べ、その上、情が移って積荷を愛するなんて、運び屋として失格だと思わないかね?」
「……理解している」
 彼の反省に対して、ゲルベルトは嫌味たっぷりに言う。
「はっ! クローンと三流運び屋の恋! 私のコレクション趣味だけで作った、たかがクローン如きに愛を抱くなんて……お笑いだな」
 クゥを侮辱したゲルベルトの言葉に、ライゼルは逆上した。
「貴様っ!よくも……」
 そんな彼を、ミーシャは制した。そしてゲルベルトに言った。
「それは違います、ゲルベルトさん。箱を開けようが開けまいが、事故が起これば中の生物を、始末しなければいけませんでしたから。宇宙事故においては、積荷より乗員の命を優先する必要がありますからね。勿論、それは宇宙航行におけるルールですから、事故におけるこちらの責任はありません」
 冷静な声で、ミーシャは続ける。
「彼の非は認めましょう。積荷の固定を怠りロック装置を破壊し、好奇心で箱を覗いて開けた事、更に積荷に情が移った事もです。何より彼は、まだ運び屋として未熟でした。その点については謝罪します。しかし、貴方が積荷の中身を『凶暴な生物』と偽った事にも、問題があるのでは? 初めから積荷の事を正直に伝えていれば、未熟な彼では無くて、別の人間に任せましたのに……」
「……ちっ!」
 ゲルベルトは、何も言い返せなかった。
「駄目になってしまった積荷は、当社の規約通り、責任持って処分致します。よろしいですか?」
 ミーシャの言葉に対し、苦々しくゲルベルトは頷いた。
「好きにしろ。もう、それには何の価値も無いからな」
 そして彼女は、傍にいるライゼルに言う。
「用は済んだわ、帰るわよ。…………クゥも一緒にね」
 ライゼルは、物言わぬクゥの入ったカプセルを押しながら、ミーシャと共に宇宙船へと戻る。
 屈辱的な表情を浮かべて立ち尽くすゲルベルトに、ミーシャは振り向くと、こう言い残した。
「確かに積荷……いえ、クゥは『凶暴な生物』では無かったわ……。貴方の欲望で生み出された、可哀相な女の子よ」
 ミーシャ達は宇宙船に乗り込み、エクスポリスを去った。

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