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慟哭という漢字が読めない悪役令嬢
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今回もタイトルと関係ないただの読書感想文です。ごめんなさい
私は、以前から野生動物と人間の関わりについて興味があった。この本を手に取ったのは、そのことを知っている母が私に勧めたからである。しかし、正直最初はこの本を読むことに抵抗があった。ヒグマが多くの人間を食害する様子を生々しく描いた文章を読むことが怖かったからである。表紙のクマが鋭い歯を見せ大きな口を開けている写真や帯に書かれた
『バリバリ、コリコリ、生々し過ぎて話題沸騰』
という言葉を見るだけで、私は背筋が凍るような思いだった。しかし、私がこの本を読むことをためらったのは、怖かったからだという理由だけではない。私は動物が好きだ。それは、ヒグマも例外では無い。その好きな動物が人を襲い、殺す姿を知ることは私にとって辛い事だった。だから、以前の私はこの史上最悪のヒグマ襲撃事件から目を逸らしていた。そんな私がこの本を読むきっかけになったのは、あるテレビ番組で他のヒグマによる獣害事件、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件を見た事だ。それは私の予想通り目を背けたくなるような内容だった。しかし、私はその事件は未然に防ぐ事も出来たのではないかと思った。人間にもっとクマに関する知識があれば被害者は出ずに済んだかもしれない。クマも殺されずに済んだかもしれない。このまま過去の事件から教訓を得なければ、また被害者が出てしまうかもしれない。そう思うと、この本を読まずにはいられなかった。
実際に起こった史上最悪の獣害事件、北海道三毛別ヒグマ事件を体験者の証言をもとに生々しく描いたこの本の前半は私の想像よりも遥かに悲惨なものだった。特に妊娠中だった被害者タケがヒグマに喰われながらお腹の子を守ろうと必死に
『腹割らんでくれ!腹割らんでくれ!』
『喉食って殺して!喉食って殺して!』
と叫び続ける場面は、この本を読むにあたってそれなりの覚悟をしていたつもりだった私も思わず目を背けたくなった。女の人ばかり狙う、人間以外の動物には興味を示さない、同じ家ばかりに現れる、被害者の葬式にまで現れるなどするクマを被害者の関係者の人が、怖がる人間を嘲笑っている悪魔だと思っても無理はないと思う。しかし、実際にはクマは人を嘲笑っている訳ではなく初めてに殺して味をしめた人や家ばかり狙ったり、殺した獲物を所有物だと思い異常に執着するという本能に従って行動しているだけだ。それを当時の人々達が理解していれば、8人もの死者が出ることは無かっただろう。三毛別の事件もテレビで見た福岡大学ワンダーフォーゲル部の事件と同じく、人の無知が呼んだ事件だった。クマに対する正しい知識が重要だということは、このクマの最期によく現れていると思う。村人総動員で討伐隊を組んでも殺せなかったこのクマを最終的に殺したのはたった1人のマタギが放ったたった2発の銃弾だった。マタギのクマの行動パターンを予測する知識と急所に正確に銃弾を撃ち込む技術があったから出来た事だった。この事件から100年以上が経つ現在もクマによる事件は繰り返されている。
私がこの作文を書いている最中にも札幌でヒグマが住宅街を歩き回るという事件が起きた。幸いにも被害者でず、そのクマは駆除された。ニュースでは住民の人達の安堵の声が放送された。しかし、本当にこの事件はそれで解決だろうか。今後何の対策もなされなければいつかまたクマは現れるだろう。誰も負傷者や死者が出なかった今回の事件を何の被害も無かったと考える人だと思う人もいるだろう。しかし、私にはそうは思えない。食べ物を求め、ただ生きる為に住宅街に現れたクマが命を失った事を忘れてはいけない。また農作物の被害もある。本当の最善はクマが人の住む場所に現れない事ではないだろうか。
クマと人間の共存は不可能なのだろうか。ニホンオオカミはクマと同じように人間を襲う動物だった。狂犬病に感染するということもあり大量に駆除され、終には絶滅してしまった。このままだとクマもニホンオオカミの二の舞になってしまうかもしれない。何か方法はないかと探す中で、私は人間と野生動物の軋轢を失くす為の研究をしている大学教授の存在を知り、その人が務める帯広畜産大学のオープンキャンパスを訪れ、実際に本人から研究について聞かせていただいた。その先生はいたずらに人に害のある動物を駆除するのではなく、動物の研究をしその性質を生かして人と動物を近づけない方法を模索していた。
この本を読む事に最初は恐怖心もあったが、今は読んで本当に良かったと思っている。読まなければずっと目を逸らし続け人間と野生動物の軋轢を失くす研究の存在も知る事が無かっただろうし、札幌のクマの事件も気に留めることは無かっただろう。もうあの事件を実際に体験した方でご存命の方はいらっしゃらないが、この本から生々しいほどに過去の出来事を知ることが出来る。私が本の最期の
『この衝哭の谷は、深い山の中の、昔の話でない。』
『だからこそ、私たち読む者の喉元に凄まじい恐怖を突きつけるのだ。』
という言葉を忘れることはないだろう。
私は、以前から野生動物と人間の関わりについて興味があった。この本を手に取ったのは、そのことを知っている母が私に勧めたからである。しかし、正直最初はこの本を読むことに抵抗があった。ヒグマが多くの人間を食害する様子を生々しく描いた文章を読むことが怖かったからである。表紙のクマが鋭い歯を見せ大きな口を開けている写真や帯に書かれた
『バリバリ、コリコリ、生々し過ぎて話題沸騰』
という言葉を見るだけで、私は背筋が凍るような思いだった。しかし、私がこの本を読むことをためらったのは、怖かったからだという理由だけではない。私は動物が好きだ。それは、ヒグマも例外では無い。その好きな動物が人を襲い、殺す姿を知ることは私にとって辛い事だった。だから、以前の私はこの史上最悪のヒグマ襲撃事件から目を逸らしていた。そんな私がこの本を読むきっかけになったのは、あるテレビ番組で他のヒグマによる獣害事件、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件を見た事だ。それは私の予想通り目を背けたくなるような内容だった。しかし、私はその事件は未然に防ぐ事も出来たのではないかと思った。人間にもっとクマに関する知識があれば被害者は出ずに済んだかもしれない。クマも殺されずに済んだかもしれない。このまま過去の事件から教訓を得なければ、また被害者が出てしまうかもしれない。そう思うと、この本を読まずにはいられなかった。
実際に起こった史上最悪の獣害事件、北海道三毛別ヒグマ事件を体験者の証言をもとに生々しく描いたこの本の前半は私の想像よりも遥かに悲惨なものだった。特に妊娠中だった被害者タケがヒグマに喰われながらお腹の子を守ろうと必死に
『腹割らんでくれ!腹割らんでくれ!』
『喉食って殺して!喉食って殺して!』
と叫び続ける場面は、この本を読むにあたってそれなりの覚悟をしていたつもりだった私も思わず目を背けたくなった。女の人ばかり狙う、人間以外の動物には興味を示さない、同じ家ばかりに現れる、被害者の葬式にまで現れるなどするクマを被害者の関係者の人が、怖がる人間を嘲笑っている悪魔だと思っても無理はないと思う。しかし、実際にはクマは人を嘲笑っている訳ではなく初めてに殺して味をしめた人や家ばかり狙ったり、殺した獲物を所有物だと思い異常に執着するという本能に従って行動しているだけだ。それを当時の人々達が理解していれば、8人もの死者が出ることは無かっただろう。三毛別の事件もテレビで見た福岡大学ワンダーフォーゲル部の事件と同じく、人の無知が呼んだ事件だった。クマに対する正しい知識が重要だということは、このクマの最期によく現れていると思う。村人総動員で討伐隊を組んでも殺せなかったこのクマを最終的に殺したのはたった1人のマタギが放ったたった2発の銃弾だった。マタギのクマの行動パターンを予測する知識と急所に正確に銃弾を撃ち込む技術があったから出来た事だった。この事件から100年以上が経つ現在もクマによる事件は繰り返されている。
私がこの作文を書いている最中にも札幌でヒグマが住宅街を歩き回るという事件が起きた。幸いにも被害者でず、そのクマは駆除された。ニュースでは住民の人達の安堵の声が放送された。しかし、本当にこの事件はそれで解決だろうか。今後何の対策もなされなければいつかまたクマは現れるだろう。誰も負傷者や死者が出なかった今回の事件を何の被害も無かったと考える人だと思う人もいるだろう。しかし、私にはそうは思えない。食べ物を求め、ただ生きる為に住宅街に現れたクマが命を失った事を忘れてはいけない。また農作物の被害もある。本当の最善はクマが人の住む場所に現れない事ではないだろうか。
クマと人間の共存は不可能なのだろうか。ニホンオオカミはクマと同じように人間を襲う動物だった。狂犬病に感染するということもあり大量に駆除され、終には絶滅してしまった。このままだとクマもニホンオオカミの二の舞になってしまうかもしれない。何か方法はないかと探す中で、私は人間と野生動物の軋轢を失くす為の研究をしている大学教授の存在を知り、その人が務める帯広畜産大学のオープンキャンパスを訪れ、実際に本人から研究について聞かせていただいた。その先生はいたずらに人に害のある動物を駆除するのではなく、動物の研究をしその性質を生かして人と動物を近づけない方法を模索していた。
この本を読む事に最初は恐怖心もあったが、今は読んで本当に良かったと思っている。読まなければずっと目を逸らし続け人間と野生動物の軋轢を失くす研究の存在も知る事が無かっただろうし、札幌のクマの事件も気に留めることは無かっただろう。もうあの事件を実際に体験した方でご存命の方はいらっしゃらないが、この本から生々しいほどに過去の出来事を知ることが出来る。私が本の最期の
『この衝哭の谷は、深い山の中の、昔の話でない。』
『だからこそ、私たち読む者の喉元に凄まじい恐怖を突きつけるのだ。』
という言葉を忘れることはないだろう。
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