淫紋付きランジェリーパーティーへようこそ~麗人辺境伯、婿殿の逆襲の罠にハメられる

柿崎まつる

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淫紋付きランジェリーパーティーへようこそ~麗人辺境伯、婿殿の逆襲の罠にハメられる

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 ハーディ王国の都ハーディスティニーのとある屋敷で、今から夜会が始まろうとしていた。
 闇夜にそびえたつ大きな邸宅に、続々と乗りつける豪奢な馬車。迎える数多あまたの使用人。ほかの夜会と違うのは、真冬でもないのに女性客がみな全身を覆い隠すクロークやケープを纏っていることだ。

 ローテ女辺境伯は黒い毛皮のロングケープをたぐり寄せながら、重い腰を上げる。人生で初めて履く八センチのピンヒールも歩きにくいし、軍服着用ではないので帯剣もできない。そのうえ、蝶の形のアイマスクも視野を狭めていた。顔はばっちりメイクされ、爪もボルドー色にこてこてに塗られている。これだけで充分不快だが、彼女はそれ以上のものをケープの下に抱えていた。
 
「俺につかまって、閣下」

 先に馬車を降りた夫が、エスコートしてくる。金髪に碧い瞳、アイマスクの上からでもわかる柔らかい笑みが夜目にもまぶしい。辺境伯の伴侶は彼女より七つ年上の二十九歳で、半年前にすったもんだの末、傭兵の身から婿入りした。高い鼻梁、秀でた額、日焼けしてもすぐに戻る白い肌。百八十センチを超える長身で常の鍛錬で鍛えられている一方、その優雅な身のこなしと着痩せする体質のせいで華やかな印象を抱かせる。燕尾服姿がまるで、どこかの王族のようだった。
 辺境伯はヘーゼルブラウンの髪を物憂げにかきあげた。

「本当に、アーチボルトがこの屋敷に居るんだろうな。ガセネタだったら、覚悟しておけよ。わたしにこんな無様な格好をさせた報いは必ず受けてもらうからな」

 妻の憎々しげなセリフに、エイルマーが苦笑を浮かべる。

「それは怖いね。閣下の剣のさびにされるには、俺にはやり残したことが多すぎる。閣下の麗しいドレス姿を思う存分愛でたいし、閣下とチークダンスも踊りたい。なにより、まだ閣下の寝室に入る許可を頂いてないからね」
「何度も言わせるな、わたしに二言はない。わたしがドレスをまとうことはないし、お前と踊ることもない。最後の件についてはもってのほかだ。だいたい、大の男がいつまでも小さなことにこだわるな」
「夫婦にとっては大事なことだよ。初夜までは俺の好きにさせてくれたのに、どうして突然方針転換したの?」
「……わたしのやることにケチをつけるな」
「確かに、閣下はローテ辺境伯領の歩く法律だけど、俺としては今すぐこの場で了解したほうがいいと思うよ」
「断る。しつこいぞっ」

 取り付く島もない妻の態度に、彼は口をとがらせた。

「穏便に済ませる最後の機会だったのになぁ」

 夜風に流れたそのセリフは、慣れないヒールに苦戦する辺境伯の耳に届くことはなかった。

「ようこそいらっしゃいました。ライブレートご夫妻」

 ホールで案内係に招待状を渡すと、「レディ、ケープをお預かりします」と若いボーイが話しかけてきた。辺境伯は突然、奇声を上げる。

「なんだと? わたしにこれを脱げというのかっ!? 無礼な奴め!」

 獰猛なヤマネコのような美女の挙動に、周囲がざわめいた。

「なんだ、あれ? ここがどこか知らずに来ているのか?」
「あの殿方、良い身体をしてきっとハンサムに違いないのに、残念な女を連れているわね。もったいないわ」

 背後に回ったエイルマーがため息をつきながら、妻の口を押さえた。

「ふがふが、ふがふが(どけ、たわけ者が!)」
「今日はランジェリーパーティって、何度も説明したよね?」

 紳士社交倶楽部が催している夜会は、資産や身分において厳しい条件を満たした男性会員しか参加できない。しかし、今晩だけはランジェリー姿の女性を伴わずにはその会員すらも入場できない決まりになっていた。現に、辺境伯以外の女性はあたかもなかに高級ドレスを纏っているかのごとく、しとやかに防寒着を肩から滑らせているではないか。

 夫の言うとおり、ここで注目を浴びては目的の男を探しだすことができない。──わかってはいるが、この屈辱に耐えられるかどうかわからなかった。辺境伯は、唇が切れるほどかみしめる。

「さあ、閣下。ケープを俺に渡して」
「いやだ」
「子どもじゃないんだから、観念してよ。ここで不自然に目立つのはやめてほしいんだけど」

 辺境伯は周囲を見回すと、追い詰められた顔で夫を見上げた。

「どうしてもか?」
「どうしても。ここまで来たのに手ぶらで帰ったら、君の家来たちになんて説明するの? まあ、俺はどっちでもいいんだけど」
「……このくそ野郎。いつか殺してやる」

 彼女が悪態をつきながらケープを剥ぐと、エイルマーがひゅぅと口笛を吹く。
 ボルドーのベビードールとセットのショーツ。絹モスリンの透ける素材にミルクティカラーのレースがふんだんに付けられ、胸元にはレースと同色のリボンが可憐に飾られている。ショーツは前面こそベビードールと同じ柄だが、サイドを二本の黒い紐でつなげてあり、後ろ側は完全なTバックになっている扇情的なデザインだ。

「わぉ、セクシーにしてキュートだね!」

 彼女は長い髪で胸元を隠し、なおかつ胸とおなかの上でベビードールを握りしめる。裾が持ち上がってかえって平らな腹部まで見えていたが、そんなことに気付く心境ではないようだ。
 強靭な肉体を作りあげる前に、肉体強化の魔術を会得した辺境伯の体は意外にも女性的だ。メリハリのある肢体をフェミニンな下着で包み、引き締まった長い脚がこの造形美を完璧なものに作り上げていた。

「うん。いいね。期待以上の出来だ。マダムベティに注文をねじ込んだ甲斐があるよ」

 王都で一番流行りのブティックの名を挙げて、エイルマーが存分に鼻の下を伸ばした。

「気色悪い目で見るな」

 苦虫を嚙み潰したような顔で太腿をすり合わせる辺境伯の前で、長い人差し指がチッチッチッと左右に振られる。

「恥ずかしがるのも可愛いけれど、この場に来る女性客のほとんどは、高級娼婦なんだ。堂々としていないとかえって目立ってしまうよ。さあ、いつもの君らしくして?」
「うるさいぞ」
 
 しかし、そうまで言われては歴史ある大貴族の沽券にかかわるというもの。持ち前の負けん気で颯爽と歩き始めた辺境伯である。

「レディ、紋をお入れ致します。お進みください」

 ボーイの言葉に床の魔法陣を踏むと、緑色の光が周囲を彩りつむじ風を起こしながら彼女を包み込む。ベビードールにつけられたリボンがふわっと浮いた直後、下半身に熱を感じた。

「なんだ、これは?」

 気が付けば、下腹したばらにはなにやら黒い紋が施されていた。その意味を読み取ろうと自分の腹を覗き込む彼女の手をエイルマーが握る。

「帰りにまた魔法陣をくぐれば消える仕組みだから、安心してよ」
「ふん。あいつを捕まえて、さっさと引き上げるぞ」

 パーティ会場に入るとほの暗いムーディな照明の下、夜会なのに踊るスペースはなく、しゃれた椅子やらベッドやらで大広間が埋め尽くされていた。
 辺境伯は、口を開けたまま固まる。

「なん、なんだ、これは……っ? おい! おまえ、わざとわたしに伏せて連れてきたな?」

 夫のタイを掴んで恫喝し、無駄に整った顔を容赦なくつねった。
 大広間の至る所で、カップルたちが睦みあっている。寄り添ってキスを交わす程度ならまだしも、下着姿のパートナーにのしかかる男性、椅子に手をついて背後から犯される女性、なかには二人の女性から攻められる男性までいた。

「痛い、痛い。乱暴はやめてよ」
「私の目と耳を汚した罰だ、このまま一発殴らせろ」
「先に言ったら来なかったでしょ?」
「当たり前だ、誰が来るか! 後で見ておけよ。例のあいつと一緒にハチの巣にしてやる」
 
 睨みつけてくる妻を怖い怖いと言いながら全くそうではない顔が、ふと違う方角に向けられる。

「あ、知り合いがいるから少し話してくるね。君はそこに座っていてよ?」

 辺境伯は片手で顔を覆ったまま、早くいけと手をそよがせた。

「それから、絶対にここから離れちゃだめだよ」
「なんでもいいから、早く用事を済ませてこい」

 彼女は夫を見送ると早速、脚と腕を組んで外からの情報を遮断した。だが、淫行にふける男女の笑い声や嬌声がどうしても耳に入ってくる。そのうえ、全方面からしげしげと体を見られて、落ち着かない。ケープを脱いだ時から他人の視線をやけに感じていたが、エイルマーが席を外してからそれが露骨になった。
 
 ──気持ち悪い。

 生け捕りにされた捕食者の気分だ。気を抜いた途端喉元に牙を立てられ、果ては骨まで噛み砕かれそうな気がする。こんな視線を浴びるのだったら、貴族の集会で化け物を見るような目で恐れられる方がよっぽどましだ。

 ──あいつを捕まえるまでの我慢だ。

 アーチボルトは、ローテ辺境伯の武器の倉庫番だった男の名前だ。だったというのは、厳重に保管してあった開発したばかりの対モンスター用騎兵銃を盗んで逃亡したからだ。アーチボルトは王都に逃げたが、ちょうど辺境伯夫妻も王都に滞在中だった。今朝、エイルマーはその男がとある紳士社交倶楽部が所有している屋敷に潜伏している情報と共に、どんな手段を使ったのか今晩の夜会の招待状を手に入れてきたのだ。

 ──何が紳士社交倶楽部だ、本物の紳士が聞いてあきれるぞ。

 辺境伯は、こみあがる怒りをアイマスクの下でかみ殺す。ふと、隣のテーブルから聞き覚えのある声がした。

「レディ、お飲み物をどうぞ」

 薄い頭髪に、ずんぐりとした体型の五十代の男だった。ウエイターは、客と区別するために仮面をつけていない。

 ──アーチボルト!

 すぐにエイルマーを探したが、そこで自分が目にしたものに驚いた。真っ赤な巻き毛の背の高い女性が夫の肩に手をまわし、夫は彼女の黒いドレスの腰を抱いていたのだ。女性の招待客はみなランジェリー姿なので、その人物が特別な人間なのは明らかだった。

 ふと、エイルマーの肩越しに女性と目が合う。つけまつげと濃いメイクのなか、グレイの双眸が妖艶に細められた。まるで年上の女性が小娘をからかう視線だった。
 モヤっとした辺境伯は、エイルマーの存在を無視することにする。アーチボルトを捕まえるチャンスを無駄にする気はない。だいたい、エイルマーは妻の目の前で、ほかの女性の腰を抱くとはどういうつもりなのか。辺境伯はもともと怒り心頭だったが、今やそのイライラはピークに達していた。

「待て、おまえっ!」

 相手が使用人用の小さな扉を開けたところで、呼び止める。

「どうなさいました? お客様。道に迷われたのですか?」

 アーチボルトは恭しく頭を下げたが、辺境伯の姿に気が付くとあからさまに好色な目付きになった。

 ──わたしが誰か、気が付いていないのか。

 アイマスクを付けているとはいえ、もとのあるじに気が付かないとは許しがたい。こんな男、剣はなくとも拳で充分だ。彼女はヒールのまま地面を蹴って、アーチボルトと距離を詰める。

「うわぁっ!?」

 間髪入れず軸足を回転させ、男の脇腹にすねをめり込ませた。アーチボルトは大きな音と共に、床に転がる。

「お客様! なにをなさいますかっ」
「おい! アーチボルト、しっかりしろ!」

 部屋の中に居たのは、休憩中のウエイター二人だった。薄暗い部屋の中で、テーブルの上のガラス瓶が鈍く光っている。
 辺境伯はヒールを鳴らしながら、ゴキッ、ゴキッと指の関節を鳴らした。仁王立ちになり、彼らを見下ろす。

「どけ。わたしは、そいつに用がある。ケガをしたくなければ下がっていろ」

 ふたりは突然現れたランジェリー姿の美女に圧倒された様子だったが、慌てて立ち上がった。

「なんだとぉ、この半ケツ女!」 
「何しにきやがった!?」
「……どうやら、まとめて始末されたいようだな」

 片側の口の端をピクピクさせた彼女は、くいっと人差し指と中指を内側に曲げ挑発する。

「この野郎っ!」

 早速殴りかかってきた男の拳をかわし、足を踏み込んで相手の顎にストレートを見舞う。頭がぐらりと揺れた瞬間に、回転をかけて軸足を立たせ、相手の首に自らの脛を打ちこんだ。男は衝撃に横倒しになり、床にたたきつけられる。右足を下した辺境伯は顔色一つ変えず、その肩にピンヒールをめり込ませた。

「ぐふっ」
「気をつけろ! この痴女、見かけだけじゃないぞ!」

 倒れていたはずのアーチボルトが、肩を押さえて立ち上がる。辺境伯はそれを見て、けげんな表情を浮かべた。

 ──普段より、攻撃のダメージが少ない?

 彼女は敵を攻撃するとき、肉体に魔力を巡らせてその威力を高めている。本来であれば、先ほどの攻撃でアーチボルトは失神しているはずだ。つまり、辺境伯の身体を魔力が正常に巡っていないのだ。思い当たるのは、下腹したばらの紋しかない。紋で魔力を封印されたことに気付いたが、後戻りはできない。
 二人目の男が、前かがみで突っ込んできた。それを紙一重でかわし、相手の腕をつかんで正面を向かせる。鳩尾に膝を打ち込んだ。

「ゴホッ」

 衝撃に身体を丸めた男は、そのまま床に転がった。苦痛に顔をゆがめているが意識はある。辺境伯は自分の右手を見おろした。指の付け根から第一関節まで赤く腫れている。キックした右膝もじんじんと痛んだ。

「くたばれっ、このあま

 アーチボルトが椅子を持ち上げて、襲い掛かってくる。一瞬で気持ちを切り替えた辺境伯が右、左と避けると風圧でベビードールのリボンが舞った。

「ちょこまかと逃げやがって!」

 キレたアーチボルトが部屋の壁に椅子を叩きつけた。ガシャン! と音を立てて椅子の脚が折れる。辺境伯は飛んできた木片を腕で払ったが、その瞬間足元がぐらっと揺れた。

──しまったっ!

 転がっていたガラス瓶を踏んづけてしまった。

「今だ! 抑えろ!」

 派手に尻餅をついたところを、アーチボルトが馬乗りになってくる。彼女が早速その股間を蹴りあげようとしたとき、武骨な手が下腹を探った。

「いっ、はぁぁ……、あぁ……っ!」

 突然、全身に稲妻のような官能が走り、腰が派手にはねあがった。相手の股間を蹴ろうとした脚はそこまで届かず、力なく床に落ちる。

 ──なんだっ、これは……っ!

 衝撃が過ぎ去っても甘い痺れは色濃く残り、腰の痙攣はなかなか止まらなかった。股の間に濡れた感触を覚えて愕然とする。はぁ、はぁ、と息を吐く辺境伯をいつのまにか三人が見下ろしていた。

「大人しくなったな。ちょうどいい、この女で一発解消しようぜ。あんなもの見せられて、真面目に働いてられるかよ」
「いいのか、客が連れてきた女だろ?」
「淫紋をつけてる娼婦だぞ。朝になったら、誰とヤったかなんてろくに覚えてないだろ。だいたい、こんな野蛮な娼婦がいるか。本当に客かどうかもわからないだろ」

 アーチボルトのセリフに、二人の男がそれもそうだと、彼女の両腕を地面に押さえつける。硬く冷たい床の感触がむき出しの背中にあたって痛い。アーチボルトが身をかがめ、ベビードールの上から胸を掴んだ。

「あ……っ、やめろ……っ」

 乱暴な仕草なのに、おなかの奥がきゅっと引き締まる。おかしい、嫌なのにこんな風に反応するなんて。

「は、早速喜んでやがる。しっかり押さえてろよ」
 
 興に乗ったアーチボルトが、白い太腿の内側を押さえつけてきた。湿った女の中心が外気にさらされ、粘っこい視線が絡んでくる。

「話に聞いていたが、淫紋の効果はすごいな。もう濡れて、糸まで引いてやがる」
「ああ……っ、く……っ、離せぇ」
「さっさと済ませろよ。……くそ、この女に殴られた顎が痛いっ」
「男を舐めたらどうなるか、教えてやる」
「あ……っ、あっ、わたしに、触る……なっ、あ……っ」

 二人の男に胸を揉みこまれて、全身がカッと熱くなった。
 アーチボルトは慌ただしくズボンの前を広げると、すっかり怒張したペニスを掴みだす。禍々しい醜悪な形に、辺境伯は必死に顔をそむけた。

「やめろ……っ、そんなもの、晒すなっ」
「晒すどころか、今からおまえのここに突っ込むんだぜ。よく見ておけよ」
「最初はあんなに威勢がよかったのに、今はおびえてるな」
「早くヤれよ、後がつかえているんだぜ」

 必死でもがくものの、身体に力が入らない。辺境伯の半生のなかでこれほど劣勢に陥ったことはなかった。Tバックの隙間に、アーチボルドの先端が当てられる。絶体絶命のピンチが訪れようとしていた。

「いやだああああ……っ!」 

 その瞬間、ドサッと男の体重が乗ってくる。気が付けば、腕の拘束も緩み周りには三人の男たちが転がってうめいていた。男を押しのけて体を起こそうとすると、すっと誰かに抱えられた。見た目よりがっちりした腕、たくましい肩、オードトワレのムスク系の香り。見知った感触に、彼女はホッと息を吐く。
 
「席から離れるなといったのに。悪い子だね、デイジー」
「エイルマー、……その名前で、呼ぶな」

 雛菊デイジーとは幼いころに亡くなった辺境伯の母親が、わが子が愛される一生を送ることを願って名付けたものだ。彼女は北の守護者には可憐すぎる自分の名前を恥じていた。

「あれ? アーチボルトに泣かされたの?」
 
 顎を取られ、青い瞳にのぞき込まれる。違うと否定しようとしたら、目じりを指でなぞられた。

「だめだよ、今の君はとても弱いんだから」

 その瞳にも声にも静かな怒りがこもっている。助けられたのは事実だから、彼女も今は素直に謝ろうとする。しかし、赤毛の女性を思い出した瞬間、その手を払いのけた。

「わたしに触れるな。アーチボルトを回収して、さっさと帰るぞ」
「へぇ。今まで震えていたのに、もう強がるんだ」
「うるさい。……古馴染みと楽しく仲良くやりたいなら、お前だけ残ればいい」

 辺境伯はなけなしの矜持で、乱れたベビードールの前を合わせる。アーチボルトに触れられた股の間が不快だが、今はそれを無視した。そうだ、この破廉恥な下着がすべて悪いのだ。ここを出て、厚い軍服に身を包み剣帯をすれば、いつもの自分に戻れる。もう少しの辛抱だ。
 そのとき、エイルマーの冷え切った声が薄暗い部屋に響いた。

「俺がなんのために、君をここに連れてきたんだと思う? まさか、本気で三下さんしたを捕まえるためだと?」

 彼女は結婚して半年、手練れの傭兵として各国に名を馳せたエイルマーを軽んじたつもりはなかった。寝室の件で行き違いはあれど、もともと惚れた腫れたで決めた結婚ではない。辺境伯は跡継ぎをもうける義務がある。エイルマーの突出した運動神経や冷静な判断力を是非とも辺境伯家の血筋に取り入れたかったのだ。互いに愛情はないから、無事に子どもが出来たら、彼とは離婚するつもりでいた。──だというのに、この状況はどうしたことだろう。

「エイルマー、おい……っ」
「その、ちょっと鈍感なところが君のチャームポイントではあるけどね」

 軽々と腕にすくいあげられ、目の前で華奢なピンヒールが跳ねた。エイルマーの整った顔がゆっくりと迫ってくる。

「おいたが過ぎたね、デイジー」

※※※※※

 エイルマーはデイジーをソファーにうつ伏せに寝かせるや、臀部を持ち上げ膝をつかせた。大事なところが外気にさらされて、心もとない。彼女が不安げに頭を巡らすと、ブリーチズの前ボタンを窮屈そうに外す夫の姿があった。引っ張り出したそれは硬く勃ちあがっており、アーチボルトのより一回り大きかった。

 約半年ぶりに明るいところで目にする夫のモノに心が渇いて、ごくんと生唾を飲みこむ。しかし、そこで我に返るだけの羞恥心は残っていた。

「やめろっ、人が見ているっ」
「気にしなくていいよ。みんな、やってることだし。──それより、まだ周りを気にする余裕があるの? ほんと気に入らない」
「やめ……っ、はあぁ……ん、ああああーーっ」

 硬くて太い幹を熟れきった秘裂にずぶずぶと押し込まれる。デイジーは脳みそが痺れるような快楽に、意識が飛びそうになった。エイルマーはボルドーのベビードールからはみ出た尻の肉を掴む。

「可愛いよ、デイジー。挿れただけでイったね」 
「ああ……、っく、はぁ……っ。は、……早く抜けっ」
「それは無理なお願いだね。……はぁっ。動いてもないのに、俺に絡んで締め付けてくる。びくびく感じてる背中もイヤらしいね、デイジー」
「黙れ……っ、その名前で、……呼ぶなぁ……っ」

 強引な雄の蹂躙に、持ち主の意思に反して身体の至る所が淫らに悦ぶ。彼女は禁欲的なはずの肉体の裏切りに唇をかんだ。
 エイルマーの手がデイジーの下腹を撫であげ、大事なところに伸びてくる。

「あれ?」

 自分の記憶と違うのか、彼は何度も同じところを擦ってきた。それだけでデイジーの快感が高まり、なかのエイルマーをぎゅうっと締め付ける。

「ああ、あっ、さわるなぁ……っ」

 屈辱と愉悦に歪んだ顔をソファーにこすりつけた。そのせいでアイマスクが外れたが、つけ直す余裕はない。エイルマーは熱い吐息をこぼして、デイジーの背中に覆いかぶった。

「君、パイパンだったっけ?」
「ちが……っ、おまえがこんなもの穿けって言うから……っ」
「そうなんだ。小さい子みたいで可愛いね。なんだか、悪いことしてるみたい」

 にっこりと笑った夫はいい子いい子と秘所をなであげた。そして、最後にわざとらしく淫紋をなぞる。

「ひいぃ、ふっ、ああ、やぁああ……っ!」

 強引に高められたデイジーが、ビクビクと身体を震わせた。触れられるだけで、四肢のすみずみに快楽が走る。この『淫紋』とやらは彼女の魔力を封じるだけでなく、快楽をいや増す仕掛けがあるようだ。エイルマーはそれを知っていたに違いない。怒りたいが、今はそれも叶わない。

「油断してると、こっちがイかされちゃいそう」

 欲情した雄の声音が、熱い息とともに耳の中まで入ってきた。それだけで子宮の奥がきゅうっと切なくなって、蜜襞が収縮を繰り返す。デイジーはその淫らさに泣きたくなった。
 エイルマーの笑うような吐息が漏れる。

「可愛いね」

 彼は硬い男根の根元を握ったまま、彼女の弱いところを重点的に上から下へとなぞった。いつもと異なる動きに不安が湧いて、デイジーのなかが再びエイルマーを締め付ける。ゆっくりした抽挿を続けられると、湧き上がる生理現象に尿道までぎゅうっと締まった。背中がぞくぞくしてたまらない。愉悦に潤んだ瞳を中空に向け、背中をそらす。

「ああ、やめろ……それ、いや、だぁ……っ」
「ん、なあに? デイジー。はっきり口にして? じゃないとわからないよ?」
「それ、……漏れそうに、なるから……っ、やめろ……っ」
「いいよ、漏れちゃっても」

 上の方から聞こえる夫の声に、かたくなに首を振る。ここで粗相をするなど耐えられるわけもない。だが、エイルマーの力強いストロークと共に、ばちゅんばちゅんと肉を穿つ音が脳まで侵食する。

「あああ……あぁっ、はぁ、やぁ…………っ」

 膣がめくれあがるほどの激しい動きに、やがてデイジーの秘所からジワリとお湯のようなものがあふれ出す。エイルマーは身を震わせ、欲情にまみれた声をだした。

「温かいね、お湯に包まれているみたい。デイジー、ソファーの色の変わってるところ、見える?」

 言われて思わず、股の下を覗き込んでしまった。デイジーの出した液体が彼女の太腿ならず、エイルマーの引き締まった腿まで伝い、薄い色のソファーに点々と染みを作っている。粗相した跡をまざまざと見せつけられ羞恥のあまり、エイルマーから逃げようと腕を伸ばした。

「エイ、ルマー……っ、はなせぇ……っ」
「いいとこ、なんだから、ダメだよ」
「ひぃ……、あぁ……っ」
「はぁっ、イキそう……っ」
「あ、ふあっ、……ああ、ああ――っ!」
「っくぅ」

 達したエイルマーが、満足げに息を吐く。勢いを失った男根をずるっと膣から抜いた。

「はぁ、気持ちよかった。……ちょっと落ち着いたかな」

 一方、淫紋のせいで再びイかされたデイジーはいつまでも顔を上げようとはせず、ぐすっぐすっと鼻をすする。周囲の喧騒をよそに、二人の間に沈黙が流れた。
 
「もしかして、泣いてるの?」
「うるさいっ」
「おしっこ出ちゃったと思ってる?」
「……死ね」

 デイジーの心は土砂降りだった。恥ずかしすぎて、死にたい。北の防壁と言われ、王宮では化け物扱いされる自分が、いい歳して人前で失禁。穴でも掘って自分を埋めたい。
 エイルマーはそんな彼女の頭を撫でた。

「違うよ、今のは潮を吹いたんだ。漏らしたわけじゃないよ。――デイジーは泣き虫だね」

 潮と言われてもよくわからないが、とりあえず粗相じゃないとわかって少しだけ安心する。しかし、人前でするべきではない行為に及んだことには変わりないと思い至り、再び顔を伏せた。ここまで羞恥心に襲われたのは初めてで、デイジーはみっともなく鼻をすする。
 追い打ちをかけるかのごとく、エイルマーが「だからね」とおもむろに口にした。

「可愛い顔をみんなに見せて」
「ぃ……っ! よ、よせ……っ」

 背後から顎をとられ、泣いた顔を持ち上げられる。アイマスクのはがれた顔をほかの客にみられて、そのうちの何人かとは確実に目が合った。

「やぁ……っ! やめろ……ぉっ」

 そのとき、数人の男性がアイマスクを外して、それをひらひらと振る。何の合図かと疑問が口をつくまえに、エイルマーが覆いかぶさって彼女の目元を舐めてきた。ぬるっとした感触がこめかみを伝い、体の芯に甘い疼きが走る。

「相手を交換して楽しむお誘いだよ。夫婦やカップルもマンネリになってきたら、たまには取り入れるとお互いにとって刺激になるんだ」
「交換……?」
「そう、みんな君を抱きたがっている」

 指先でゆっくりと胸の頂をなぞられると、再び快感がさざ波のように広がる。愉悦と悲しみが彼女の中に同時に起きた。

「やだ……ぁっ、交換するな……ぁ」

 エイルマー以外の男に抱かれるなど絶対嫌だし、エイルマーが他の女を抱くのにも耐えられない。ここにきて、夫がどうしてそんな言葉を口にするのか、デイジーにはわからなかった。

「どうしようかな?」
「なんで、……ここまでっ」

 ──わたしを追い詰める必要がある? 

 言葉にならなくて、黙ってしゃくりあげる。

「おやおや、天下の辺境伯閣下のお言葉とは思えないね」
「どういう、意味……だ」

 エイルマーを包む空気が一変した。デイジーは突然居ても立っても居られないような不安に襲われる。夫は自分が何を言っても、にこにこ笑っているから。
 夫は冷たい瞳に彼女を映したまま、言った。

「最低限の餌だけ与えて、寛大な主人にでもなったつもり? 行為は君の排卵日に合わせて月に一度の二回だけ。部屋は灯りをともさず、許された体位は正常位のみ。君が国防を担う辺境伯じゃなければ、とっくにキレていたよ。もう一度聞くけど、初夜では俺の好きにさせてくれたのに、どうして方針を転換したの?」
「わ、……わたしの決めたことに、文句を言うな」
「こんなになっても、言わないつもり?」
「……言いたくない」

 エイルマーは顔を背けた彼女の頬に手を添えると、青色の瞳でのぞき込んだままキスしてきた。驚くデイジーは目を閉じることも忘れ、されるがまま受け入れてしまう。口の中を舐めまわされ、上顎に舌を這わされる。エイルマーは彼女の頭の後ろを固定するや、舌を深く入れ込んできた。熱い吐息を絡めながら、縮こまる舌に吸い付いて、食い尽くす勢いで咥内を蹂躙する。

 不慣れなデイジーはついていくこともできなくて、翻弄されるだけ。最後は互いの唇を唾液の糸がつなぎ、恋人同士のような甘く気恥ずかしい空気が流れる。エイルマーは名残惜しそうに眼を開けた。
 
 青色の美しい瞳には、もどかしさと苛立ちと、激しい恋情が宿っていた。秀麗な顔は普段の飄々さを取っ払い、赤裸々な欲にまみれた男の色気を漂わせている。
 デイジーは気が付いた。この男は心の底から、彼女を求めている。結婚を提案したのは自分からで、愛の言葉を贈ったことも求めたこともないけれど、どうしてか、エイルマーはデイジーを愛しているのだ。

「しゃべる気になった?」
「……この体勢、苦しいぞ」

 照れ隠しに文句を言うと、エイルマーはくしゃっと笑った。彼は中途半端に脱いだブリーチズを完全に脚から抜くと、シャツ一枚になった。ソファーの背にもたれかかって、デイジーに自分の膝を跨がせる。

「さあ、教えてよ」

 自分の中にある感情をいざ言葉にしようとすると、デイジーの顔が薔薇の花のように赤く染まった。人前で致すのも恥ずかしいが、ずっと隠してきた気持ちを明かすのも恥ずかしい。

「あ……」
「あ?」
「あ……、は身体によくない。気が変になって、自分が自分じゃなくなる」

 目の前の青い瞳がくすぐったそうに細められた。

「初めてなのに、とっても気持ちよかったでしょ?」 
「うるさい」

 初夜のとき、エイルマーによってもたらされる強い快感に我を忘れた。存在すら知らなかった女としてのデイジーが突然現れて、自分の価値観を粉々に崩してしまう。屈服させられる歓びと人肌のぬくもりに、いつまでのこの時間が続くように願ってしまったのだ。デイジーはそれにまた溺れるのが怖くて、先回りしてルールを設けた。

 エイルマーの部屋にデイジーが赴き、ことが終われば逃げるようにして部屋を出た。多分一時間も一緒にいない。
 不意に、エイルマーが瞼にキスを落としてくる。

「やっと、俺を寝室に入れる気になった?」

 天使のような笑顔にうなずきそうになって、ふと嫌な予感を覚えた。

「まさか、おまえ。このためにわざわざアーチボルトを泳がせたのか?」

 内心では否定してくれと思いつつ夫を見上げれば、いたずらを見つかった悪ガキのような表情がある。
 
「そうだよ。デイジーは肉体強化の魔術を会得しているから、おいそれとは手が出せないでしょ? さすがに命がけで押し倒すわけにはいかないし、デイジーは忙しいからゆっくり話をすることもままならない。この半年、いろいろ考えてみた結果、一時的に魔力を奪って対話に持ち込むのがいいと思ったんだよ。淫紋は催淫効果もあるから、それはこの半年耐えに耐えた俺へのご褒美ってことで――痛っ」

 眉根を寄せたデイジーが、夫の肩口に爪を立てた。

「……おぼえていろ、明日の朝にはおまえを刺してやる」

 エイルマーは眉を寄せて、苦笑いする。

「今は、俺が刺すけどね」

 軽々と腰を持ち上げられ、雄茎の上に下ろされる。制止をかける間もなかった。

「やあああぁぁぁ……っ!」

 脳天を突き抜ける衝撃に背中をそらして、シャンデリアの吊るされた天井を仰ぎ見る。もう、周りの人間のことなど頭になかった。柔らかな蜜襞が長く太い竿を包み込んで、ぎゅうぎゅうと絞りあげて、もっと突いてと要求する自分の身体の奴隷になり果てるしかない。
 エイルマーはベビードールをめくりあげ、現れた乳房を両手で持ちあげた。

「あっ……、はぁ、ああ、あん、んん……っ」

 すっかり勃ちあがった双丘の先を確かめるように舌で執拗にたどった。甘噛みしたまま顎を引いて、豊満な白い乳房が伸びるのを楽しんでいる。

「ふぁ……っ! やめ、……ろっ」

 上気した頬に陶酔した目元、器用に動く唇。秀麗な夫が自分の乳房に夢中になってしゃぶりつく表情が、視覚的に自分を追いつめる。硬くなった乳輪の中心を舌でぐにぐりと抉られ、乳房の半ばから口に含まれ吸われた。
 常に全身がぴくぴく痙攣し、どこを触られてもイってしまう。ずっと頭が真っ白で、何も考えられなかった。

「好きだよ、愛してる。俺のすべてを君に。だから、君のすべてを俺にちょうだい」

 この言葉になんと返したか自分でもわからない。何かを言って、それを聞いたエイルマーが強く抱きしめてきた記憶は残っていた。ほとんど意識を飛ばしたデイジーをエイルマーは何度も求めた。この半年間の飢えを満たす激しい動きに啼かされ、喘がされる。

 どれだけ時間がたっただろう。ふぅっと、エイルマーは息を吐いて、満足そうに己のものを抜いた。魔力を封じられて、肉体強化も叶わないデイジーの体力はほとんど空だ。もう何度目かもわからずイかされ、なかに出されて、身体は気怠くて眠くてたまらない。

「大丈夫だよ、眠ってもいいよ。俺が全部守ってあげるから」
「……わたしはローテ辺境伯だ。誰も、わたしの代わりを務めることはできない」
「もちろんだよ。でも、俺を頼って利用して、君の重荷を分けて? 自慢じゃないけれど、俺ならできるよ」

 エイルマーの薄い唇が、デイジーのそれを覆った。
 蕩けそうなキス。甘くて切なくてどきどきして、胸の奥がきゅんっと跳ねる。恋や愛など自分とは無縁だと思っていた。 
 北の国境は死守せねばならず、領地の民と家臣たちに安定した生活を保障してやらなくてはならない。彼女は生まれた時からその責を担い、それが当たり前だと思って生きていた。父親から地位を譲られて以来、すべてを一人でやらなくてはいけないと思っていたのに。
 
 薄れゆく意識の中、デイジーはエイルマーの肩に頬を摺り寄せた。暖かくて、気持ちがいい。人の腕のなかで、眠るのも悪くない。

 ──ここはひどく、居心地がいいな。

 毎晩こんな気持ちになれるなら、少しぐらい譲歩してやってもいいかもしれない。彼女はそう思った。

※※※※※

「陛下のおかげで、ことが早く済みました。お礼をもうしあげます」
 
 貴賓室のベッドに妻を寝かせたエイルマーが、背後にいた赤毛の麗人に声をかける。未明まで催された夜会は終わり、大きなガラス窓からは朝日が差していた。客たちもすべて帰り、屋敷は静寂に包まれている。

 デイジーがいかがわしいと嘆いたこの紳士社交倶楽部は、実は王室の意向で作られたものだ。ここで交わされる会話や取引はすべて国王の監視下にあり、集められた情報は国王と近しい出資者数名のみが共有している。
 それを知るものは、出資者たち本人と倶楽部の総支配人だけ。エイルマーは隣国の王室から嫁いできた王妃の異母兄として、その名を連ねていた。 

「こちらこそ楽しませてもらった。まさか、辺境伯夫妻の熱い営みが見られるとは思わなかったよ」
「恐れ入ります」
「荒くれた獅子のような辺境伯を良くあそこまで手懐けたものだ」
「陛下の変装に妻もすっかり騙されて、よいスパイスになりました。感謝いたします」
「おや、わたしの息抜きもたまには役に立つようだ。我が妻には相変わらず白い目で見られるがね」
「それは、陛下の女装が完璧だからですよ。キャサリンは我が異母妹ながら美しく育ちましたがそれはそれとして、複雑な女心を理解してやってください」

 エイルマーはふと思い出して、込み上がる歓喜を噛み潰した。

『好きじゃなかったら、結婚してない』

 失神寸前のデイジーが囁いた言葉。滅多に明かされない本音に感激して、また激しく抱いてしまった。結婚を申し込まれるぐらいだから、嫌われていないことはわかっている。常にぶっきらぼうなのは、彼女が自己表現に慣れていないだけ。わかってはいるが、安心できる言葉もたまには欲しい。

 彼女を愛しているから、昼も夜もそばにいたい。特に夜は、疲れた彼女を身も心も癒したいし、エイルマーも同じぐらい彼女に癒されたいし、愛されたい。彼女のことになると、自分は人一倍欲張りなのだ。

 鎧をまとった彼女は『北方の鉄壁』の名に恥じぬ最強の戦士だが、その素顔は意外にも繊細で傷つきやすい。──そして、誰にも明かしたくないほど、可愛らしい。それを自分だけの秘密にしたい半面、見せびらせたくて仕方ないのは自分の困ったさがだ。
 エイルマーは晴れやかな笑顔で、赤毛の主を振り向いた。

「今回の件、陛下には貸しになりますか?」
「そうだな。エイルマー卿には、いろいろ助けられた」

 アーチボルトから対モンスター用騎兵銃の情報を買おうとした貴族たちの名前もつかんだ。対モンスター用の騎兵銃など、モンスターの出ない国内では需要がない。何故なら、モンスターは極北の山脈を根城にしていて、デイジー率いる辺境伯の軍隊が国内への侵入を完全に阻んでいるからだ。となると、アーチボルトと取引しようとした者は銃のノウハウを国外へ売るか、国王軍より多大な軍事力を手に入れたいかのどちらかであり、反逆罪に相当する。アーチボルトをわざと泳がせておいた甲斐があったというものだ。あの男が銀行の貸金庫に預けた騎兵銃も回収済みだ。

 これから国王による、腐敗した貴族たちの粛清が始まるのだ。
 デイジーと彼女が指揮しているローテ騎士団が北の国境を死守しているがゆえに保たれている平和なのに、そのことに恩義も感じず、戦場での彼女の非情さばかりを噂するばかりのこの国の貴族たちをエイルマーはひどく嫌悪していた。哀れむには及ばない。

「で、あの男はどうする? 国で処理することも可能だが」
「辺境伯領に連れて帰ります。ちょうど騎兵銃の改良のためによく逃げ回るを探していたところです。貴族たちに何を売ろうとしていたか、あの男には身をもって教えてやります。ほかの家臣たちも身が引き締まって、デイジーに二心を抱くこともないでしょう」
「おや、聖人のような見た目に反して血も涙もないな」
「お褒めの言葉をありがとうございます」

 国王はくすりと笑う。 

「わたしはこれで退出するよ。可愛い妻と娘が待っているからね。エイルマー卿も領地に帰る前に、宮殿に足を運んでくれ。君に会えるのを二人が楽しみにしている」
「かしこまりました」

 国王はそのまま扉へ向かう。二人っきりの部屋は再び静寂に満ちた。
 エイルマーは、子どものように丸くなって眠る妻の頭を愛おしげになでて、誰にともなく呟いた。

「デイジーを泣かせる男は俺以外、この世にはいらないんだよ」
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