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103・鼓舞
しおりを挟む「ち、畜生! 勝てるわけ無いだろ、そんな化け物みたいな奴に!」
こちらが必死になって放つ攻撃は通用せず、ビエルの詠唱だけが進んでゆく。それと共にビエルの周囲だけでは無く、集落全体に凶悪な魔力が満ちてゆく。
噂話とは尾鰭背鰭が付く物である、『壊滅』の話もどこかの誰かが酒の肴に盛った話だと思っていた。
だが、実際に対峙するとどうだーーあれは間違い無く化け物の類いだ……。
ビエルからの攻撃はまだ一度も無いにも関わらず、工兵達は既に敗北者の顔付きである。刻々と周囲を覆うビエルの魔力が、決して逃げられぬ監獄に閉じ込められた死刑囚の様な気にさせるのだ。
「な、なぁ……別にサーシゥ王国とは敵対してないんだろ? もう謝っちまえば良いんじゃないか?」
「そ、そうだよな。そもそもアイツらの仲間を攫って来たのは傭兵達じゃねぇか……」
完全に戦闘意欲を無くした工兵達の背後から、突如怒声が響いた。
「ーーそれは断じてならんッ!」
一体いつから居たのか、そこには鬼の形相をしたネルビスが工兵達を睨みつけていた。
「し、しかし隊長……攻撃の要である傭兵も頼りにならない状態ですぜ?」
「そうですよ、それに……相手は恐らく、あの『壊滅』なんですよ?」
既に負けたかの様な悲観的態度の工兵達に向かい、ネルビスはその小柄な体型に似合わぬ大声を張り上げる。
「ーー狼狽えるな!! 我々の任務はこの拠点を維持し本隊を迎え入れる事で『壊滅』を倒す事では無い!」
ネルビスとて伊達に隊長を務めてはいない、動揺する工兵達を一喝し冷静さを取り戻させるくらいの指揮力は持っている。
「た、確かに……」
「そうか、倒さなくても良いなら……」
「俺らでも、何とかなりそうじゃね?」
ーー工兵達の顔にほんの少し希望の光が差す。
屈強な壁を生成し、高度な防御魔法を付与する。壁が壊れたならば迅速に修復し、壊れる前よりも堅牢に作り上げる。
敵を倒すのでは無く攻撃を防ぐ事ーーそれはまさに第六工兵部隊の得意分野だ。
「でも、いつまで持ち堪えればーー」
確かに今は敵が『壊滅』の一人だけだが、いずれ敵の本隊もやってくる筈だ。先程の爆破魔法で崩れた壁を何度も修復した事も有り魔力も万端とは言い難い。
「案ずるな! ーー先程魔導通信により、我が同胞から直ちに本隊を此方に向かわせるとの連絡を受けた! もう少し耐えれば本隊が来るっ、それまで持ち堪えるのだ!」
「「おぉ!」」 と工兵達の士気が上がる。いつまで続くか分からない籠城戦では工兵達の心は折れてしまっただろう。しかし、来ると約束された味方を待つ防衛戦となれば別だーーゴールが見えている方が人は頑張ることが出来るのだ。
「さぁ、効かぬ攻撃などやめてしまえ! 苦手分野では無く得意分野で戦うのだーーそうだ、もっと防壁を重ねろ! もっと魔法を付与せよ! 造壁は我ら第六工兵部隊の真骨頂だ! いくら『壊滅』とはいえ、我ら第六工兵部隊が作る鉄壁を簡単に突破出来ると思うなよ!」
◇
「………………良いのですか?」
日当たりの良いバルコニーに設置された小さな円卓。並べられた泡白い茶器は、深い海底から採取された貴重な白貝で作られた逸品である。そこに注がれる茶の上品な甘い香りが鼻腔をくすぐった。
しかし、そんな庶民には決して手が届かない高級茶であるにもかかわらず、惜しげも無く一気に飲み干した男を見ながら彼女は呆れた様に軽い溜息を吐き尋ねた。
パカレー共和国建国時から存在する《ビルバルニ》教団、パカレー共和国の神である『アバン』を崇拝し、日々その教えを広め活動する最も古く、そして最も力のある教団である。
パカレー共和国には君主は居ないとされている。共和国なのだから当たり前ではあるのだが、その実態は少し違う。
パカレー最高指導者である『総代表』はパカレー共和国に最も貢献し影響力の有る8人の権力者達の中から選ばれる。そして、その8人の功労者を選定するのは《ビルバルニ》教団の教皇である。
つまり、君主は居ずともパカレー共和国は実質的には《ビルバルニ》教団の支配下にある宗教国家なのだ。
ここ神都ラーミアには教団の総本部が在り、その神殿内部には神『アバン』の本殿がある。
数多くの教団関係者が常時滞在する神殿の中、高位司祭にのみに与えられる神祈居と呼ばれる個室にて、二人の男女が対面にて茶を飲んでいた。
真っ白な司祭着に飾頭巾、首から下がる黄金色のメダルには大司祭の証である神アデルの身姿を模した紋章が刻まれている。
彼女の優しげな目元にまだ皺は無く、一見若くして大司祭まで登り詰めたかの様に見えるがーー人とは生きる速度が異なるエルフである彼女の本当の年齢は分からない。
一方、いかにも大司祭らしい柔和な彼女の前でやや乱暴に茶を啜るのは、神殿には似つかわしく無い血生臭い軍服を着た男だった。
男はつい先程まで使用していた通信魔道具を懐に仕舞うと、飲み干したカップに再度注がれる茶を横目で見ながら足を組んだ。
「ねぇ、あんな外れに本隊を向かわせるなんて言っちゃって……本気じゃないんでしょう?」
「当たり前だ、第六工兵部隊が先行しているのは王国領土だぞ? 本隊なんぞ乗り込んだら国際問題になるだろうよ」
最高位司祭である彼女に対してまるで謙る気が無い男の態度に、部屋の扉の前に立つ信徒の一人が顔を顰める。
しかし彼女の方は全く気にした素振りを見せず、それどころか自ら男に茶のお代わりを注いでいる。尊敬する大司教がそんな態度なのだ、彼等の関係性が分からぬ信徒に出来る事はーー精々、精一杯男の顔を睨み付ける事くらいだ。
「…………そう、ネルビス君、二階級特進ですねぇ」
「仕方あるまい……私だって好き好んでネルビスを見捨てる訳じゃ無い」
あれでも同期だと、男は何処か遠い目をするーーもっとも階級的には随分と差が出てしまったが。
「元々は、帝国兵に襲われていた村を、偶然見つけた我が共和国の部隊が救出に向かうというシナリオでしたね?」
「そうだなーー残念ながら救助は間に合わず村人は全員死亡、帝国兵には逃げられてしまった……その後の調査の結果、実はサーシゥ王国の集落だった事が判明ーーこの事件をサーシゥ王国の民に流布すれば、腰の重いサーシゥ王も参戦さぜる得ない筈だったのだがな……」
どうにも予定通りには行かないと、男は目を瞑り、その長い指先で瞼を揉み解した。
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